2021年09月24日

『ダウト ~偽りの代償~』(2009、アメリカ)
脚本・監督・撮影:ピーター・ハイアムズ
出演:ジェシー・メトカーフ、アンバー・タンブリン、マイケル・ダグラス


WOWOWで「ピーター・ハイアムズ」という名前が目に入ってきたので見たんですが、原題が出た瞬間に仰天しました。(以下ネタバレあります)


『条理ある疑いの彼方に』のリメイク!
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‟Beyond A Reasonable Doubt”=フリッツ・ラングの1956年作品『条理ある疑いの彼方に』のリメイクじゃないですか! ぜんぜん知らなかった。調べてみると劇場未公開でBS-TBSで本邦初公開とか。一応DVDも出てるようですが、とんでもない安値で売られているようです。

『条理ある疑いの彼方に』は一度だけ聴講したことのある加藤幹郎先生が「この邦題はおかしい。『合理的な疑いをこえて』にしなきゃ」と何かの本で言っていたのがいまでも印象に残っています。(別にいいじゃないかと思いましたけど)

それはさておき、『条理ある疑いの彼方に』がどういう映画というと……

無実の人間が冤罪で死刑になることもありうるということを示すために、新聞記者のダナ・アンドリュースが自分自身を殺人事件の容疑者に仕立て上げ、自説を立証しようとするが、無実の証拠をもった仲間が事故死してしまい、窮地に陥る。結果的に無罪を勝ち取るも、彼は本当にその殺人事件の真犯人だったことが判明する、というもの。(ほとんどうろ覚えだったのでallcinemaの記述を参考にしました)

ではリメイク版『ダウト ~偽りの代償~』がどういう内容かというと……


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ジェシー・メトカーフという野心満々のジャーナリストが、17連勝中の検事マイケル・ダグラスが証拠を捏造していると直感し、自分自身を容疑者に仕立て上げて首尾よく彼の悪事を暴くも、実は彼こそ真犯人だったことをダグラスの部下で恋人の女性アンバー・タンブリンが暴いてジ・エンド、というもの。

ほとんど同じですね。

自分自身を容疑者に仕立て上げるのはいいとしても、その事件の担当検事がマイケル・ダグラスになるのかどうかわからないし、ちょっと話が都合よくできすぎてる感が強い。最後にアンバー・タンブリンが殺されそうになることでマイケル・ダグラスの悪事がばれるんですが、あんなに表立って殺そうとするだろうかとか、いろいろ疑問点がありました。

まぁ日本未公開なのもうなずけるというか、でも天下のピーター・ハイアムズ作品なのだから(例によって脚本も書いてるだけでなく撮影監督もやってる)公開くらいしてほしかったな。

ただ、内容はともかく、私はある二つの点で「良くも悪くも現代アメリカ映画だな」と思いました。

それは、①編集②女優③真犯人、この三つです。


編集
イギリス人のヒッチコックは大プロデューサーたるデビッド・O・セルズニックによってハリウッドに招かれました。その渡米第一作『レベッカ』で、最終編集権をもったセルズニックによって自分のイメージとはぜんぜん違う作品に作り替えられたことを教訓にして、第二作からは「こうつなぐしかない」というショットしか撮らなかった、という逸話が残っています。当然セルズニックは激怒。

ピーター・ハイアムズは名監督ですし、脚本家でもあるし、撮影監督でもありますがプロデューサではない。たくさんのプロデューサやエグゼクティブプロデューサーがこの作品でも名を連ねていますが、おそらく最終的にはこのプロデューサーたちが編集したのでしょう、なぜこんなに目まぐるしくカットを割るの? と言いたくなるくらい不自然な編集がなされています。

最近の映画だと『ゴジラvsコング』でも同じことを思いましたね。少しも重要人物でない二人の男が会話してるだけのシーンでなぜこんなに目まぐるしくカットを割るんだろうと不思議でした。

主人公が仲間のカメラマンと無実の証拠映像を撮っておくシーンなどはあれぐらいカットを割ってもおかしくないけど、主人公とヒロインの会話シーンやマイケル・ダグラスが主人公に反対尋問するシーンなどカットを割りすぎです。もっと落ち着いて見せてもらいたい。

おそらくピーター・ハイアムズはプロデューサーたちから「あとでどうとでも編集できるように抑えをたくさん撮っておけ」と命令されていたのでしょう。何だかかわいそう。

逆に、ヒロインがある端役の役者と歩きながら話をするシーンでは、歩く二人のツーショットで押していき、会話のポイントでバストショットのカットバックになるという、それこそ『条理ある疑いの彼方に』の頃の古典的ハリウッド映画の作法が見られました。たぶん、あそこは渡米後のヒッチコックのように抑えを撮ってなかったんでしょう。

ということは……

抑えを撮ってなかったシーンのあとに、カット割りまくりのシーンが撮られたということですね。抑えを撮ってないからプロデューサーたちが自分たちの好きに編集できない。だから撮れ、でないと下ろすぞと脅されたかどうかは知らないけど、ハイアムズはそれに従った。そしてあんな変なシーンがいくつかできあがったというのが事の真相ではないでしょうか。物語の真相より、編集に関する真相を知りたい!

昨今のアメリカ映画はプロデューサーが編集しすぎていると思う。プロデューサーが編集に口を出すのは、このシーンは必要ないとか大ナタを振るうときくらいにしてほしい。どうしても監督は自分で撮ったショットや書いたシーンには愛着がありますが、そこをビジネスライクに切る決断はやはりプロデューサーにお願いしたい。

この『ダウト ~偽りの代償~』もクレジットを抜けば100分ほどに収まってるので、大ナタを振るったところもあるのでしょうが、悪い意味でプロデューサーが出しゃばった「今風のアメリカ映画」になってしまってました。


女優アンバー・タンブリン
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マイケル・ダグラスの部下で主人公の恋人となるアンバー・タンブリンはこんな顔をしているのですが、何でこんなブサイクな女優を使うのでしょう?

