聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

神話

『女教師』の神話的構造

1977年製作、中島丈博脚本、田中登監督による名作ロマンポルノ『女教師』を久しぶりに再見しました。

前回の『山の手夫人 性愛の日々』の神話的構造 に続く、ロマンポルノを神話的に読み解くシリーズ第2弾です。


女教師4



もう25年くらい前でしょうか、初めて見たときは、セカンドレイプ問題に日本の教育問題を絡めた傑作だと思いました。時を経たいまもその思いはまったく変わりませんが、これをジョーゼフ・キャンベルの比較神話学などを援用してこの物語を読み解くとどうなるか。

神話的に読み解くということは、誰が問題を解決するか、つまり「ヒーロー」は誰か、また、「問題」は何か、その問題の原因を引き起こしたのは誰か、『クリエイティヴ脚本術』の言葉を借りれば、「ホールドファスト」は誰か、ということになるのですが・・・


女教師5


私は普通に主人公の永島瑛子がヒーロー(ヒロイン)だと思っていました。でも違いますね。彼女はレイプ事件の被害者であり、セカンドレイプも受けるかなり悲惨な人ですが、彼女が問題を解決するわけではない。

さて、その前に、この映画でドラマを駆動する「問題」とは何でしょうか。

永島瑛子がレイプされることではないですよね。それは問題を表面化させるきっかけにすぎません。

上の画像の樹木希林や蟹江敬三も噂に踊らされてセカンドレイプしてしまうひどい教師たちですが・・・



女教師1


やはり問題の原因はこの男でしょう。
レイプ犯・古尾谷雅人(まだこのころは「古尾谷康雅」ですが)の担任にしてレイプ事件の目撃者・砂塚英夫。目撃しておきながら、しかも教師のくせに事件の一部始終をニヤニヤと眺めていただけ。

実はもう一人、永島瑛子の恋敵の女性教師も目撃していたのですが、それは最初は明らかになっていません。最初に問題になるのは、久米明校長をはじめ、穂積隆信教頭、そして砂塚英夫が事件をうやむやにしようとしたことですね。一人、正義感の山田吾一が永島瑛子を擁護して警察に届けるべきだと主張しますが、聞き入れてもらえない。

結果として、教え子を誘惑したとあらぬ噂を立てられた永島瑛子は遠い北海道で自殺未遂を図るに至るのですが、教師からも生徒からもバカにされセカンドレイプの真っただ中で半狂乱になる様子を冷静に観察している男こそこの映画の「ヒーロー」です。




女教師 古尾谷雅人


そう、レイプ犯の古尾谷雅人。

え、彼は問題の原因では? いやいや、問題の原因は事なかれ主義の久米明校長から卑劣漢・砂塚英夫までの教師たちでしょう。もう一人の目撃者たる女性教師・宮井えりなもそうでしょうし、永島瑛子の恋人・鶴岡修だってそう。

古尾谷雅人は、自分が起こした事件をなかったことにした教師たちを成敗する役どころです。
問題の真の原因ではないにしろ、きっかけを作った彼がヒーローに変容するところ、つまり悪の側からヒーローが登場するところがこの映画がいまでも新鮮な理由ではないでしょうか。

そこには、思春期特有の複雑な精神状態も絡んでいたはずです。自分が犯した罪を棚に上げ、その罪を隠蔽した者に怒り狂う。砂塚英夫と母・絵沢萌子がデキていることに息子として不潔感を禁じえないということもあったでしょう。

そして大事なことは、一見ヒーローであるかに見えた正義教師・山田吾一が少しもヒーローでないことですね。

永島瑛子の弟が古尾谷雅人の写真を見せてほしいと山田吾一に頼みに行ったら、「それはできない」と突っぱねる。警察に届けるべきだと主張する彼ですら、被害者の弟に教え子の顔を見せるのはまずいと考えている。

警察にならすべてを明るみにするが、被害者の弟には隠す、というところに、山田吾一教師の「正義の限界」が見え隠れしています。彼は警察や法という権力には従順なのです。しかし警察に届けていない事件のことをいくら被害者の弟であっても話すことはできない。

「正義」を標榜する人間にありがちな陥穽ですね。彼は結局、正義ではなく「権力」が好きなだけなのです。だから、悪の側にいたはずの古尾谷雅人がヒーローとして生まれ変わる必要が出てくる。

