神話

2018年07月31日

花田菜々子さんの『出会い系サイトで実際に70人と会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(その感想は→こちら)で推薦されていたマンガ『ワイルドマウンテン』全8巻を読んだんですが、これがとてつもなく面白かった。

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この表紙にあるかわいい顔した男・菅菅彦は(スガ・スガヒコという名前が素晴らしい)実は地球防衛軍の元隊長でなかなかのやり手軍人だった。が、地球に衝突する可能性の高い隕石を破壊する極秘指令を受けたのにちょっとした手元不如意から撃ち落とし損ね、隕石は中野区に落ちて多数の死傷者を出した。
その隕石の塊が山となって新しい町を形成してワイルドマウンテン町ができ、失意の菅菅彦は軍を辞めて町長として町おこしの役を担う。というのが物語の発端部です。

つまり、菅菅彦は「隕石を撃ち落とし損ねた」というつらい過去をもっており、そこがクライマックスでどう解決されるかが物語の主眼となります。

軍で好き合っていたマリという女の子とワイルドマウンテン町で出会う未亡人との三角関係、さらには親から捨てられたも同然の銀造とその祖父・淵野辺さん、軍の部下などが入り乱れます。そこに「ハガレゴッド」なる宇宙人も登場するからこれはれっきとしたSFなんですね。


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菅菅彦を抱っこしている大きな薄っぺらい壁みたいなのがハガレゴッドで、この人物(?)は誰の心の内も読める超能力をもっています。菅菅彦は宇宙人がいるとなると町おこしには最適だと胸躍らせますが、ハガレゴッドや他の奇々怪々な生き物たちと仲良くなってしまい、さらに銀造も彼ら以外に友達がいない。友情を何よりも重んじる菅彦は彼らの存在を隠します。

だから、隕石を撃ち落とし損ねた過去をめぐるメインプロットと、ハガレゴッドたちの存在を隠している現在をめぐるサブプロットと、二つのドラマが描かれているわけです。
はたして菅菅彦は軍人として失敗した逆境を順境にできるのでしょうか。そこにハガレゴッドのサブプロットがどう絡まってくるのか。

と思っていると……

別の宇宙人が出てきて香港まで行ってかなり複雑な展開を見せながら、菅菅彦がやはり軍人としてやたら優秀である一面を見せてくれます。
なんていうと、菅彦がめちゃかっこいい男のようですが、未亡人がジャズシンガーで、ジャズなんか聴いたことないのにジャズマニアを気取る可笑しさを演じるかと思えば、軍時代の同僚マリちゃんに告白してオーケーをもらうもあまりにせこいことを言い出したためにマリちゃんから膝蹴りを食らうなど痛い面ももち合わせています。主人公にふさわしいキャラクター設定ですね。

さて、ハガレゴッドたちの存在がマスゴミのせいで明るみとなり、そのせいで菅菅彦が隕石撃ち落としに失敗した過去まで明らかになります。メインプロットとサブプロットの危機=クライシスがいっぺんにやってきました。さあ、どうなる!?

と、思っていたら……

あっと驚く結末が待っているんですね。神話的想像力に彩られたメインプロットも解決するうえに、サブプロットも解決する。しかもラスト近くはほとんどのキャラクターが殺されてしまうのにそれすらも解決されてしまう。

しかも菅菅彦の問題が解決するだけではありません。ラストシーンに至っては、別のキャラクターの問題が噴出し、そして一気に解決を見ます。

このマンガは菅菅彦ではなく別のキャラクターのドラマなのでした。え? マジで!? 

いやいや、もしかすると、これはやはり菅菅彦の町長としての物語かもしれないし、同時に別のキャラクターの物語かもしれない。どちらも真なのでしょう。そして両方の物語から浮かび上がる「友情」というテーマ。神話の変奏かと見せかけておいて実は神話以上のものを見せる手腕に拍手。お見事!!!

作中人物が作者の狙いを推量したりするんですが、私は普段ああいうメタフィクション的な仕掛けが好きじゃない。でも、それすらもあの結末は解決してしまうんですね。あれは作者の語りではなく別のキャラクターの語りだったわけですね。ちゃんと整合性が取れてる。ほんと見事としか言いようがない。

『出会い系サイトで実際に70人と~』を読まなければこのマンガを読むことは一生なかったでしょう。著者の花田菜々子さんに厚く御礼申し上げます。もちろん『ワイルドマウンテン』の作者、本秀康さんにも!







