久しぶりに見ました。名作中の名作『ゴッドファーザー』。マフィア映画ですが、それ以上にホームドラマでしょう、というのがこの記事の主旨です。
『ゴッドファーザー』(1972年、アメリカ)

脚本:マリオ・プーゾ&フランシス・フォード・コッポラ
監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ、マーロン・ブランド、ジェームズ・カーン、ロバート・デュバル
主人公は誰か
よく、「『ゴッドファーザー』の主人公はマイケル(アル・パチーノ)だ」というと、「ヴィトー(マーロン・ブランド)だろう」と言い返されるんですが、それは明らかな間違いです。
この映画は何よりもマイケル・コルレオーネの「顔の変化」を骨格としています。

この場面はマイケルが「俺がソロッツォを殺す」と息巻くところですが、まだまだあどけなさが残っています。
それが、最後のほうになると……

冷徹きわまりない顔になってしまう。
『ゴッドファーザー』はあくまでも父親ヴィトーが撃たれてことをきっかけに堅気だったマイケルがファミリーの仕事に手を染め、下劣なゴッドファーザーに成り下がる映画です。それを筋としてだけでなく、顔の変化という視覚に訴えるやり方で描写しているところが素晴らしい。
クライマックスはどの場面か
一番の見せ場は洗礼式と五大ファミリー殲滅を交錯させたシークエンスですが、やはりこの映画のクライマックスは、マイケルが妹コニーの旦那を平気で殺す冷酷非情なゴッドファーザーになった場面です。
正確には、妻のケイ(ダイアン・キートン)に「ほんとにコニーの旦那さんを殺したの?」と聞かれて「ノー」と答える場面。ファーストシークエンスではあどけない若者として登場したマイケルが最終的に最愛の妻にさえ平気で嘘をつく男になってしまう。
ヴィトーはクライマックスのはるか前に死んでしまうのだから主人公であるはずがありません。
ホームドラマ
この記事には「ホームドラマ」のタグを付けていますが、「『ゴッドファーザー』はホームドラマだ」というと、これにも異議を唱える人がいるんですよね。確かに「マフィア映画」でもあるけれど、それ以上に「ホームドラマ」の側面が大きい。
マイケルが裏の稼業に手を染めるのは父ヴィトーが撃たれ少しでも家族の役に立ちたいと思ったからですが、なぜヴィトーが撃たれたかというと、タッタリア・ファミリーからの「俺たちと組んで麻薬取引をやらないか」という申し出を断ったからです。なぜ断ったか。「麻薬は家族を滅ぼすから」です。
長男ソニー(ジェームズ・カーン)が殺されたのは、コニーが旦那から暴力を振るわれていて助けに行こうとしたからです。それを利用して待ち伏せされて蜂の巣にされた。
すべての登場人物が「家族のために」行動しているのに、それがすべて裏目に出てしまい家族がバラバラになってしまう物語なのだから、まぎれもないホームドラマです。
ヴィトーは、かわいい三男坊マイケルにだけは暴力で人を動かす汚れた稼業に手を染めてほしくないと思っていました。それが、マイケルが跡目を継いだばかりか、義理・人情を重んじるヴィトーとは対照的に、マイケルは金しか信じない極悪人になってしまう。ヴィトーの思いをことごとく裏切り、偉大なる父ヴィトー・コルレオーネとは似ても似つかぬゴッドファーザーに成り下がってしまいます。
金では動かない男ヴィトー
「アメリカはいい国です」から始まる印象的なファーストシークエンスで、葬儀屋は娘をレイプした男たちを殺してほしいとヴィトーに依頼に来ます。
「おまえの娘は殺されたわけじゃないから痛めつけるだけで充分だ」
「私は殺してほしいと頼んでいるんです。いったいいくら払えばいいんですか!」
「俺はそんなに情けない男か⁉ おまえが俺を常日頃からゴッドファーザーと呼んで友情を誓っていれば頼まれなくたってそんな奴らは痛めつけてやる」
葬儀屋がかしずいて「ゴッドファーザー」とヴィトーの手にキスをすると、
「これでおまえは友人だ。頼みを聞いてやる」
一方で、ヴィトーが撃たれる直前にソロッツォに殺されるルカ・ブラジという男は、殺し屋としては優秀らしいですが、とても口下手で、コニーの結婚式では「ドン・コルレオーネ、このたびはお招きにあずかりありがとうございます」と口上の練習をしている。
そして練習通りに棒読みでヴィトーに感謝の意を伝えるのですが、ヴィトーはじっくり聞いてやる。「忙しいときに何だ」と直前では言っていたのに、ルカ・ブラジのどうしてもお礼を言いたいという気持ちを汲む度量がヴィトーにはある。ヴィトーにとって大事なのは「気持ち」であって「金」ではない。
そういえば、ずっと以前、山口組の組長がインタビューで「一番恐いものは何ですか?」という質問に「金では絶対に動かない男」と答えてましたっけ。
パン屋がもってくる「ささやかな花束」
撃たれたヴィトーが入院している病院をマイケルが訪れたとき、パン屋が来ますよね。このままでは殺されるからと看護婦と一緒にヴィトーのベッドを廊下の奥に移動させたら足音がして、殺し屋かと思ったら「いつもお世話になってるパン屋です」と言って登場する。あのパン屋がもってきた「ささやかな花束」もまた、ヴィトーという男を象徴していると思います。
パン屋だって豪勢な花束を買いたかったはずなんですよ。でも貧しいから小さいのしか買えない。でもヴィトーは何よりも相手の気持ちを汲む男です。金額なんてどうでもいい、見舞いに来てくれたことがうれしいと喜んで受け取る男なのでしょう。
しかし!
殺し屋が来たとき「胸元に手を入れて拳銃をもっているふりをしろ」とパン屋に命じるマイケルは、その花束を奪い取って捨てます。別に胸元に隠してたっていいじゃないですか。それを簡単に捨ててしまうのは、マイケルがもしヴィトーと同じ目に遭って、見舞客があんなささやかな花束をもってきても、絶対に受け取らないいうことです。あそこですでに父と子の器の違いが顕わになっています。
フレドーについて口を閉ざすヴィトー
マイケルの実の次兄はフレドーという能無しの男ですが、そのフレドーについてヴィトーは何も語りません。腹の中では能無しと思っているんでしょうが、それだけは決して口にしない。それを口にしたら終わりだという良識をヴィトーという男はもっています。薄汚れた仕事に手を染めながらも、人としての矜持を失わない男でした。
しかし、マイケルはドンになった途端、義理の兄のトム(ロバート・デュバル)を相談役から降ろすと非情な宣告をします。ヴィトーが「わしからそう言ったんだ」と取りなそうとしますが、「力になれる」というトムにマイケルは「無理だ」の一言で片づけてしまう。