ラストシーン、すべてが解決したあと(ほんとは何も解決してないのですが)山田吾一が永島瑛子に「あなたはもう一度教壇に立つべきです」と諭します。

昔はこのクライマックスに感動したものですが、いま見返すと、山田吾一のセリフがかなり空々しく響きます。ヒーローたらんとしながらもヒーローになりきれなかった、不良の古尾谷雅人にヒーローの座を奪われた者の負け惜しみに聞こえてしまいました。





永島瑛子


それにしても永島瑛子は美しい。
中盤、家に帰って弟が迎えてくれるシーンでの真っ赤なチョッキがすごくよかった。

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『山の手夫人 性愛の日々』の神話的構造

大工原正泰脚本、小沼勝監督による1980年作品『山の手夫人 性愛の日々』を久しぶりに再見しました。


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何度見ても小沼勝監督の端正な画作りにため息をつかざるをえないのですが、このブログではやはり脚本構造に目を向けた感想を書きたいですね。

私は、何よりもこの映画の「神話的構造」が好きでたまらんのです。

以下は、2003年に出版された『クリエイティヴ脚本術』に書いてあることを援用しているのですが・・・



神話というのは、何らかの逆境があって、その逆境を克服すべくヒーロー=ヒロインが活躍して逆境の原因たる悪役を退治し、逆境を順境にしてハッピーエンドを迎える物語のことですが、この『山の手夫人 性愛の日々』では、そこのねじれ具合がものすごく面白い。

物語は、
日本舞踊春日流の理事長の妻・亜津子が主人公で、夫の理事長は前妻を病で亡くし、亜津子が後妻にして弟子。理事長には前妻の間に一人息子がおり、この息子は「母さんが死んだとき妾のところに入り浸っていた」のが理由で父親をひどく恨んでいる。しかも亜津子と生さぬ仲なのをいいことに激しく迫り、亜津子も彼のことが憎からぬ感じで、二人は文字通り性愛の日々を重ねることになる。理事長は、盲目ゆえかそんな二人の仲を鋭く察知しており、稽古の途中で亜津子にビー玉を投げつけて杖で折檻するなど、目にあまる行為をする。

と、ここまで書くと、夫の理事長が悪役で、息子や主人公・亜津子が不幸な目に遭っているのが逆境のように見えますよね。実際、物語の4分の3ぐらいはそんな感じで進むのです。

が、最後の4分の1ですべてがひっくり返ります。

物語の続きを記すと、

息子は、生さぬ仲とはいえ母親と性愛の日々を重ねるのは異常だと悟り、単身オーストラリアへ飛ぶことに決める。が、それを知った亜津子がその体で惑わせ行かせまいとする。理事長は「絶対に入ってはならぬ」と厳しく言い渡していた納戸に亜津子を招じ入れ、息子の母親のアルバムを見せる。
何と! 母親のすべての顔が切り取られているではないか!! おそらく息子自身が母親の顔をわからなくなっているのは必定。彼は切り取られた空白に亜津子の顔を代入して彼女を愛してきたとわかる。つまり、亜津子はただの代用品だった。
理事長は、「あいつがこの家を出て独り暮らしを始めたとき、やっと大人になれると思った。すると、おまえがあいつと関係をもってしまった。おまえがあいつと関係をもっている以上、あいつは一生大人になれない。あいつのために身を引いてくれ」と懇願する。

うーん、悪役だとばかり思っていた理事長が、実は息子のことをどこまでも思いやる愛情深い父親だったことがわかるだけでなく、この映画における「逆境」は、息子がいつまでも亡き母への思慕を断ちきれないことだと判明し、その逆境の原因が何と主人公・亜津子その人だということになるわけですね。

この映画の本当の悪役は主人公だった。

この映画の真のヒーローは、息子でしょう。自分の殻に閉じこもっていたけれど、自分で一人暮らしを始め、そして今度は自分から外国へ行くと言い出した。父親がヒーローのように見えますが、彼はただの庇護者です。息子を支援する役どころ。わかりやすい例を挙げれば、ヨーダやオビワン・ケノービでしょうか。

それはともかく、高圧的な夫に苦しめられているとばかり思っていた主人公が、実は悪の元凶だったという終盤の見事な反転ぶりが素晴らしい。

神話だからといって主人公=ヒーローとはかぎりません。この映画のように主人公がアンチヒーローの場合もある。

だけれど、最後の納戸のシーンで、それまでの「この映画の構造はこうだ」という観客の思い込みをすべて打っちゃってしまう技がすごいと思うわけです。

ロマンポルノにはこういう素晴らしい映画がたくさんあるので、食わず嫌いをやめていろんな人に見てもらいたいものです。

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『王様のレストラン』大解剖⑥(終)(最低だが素晴らしい!)