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2018年06月04日

WOWOWにてアニメ『心が叫びたがってるんだ。』を鑑賞しました。
いやぁ~、驚きましたね。

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だって、かなり前に書こうとしていた脚本にそっくりだから。まったく同じものを書こうとしながら完遂できなかったんですよ。

この映画は「トラウマで声を失った主人公が、周囲の助けを得て失った声を取り戻すまでを描いた神話」として捉えられているようです。それはまったく間違いではなく、それどころか、それ以外の解釈のほうが間違いでしょうけれど、私が以前書こうとしたのはそういうお話ではなかった。

もう細かいところは忘れてしまいましたが、大筋は「口のきけない女を殺した男がミュージカル映画のスターとして花を咲かすが……」というものでした。

え、それのどこがこの『心が叫びたがってるんだ。』と同じなんだ、という声が聞こえてきそうですが、私が言っているのは物語そのものではなく、構造のほうなのです。それも神話的構造ではなく、映画史としての構造です。

サイレント映画からトーキーへ移行したとき、『ヒズ・ガール・フライデー』のような喋りまくる映画と同時にミュージカルが隆盛となりました。だから「ミュージカルはサイレント映画の死の上に成り立っている」というのは映画史に通暁している者にとっては常識です。

私はその映画史をなぞった物語をやりたかったんですよね。だからミュージカル俳優が聾唖の女を殺して成り上がる」(そこにちょっと『陽のあたる場所』的な味付けをして)という物語を考案したんですけれど、何だかんだでうまく書くことができず、「いつかきっと!」と思っているうちに夢をあきらめる日が来てしまいました。

というわけで、唖の少女がミュージカルの舞台で歌うこの映画が、まさに「サイレント映画の死の上に成り立ったミュージカル」という映画史を見事に映画化していることに嫉妬の念を禁じえないのです。なるほど、こういうふうにすればよかったのかと。私はどうも「殺す」ということに囚われてしまっていました。

ただ、この映画でも「殺す」ということは表現されています。


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主人公は父親の浮気の現場を目撃して、それと知らず母親にそれを言ってしまったために両親は離婚。追い出されることになった父親に「全部お前のせいだ」と呪詛され、それが原因で唖になってしまった。

と、私は思い込んでいたから、真の悪役である父親が最後まで出てこないのはおかしいと思ってたんですよ。父親が成敗されないかぎり主人公にとってのハッピーエンドはありえないんじゃないか。いや、正確に言えば、主人公がミュージカルのスターとして花咲かせる以上、父親が唖(=サイレント)である主人公を解放して(=殺して)やらねばならない、と。

でも、それも私の浅薄さでした。
主人公を唖にしたのは、実は主人公自身だったことがクライマックスで明かされます。自分で自分の声を殺し、玉子の殻に閉じこもっていたんだと。

なるほど、こうすれば父親は出てこなくていいし、最後に主人公が発する言葉が、好きな男への告白でなければならないという展開にもうなずけます。押し殺していた自分の気持ちを開けっぴろげにする、つまり心を開く。自分から閉じこもっていた玉子の殻をぶち破る。うまい。

うまいのはそれだけでなく、その告白で彼女は振られるんですよね。で、別の男から告白されて真のハッピーエンドを迎えると。父親から呪詛されて傷ついた心を癒せるのは、やはり自分が好きと語りかけられることではなく、誰かから好きだ、おまえが必要だと語りかけてもらうことなのだと。

うーん、うますぎる。

ついに書けなかった物語がもう3年も前に劇場公開されていたことを知らなかった不明を恥じます。WOWOWでは去年の実写版も放送してくれるようなので、そちらも見てみようと思います。とにかく激しく嫉妬した初夏の夕暮れでした。






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2018年05月12日

日本映画専門チャンネルでやっていた『鬼の棲む館』。これがべらぼうに面白かった。神話と宗教が絡み、男二人の「英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニー」が時代背景とともに見事に描かれています。


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1969年大映作品『鬼の棲む館』
原作:谷崎純一郎『無明と愛染』(「あいぞめ」ではなく「あいぜん」)
脚本:新藤兼人
監督:三隅研次
出演:勝新太郎(無明の太郎) 
   高峰秀子(楓)  
   新珠三千代(愛染)  
   佐藤慶(高野の上人)


時代背景
まず、高峰秀子演じる楓が「頼もう」と荒れ果てたお堂を訪ねる場面から始まります。そこに住んでいるのは無明の太郎と言われる盗賊とその愛人の愛染。楓は太郎の妻なんですが、愛染に寝取られたと。それで太郎と奪い返しに来た。

そんな楓の気持ちなどお構いなしに、太郎は京へ金目のものを盗みに行くと言って出かけます(このとき薪代わりに仏像を叩き斬るのが後半に向けての伏線ですね)。京はひどい戦乱にまみれていて、応仁の乱の頃かな、と思いましたが違いました。

太郎がいない間に佐藤慶演じる高野の上人が一夜の宿を求めて訪ねてきます。このとき「京方と吉野方が……」と語っていて、なるほど、南北朝時代かと。

鎌倉末期の直後で南北朝時代が舞台というのがこの映画のミソですね。鎌倉末期から持明院統と大覚寺統の間で「両統迭立」の状態にあり、その末期に後醍醐天皇が現れて南北朝時代に突入。皇統が分裂していた時代でした。

この時代背景は後半の展開にかなり大きな意味をもってきます。


英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニー
楓は上人に語ります。
かつて荘園名主だった太郎は戦火で荘園が潰れたために京へ出てきて愛染と出逢い、その愛染によって暗黒面に落とされた。楓はそんな太郎を奪い返しに来たのだと。しかし、実際は愛染に復讐したい気持ちのほうが強いようです。。

