2021年05月27日

テレビで紹介されていた『消えたママ友』が面白かったので、野原広子さんの最新作『妻が口をきいてくれません』を読んでみました。

が、これにはまったく得心がいかないばかりか、何だか私が昔書いた出来の悪いシナリオを読んでいるようで腹が立ってきました。(以下ネタバレあります。ご注意を)


tsumagakuchiwo

夫の言い分が一番納得いかない
この記事、「妻と子どもの言い分に納得いかない」と題していますが、一番納得がいかなかったのは夫の言い分です。

そりゃそうでしょう。つきあってるときはとてもやさしかったのに、結婚して好きな女が自分のものになったと思った途端、仕事で疲れてるのを言い訳に家事はまったくしないわ、ちゃんとしてる妻のほんの少しだけできていないところを難詰するわ、私は結婚したことないけれど、こういう男にだけはなりたくないニャ、と思ってしまう。

しかも、妻が口をきいてくれなくなると途端に家事の一部をやったり、やさしい言葉をかけたり、花束をプレゼントしたりと下手に出る。妻は当然「いまさら」と思う。


妻の納得できない言い分
その妻の言い分に納得できないというのは、身勝手な夫に腹を立てたり口をきかなくなったりすることではなく、そんなにいやならなぜ離婚しないんだろう? ということです。妻の言い分では「私には仕事がない。お金がない。子どもたちを養っていけない。だから子どもたちが大きくなるまでは我慢しよう」と言うのですが、うーん、、、それはどうなんでしょうか。

仕事がないなら探せばいいじゃないですか。子どもたちの食い扶持や教育費はおろか、自分の食い扶持だって夫に稼いでもらって、それでいやな気持ちを我慢するというのがまったくわからない。もっと自分の気持ちに素直になればいいのに、と。ま、これは、父親への恨みつらみがあるのに自立することを忌避し、40過ぎまで実家にいた自分への怒りでもあるんですがね。

しかし、妻の言い分には「理由」があるのでした。


子どもたちの言い分
妻は離婚しようと考えるのですが、子どもたちが「お母さん、離婚しちゃダメ! 僕たちが大きくなるまでは絶対離婚しないで!」と言うんですが、ここが一番腹が立ったというか、自分のシナリオを読んでる気がした部分です。

私は親になったことがないから親の子どもを思う気持ちは逆立ちしてもわかりません。が、子どもが親を思う気持ちならわかる。子どもというのは自分が幼かろうが、大きくなっていようが、自立していようが、父親がひどい男だろうが、両親には離婚なんかしてほしくないもんですよ。「大きくなるまで離婚しないで!」なんか言う子どもなんていない。いつまでも離婚なんかしてほしくないんです。

仮に、子どもたちが「いつまでも離婚しないで!」とお願いし、母親が「この子たちのために大きくなるまでは離婚はしない」と決意するという展開ならまだわかります。でも、子どもたちのほうから「大きくなるまで離婚しないで」と要求するのでは、世の大半の子ども像に反しています。

おそらく作者も私のように「私には仕事がない。だから子どもたちが大きくなるまで離婚はしない」という妻の言い分に納得がいかなかったんじゃないでしょうか。その言い分を是とするために子どもたちの言い分を後出しで出してきた。

嘘の上塗りと同じで、話の矛盾を解消し、理屈を通そうとすればするほどキャラクターは歪んでしまいます。

これは私がまだ脚本家を目指していた頃によく犯していた過ちです。

父親から自立するまで時間がかかりすぎた自分。
脚本家になれなかった自分。

二人の醜い自分にふいに遭遇してしまったようで、とてもいやな気分になった読書体験でした。


消えたママ友 (コミックエッセイ)
野原 広子
KADOKAWA
2020-06-25








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2021年05月22日

第1話でロケットスタートを切った『半径5メートル』がどんどんつまらなくなっていくのでとてもげんなりしています。

第2話の「出張ホスト百人斬り」、第3話の「私はこれを捨てられません」がどんな内容だったかもうほとんど憶えていません。昨日見た第4話「なりすましにご用心」はさすがに憶えているので感じたことを率直に書きます。


