2015年07月06日

社会学者・白井聡さんの著書『永続敗戦論』。


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敗戦を受け容れないことは「敗戦」を「終戦」と言い換えることに象徴されていて、そのような意識が消滅しない以上、永続的に敗戦は続いていくという主旨。

素晴らしく面白かった本ですが、私は143ページに書かれている文言に一番気を引かれました。

「自己目的化した対米従属を相も変わらず追求する先輩たちに対して批判的立場をとる彼ら(中略)も永続敗戦の構造に目を向けようとしない。『米国の言いなり』どころか『米国の言いそうなことの言いなり』になることによって、日米以外の諸国との関係において何を失うことになるのか、彼らは考えもしないのである」

そして、白井さんは、

「いったい、そのような国を世界の誰が尊敬するというのだろうか」

と憤っています。

この一節を読んだときに、「クール・ジャパン」という言葉が浮かびました。その言葉を礎に日々作られ垂れ流されている「日本のここがすごい!」という主旨のテレビ番組の数々が。

あれは、世界の誰からも政治的に尊敬されないのなら、文化的に尊敬されるネタならこんなにあるじゃないか、という「自慰」にすぎないのではないか。

世界中から尊敬されたい。でも対米従属を続けているかぎり政治的な尊敬を得ることはできない。それなら…という無意識が働いていることは想像に難くありません。

あの手のテレビ番組を見て、日本人である私たち自身の胸の内にある卑俗な政治意識を感じ取り、少しでも変わっていかなければ。

あるイタリア人の小説家がこんなことを言っていました。

「小説を書いても世界を変えることはできない。でも、自分が変わることはできる」

同志たちよ、変わっていこうではありませんか。



 



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2015年07月05日

もう結構旧聞に属することかもしれませんが、文科省が人文科学など文系の学問は実社会に出てから役に立たないからとかいう理由で学部ごと廃止すると言いだして問題になりましたが、これはまことに愚かなことです。


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尾木ママは、「一番役に立つ学問は哲学、倫理だ。文系の学問こそ役に立つ」と言ってますが、そういうふうに反論するのは敵の土俵で戦うことになってしまうから良くないと思います。

「将来役に立つ」かどうかで学問を評定することが愚かなのです。

とはいえ、「役に立たないことこそが人生を豊かにするのだ、無駄なことが大事なのだ」という言説も、結局は学問を役にたつかどうかで評定しているという意味では文科省の政治家・官僚たちと同列でしょう。

私はまず「役に立つ」より「将来」のほうに大きな問題があると思うのですよね。

例えば、中学生なんかが「数学なんて勉強したって将来役に立たない」と言う。確かに一理あるかもしれません。しかしながら、十年後、二十年後の自分が数学と縁のない仕事に就いてるかどうかが、なぜ「いま」の時点でわかるのでしょうか。

いま役に立っていないものは将来も同じように役に立っていないはずだ、という前提で彼らは文句を言っていますが、それは論理的に誤ってますよね。誰も将来の自分がどうなってるかなんてわからない。未来を見通せる人間はいません。

「将来役に立つ」とか「将来役に立たない」とかいう言説はすべて「未来を見通すことができる」という神を畏れぬ傲慢な精神から発しているのです。

もっと謙虚にならなければ。将来自分がどうなっているかわからない。だから、いま必要と思われるものだけでなく、こんなの不必要としか思えないものもきちんと学ぶ。

本来そういうことを教えるのが「学校」であり、「学問」の礎だと思うのですが……。









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