そこを上人は鋭く突きます。愛染を「鬼」と罵る楓の心にもまた鬼が棲んでいると。鬼は多かれ少なかれ誰の心にも棲むものだ、というのが真言宗の考え方かどうかは知りませんが、少なくともこの上人の思想ではあるらしい。

では、なぜこの上人はそのような思想をもつに至ったか。やはり上人自身がかつては暗黒面に堕ちたアンチヒーローだったことが大きいのでしょう。
いまは出家して英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニーを歩んでいる。かつての自分のような太郎に出会い改心させようとする。が、上人もまた太郎と同じくかつて愛染の誘惑に負けた弱い人間だったことが判明します。上人はかつて貴族で、愛染にそそのかされて人を殺めたことが語られます。太郎と上人は同じ穴のムジナというわけです。そして、再び愛染が色仕掛けで上人に迫る。

で、こんなことになってしまいます。

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己に負け、仏の道を誤った上人は舌を噛み切って自殺します。英雄の旅を完遂できなかった上人の胸中を察するととても悲しい。


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しかし、「仏も私のカラダに負けた!」と高らかに笑う新珠三千代を見た勝新は発作的に彼女をぶった斬ります。そして、上人の遺志を継いで、妻の楓とともに出家をする。

このへんの展開はとってつけたような感じが否めませんが、上人が堕落する直前、太郎が上人の念仏によって黄金色の仏像の強い光に負けたという事実のおかげで、彼の目に「仏性」が見えたのでしょう。鎌倉仏教が花開いた直後でまだ末法思想の名残もあっただろう時代。しかも、いつ終わるかわからない戦乱の世だった、という時代背景も関係しているかもしれません。


南北朝時代の意味
時代背景の意味がこれでもうわかりましたよね。
かつて太郎は楓と幸せな生活を送っていたけれど、愛染と出逢うことで暗黒面に堕ちた。
その愛染によって暗黒面に堕ちていた上人はそれゆえに仏に道に入って暗黒面から脱却した。
その上人が再び愛染によって暗黒面に堕ちたがゆえに、太郎は暗黒面から脱却した。

上人と太郎はどちらもヒーローズ・ジャーニーを歩んでいますが、どちらかがヒーローのとき、もう片方はアンチヒーロー。

両雄、並び立たず。両統迭立から南北朝へと皇統が分裂していた時代というのがうまく活かされています。

京が戦火で焼かれている時代というだけなら応仁の乱でもいいような気がしますが、やはり皇統分裂のこの時代のほうが「二人のヒーローの分裂」というテーマがより明確になるという計算なのでしょう。


クライマックスで大事なこと
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クライマックスで大事なことは、愛染を斬った太郎がその死骸に抱きつき、号泣することでしょう。
ちょっと前まで愛し合っていた仲だから、ということではないと思います。発作的に斬った、ということへの悔いでしょう。

太郎は上人が死んだ時点で仏の心が芽生えていた。ならば、彼が愛染を暗黒面から救い出し、新しい英雄の旅に歩ませなければならなかったはず。それを気持ちはわかるが発作的に斬ってしまった。救い出すことができなかった、ということへの悔恨と謝意の表れと解釈するのが私流の見方。

彼女は最初から最後まで、ヒーローとアンチヒーローを循環的に行き来するキャラクターではなく、ユング心理学でいうところの「身体のアーキタイプ」なのでしょうか。ヒーローを暗黒面へ転落させる役どころ。決して変化しない。

だから「鬼」なのでしょう。しかし「鬼は誰の心にも棲んでいる」のです。上人も己の鬼に負けた。太郎も負けかかっていた。太郎を救いに来たはずの楓も鬼退治という妄執に囚われた鬼に成り下がっていた。

だから、愛染は決して身体のアーキタイプではなく、アンチヒーローだと思います。それはヒーローに変容する可能性を秘めた存在ということです。そう考えないと「誰の心にも鬼が棲んでいる」と言った上人が浮かばれません。魔性にだって仏性はひそんでいるのです。それが釈迦の教えだったはず。

だから、太郎のアンチヒーローからヒーローへの変容は、きっかけは上人の死ですが、それだけではまだ完全ではなく、愛染を斬ってしまったことで完全なる変容となったのだと思います。

仏教、それも大乗仏教の国だからこそこういう映画が作れた。キリスト教などの一神教を信仰する人にこういう物語は作れない。私は日本人としてこの映画を誇りに思います。

ただ、惜しむらくは、高峰秀子の役どころがやや狂言回し的なところで終わってしまったところでしょうか。冒頭など、あの勝新をも圧倒する横綱相撲ぶりに瞠目していたんですが、だんだん影が薄くなってしまって……。
太郎の変容はしっかり描かれますが、楓の心に棲む鬼がどうなったか、その顛末が描かれないのはとても惜しいと思います。


鬼の棲む館 [DVD]
勝新太郎
KADOKAWA / 角川書店
2014-12-19





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