聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

時代劇

『幻の湖』(橋本忍が好きになった傑作!)

橋本忍が嫌いだった
私は橋本忍という脚本家が大嫌いでした。『生きる』『切腹』『砂の器』などで押しも押されもせぬ名脚本家と誉れ高い方ですが、『砂の器』はまだしも、『生きる』の奇を衒った構成には思い出しただけで鼻白んでしまうし、『切腹』に関しては「あんな頭だけで作った映画はダメです」と一刀両断にした淀川長治さんの言葉に何度も膝を打ったものです。


『幻の湖』
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それが、先日、日本映画専門チャンネルで、監督もした『幻の湖』を初めて見ていっぺんに好きになってしまいました。それぐらいこの『幻の湖』はめったやたらに面白かった。

世紀の珍作なんて評があるのは知っていたので、少しでもつまらなかったら見るのやめようという軽い気持ちで見始めたんですが、何やら得体の知れない魅力にあふれた映画で、珍作というのもうなずけますが、最後まで見たいま、やはりこの映画にふさわしい言葉は「傑作」だと断言します。


ソープ嬢の復讐物語
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戦国時代をモチーフにしたソープランドで働く主人公は拾ってかわいがっていた犬シロを殺され、その下手人に復讐するというのが物語のあらましです。

特にすごいと思ったのは、犬が死んでから復讐を誓うまで、つまり警察に届けたり、そこで適当にあしらわれたり、会社まで犯人に会いたいと詰め寄っても体よく追い返されたり、はたまた復讐とは関係ないシーンや描写がものすごく長いことです。

復讐物語なのだからそういうところは不自然でない程度にパパッと済ませたくなるじゃないですか。それをかなり長い時間をかけてみっちりねっとり、ときには意味不明に描いていくんですね。警察や弁護士は「犬の放し飼い許可証がなきゃ」みたいなことを言って諦めさせようとしたり(放し飼い許可証なんてあるんだろうか。当時はあったんですかね?)男の会社の受付嬢は写真をくれと言われてなぜか「あなたにあげる写真なんかない!」と突然キレたりします。

復讐物語の主人公は復讐する。これは「映画の原理」です。でも、だからといってすぐ復讐に手を染めるわけではないし、できるわけでもない、周りはそんなことさせてくれない、というのが「世界の原理」です。橋本忍は徹底的に「世界の原理」に忠実すぎるほど忠実に描写を積み重ねていきます。だから意味不明になるのです。復讐に躍起になっているはずなのに銀行の営業マンといい仲になって観光映画みたいになったり、この丁寧すぎるぐらいの描写には唸りました。

え、丁寧? どこが! という声が聞こえてきそうですが、あくまでも「世界の原理」を丁寧に描いていると言いたいのです。復讐志願者だからといって簡単に標的が見つかるなんてありえないし、妙齢の女性なんだから復讐そっちのけで恋に走りもするだろう、変な妄想に囚われることもあるだろう、復讐者だって生活してるんだから復讐という目的に沿って直線的に物語が進むほうがおかしいんだよ、という通俗的娯楽映画への異議申し立て。アメリカのB級映画みたいにパパッとやってしまえば全体が80分くらいに収まっただろうに、興行的に不利になるのを承知で丁寧すぎる描写の積み重ねを選んだ。

時間が飛んで戦国時代のシーンになったりもするし、最後にはスペースシャトルが発射したりもするんですが、そういうぶっ飛んだ内容なのに見ていられるのは丁寧な描写の積み重ねを怠っていないからでしょう。そりゃま、ああいうのをアホだと断じたい気持ちもわからないではありませんが。


ついに復讐を完遂するまさにそのとき!
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ついにシロを殺した男を見つけて追いかけるんですが、他に2度ほど追いかけっこのシーンがあります。それもかなり長いシーンです。ついに追いつけなかったり、最後は追いつきますけど何度も引き離されそうになります。警察や男の会社で体よくあしらわれるのと同じで、橋本忍は主人公になかなか復讐を完遂させません。それが普通だよ、と言わんばかりに。

しかもこの映画、相当狂っています。

ついに男に追いつき、シロを殺した包丁で男を刺し殺すのかと思ったら、何と追い抜いてしまうんです。そして「勝った、勝ったよ、シロ!」

えええええええええええええええええええええ!!!!!!???????

マジっすか。追い詰めて刺し殺すんじゃなくて追い抜くのが目的だったの!? 何これ。いつの間にか復讐映画からマラソン映画に変わってたのか、と思ったら、我らが主人公は首尾よく男を刺すので安心します。しかし!

もう一度とどめに刺した瞬間、スペースシャトルが発射するんですねー。

あまりのぶっ飛びぶりにゲラゲラ笑い転げました。これは面白い!!!


底流する「虐げられた者」への愛情
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本筋の復讐は殺されたシロへの想いで駆動されますし、結構長い時代劇パート(高橋恵子と星野知子が美しい)でも信長の気まぐれのせいで串刺しにされた浅野長政の子ども(万福丸)への哀惜の念が描かれます。虐げられた者への愛情が底流しているからこそぶっ飛んだ描写を楽しく見れるのだと思います。

