2021年06月09日

もう10年前になりますか。映画脚本のコンクールで受賞したんですが、そのシナリオを読んで助言をしてくださった映画評論家の方がいました。(仮にMさんとしておきます)

ミクシィをやっていた頃に知り合い、お互いエロ画像を贈りあったり楽しいお付き合いをさせていただいていました。Mさんとのコメントのやり取りから発想したある政治映画のシナリオを書き、それは何よりもMさんに読んでいただきたいと送ったら快く読んでくださり、的確な助言をいただきました。

受賞作のときもかなり有益な感想を頂戴しました。もしあの意見がなければ受賞できなかったかもしれません。ラストシーンの非常に大事な小道具に関する意見でした。

しかし、そんなMさんとの蜜月も長くは続きませんでした。

受賞作が掲載された月刊シナリオを10冊くらい買いこんで東京の製作会社へ売り込みましたが、返事をいただけたのは1社だけ。社長直々のメールでした。その社長さんは業界では有名なプロデューサーで、ある有名なシリーズ映画の最新作の企画コンペに参加してほしいと依頼を受けました。しかし私の企画は通りませんでした。それからその社長さんにどんどん企画書を送ったものの(いつもプリントアウトして社長に渡してくれていた秘書さんは何という名前だったか)どれも却下で、焦った私はどんどん粗製乱造してしまい、1年たった頃には完全に見限られてしまいました。

で、またぞろコンクールに向けたシナリオを書くようになった頃、Mさんに読んでもらうと、よくわからない意見が書いてある。反論すると、「もっと審査員の好みを忖度して迎合して書かないといけない」みたいなことを言われ、あまりにアホすぎる意見にカチンときた私は舌鋒鋭く批判したら、「あなたのブログやツイートを読んでいると『プロになれなくてもいい』と考えている節がある。もし本当にそうなら何をかいわんやだ」などと言ってくる。

あまりにアホ臭くて返事しませんでした。「返信不要」とも書いたあったし。


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大河ドラマ『青天を衝け』のモデル・渋沢栄一の『論語と算盤』を読んだら、最後のほうにこんな一節があった。

「人を見るにあたって、単に成功とかあるいは失敗とかを標準とするのが根本的誤りではあるまいか」

「成功や失敗のごとくは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」

「現代人の多くは、実質を生命とすることができないで、糟粕に等しい金銭財宝を主としているのである」

「人は人たるの務めをまっとうせよ」


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Mさんは「審査員の好みを忖度してそれに迎合せよ」と言った。成功するためにはそれが必要であると。

しかし、迎合するためには自分の書きたいことやその題材やキャラクターの真実を犠牲にせねばならない。『論語と算盤』に即していえば、実質を捨てることによって糟粕を得よ、ということである。なぜそんなことをせねばならないのか。そんなことをするくらいなら一生成功しなくていいよ、とマジで思う。

その2年後くらいに上京し、結局、都落ちすることになった。その間にMさんは3冊の本を出した。しかし、これがどれも面白くない。3冊目のある大スターの伝記本みたいなのに至っては「Mさん、あなたは本当にこの本を出したかったんですか?」と問いつめたい気分に駆られた。

Mさんはその本を最後に著書を出していない。本は出しているが訳書だけである。

私は都落ちからほどなくして、ネットで公開されている受賞作を読んだと東京のプロデューサーからメールがあり、いくつかの企画コンペに参加させてもらった。落ち続けるなか、1本だけ「これは今回は映画化しないが、いずれシリーズ最新作を作るときには再び俎上に載せさせてもらう」との返事をいただいた。

が、その会社の次なる映画は、あるアメリカ映画のパクリだった。このブログで何度も書いているが、私はパクリが悪いことだなんて少しも思っていない。うまくパクればいいだけの話。

が、そのプロデューサーはこんな依頼をしてきた。

「いま公開中のアメリカ映画とキャラクターも話もまったく同じものをやります」

アホか。それはうまくパクる範疇をはるかに超えてただの盗作ではないか。私は決然と言い放った。

「他人のふんどしで相撲を取るなんて真似は死んでもできません。これは作家としてのプライドの問題です」

そんな企画でプロになるくらいなら死んだほうがまし。本気でそう思う。


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Mさんはそれでも3冊の著書を出している。私は映画化された脚本は皆無だし、最近書いている小説もまったくダメである。

しかし、私は人たるの務めをまっとうしてきたつもり。確かにプロにはなれなかった。それは実力不足が最大の要因であろうが、脚本家としての、人としての倫理と誇りを守りぬいたからでもある。

