2020年10月12日

職場で最近、ある人が辞めました。辞めてみんなが喜ぶような人でした。

かつてその人を川柳に詠んで好評を博したことを思い出し、備忘録的に書いておこうと筆を執りました。


ヤな奴の ウラ声キモい 社の電話

あの女 のっしのっしと 歩くだけ

たまってる ストレスもだが 問い合わせ!

数合わせ 合わないほうが イキイキす

これやって! 5分後に いま何してる?

私語禁と 言うが自分も 私語してる

H氏を けなすが頼りにも してる

受調の ハンコの無意味さに 萎える

うれしない 頼りにしてる 言われても

Mさんと 火花散りそう チビリそう



これはもううちの職場で働いてる人でないとわかりませんねー。

以下は辞めたあとの今日になって詠んだ句です。


あの人が 何をしてたか みな知らぬ

辞職後も ミスが見つかる 掻き回す

哀しいが 辞めて喜ぶ 人ばかり


おあとがよろしいようで。




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2020年10月11日

日本学術会議が新会員として推薦した学者のうち、6人を菅首相が任命拒否したというニュースについて侃々諤々の議論が湧きおこっていますが、私はこの問題はGoToイートキャンペーンを悪用して鳥貴族で錬金術を行っていた、いわゆる「トリキの錬金術」と同根だと思います。


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何でもGoToイートでは、夕食の席をオンライン予約して食事すると1000円のポイントがもらえる。これを悪用して、鳥貴族で一品(327円)だけ頼んで帰れば、差額の673円儲かるという、何ともせこいというか何というか。日本人の品性はここまで堕ちたかと嘆かざるをえません。

居酒屋で焼き鳥一品だけ頼んで帰るというのは居心地悪くないのか、とか、普通はそんなことできない、とか、この錬金術を非難する声が圧倒的多数のようです。

が、なぜ一律1000円のポイントにしちゃったんでしょうね? コンビニなら料金の1%とかヤマダ電機なら10%とか料金に応じたポイントしかもらえないじゃないですか。

農林水産省は大慌てで、一定金額以上の料理に限定とかコース料理限定などの対策を打ち出していますが、要はシステムに問題があったわけで、日本学術会議問題も同じじゃないかと。


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「日本学術会議法」というのを読んでみると、「会員たちが新会員を推薦して内閣総理大臣が任命する」としか書かれていません。

首相が拒否していいとも書かれていませんが、拒否してはいけないとも書かれていない。拒否した前例はないらしいですが、前例がないからやってはいけないという決まりもない。

トリキの錬金術と同じく、これはもうシステムの問題ですよね。

いや、正確にいえば「かつては問題でなかったことが、この時代にシステムの問題として顕わになった」ということでしょうか。

ちょっと前なら、トリキの錬金術みたいなことは誰も恥ずかしくてできなかったはずなんです。日本学術会議問題だって起こらなかった。

今日のワイドナショーでバカリズムが「GoToポイントは荒稼ぎできても人としてのポイントをたくさん失っている」と正論を言ってましたが、しかし、いまや人としてのポイントなんかどうでもよくて、自分が得さえすればいいと考える輩が急増している昨今、そういう輩がいくら頑張っても得できないように制度設計すべきだったと思います。


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だから日本学術会議法も改正すべきじゃないですか。菅のような人としてのポイントが落ちることを厭わない輩が拒否できないように、内閣総理大臣が任命するいまの形を改める。

しかしながら、変えればいいといっても、法律を改正するのは自民党が支配する国会なわけで、かなり難しい問題。

そういえば……

いろんな人が「首相が任命するのは形式的なことなんだから」というけれど、形式的だからこそ悪用されてしまうわけで、確かに菅が悪いといえば悪いんだけど、トリキの錬金術の問題でも明らかなように、もう政治家にも国民全体にも性善説を基盤に制度設計できなくなってきているのが現状でしょう。

日本学術会議法ができたとき、なぜ形式的な手続きも作ったかというと、それはやはりこの国に「天皇制」というものがあるからなんでしょうね。

内閣総理大臣は天皇によって任命される。

ことになっているけれど、これは日本学術会議の新会員と同じく形式的なものだと誰でも知っています。

ならば……

天皇→首相→日本学術会議新会員

ということであれば、真ん中の首相を取っ払って、天皇が新会員を任命するようにすればいいんじゃないですか。もちろん内閣の直轄をやめて宮内庁直轄とする。

これなら誰も文句は言わないでしょう。

もうこの国で永遠の品性を期待できるのは天皇(家)しかいない。







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2020年10月04日

長谷川和彦監督の衝撃的デビュー作『青春の殺人者』をチャンネルNECOにて再見しました。


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無花果をめぐる物語
水谷豊演じる主人公は、スナックを与えてくれた両親と対立しています。スナックの経営をやっている恋人の原田美枝子をめぐって。原田美枝子は右耳が聞こえないのですが、彼女が語るその理由は、裏庭だったかどこかの無花果の実を食べて母親から思いきり叩かれたからだ、と。