専門学校時代の友人で、私が「『スターウォーズ』のレイア姫になぜもっと美人の女優を起用しなかったのか解せない」」というと、「お姫様が美しいとはかぎらない」と言ってきた奴がいましたが、そんなことを言ったら『スターウォーズ』という作品世界そのものが嘘八百なのにヒロインの容姿にだけリアリズムを求めるのは筋違いだろうと思いました。

映画なんだからまず視覚に訴えるもの。だから美しいものを見せてほしい。ジェシー・メトカーフやマイケル・ダグラスは普通に男前なのに女優だけなぜこんな……?

この映画は現実にいそうな悪徳検事の悪事を暴こうとするアクションが描かれます。悪徳検事というリアルに感じられる部分があるから女優の容姿もリアリズムで行こうとしたのでしょうか。あるいは、もし美人女優を配したら、こんな美人がそばにいたらもうマイケル・ダグラスが手を出してるよと思われると考えたとか?

はっきりした理由はわかりませんが、現代アメリカ映画の悪い面を見てしまったなぁ、と。『条理ある疑いの彼方に』のヒロインはあのジョーン・フォンテインですよ。やはりあの頃の映画のほうが私は好き。

そういえば、『悪魔の追跡』の二人の女優のうち一人をブサイクにした理由について推測した記事をずっと前に書きました。よろしければ参照してくださいませ。⇒『悪魔の追跡』(無名女優のキャスティングが象徴するものとは…)


真犯人
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この映画は最初から主人公が真犯人だったということで作られているから真犯人が最後に暴かれるのは当然ですが、こういう商業映画における「鉄則」を守らない映画ってありますよね。

本作の2年前の『それでもボクはやってない』とか。主人公が冤罪を叫ぶのはいいけど、劇中で証人台に立つ女子高生は他の誰かに本当に痴漢に遭っているわけで、真犯人は誰かを示さないのはよくない。真犯人らしき人物が登場するけど、検察や警察は無罪にするわけにはいかないと有罪へもっていこうと躍起になる、というほうがよりテーマが明確になった憾みが残ります。

この『ダウト ~偽りの代償~』は、だから現代アメリカ映画の闇をたくさん見せてくれますが、アメリカ映画ならではの「映画はこうでなくっちゃ」という面も随所にあり、特に職人ピーター・ハイアムズの心意気を感じられる、そんな映画でした。放送してくれたWOWOWさんに感謝!



ダウト ~偽りの代償~ (字幕版)
ジョエル・デヴィッド・ムーア
2021-09-01





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2021年09月23日

久しぶりに体調を崩しました。先月初めにも崩したけどあれは猛暑の疲れで、寝込んだのは久しぶりです。

6月末に前職を退職したんですが、その理由についてはこちらの記事を参照してください。⇒退職日記1

何とあの記事で書いたOなる責任者が先月末で異動になったと元同僚さんからのメールで知ったんですよ。

そのメールを見た瞬間に思いました。辞めなきゃよかった、と。

考えてみれば、あのOだけが元凶で、他は何事もなかった。しかし、記事にも書いたように、あのときは「ここから逃げないと自分がダメになる」と本気で思っていたし、異動になるなんて噂すらなかったし、しょうがないと思うしかない。おととい医者に行くと「まぁ人事のことは直前までわからんしなぁ。しゃーないで」と言われた。

同僚さんから異動の話を聞いたのはもう2週間近く前で、そのときはそれほど気にしてなかった。でも医者が言うには「ボディブローのように効いてる。それもかなりの程度」という状態らしい。

異動の話を聞いてしばらくは普通に職探しをしていたけど、ちょうど一週間前、面接を受けて帰るときに目のあたりが重くなり、それは体調が悪くなる前兆なので夕方から半日寝た。寝たのに体調はすぐれず、そこから死にたくなったり、もうすべてを終わりにしたくなったり、大変な日々だった。

月曜日はレアル・マドリードがバレンシアにラスト5分で大逆転勝ちを収めるという、普通なら活力がみなぎってプラスになりすぎるくらいのシチュエーションだったにもかかわらず、体調は少しも上がらず一日寝ていた。

医者が言うには、「あと2,3日薬を多めに飲めば次第次第に『まぁしゃーない』という気になる」と言われたけど、そうなるかどうか心配。

前職では電話応対など、他のみんなができない仕事をやっていたので、「せっかく頼りにしてたのに」「私らを見捨てて辞めるんか」などと恨み言を言われた。それでも「この会社から逃げないと自分がダメになる」と信じて毅然としていた。が、結果的に間違いを犯してしまった。いまごろみんな私のことをせせら笑ってるんじゃないか。それを想像しただけで胸が苦しくて苦しくて…。

でもね、考えてみれば、異動の話を聞く直前、ある会社から採用の返事をもらいながら向こうの勝手な都合で採用取消の憂き目に遭ったんですよ。あれがそのまま採用なら、別にOの異動を知ろうが知るまいが「そんなの知ったことか!」ですませられていた。今回「退職日記1」を読み返して心底そう思う。

確かに、かつての私は逃げるべきでないときに逃げていた。弱虫であった。

でも今回は違う。逃げるべきだから逃げた。単に運が悪かった。間が悪かった。それだけの話だ。





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