私が映画に狂ったきっかけの1本『明日に向って撃て!』を再見しました。これを見てから30年以上にわたって1万本以上の映画を見続けてきたのですから、まさに記念すべき作品です。

この映画は「愚か者二人が時代の流れを見誤り、蜂の巣にされて死んでいく悲劇」です。決してヒロイズムではありません。どこまでも愚かな男たち=アンチヒーローへの哀切きわまりない挽歌です。(以下ネタバレあります)


『明日に向って撃て!』(1969、アメリカ)

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脚本:ウィリアム・ゴールドマン
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
出演:ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス


ファーストシーンの重要性
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この映画は、主役のポール・ニューマン演じるブッチ・キャシディが銀行を下見するシーンから始まります。そうです。主役はポール・ニューマンです。「主役は二人」と言われることが多いですが、ロバート・レッドフォードはただの脇役です。

3時になると厳重に閉じられる。警備員もいる。それを見たポール・ニューマンは「銀行も変わった」と言いますが、これがこの映画の要諦です。

いや、正確には「銀行も変わった」と言いながら、それを認めないブッチ・キャシディという男の「変わろうとしない」心がこの映画の要諦でしょう。「銀行も変わった」ということは「その他いろんなことが変わっていっている」ということです。彼は時代の変化を認めようとしない。

続くシーンでは、相棒のロバート・レッドフォード=サンダンス・キッドがポーカーでイカサマだと因縁をつけられるんですが、ポール・ニューマンは「逃げよう。俺たちももう若くないんだ」と言います。これも重要なセリフです。「若くない」と言いながら、彼は「若くあろう」としています。永遠に「いま」が続くと思っている。


子分たちの反乱
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銀行の偵察を終えて仲間のところへ戻ると、ハーヴィーという大男が「もうお前はボスじゃねえ。俺がボスだ」と言います。仲間たちみんな二人を裏切ったと。ハーヴィーは「もう銀行強盗の時代じゃねえ。現金を輸送する列車を狙うんだ」と言います。みんなそのアイデアに乗ったんですね。「銀行は変わった」のだから狙いを変えるべきだ、いつまでも銀行強盗にこだわるポール・ニューマンについてはいけない、と。

ここでポール・ニューマンが悪知恵を働かせてハーヴィーとの決闘に勝ったため、仲間はすぐポール・ニューマンに歩み寄り、「あんたが勝つと思ってたよ」などとえらく現金なことを言います。あれだけ「おまえは時代遅れだ」みたいな顔をしてたのに。ここは笑えます。笑えるけれど、冷静に考えれば「その程度の仲間」とも言えます。

結局、彼らはただの強盗団なのです。愛すべきキャラクターではあるけど、決して「ヒーロー」なんかじゃない。この『明日に向って撃て!』は決してヒロイズムを謳いあげた映画ではないのです。

首尾よくボスの座に返り咲いたポール・ニューマンは、ハーヴィーのアイデアを盗み、列車強盗をやろうと言い出します。そしてまんまと成功する。他人のアイデアなのに自分の手柄みたいに喜んでいるところがまた、この男の愚かさを如実に表しています。



新時代の象徴=自転車

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酒場の表に自転車を売る男が登場します。「もう馬に乗って走る時代じゃない。これからは自転車の時代だ。自転車こそ未来なんだ」と。ポール・ニューマンはこの自転車を買うのですが、時代が馬から自転車、そして車へと移行していく流れを少しもわかっていない。いつまでも馬にまたがって銀行強盗ができると思っています。

バート・バカラックの『雨にぬれても』の歌が流れる有名なこのシーンは、非常に曲者です。確かに見た目はとても美しい。映画史に残る名場面と言われることに何の異論もありません。

しかし、簡単に二人乗りできたり、曲芸のように乗ったりしていることを見逃してはなりません。このシーンの美しさ、楽しさに心を奪われると映画全体を読み誤ってしまいます。


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馬ではこんな乗り方は絶対できませんよね。馬より自転車のほうがよっぽど簡単に手軽に乗れるのです。ポール・ニューマンはそれを体で感じていながら、名うての保安官に追われて命からがら逃げ延びて新天地ボリビアへ旅立つとき、「なにが未来だ、ボロ自転車が!」と自転車を投げ捨てます。

あのシーンの、自転車のタイヤがカラカラと淋しく空回りするカットは、とても美しく、そしてとても哀しい。この映画では「美しさ」と、それと相反する「哀しさ」が同居しています。それこそ世界中の映画ファンから愛される所以でしょう。


子分たちの反乱の直前、ポール・ニューマンが、「俺は世界を見通している」と自慢げに言う場面がありますが、彼は少しも見通してなどいないのです。見通してると思い込んでいる愚か者なのです。


すべてを象徴するラストシーン

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「自分を取り巻く世界の流れが見えていない」ことを象徴するのがこのラストシーンですよね。自分たちを取り巻く警官隊にまったく気づかず、出ていけば勝てると思い込んでいる。