『王様のレストラン』大解剖シリーズもいよいよ最終回です。

印象深い最終回、第11話にまたしても涙を流してしまいましたが、今回の再見で明らかになったのは、この『王様のレストラン』で「ヒーロー」と呼ぶにふさわしい人は、千石さん以外の全員だということですね。

禄郎だけがヒーローだと思ってましたが、違ってました。

この『王様のレストラン』は、「千石さんが他のみんなを導いていく」ように見せながら、その実、「他のみんなが千石さんを暗黒面から救い出す」物語なのでした。

プチ・ヒーローしずかにとっての助言者が千石さんだったように、禄郎もまた物語全体のヒーローではなく千石さんにとっての助言者という役割だったのではないでしょうか。

ヒーローが誰かは主人公を明らかにすることだと確か一番最初に書きましたが、昨日最終回を見てやっとわかりました。主人公は千石さんです。

主人公は千石さん。その千石さんを救い出すのが他のみんな。


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ずっと私は、千石さんがやる気も知識もないベル・エキップの面々の問題を一つ一つ解決していく物語だと思っていました。第10話で千石さん自身が暗黒面に堕ちるというのはあるにしても、それは最後のほうだけの問題であって、前11話通しての問題ではないと。

しかし、前回にも書いたように、千石さんは第1話から傲慢なアンチヒーローです。確かに、言うことはいちいち的を射ている。何も間違ったことは言っていない。でも、いや、だからこそ彼こそ問題の根源だというのがこのドラマの肝であり、三谷幸喜氏の思想でもあるのかもしれません。

有り余るほどの知識をもっていても、それを利用して「教えてやろう」という態度は傲慢極まりないと。何もわかってない人間でも「自分は何もわかってない」「自分は何者でもない」と思っている人物こそが世界を救うのだと。(しずかがまさにそういう人物ですね。禄郎も、他のみんなも)

先代オーナシェフの暴走を戒めていた頃の千石さんはヒーローだったでしょうが、クビにされ、舞い戻ってきたとき、自分ならこの薄汚い店を盛り返せると思ったのでしょう。だから千石さんは第1話ですでに暗黒面に堕ちたアンチヒーローなのです。

そして、第10話までそれを前面に出さないのが三谷幸喜氏のうまいところです。あくまでも千石さんが他のみんなにとってのヒーローであるかのように見せながら、実は他のみんなが千石さんを暗黒面から救い出し、彼を再びヒーローズ・ジャーニー=英雄の旅へと旅立たせる役目を担っている。実にうまい構成です。

だから、この『王様のレストラン』はどこまでも千石さんに焦点を当てた「千石さんの個人史」だったのですね。群像劇ではありません。千石さんのメインプロットに絡むサブプロットがかなり多岐にわたるため群像劇に見えているにすぎません。主となる構造は「アンチヒーローに堕ちていた主人公のヒーローへの脱却」というめちゃくちゃシンプルなものです。

アンチヒーローといっても、それはヒーローの暗黒面ですから、その暗黒面を脱却すればまたヒーローに返り咲ける。

先代オーナーの頃はまぎれもないヒーローだった千石さんがアンチヒーローとして戻ってきて、そして自分より知識も経験も劣る人間たちに救われる。ここが『王様のレストラン』の要諦ではないでしょうか。

最大の問題児・範朝だって、彼が店を売り飛ばそうとしたことで逆に千石さんが自分はアンチヒーローだと自覚する役目を担っているのですから、ヒーローでしょう。何より、店に戻ることを渋る千石さんに最後の一押しをしたのは、ギャルソンの制服を突きつけた範朝その人です。

最終回で千石さんは高らかに言いました。

「この店は最低です。しかし最低ではあるが素晴らしい!」

第10話では畠山が稲毛に「俺はお前のこと嫌いだけど、好きだ!」と言います。

この『王様のレストラン』では、「○○だけど××」というのが底流している気がします。「あったかいシャーベット」というのもその一環ですかね。(これは穿ちすぎかな)