主人公はあくまでもマイケルですが、マイケルを通してヴィトーという男の偉大さがどんどん浮き彫りになっていきます。だから「主役はヴィトーだ」と勘違いしている人が多いのかな、とも感じた次第。
マイケルの悲哀
ただ、マイケルもかわいそうな男なんですよね。もともと極悪人だったわけじゃないから。ヴィトーが撃たれる日、ケイとクリスマスを祝うシーンなどではごく普通の善良な男です。
それがなぜ冷酷非情なゴッドファーザーに成り下がってしまったのか。
それはやはり「裏切り」でしょうね。
ヴィトーが撃たれたのは運転手兼ボディガードのポーリという男が裏切って仮病を使ったためですし、ソロッツォを殺したあとに逃れたシチリアで出逢った女と結婚しますが、彼女もまた裏切り者のせいで爆死してしまう。
だから、コニーの旦那はもちろんのこと、親父さんの昔からの仲間だったテシオですら裏切った以上は殺すしかない。
『仁義なき戦い』を書いた笠原和夫さんの「骨法十箇条」の要諦は「枷」で、「主人公の心のあり方にこそ求めること」と書かれています。
裏切り者のせいで家族が不幸になった。だから裏切り者は全員根絶やしにしてやる。それがマイケルを縛る「枷」です。その枷のせいでマイケル自身がどんどん不幸になってしまう。
おまえにだけはこんな仕事はさせたくなかった。おまえにだけは普通の幸せを手にしてほしかったという父親の願いもむなしく……
続き
『ゴッドファーザーPARTⅡ』(『ラストエンペラー』に通底するもの)
『ゴッドファーザー』(1972年、アメリカ)