物語のあらまし
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トランスジェンダーでいまは女として生きている二折の編集者・北村有起哉は7年前に「もう自分をごまかすことはできない」と妻にそれを告白し「女として生きていく」と宣言して離婚した。すでに生まれていた娘はその事実を知らず、母親も教えてくれない。お父さんはいまどこでどうしているのか。自分を嫌っているのか。会いたいなんて少しも思ってないのか。と悩んでいる。

北村有起哉はもちろん会いたいけれど女になった自分を見せるわけにいかず、娘のSNSをフォローして半年、相談相手になっている。そんなことを露とも知らない娘が会いたいと言ってきたので、北村有起哉は主人公の芳根京子に自分になりすまして会ってきてほしいと頼む。

見ず知らずの人間になりすましている自分にさらになりすまして会わせる、というのが今回の肝なんでしょうが、何か変です。

何だかんだの末に北村有起哉は娘と再会する。男として。しかし結局、いまは女として生きているとカミングアウトする。娘をそれを受け容れる。って、おいおい、あまりに話がうまく行きすぎてやしませんかね? あんなに聞き分けのいい人間は世の中にいません。大きな問題から逃げていると感じました。

いや、本題はそこではない。


永作博美のラディカルな問いかけ
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そもそも今回の物語は、「子どもたちをSNSから救え」というテーマで記事を書く、というものですよね。いい人になりすまして犯罪に巻き込む悪い大人から子どもたちを守らねば、という思いから生まれた企画。芳根京子はネットで作られた関係なんて嘘だと主張。それに対し、ベテランライター永作博美は、

「ネット上の友だちってほんとに本当の友だちじゃないの?」

と、またラディカルな問いかけをします。芳根京子は答えられない。

第1話「おでんおじさん」でも、「どこから作ればおでんを自分で作ったことになるんだろう。コンニャクイモを3年かけて作るところから?」とラディカルな問いかけをしていました。それが礎となって芳根京子はジェンダーの歴史について根源的に考える記事を書くことができた。

でも今回は永作博美の根源的な問いかけが空回りしてしまっています。リアルな友だちとバーチャルな友だちはどこがどう違うのか、という問いを誰も真剣に考えていません。

話の途中で永作博美が「#いえで」「#とめてほしい」というハッシュタグだけを投稿するとすぐに返信が殺到する。若い子を手籠めにしようとする悪い男が何人も手ぐすね引いて待っているわけです。

と思ったら、これも女子高生になりすました永作博美に代わって芳根京子がなりすましのなりすましとして女子高生の恰好をして行くと、現れた男は行き場のない子どもを守ってやろうと善意で返信してきた人だった。そういう活動をしているらしい。

しかし、それならその男の言い分をオンで描くべきじゃないですかね? 最後に申し訳程度に永作博美と芳根京子が聞いた話として語るというのは違うと思う。だって、あれでは視聴者からしたら「又聞き」にしかなっていないから。

北村有起哉の娘にとっての救世主マツボックリさんは北村有起哉その人だし、永作博美が実験的に悪い男を誘い出そうとなりすましたところ、現れたのは本当に子どもを心配する善人だった。

というわけで、主人公・芳根京子は「ネット上の知り合いであっても『本当の関係』はありうる」という結論に至るんですが、これでは少しも「リアルな友だちとバーチャルな友だちは違うのか」というラディカルな問いの答えになっていません。


北村有起哉は娘に会わないほうがよかった
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私は、北村有起哉は娘に会うべきではなかったと思います。もちろん、マツボックリさんが北村有起哉であることは視聴者は知っていますが、娘は最後まで知らないほうがよかったのでは? 最後までどこのだれかわからない人のアドバイスに従って問題を解決しハッピーになる。一方、芳根京子は女子高生になりすまして悪い男に手籠めにされそうになる。

こうすれば、バーチャルな友だちがリアルな友だち以上の存在になりうる場合もあるし、バーチャルな関係はやっぱり危険だということも多々ある、ということになって「ネット上の知り合いであっても『本当の関係』はありうる」という安直な結論にはならなかったと思います。

芳根京子が悪い男に犯されそうになったところを毎熊克哉が助けたりすれば二人の関係が劇的に変化しただろうし、今回あの二人に何の進展も変化もなかったのはどうなんでしょう。

来週は「黒いサンタクロース」と題して、二週続けて永作博美の過去が明かされるようですが、楽しみなような不安なような。見るけど。


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