政治

2020年02月22日

ハチミツってときどき固まりますよね。特に冬は。

あれって「温度」がもちろん関係しているんですが、夏に固まることもあり、調べてみると「振動」が影響する場合もあるとか。

そして「固まるハチミツが純粋な本物」だそうです。砂糖や水飴などの不純物を混ぜていると固まらないとか。質の違う糖質だから結合せず、結果として結晶化しないということなのでしょうか。

理由は定かではありませんが、とにかく、固まると「本物」なんです。純粋な本物か不純物を混ぜたものかを見分けるもうひとつのポイントは「濁っているかどうか」。

濁っているものが本物です。なぜなら本物であれば花粉や空気中のほこりなどが混じっているからです。


固まった! しかし……
images (1).jfif

うちのハチミツが最近久しぶりに固まりまして、やはり本物だったか、ふふふ、と独りほくそ笑んでいたんですけど、湯煎したら元に戻らなくなってしまったんです。

いや、ちゃんと溶けたんですよ。溶けたんですが、普通なら溶けてサラサラになったあと、冷えてまたドロッとした状態になるじゃないですか。それが、水みたいな状態のままなんです。

調べてみると、やはりそれは不純物を混ぜたまがい物でした。

で、これはどこのハチミツだ? と見てみると「原産国:中国」とあったんですが、ここが「罠」だとというのがこの記事の主旨です。


中国を生贄に?
いま新型コロナウイルスのニュースでもちきりですが、普通の風邪も15%くらいはコロナウイルスが原因らしいです。あくまでいま問題なのは肺炎によって死に至らしめる「新型」のコロナウイルスです。

それはさておき、職場の同僚さんが、こんなことを言いました。

「昔って鳥インフルエンザとかコロナとかなかったじゃないですか。やっぱりあれってマスク業界の陰謀だと思うんですよ。だっていまネットでマスクがすごい値段になってるでしょう? しかも中国発ということにすれば嫌中の人たくさんいるから目くらましになるし」

と言っていて仰天しました。その人はいたって現実主義者的なところがあって陰謀論なんかとは無縁だと思っていたからよけいに。

ハチミツの話に戻りますが、水みたいになったハチミツはあくまで「原産」が中国なんですよね。純粋な本物のハチミツを中国から輸入して、そこに混ぜ物をしたのは日本の業者です。

これは絶対「中国のせいにできる」と思ってやっていることだと思います。コロナウイルスの陰謀論は信じませんが、ハチミツや他の食品における「『中国産』とさえ書いておけば目くらましになる」と考えている悪質輸入業者はたくさんいると考えます。

ヘイトクライムとは言えないけど、ヘイト気質を悪用した事例と言っていいでしょう。

くだんの陰謀論者も、私が「そのハチミツには原産国中国と書いてあって」と言ったら途端に「あたし中国の食べ物は絶対買わないです!」と言ってましたし、他にもそういう人は多いですからね。私は安いから買うけど。

というわけで、安易に「中国産」「中国で製造」という表記を鵜呑みにせず、日本の業者の手が入っている可能性を疑ったほうがいいと思います。







2020年02月03日

深作欣二監督による1975年東映実録映画『仁義の墓場』。


0274

この映画は石川力夫という実在した狂犬のようなヤクザを主人公にした、映画自体が狂ってるような作品ですが、今回見直してみて、狂っているのは力夫ではなく周りのほうなんだと、力夫はただ純粋な男だったということに初めて気づきました。敗戦直後の政治状況を絡めて実にうまく語っています。


Boogie Nights fight scene

初めて見たとき『ブギーナイツ』と同じ構造だというのには気づいたんですよ。
父親が父親として機能しておらず、母親が父親の代わりを一生懸命務めようとするあまりヒステリックに怒鳴り散らしてばかりで主人公マーク・ウォールバーグは家出し、ポルノ映画ファミリーを第二の家族としてその家長バート・レイノルズを父親として慕い、反抗し、また家出して、最後には赦しを請う、という「父親探し」の映画でした。

s072258001a
『仁義の墓場』も同じですよね。石川力夫の実の父は描写がないので、映画内世界に関してだけ言えばハナ肇が実の親みたいなものでしょう。力夫はハナ肇をかなり慕っていた。それは彼が最初に刑務所に入る傷害事件の理由から明らかです。喧嘩の原因は親分を馬鹿にされたからだと供述したそうです。彼がハナ肇の組に拾われたのは戦中。そのときのハナ肇がどんな人物だったのか、はっきりとは示されませんが、おそらく力夫が慕うほどなのだから大人物だったのでしょう。

『仁義の墓場』は『ブギーナイツ』の冒頭と同じように、親が親としての機能を果たしていないために子どもが苛立ちを募らせる物語です。

ところが、ここからが今回初めて気がついたことなんですが、敗戦を経てアメリカに占領され、ハナ肇は変わってしまった。『ブギーナイツ』との決定的な違いもここからです。


20170227120706 (1)

彼は進駐軍の大佐と懇意で、彼らから仕入れたウィスキーを高く売ってボロ儲けしている。なのに大佐が出ていくと「毛唐が」と馬鹿にしています。戦争に勝ったからって偉そうにしやがってと。力夫はただ黙って聞いています。

馬鹿にするといえば、この映画に出てくる日本人はみな、いわゆる三国人(在日朝鮮人、台湾人、中国人)を馬鹿にしています。宗主国・日本が負けたことで三国人はそれまでの鬱憤晴らしとばかりに街を荒らしまくっている。日本人は敵も味方も警察も全部グルになって、三国人だけブタ箱に入れるという卑劣な手段を取ります。石川力夫はこういう差別にもただ黙って見ているだけ。