レフォーズという保安官はボリビアには来ていないはずです。白い帽子を見て「あいつだ!」となりますが、単に白い帽子をかぶった赤の他人だったのでしょう。

でも、レフォーズを意識しているポール・ニューマンは、飛び出していく直前に、「ちょっと待て。レフォーズを見たか?」「いいや」「よかった。気が楽になったぜ」と言って飛び出していき、蜂の巣にされます。

主役がポール・ニューマン一人だという理由はもうおわかりでしょう。この映画は徹頭徹尾ポール・ニューマン演じるブッチ・キャシディの愚かさを丹念に追っていっています。サンダンス・キッドは添え物です。彼の恋人のキャサリン・ロスがなぜアメリカへ帰っていったのかがいまいち不明瞭なのもそのためでしょう。彼女はロバート・レッドフォードの恋人であってポール・ニューマン=主役の恋人じゃないですから。

しかし、ただ単に愚か者というだけでは、あのラストシーンがあんなに美しく衝撃的で、いつまでも胸に残るものにはならなかっただろう、とも思うのです。



千載一遇のチャンス
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ラストシークエンスの少し前に、名うての保安官の姿を垣間見た(つもりの)二人は、このままだとあいつに殺られると銀行強盗をやめ、カタギの仕事に手を染めます。労働者に払う給料を運ぶ親方を護衛する仕事です。それまで銀行の金を奪い取っていた彼らが、今度は守る側になります。

最初の仕事でいきなり親方が山賊に撃ち殺されて金を奪われるんですが、二人は金を山分けしている山賊の前に立ちはだかります。このときのロバート・レッドフォードのセリフが素晴らしい。

「俺たちはその金を守るのが仕事なんだ。それは俺たちの金じゃないんだ」

それまで他人の金を奪い取ることしか知らなかった男たちが初めて見せる男気。自分たちの金じゃないからこそ命がけで守るんだという。

この言葉が主役のポール・ニューマンではなく、ロバート・レッドフォードの言葉であるのが肝要です。ポール・ニューマンはスペイン語に翻訳するだけです。

命がけであんなことが言えるロバート・レッドフォードは自ら改心する力をもっていたし、ポール・ニューマンを改心させる言葉ももっていたはずです。

なのに、できなかった。初めて人殺しをして呆然とするポール・ニューマンに「やっちまったな。どうする?」と訊きますが、ポール・ニューマンは沈黙するばかり。

次のシーンで、キャサリン・ロスから「牧場でもやれば?」と言われたとき、ポール・ニューマンはこう言います。

「牛泥棒をやっていた頃、ちょっとだけやったことがある。あれはきつい。若けりゃいいが」

若いうちに強盗から足を洗っておけば。
銀行も変わったと気づいたときに。
子分たちの反乱のときに。
自転車に乗ったときに。

この映画では「引き返せるポイント」を何度も提示しますが、主人公ブッチ・キャシディはすべてを拒絶し、ついに殺人に手を染めて引き返そうにも引き返せなくなってしまいます。

ロバート・レッドフォードがポール・ニューマンを改心させられなかったのは、やはり、愚か者とはいえポール・ニューマンのほうが魅力的でやたら女にモテる男だった、というのが大きいのでしょう。改心する力をもったほうが弟分でしかなかった。兄貴分のほうがよっぽど愚か者だった。もし逆だったら、二人はとっくに改心してまったく違う別の幸せな人生を手に入れていたことでしょう。

「俺たちはその金を守るのが仕事なんだ。それは俺たちの金じゃないんだ」

この映画で一番美しい言葉を、主役のポール・ニューマンは翻訳するだけというのがとても哀しい。

ロバート・レッドフォードは添え物だと言いましたが、振り返れば、ポール・ニューマンはロバート・レッドフォードがいなければ何もできない男です。彼の早撃ちガンマンとしての腕がなければ何もできない。そして、ロバート・レッドフォードが与えてくれた改心のチャンスをもフイにしてしまう。

ラストシーンの直前。小屋に立てこもったポール・ニューマンはロバート・レッドフォードとこんな会話を交わします。「次はオーストラリアだ。どこまでも広くて馬にも乗れる」「銀行は?」「ある。金も山ほど」「女は?」「抱き放題」「でも遠いだろ」「文句ばっかりだな」「後悔したくないんだよ!」

彼は後悔してるんですよね。ポール・ニューマンについてきたことを。彼を改心させられなかったことを。

だからもしかすると、ロバート・レッドフォードは周りを警官隊が取り囲んでいることに気づいていたのかもしれないと、今回見直して初めて思い当たりました。名うてのガンマンなのだからその可能性は大いにあります。ポール・ニューマンより重傷を負ってたようですし、自殺するつもりで飛び出したのかもしれない。

でも、ポール・ニューマンは完全に勝つつもりで飛び出していきます。あの二人は、どこまでも似た者同士のようでいて、実は違ったのかもしれません。いや、違う者同士だからこそ惹かれあったのか。

いずれにしても、救いようのない愚か者を描いているからこそ、いつまでもこの映画が好きなのでしょうね。永遠に「いま」が続いていくと思い込んでいるのは人間なら誰しもでしょう。この私がまさにそうです。気づけば子どものまま50代になってしまいました。

立派な人が主人公の映画なんか何の価値もありません。主人公は半端者でなきゃ。だからこそ私はこの映画に救われたのです。






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