アンチヒーローたる千石さんは明日のヒーロー。
他のみんなも千石さんのようにアンチヒーローになるかもしれない。(特に禄郎)

「ヒーロー(に見える)だけどアンチヒーロー」
「アンチヒーロー(に見える)だけど実はヒーロー」

というのがこの『王様のレストラン』の肝ではないでしょうか。

再び英雄の旅に出た千石さんの目標は、決して「一流のギャラにふさわしい一流のギャルソンになること」ではなく、「最低(なギャルソン)だが素晴らしい人間」になることです。それは、親友だった先代オーナーシェフに対して彼が言ったとされる「たとえ一流と呼ばれる店であってもあなたに人を思う心の優しさがないかぎりこの店は三流以下だ」の実践となるでしょう。

まだまだエンディングを迎えたときの千石さんにとって難題と思われるその旅が吉と出るか凶と出るかは…

それはまた、別の話。




『王様のレストラン』大解剖⑤(アンチヒーロー千石武)

『王様のレストラン』大解剖シリーズ。

①「ヒーロー」は千石さんではない!?
②ヒーローはオーナー禄郎である!
③シェフしずかはヒーローでないのか?
④ディレクトール範朝から千石さんへと至る道

に続く第5弾です。

ディレクトール範朝がアンチヒーローであることは誰の目にも明らかですが、彼もまたプチ・ヒーローとして(未来の)ベル・エキップを盛り立てていってくれる存在です。

その範朝と同じくらい、いやそれ以上のアンチヒーローがいます。それが千石さんに他なりません。

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彼は、ベル・エキップを一流の店にするために雇われました。事実、千石さんの知識と経験で数々の困難を乗り切り、店は往時の活気を取り戻しました。

しかし、彼には驕りがありました。「自分がこの店を支配している」という驕りが。

先日の第10話では、先代オーナーシェフが傍若無人な人間だったために店を辞めた顛末が明かされます。「彼は自分の意に沿わない人間を次々にクビにしていった。それを戒めるのは私だけでした。それで結局私も辞める羽目に。店を去るとき私は言いました。たとえ一流と呼ばれる店でも、あなたに人間としての心のやさしさがないかぎりこの店は三流以下だと」。そして、「いまの私はあのときの彼だ」と言って自嘲気味に笑います。

パティシエ稲毛をクビにするかしないかでオーナー禄郎ともめた挙句に、千石さんは自分がかつてのオーナーシェフと同じアンチヒーローに堕落していたことを思い知らされるのです。

でもそれは第10話で突然そうなったのではありません。最初からそうだったのです。

第1話で、禄郎が一緒にこの店を立て直しましょうと頼まれたとき、「この店はフレンチレストランの格好をした、薄汚れた学生食堂です」と言い放ちます。確かにその通りでしょう。しかし、それがかつてともにフランスへ留学し、一緒に働いていた親友の店に対する言葉と考えると合点がいきません。

千石さんが働いていたときにこの店にいた人間は範朝だけです。その範朝がディレクトールをやっている。彼が総支配人なら薄汚れた学生食堂に落ちぶれるのも当然だろう、と千石さんならずとも思うところですが、先代オーナーシェフにはもう一人息子がおり、その息子が遺言を託された。「千石さんを頼るといい」と記されていました。千石さんはそれを目にしてもなお禄郎に「あなたも早くこの店から手を引いたほうがいい」と言います。

先代オーナーを戒めていたときの千石さんは確かに「ヒーロー」だったでしょう。しかし、辞めざるをえなくなったことで恨みつらみが重なり、さらに往年の栄光を知らないスタッフばかりになったベル・エキップに対して「自分のほうがよっぽどフレンチのことを知っている。こんな店を立て直すくらい簡単だ」という驕りが芽生えたことは想像に難くありません。

第2話で、「いまうちは火の車でね、よけいな人を雇う余裕がない」という範朝に対し、千石さんは「心配いりません。いまにこの店は毎日お客でいっぱいになります。根拠があります。私が来たからです」という場面がありました。あそこは千石さんのあまりの自信過剰な態度に何度見ても爆笑してしまうんですが、このドラマをコメディではなく「神話」として捉えた場合、あそこは千石武という男が暗黒面に堕ちていることを証しする何よりの場面です。