というか、シロや万福丸のように「理不尽に殺される者」というのがこの『幻の湖』を解き明かすカギでしょう。

世界は理不尽に満ち溢れている。それが「世界の原理」です。だからシロは無残に殺される。警察も少しも親身になってくれない。会社の受付嬢は突然キレる。

「勝った!」という冗談としか思えないセリフもそう考えると腑に落ちます。本来の目的を見失い、別の目的に無意識にすり替えるのも「世界の原理」でしょう。

橋本忍はどこまでも理不尽に満ちた「世界の原理」を描こうとしたのでした。『切腹』もまた理不尽に立ち向かっていく映画でしたが、あの無駄のない緊密な構成、あれでいいのか、という思いがあったんじゃないか。もしなかったのなら、なぜこんな映画を作るのか少しも理解できません。『切腹』みたいなのはしょせん「映画の原理」で貫かれた絵空事なのだという思いがあったから『幻の湖』を作ったんだと思います。

もちろん、『切腹』の脚本を書いていたときはそのようなことは微塵も思っていなかったのでしょう。月日が経つにつれて「あれでよかったのだろうか」と疑問が高じてきたのだと察します。

生涯忘れられない映画との出逢いになりました。未見の方はぜひ見てください。「世界の原理」に負けてばかりなのに最後の最後で「映画の原理」が勝利する『カリフォルニア・ドールス』のような爽快な映画です。

ただ、そのあとのスペースシャトルの乗組員が地球の琵琶湖の上に笛を置くというのはまったくわかりません。それもペタッと貼り付けるみたいに置いてましたよね。笑うしかなかった。戦国時代と現代と宇宙の破滅までを強引につなぐ豪快な、あまりに豪快な……

あれが何なのかはまったくわかりません。橋本忍という稀代のフィルムメーカーが到達した「神の境地」なのかもしれませんね。


幻の湖
南條玲子
2015-07-01







『曽根崎心中』を見て改めて思う「監督の腕」とは

約20年前に大阪のシネマテークで見たとき、「ものすごいものを見た」としばし呆然としてしまって身動きできなかったことをまるで昨日のことのように憶えています。

白坂依志夫・増村保造脚本、増村保造監督による『曽根崎心中』(1978)


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物語のあらゆる要素が悲劇を高めるためにのみ作用していて、もう見ていて固唾を呑むことしかできないのですが、冷静になって考えてみると、この文語調のセリフばかりのやや仰々しい脚本を凡百の監督が撮ったら凡作以下にしかならないのでは? と思います。

何しろ、主役の梶芽衣子が大仰すぎるほどの大芝居だし、悪役の橋本功もあまりにあくどすぎる役で、普通にやったら噴飯ものでしょう。井川比佐志演じる宇崎竜童の主人にして伯父なども、やりすぎずやらなさすぎずの匙加減が難しかったかと。

何より宇崎竜童ですよね、一番の問題というか核心は。

彼は俳優じゃないから細かい芝居ができない。なのに、この心中劇の中心に据えるという大胆不敵さ。主役に素人というのは珍しくないけれど、周りが芸達者ばかりのなか、中心にド素人を据えてもイケると踏んだその判断がすごい。何しろもうひとつの中心である梶芽衣子にはものすごい細やかな芝居を要求しているにも関わらず。

そのへんの計算というか、おそらく現場では何度もやり直しがあったと推察されますが、やはり、監督の仕事というのは「演技指導」だな、と改めて思った次第。

どう撮るかはカメラマンに任せても大丈夫。
どう繋ぐかは編集マンに任せても大丈夫。

でも、演技指導を他の人に任せたら・・・もう監督ではなくなってしまう。

「演出」とは「演技を引き出す」と書きます。中国語でも「演技を導く」で「導演」ですものね。

この当たり前の事実を忘れた監督の何と多いことか。
私が昔の映画を好むのはこういうところに理由がある気がします。




続『沈黙/サイレンス』(マスターショットへのこだわりは)



スコセッシ監督の『沈黙/サイレンス』についての感想続編です。

前回の記事
映画は心の中を映せるか 

さて、続編の今回は「マスターショット」について。


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主人公より先に日本へ布教に行った司祭が棄教したとの知らせを受ける場面。この場面はマスターショットがまったくなかったはずなんです。

もう25年ほど前になりますが、『スコセッシ・オン・スコセッシ』という本が出ました。直近の『グッドフェローズ』までの全作品についてスコセッシにインタビューした聞き書き本の名作です。

この本の中でスコセッシが撮影現場において最も重視しているらしいのがマスターショットなんですね。私は監督をしたことがないのでよく知りませんが、映画監督なら誰でも重視するものなんでしょうか。

それはともかく、スコセッシはこのインタビューで、「この場面はマスターショットから撮る」とか、逆に「この場面はマスターショットなしで行こうと思った」などとマスターショットに異常なまでのこだわりを開陳していました。

マスターショットといえば私の場合、どうしても思い出されるのが深川栄洋監督による大傑作『半分の月がのぼる空』なんですね。



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この映画には物語上ある秘密が隠されていまして、終盤に明かされて驚愕するんですが、とても大切な情報を隠している、だから視覚的にもマスターショットを撮らないことでその場所全体を観客に見せない。物語の秘密が明かされるとアッと驚くと同時に、その後はマスターショットのある普通のシーンの連続になり、視覚的にも「晴れた」感じになるんですね。

ああいうのを「映像演出」というんだと痛感させられました。


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この切り返しだけで構成された『沈黙/サイレンス』のこのシーンでは、映像演出におけるスコセッシの「意図」がまったくわかりません。ただただ、場所の全体を見せてくれないのでイライラが募っただけでした。

どうも、スコセッシは敬虔なクリスチャンだからか、題材への思いが強すぎて何をどう見せていいのかわからなくなってしまったんじゃないか、というのが私の推測です。

『最後の誘惑』も支離滅裂な映画でしたし。


 

ギャラリー
  • 宇宙開発と飢餓問題(両方大事の哲学)
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