脚本:マリオ・プーゾ&フランシス・フォード・コッポラ
監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ、マーロン・ブランド、ジェームズ・カーン、ロバート・デュバル
主人公は誰か
よく、「『ゴッドファーザー』の主人公はマイケル(アル・パチーノ)だ」というと、「ヴィトー(マーロン・ブランド)だろう」と言い返されるんですが、それは明らかな間違いです。
この映画は何よりもマイケル・コルレオーネの「顔の変化」を骨格としています。

この場面はマイケルが「俺がソロッツォを殺す」と息巻くところですが、まだまだあどけなさが残っています。
それが、最後のほうになると……

冷徹きわまりない顔になってしまう。
『ゴッドファーザー』はあくまでも父親ヴィトーが撃たれてことをきっかけに堅気だったマイケルがファミリーの仕事に手を染め、下劣なゴッドファーザーに成り下がる映画です。それを筋としてだけでなく、顔の変化という視覚に訴えるやり方で描写しているところが素晴らしい。
クライマックスはどの場面か
一番の見せ場は洗礼式と五大ファミリー殲滅を交錯させたシークエンスですが、やはりこの映画のクライマックスは、マイケルが妹コニーの旦那を平気で殺す冷酷非情なゴッドファーザーになった場面です。
正確には、妻のケイ(ダイアン・キートン)に「ほんとにコニーの旦那さんを殺したの?」と聞かれて「ノー」と答える場面。ファーストシークエンスではあどけない若者として登場したマイケルが最終的に最愛の妻にさえ平気で嘘をつく男になってしまう。
ヴィトーはクライマックスのはるか前に死んでしまうのだから主人公であるはずがありません。
ホームドラマ
この記事には「ホームドラマ」のタグを付けていますが、「『ゴッドファーザー』はホームドラマだ」というと、これにも異議を唱える人がいるんですよね。確かに「マフィア映画」でもあるけれど、それ以上に「ホームドラマ」の側面が大きい。
マイケルが裏の稼業に手を染めるのは父ヴィトーが撃たれ少しでも家族の役に立ちたいと思ったからですが、なぜヴィトーが撃たれたかというと、タッタリア・ファミリーからの「俺たちと組んで麻薬取引をやらないか」という申し出を断ったからです。なぜ断ったか。「麻薬は家族を滅ぼすから」です。
長男ソニー(ジェームズ・カーン)が殺されたのは、コニーが旦那から暴力を振るわれていて助けに行こうとしたからです。それを利用して待ち伏せされて蜂の巣にされた。
すべての登場人物が「家族のために」行動しているのに、それがすべて裏目に出てしまい家族がバラバラになってしまう物語なのだから、まぎれもないホームドラマです。
ヴィトーは、かわいい三男坊マイケルにだけは暴力で人を動かす汚れた稼業に手を染めてほしくないと思っていました。それが、マイケルが跡目を継いだばかりか、義理・人情を重んじるヴィトーとは対照的に、マイケルは金しか信じない極悪人になってしまう。ヴィトーの思いをことごとく裏切り、偉大なる父ヴィトー・コルレオーネとは似ても似つかぬゴッドファーザーに成り下がってしまいます。
金では動かない男ヴィトー
「アメリカはいい国です」から始まる印象的なファーストシークエンスで、葬儀屋は娘をレイプした男たちを殺してほしいとヴィトーに依頼に来ます。
「おまえの娘は殺されたわけじゃないから痛めつけるだけで充分だ」
「私は殺してほしいと頼んでいるんです。いったいいくら払えばいいんですか!」
「俺はそんなに情けない男か⁉ おまえが俺を常日頃からゴッドファーザーと呼んで友情を誓っていれば頼まれなくたってそんな奴らは痛めつけてやる」
葬儀屋がかしずいて「ゴッドファーザー」とヴィトーの手にキスをすると、
「これでおまえは友人だ。頼みを聞いてやる」
一方で、ヴィトーが撃たれる直前にソロッツォに殺されるルカ・ブラジという男は、殺し屋としては優秀らしいですが、とても口下手で、コニーの結婚式では「ドン・コルレオーネ、このたびはお招きにあずかりありがとうございます」と口上の練習をしている。
そして練習通りに棒読みでヴィトーに感謝の意を伝えるのですが、ヴィトーはじっくり聞いてやる。「忙しいときに何だ」と直前では言っていたのに、ルカ・ブラジのどうしてもお礼を言いたいという気持ちを汲む度量がヴィトーにはある。ヴィトーにとって大事なのは「気持ち」であって「金」ではない。
そういえば、ずっと以前、山口組の組長がインタビューで「一番恐いものは何ですか?」という質問に「金では絶対に動かない男」と答えてましたっけ。
パン屋がもってくる「ささやかな花束」
撃たれたヴィトーが入院している病院をマイケルが訪れたとき、パン屋が来ますよね。このままでは殺されるからと看護婦と一緒にヴィトーのベッドを廊下の奥に移動させたら足音がして、殺し屋かと思ったら「いつもお世話になってるパン屋です」と言って登場する。あのパン屋がもってきた「ささやかな花束」もまた、ヴィトーという男を象徴していると思います。
パン屋だって豪勢な花束を買いたかったはずなんですよ。でも貧しいから小さいのしか買えない。でもヴィトーは何よりも相手の気持ちを汲む男です。金額なんてどうでもいい、見舞いに来てくれたことがうれしいと喜んで受け取る男なのでしょう。
しかし!
殺し屋が来たとき「胸元に手を入れて拳銃をもっているふりをしろ」とパン屋に命じるマイケルは、その花束を奪い取って捨てます。別に胸元に隠してたっていいじゃないですか。それを簡単に捨ててしまうのは、マイケルがもしヴィトーと同じ目に遭って、見舞客があんなささやかな花束をもってきても、絶対に受け取らないいうことです。あそこですでに父と子の器の違いが顕わになっています。
フレドーについて口を閉ざすヴィトー
マイケルの実の次兄はフレドーという能無しの男ですが、そのフレドーについてヴィトーは何も語りません。腹の中では能無しと思っているんでしょうが、それだけは決して口にしない。それを口にしたら終わりだという良識をヴィトーという男はもっています。薄汚れた仕事に手を染めながらも、人としての矜持を失わない男でした。
しかし、マイケルはドンになった途端、義理の兄のトム(ロバート・デュバル)を相談役から降ろすと非情な宣告をします。ヴィトーが「わしからそう言ったんだ」と取りなそうとしますが、「力になれる」というトムにマイケルは「無理だ」の一言で片づけてしまう。