実際、千石さんはその言葉通りベル・エキップを立て直していく。一人一人にいろんなことを教えて店を盛り立てていく。その姿はヒーローのように見えます。

しかしながら、第10話で明らかになったのは、そして彼自身が自覚するに至ったのは、「他のみんなを見下していた」という冷酷な事実でした。先代オーナーと同じ道をたどってしまった千石さんは店を辞めます。

先代オーナーと千石さん
千石さんと現オーナー禄郎

は同じ関係です。アンチヒーローとヒーロー。

「ヒーローズ・ジャーニー=英雄の旅」は、ヒーローからアンチヒーローへ、そしてそこからまたヒーローへ、という循環する旅のことです。

ここで疑問が起こります。私の仮説「禄郎こそがヒーロー」って合ってるの???


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第3話で誰の首も切らずに赤字を解消する手段を見つけた禄郎は、他にも数々の難事件を解決します。

第6話では、直接的に問題を解決するのはメートル梶原だとしても、他のみんなが「嘘をついた本人が悪い」と少しも協力しようと思ってないところを、禄郎が「困ったときはお互い様」と全員に協力するよう呼びかけます。オーナーの言うことならしょうがない、とみんなは嫌々協力することになるんですが、あの禄郎の呼びかけによって従業員一同が一丸になり、後半のさらなる難事件を解決することになります。

千石さんに対する従業員一同のストライキが描かれる第4話でも、直接的に問題を解決するのは最初に手を貸したシェフしずかでしょうが、それだけではまだ厨房の人間が持ち場に戻るだけ。梶原と彼に操られるコミ和田はあくまでも千石が謝ってくるまではストライキを押し通すぞ、と意固地になっていました。
それを解決するのが禄郎です。「嘘でいいですから梶原さんたちに頭下げてもらえませんか」と千石さんにお願いする。実際に頭を下げに行くのは千石さんですが、後ろで糸を引いているのは禄郎です。

第9話では、普通ならクビにすべき範朝を許すことで彼を暗黒面から引き戻します。第10話では、暗黒面に堕ちていた千石さんにその自覚を促す。

しずかのセリフ「一流っていってもいろいろあると思うんだよね。料理が一流とか店の造りが一流とか。働いてる人間が一流ってのもあるんじゃないかな。そういう意味ではこの店はもうとっくに一流だと思う」が決定打になるとはいえ、「働いている人間」を一流にしたのは「無類のお人よし」たる禄郎であることは衆目の一致するところでしょう。

ベル・エキップを一流の店にしたのは千石さんではなく、禄郎なのです。

その証拠に最終回の第11話では…これは来週を見てからですね。

第7話が異質だと以前言ったのは、禄郎が問題を解決してないからなんですよね。淀んだディナーを解決したのは直接的にはバルマン政子ですが、後ろで糸を引いていたのは千石さん。アンチヒーローがあのエピソードではヒーローだから何か異質な感じがするんです。

いや、そこにこそ『王様のレストラン』の面白さの秘密が隠されている気がしてきました。

それは、第10話での畠山が稲毛に言うセリフ「俺はお前のこと嫌いだけど、好きだ!」ということにも通じるものなのかも…。

「私が来たからです」というセリフがコメディとしては爆笑ものだけど、神話としては深刻なものだということとも通じるような気が…。

そこから「主人公は誰か」という最大の問題があぶりだされてくる気がします。

すべては来週の最終回を見直してからですね。

続き
⑥最低だが素晴らしい!




『王様のレストラン』大解剖④(ディレクトール範朝から千石さんへと至る道)

『王様のレストラン』大解剖シリーズ。

①「ヒーロー」は千石さんではない!?
②ヒーローはオーナー禄郎である!
③シェフしずかはヒーローでないのか?

につづく第4弾です。

しずかがヒーローでないことが前回で明らかになりました。
千石さんもヒーローでないことを明らかにせねばならないというか、その前に、これまでまったく触れてこなかった重要人物、オーナー禄郎の兄でディレクトール(総支配人)範朝の「ヒーローズ・ジャーニー=英雄の旅」を考えねばなりません。

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え? 範朝がヒーロー?