水谷豊はそれを鵜呑みにしているのですが、父親は「考えてもみろ。鼓膜が破れるほどぶっ叩くなんてのはよっぽどのことだぞ。あの女のことだ。母親の男を咥えこんだのを見られて殴られたんだろう。性悪なんだよ。おまえもそろそろ目を覚ませ」

なんてことを言われて、カッとなった主人公はまず父親を刺し殺します。そこへ母親が帰ってくるのですが、咎めるどころか「あたし、こうなることを望んでいたような気がするの」なんてことを言って、父親は女と蒸発したことにして二人でどこか知らないところへ行って静かに暮らそうともちかけます。

何だかんだの行き違いの末に主人公は母親まで殺してしまい、両親を亡きものにした男のウロウロは頂点に達します。

そこで再度、無花果が出てきます。出てくるといっても、確かに原田美枝子が食べる小道具として出てはきますが、それはあくまでも彼女の嘘の映像として、主人公が愚かにも信じてしまった妄想として、幻影として、です。

確かに父親の言うとおり、無花果の話は作り話だった。それは原田美枝子の母親を演じる白川和子にも確認したし(「あれは無花果ではなくヤツデだった」)何より原田美枝子が継父に犯されていただけでなく、自分から咥えこんでいたことも告白します。

すべては両親の言うとおりだった。後悔先に立たず。

とはいえ、彼は原田美枝子の嘘がもっと前に判明していたら別れていたのでしょうか?

違いますよね。嘘は嘘として「それぐらいのこと」とか何とか言って両親に反抗して仲を深めていたに違いありません。


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それに、原田美枝子は両親の言うとおりのあばずれなのはそうなんでしょうが、結構主人公のことを心配し、彼のために行動する場面が結構あります。そんなに悪い女じゃない。いや、むしろいい女でしょう。

何が言いたいかというと、両親を殺すより原田美枝子を殺すことで地獄のどん底に叩き落とされる主人公のほうがよりドラマチックだっただろうということ。

しかしながら中上健次の原作『蛇淫』は実際に起こった殺人事件をモチーフにしているので、そこは動かせなかったのでしょうね。何しろプロデューサーは『復讐するは我にあり』の今村昌平監督であり、実録物からはずれることは許されなかったと推察します。


長谷川和彦監督の狙い
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長谷川和彦監督はこの監督デビュー作の前にすでに脚本家としてデビューしていました。

なのに自分で書かず、脚本を田村孟さんに依頼しています。これは自身の判断だったのか、今村さんの判断なのかはわかりません。それに『蛇淫』を読んだことがないので、どこまで原作に即しているのかもわからないし、実際の事件にもそんなに詳しくないのでどこまで現実に即しているのかもわかりません。もちろん、そんなものが評価の対象にならないのは百も承知です。

問題は、書ける監督である長谷川和彦監督が、他人に依頼したのはなぜかということ。

かつて私も長谷川さんに師事しました。師事というのはおこがましいのですが、それでも教えを受けたことには違いなく、専門学校で直接指導してくださった先生方や先日亡くなった桂千穂さん、何度も自作シナリオを読んで感想を送ってくださった小滝光郎さんなどとともに、長谷川さんも師匠の一人には違いない。

さて、その長谷川監督から私がどういう教えを受けたかというと、、、

「君のシナリオでは主人公がウロウロする様が描かれていない。もっと主人公のウロウロを客観的に突き放して書けば人間の可笑しみや哀しみが出るはずなんだ」

だから、『蛇淫』をどう脚色するとか、主人公がウロウロする原因の無花果にどういう意味があるかとか、誰を殺すとか、そういうことはほとんど些末なことだったんじゃないか。

現実の犯人が両親を殺した、それなら親殺しでいいじゃないか。女を殺してたのならそれでいい。とにかく俺は主人公のウロウロを撮りたいんだ。

長谷川さんがほんとにそう思ったかどうかは定かではありませんが、できあがった映画の水谷豊のウロウロぶりは半端ではありません。ここまで主人公がうろうろする様を克明に丹念に追っていった映画はそうないんじゃないでしょうか。映画全編が主人公のウロウロなのです。

両親を殺すのにもあれやこれやがあって、死体の始末をしようにも二人分の始末は大変で、スナックに戻って女を抱こうとしたら旧友が訪ねてきて水を差され、首尾よく死体を始末するも無花果の件で途方に暮れてしまい、警察官にすべてを告白するも信用してもらえず、スナックに放火してついに永遠にうろうろすることが暗示されて映画は幕を閉じます。

実際の犯人は捕まったようですが、映画では生き地獄を味わわされるかのごとく捕まえてすらくれません。どこまでもおまえはウロウロせよ、ウロウロしなければ主人公の資格はないよ。

という長谷川和彦監督のサングラスの奥の冷徹な目が言っているかのようでした。次作『太陽を盗んだ男』でも主人公は最後までウロウロしてましたっけ。

見事な傑作です。もうそろそろ新作見たいんですがね。どうでしょうか。



青春の殺人者
桃井かおり
2013-11-26





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