主人公はあくまでもマイケルですが、マイケルを通してヴィトーという男の偉大さがどんどん浮き彫りになっていきます。だから「主役はヴィトーだ」と勘違いしている人が多いのかな、とも感じた次第。
マイケルの悲哀
ただ、マイケルもかわいそうな男なんですよね。もともと極悪人だったわけじゃないから。ヴィトーが撃たれる日、ケイとクリスマスを祝うシーンなどではごく普通の善良な男です。
それがなぜ冷酷非情なゴッドファーザーに成り下がってしまったのか。
それはやはり「裏切り」でしょうね。
ヴィトーが撃たれたのは運転手兼ボディガードのポーリという男が裏切って仮病を使ったためですし、ソロッツォを殺したあとに逃れたシチリアで出逢った女と結婚しますが、彼女もまた裏切り者のせいで爆死してしまう。
だから、コニーの旦那はもちろんのこと、親父さんの昔からの仲間だったテシオですら裏切った以上は殺すしかない。
『仁義なき戦い』を書いた笠原和夫さんの「骨法十箇条」の要諦は「枷」で、「主人公の心のあり方にこそ求めること」と書かれています。
裏切り者のせいで家族が不幸になった。だから裏切り者は全員根絶やしにしてやる。それがマイケルを縛る「枷」です。その枷のせいでマイケル自身がどんどん不幸になってしまう。
おまえにだけはこんな仕事はさせたくなかった。おまえにだけは普通の幸せを手にしてほしかったという父親の願いもむなしく……
続き
『ゴッドファーザーPARTⅡ』(『ラストエンペラー』に通底するもの)
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