はい。
「ベル・エキップ」で最も嫌われている最大の問題児たるこの男もまた英雄の旅を歩んでいるのです。といっても、しずかなどと同じくプチ・ヒーローですけど。

第9話ではこの範朝が主人公でした。
運が悪かっただけの、ちょっと歯車が噛み合わなかっただけの、とてつもなく長い厄年が続いているだけの憎めない悪人、範朝が借金のかたに店の権利書を売り飛ばそうとしたことが店の全員に発覚します。

千石さんはもちろんのこと、従業員全員がクビにすべきだと息巻きます(しずかだけは違いますが)。

が、オーナーであり範朝の唯一の肉親、禄郎は不問に付そうとします。

「何でそういうことに…?」
「だから、根は悪い人じゃないから」

そうです、彼は何も考えておりません。「真心」を尽くしたといえば聞こえがいいですが、禄郎は何も考えずに発言する達人です。

もちろん、範朝が店に残る決心をするのは、禄郎に諭されたからではなく、こっそり逃げようとしていたところを千石さんに説得されるからです。

「範朝さん、自分を信じるんです。あなたが自身が信じてやれなくて、いったい誰が信じるんですか」

いいセリフです。心に染み入ります。

ここで範朝はとても大事な返しをします。

「不思議だなぁ。あんたと話してると親父を思い出すよ」

そうです。いままでまったく触れてきませんでしたが、「ベル・エキップ」という店は、禄郎と範朝の父であり、千石さんの親友だった先代オーナーシェフの店なのですね。

その先代の店を売り飛ばそうとしたんだから範朝はクビになって当たり前。

とは誰も言いません。千石さん自身も「私たちの努力の結晶を売り飛ばそうとした」という言い方をします。

千石さんが再び「ベル・エキップ」で働き始めたのはなぜでしょうか? 禄郎に説得されたからですね。禄郎はなぜ千石さんを? 当然、父親の親友であり伝説のギャルソンと言われた男を参謀としたほうがうまく行くとの確信があったからでしょう。千石さんは「一流のギャルソンはギャラも一流」というのが信条ですが、実際は禄郎の給料(しずかの給料に毛が生えた程度と第3話で範朝が明かします)から払われている。貯金を切り崩さないと生活できない額でしょう。それでもやるのはただ禄郎に説得されたから?

違いますね。あの店が偉大なシェフだった親友の店だからでしょう。三流になった落ちぶれた店をもう一度一流と呼ばれる店にしたいというのが千石さんの野望です。それは禄郎もしずかも他のみんなも一緒でしょう。最初はそんなのどうでもいいと思っていた面々ですが、第8話のしずか移籍騒動では「この店は昔に逆戻りだ」と危機感をあらわにします。すでにみんなは「店のために」働いているのです。

そんななか、範朝は店を自分のものとして売り飛ばそうとした。断罪されてしかるべきだ。

正論でしょう。

しかし、無類のお人よしである現オーナーの「真心」により、彼はそのとてつもなく長い厄年に終止符を打つことができる。
もし禄郎が範朝をクビにしていたら、おそらく彼はどこかで大問題を犯していたに相違ありません。殺人とか強盗とかね。そんな他人様に迷惑をかけるくらいなら、お兄さんの迷惑は僕が被るよ、なんて高邁な精神が禄郎にあったとは思えませんが、結果的に禄郎の「何も考えていない人の好さ」が範朝を救います。

「俺には無理だ」とのおそれを抱く英雄の卵・範朝に対して千石さんの「自分を信じるんです」との亡き父を彷彿させる一言によって、範朝はヒーローズ・ジャーニーの暗黒面から一気に上昇気流に乗ることが暗示されます。

範朝を暗黒面から救い上げたのは、何より禄郎であり、禄郎の意を汲んだ千石さんであり、不祥事をしでかしても再び仲間に迎え入れた店の全員でしょう。もちろん、愛人のバルマン政子も大きな役割を担っています。

店を自分のものとして売り飛ばそうとした範朝は、逆にアンチヒーローからヒーローへと生まれ変わろうとしています。とてつもなく長い厄年とは、とてつもなく長いアンチヒーローとしての旅だったのですね。これからはヒーローとしての道だ!


さて…


ここにベル・エキップという店を自分のものと見なしているアンチヒーローがもう一人います。


他ならぬ千石さんその人です。
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続き
⑤アンチヒーロー千石武
⑥最低だが素晴らしい!




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