私は成功できなかった。でも、そんなものより大事なものがあると信じている。


論語と算盤 (角川ソフィア文庫)
渋沢 栄一
KADOKAWA
2013-07-25







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2021年06月06日

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我が家というか実家の犬。もうじき16歳になる。この週末、帰省していたのだけど、ひと月ちょっと前に帰ったときに比べると衰え方がすさまじい。自分の足で踏ん張れないので、お皿に首を伸ばして食べるということができない。母親が口元まで運んでやると食べれる。

もともと白内障で完全に目は見えないが、それは前の犬も同じ。同じといえば、後ろ足が衰えて立てなくなりつつある、というのも同じ。

犬だから目が見えなくても何とかなる。でも足の衰えは……。眠っていると安らかな顔をしているけど、起きているとしんどそうにハアハア息をして、何だかかわいそう。

非難されるのを覚悟で言うが、安楽死させてやったらいいんじゃないかと思った。


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昨日の朝は夢でうなされていた。泣き声が私が寝泊まりしている部屋まで聞こえてくる。犬を飼ったことのある人なら知っているだろうが、犬が夢を見てうなされるなんて人間並みにしばしば。それ自体は別にいいんだけど、どうしてもいつも不幸そうな顔をしているのを見ていると、夢の中でもつらい目に遭ってるんじゃないかと考えてしまう。

安楽死。前の犬のときは考えもしなかったなぁ。あのときは立てなくなって半年ほど寝たきりだった。だからビニールシートを部屋中に敷きつめてどこで糞尿を垂れても掃除ができるようにしていた。いまの犬よりよっぽどひどかったのに安楽死という発想はなかった。

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(3年ほど前。いまはもう足で顔を掻くなどとてもできない)

いや、本当にそうだろうか。前の犬が死んだのはもう四半世紀近く前。思い出は美化されるものだから、自分が鬼畜のような発想をしたことなど無意識に「なかったこと」にしている可能性が高い。

とはいえ、そのころ友人の家に遊びに行って寝たきりの犬の世話をしているというと、「犬にそこまでしてやるべきなのか。安楽死させてやったほうがいいんじゃないか」と言われ、ムカつきすぎて何も答えなかったことをはっきり憶えている。

そもそも安楽死といってもほんとは安楽死などではないのだ。保健所での殺し方は部屋に二酸化炭素を充満させて窒息死させるのだ。苦しいことこの上ない。

しかし、私はいまその友人と同じことを考えている。ほんの数分の苦しみを与えてでも死なせてやったほうがいいんじゃないか、と。

死んだほうが楽。それは20年前に死んだ祖父の最期を知っているからかもしれない。寝たきりだったので褥瘡がひどく、食べるために起きるときも激痛で悲鳴を上げ、また寝るときも悲鳴。安楽死を合法化してほしいと本気で思った。

犬ならそんな法律がなくても保健所に連れていけば殺してくれる。しかし、この手で引き渡すと考えるとやはり「いくら何でもそれは」と思う。死んだほうがまし。ほんとにそうか?


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こんなふうに笑った顔を見せることはなくなったけれど、犬は喋れないから本音がわからない。不幸そうな顔をしているといっても、私の目にはそう見えるというだけの話かもしれない。

人間の目には自分の見たいものしか見えない。

アリストテレスの言葉だが、では私は愛犬の不幸を見たいのか。まさか。ではなぜ? 見たいものが見えているんじゃなくて、やっぱり本当に不幸なのでは?

自分の命ですら自分だけのものではない。自分を心配してくれる人たちと分かち合っているものであり、自分で自分の命を決めてしまうなど愚の骨頂。などというのは、自殺未遂の経験がある私が言えた義理ではないが。

しかしながら、自分以外の生き物の、それも15年以上もかわいがってきた家族の生き死にを自由にしようなんて傲慢にもほどがある。『ブラックジャック』にも「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね?」と主人公が恩師に言われるシーンがあった。

不幸そうに見える。少しも楽しそうじゃない。

じゃ、「幸福」って何? 自分が幸福かどうかもよくわからないのに、他者が幸福か不幸かなんてどうしてわかる。

わかったとして、この手で保健所に連れて行けるかと考えれば、即答で否と答えるしかない。

心は千々に乱れる。

愛犬を抱く。その温かみを幸福と呼ぶのかもしれない。でもそれは私の幸福にすぎない。犬がもし不幸だとしたら? 人間のエゴのために苦しみを与え続けることになる。

考えてみれば、自然界ならあの状態ではとても生きていけない。人間に飼われているから生きていられるだけの話。もうとっくに死んでいるはずなのに無理やり生かしているという可能性はないか。

でも本当にそうだとして、この手で保健所に連れて行けるかと考えると、即答で否と答えるしかない。

前の犬のとき、こんな堂々巡りが続いていたような気がする。死ぬまで? 死ぬまで。

死ぬな。死なないでほしい。

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