聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

純文学

中村文則『悪と仮面のルール』(講談社文庫)

『悪意の手記』『最後の命』に続く中村文則さんの三部作最終作『悪と仮面のルール』を読みました。



出だしを読むとぐいぐい引き込まれて、終盤近くまでかなり一気に読んだんですが、結果的に、うーん、これもちょっとどうなんだろう、という小説でした。

「邪」の家系に生まれた主人公がその血ゆえに苦しみ、父を殺し、顔を変えて幼馴染の女を探し、JLという名のテロ組織を作って…という内容なんですが、まず「邪の家系」とか冒頭で父に言われる「おまえに地獄を見せてやる」の「地獄」とかの言葉が、ことごとく観念的で具体性がないのが致命傷ではないかと。

フィクションは観念の産物にすぎないと言ってしまえばそれまでですが、しかし、あまりにひとつひとつの言葉が硬く、腹にストンと落ちてこないんですよね。

湾岸戦争やイラク戦争の裏で何があったか、という説明がものすごく長台詞で述べられていますが、「説明するな、描写せよ」といった筒井康隆さんがこの小説を読んだら一笑に付すんじゃないでしょうか。

筒井さんは小説で説明なんかまったくしないですもんね。登場人物の性格や来歴、物語の背景など、すべて展開とともにわかるようになっています。

中村さんの『掏摸』や『銃』だって説明的だとか表現が生硬だとかの感想は少しもなかったんですけど、この三部作はすべて読み終わって徒労感だけが残りました。

何か「頭」だけで書いてる感じがするんですよね。具体がない。

それと、自分で解説を書くのはよくないと思うのですが、いかがでしょうか?



中村文則『最後の命』(講談社文庫)

先日、感想を書いた『悪意の手記』の姉妹編ともいえるらしい『最後の命』を読みました。




うーん、これにも大いに疑問を感じざるをえませんでした。

主人公は、ある精神薄弱の女性を悪辣なホームレスたちにレイプするよう強制された暗い過去をもっています。そして、それが原因で女性と普通の関係をもつことができない。あれが原因だと思えば思うほどどんどんアブノーマルになってしまう。

さらに、そのときのホームレスが死にかけていたところを見殺しにするという過去ももっているんですね。ここまでダークにする必要があるのかというほどの暗さなんですが、あざといとかそういうことじゃなくて、テーマの掘り下げ方が、というか、話の語り方を間違えてる気がしてしょうがないんです。

『悪意の手記』が「人を殺したらどうなるか」という『罪と罰』のモチーフを良くも悪くも中村文則らしい語り方で語っていました。私はまったく乗れませんでしたが、好きな人もたくさんいるのだと思います。

今回の『最後の命』でも、主人公の本棚にドストエフスキーがあるなど、かなり『罪と罰』を意識しているなと思えるところがあります。冴木という男のメールのところなどは『悪霊』のスタヴローギンの手記を意識してるのかな、とか。

それはともかく、この小説では、まず主人公の部屋で女が殺されていて、部屋から出た指紋が主人公と暗い過去を共有する親友のものだった。はたしてその親友は真犯人なのか!? というミステリ仕立てなんですね。私はこの構成に納得がいきませんでした。

最後まで読んでも真相がはっきりしないのは別にいいんです。そういうのたくさんあるし。でも、過去に人を傷つけ、見殺しにしたこともある人間の懊悩を描くのが主眼なのに、殺人事件が起こって、指紋が出ました、あなたの親友のものです、彼は連続婦女暴行犯として指名手配されてます、というサスペンス風の語り口がどうして必要だったのか、少しも理解できないんです。

『悪意の手記』でも、後半、突然登場した女性が物語を解決に向かわせるストーリーの作り方に納得いかないと書きましたけど、この『最後の命』でも、主人公やその親友の内面描写よりもストーリー展開のほうが重視されすぎてはいないか、と思うのです。

何というか、古典的ハリウッド映画のような筋立てを借りないと主人公の懊悩を描けないような、苦肉の策のような気がするのです。それか、ミステリ仕立てにしないといまの読者は読んでくれないから、という「計算」が透けて見えるというか。

このあとの『掏摸』にはそんなの少しも感じなかったんですけどね。この前に書かれた『銃』にも感じませんでした。拳銃を拾う、というのがもうかなりサスペンス仕立てなんですが、そこから結末に至るまでの主人公の内面描写には少しもストーリー展開に力を借りたものではなく、純粋にその内面を掘り下げていく描写の連続で、小説を読む醍醐味とはまさにこれよ、とゾクゾク震えたのをはっきり憶えています。

この次の『悪と仮面のルール』と合わせて三部作と言われているらしいですが、すでに購入してあるので読んでみます。



中村文則『悪意の手記』(新潮文庫)

『掏摸』の感動がいまだに忘れられない中村文則さんの『悪意の手記』を読みました。



不治の病に冒されながら一命をとりとめた主人公が無意識に楽になりたくて親友を殺す。殺した主人公の懊悩を描くのが主題で、これは現代ニッポンの『罪と罰』なんだろうか、と読みながら震えが来たんですけど、リツ子という名前だったと思いますが、かつて娘を少年に殺されて復讐を誓っている女と出遭うところから、何だかちょっと違う話になってしまった感が強いです。

リツ子も人を殺そうとしている。その標的の人物は主人公と同じく人を殺したことがある。

最終的にその元少年犯を別の人物が殺すんですが、登場人物の誰も彼もが「人を殺す/殺したことがある」という共通項をもっています。

それは明らかに狙いなんでしょうが、私にはそこが「作為」と感じられてしまったんですよね。「作り話」を読んでる気分が強くて興ざめしました。

外部からの異物によって主人公の環境が変わるのは物語としてよくある手ですけれど、どうも純文学にこういう手は似つかわしくないんじゃないでしょうか。

リツ子という女と遭遇する、そしてどうなるか、というサスペンス的な手法を使わずに主人公自身の喜怒哀楽をもっと純粋に掘り下げてほしかったです。

続編的ともいえる作品『最後の命』を読み始めました。いまのところ一字一句に息を呑んでいます。最後まで持続してほしい!



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