アメリカと日本
日本と中国、朝鮮、台湾


この二つは完全な相似形です。かつては日本がアジア諸国の父親として彼らの「庭」を荒らす横暴な振る舞いをしていた。いまはアメリカが日本の父親としてのさばっている。自分たちがやっていたことをやられているだけ。それならそれで三国人のように反抗すればいいものを、愛想笑いでお追従を言い、陰口をきくという卑劣さ。

父と子の正常な関係は、自分を押さえつける父に子が反抗し、父の支配から脱することです。三国人たちは正常に日本の支配から脱した。しかし日本は(いま現在も)アメリカに少しも反抗できず、お追従を言うだけ。これはとても異常な関係です。

正々堂々と喧嘩を売ってくる三国人のほうがよっぽどまし。と石川力夫はたぶん考えていたはず。なぜなら、新宿の街に進出しようとしたヤクザと争って刺したとき「俺はただ自分らの庭を荒らされたからけじめつけようと思って」と、力夫は自分は間違っていないとハナ肇に言います。ハナは「いま奴らとことを構えたらどうなるか、よく考えろ」と諭す。つまり損得勘定をしろということです。庭を荒らされても損をするから喧嘩はしない、そしてあろうことか、くだんの大佐に仲裁してもらう。何とも情けない親。そんな親は力夫をボコボコにしながら「何だその目は。それが親を見る目か!」とさらに打擲する。

筋を通しているのは力夫のほうです。ハナ肇をはじめ他の連中は損得勘定を筋目と勘違いしているだけ。

『ブギーナイツ』のマーク・ウォールバーグは家族を捨てて第二の家族を求めます。しかし力夫はそうしなかった。彼はハナを刺します。常軌を逸した行動に見えますが、「親は親らしくしてほしい」という彼なりの純粋な想いだったのでしょう。

親分を刺した。それがミッドポイントとなって後半はガラリと様相が変わります。もう政治状況とかそういうのは出てこない。ひたすら石川力夫という個人を追いかけます。

所払い10年ということになり、兄弟分でいまは一家を構えている梅宮辰夫の計らいで大阪に身を潜めるんですが、そこでシャブの味を憶えてしまう。そこからはもうごろごろ転がり落ちるだけ。何とかしようと説得する梅宮まで殺してしまう。

しかし保釈になると今度は殊勝に「線香あげさせてほしい」と梅宮の家を訪ねる。妻の池玲子は泣きながら断ります。当然でしょう。それがわかっていながら行ったのか、どうか。自分で殺しておいて線香をあげたいというのは殺された側からすれば残酷、身勝手の一語でしょうが、力夫には筋目だったのでしょう。殺してしまった兄貴に線香をあげたい。何となくだけどわかる気がする。

唯一の理解者で妻の多岐川裕美も自殺してしまい、その遺骨をもって彼はハナ肇のもとへ行きます。一家を構えたいから土地をくれ、事務所も作らないといけないから2000万ほしい。と言いながら遺骨を食べる有名なシーン。

彼がほんとに一家を構えたかったのか、それとも親がどう出るかを試そうと思ったのか定かではありませんが、いずれにしろハナ肇はヒステリックな足取りで出ていくだけ。力夫は最後まで父親に父親らしいことをしてもらえなかった。

彼は多くの人を殺し、傷つけた加害者であることは間違いありません。しかし彼は本当に「狂犬」だったのでしょうか? 私には親に恵まれなかった子どもの悲劇にしか見えない。石川力夫は被害者です。


128855543216616208155_PDVD_148 (1)

とはいえ、大事なのは、彼が被害者面をしないことです。

本を正せば、親のために、一家のために喧嘩をした。なのに……。でも彼は恨み言を言わない。独房の壁に「大笑い 三十年の 馬鹿さわぎ」とだけ書き記し、自殺します。そしてただひとつ遺された彼の墓石には「仁義」の二文字が刻まれている。

一番悪いのがハナ肇なのは明らかです。でも彼はいっさいの弁解を拒み、ただ「仁義」の二文字だけをこの世に遺すことを選んだ。石川力夫の仁義。わかる。いまはもうはっきりわかる。








2020年01月18日

先日発表されたアカデミー賞ノミネーションにおいて、演技部門にノミネートされた有色人種が一人だけだったとかで「多様性の欠如」と批判されているとか。

stephen-king

そこへアカデミー会員でもある小説家のスティーブン・キングが、

「芸術において多様性を考慮したことは私は一度もない。クオリティだけだ。それ以外は間違った行為だと私は思う」

という発言をして非難の集中砲火を浴びているとか。

まったくナンセンス!

キングの発言がじゃなくて、キングが非難されることがです。

キングはちゃんと機会の平等は担保されるべきだって言ってますよね。機会の平等が担保されているかどうかが大事なのであって「結果の平等」まで求めるのは無理筋です。最近はいつでもどこでもPC=政治的正しさばかりを求める人が増えてしまいました。困った風潮だと思います。


5c6320fa3b000075036ac7fb

『華氏911』という映画がありました。ジョージ・W・ブッシュを批判することは「政治的に正しい」行為でしょう。しかし、この映画は政治的な主張をすることに躍起になってしまったために致命的な欠陥があります。

それは「ブッシュがアルカイダと結びついている」という作者の言いたいことをナレーションで語るだけ、というもの。映像的な裏付けが何もない。ただ言いたいことを垂れ流しているだけの映画でした。

つまり、政治的主張が正しいからといってその映画が優れていることにはならない、ということです。

多様性というのは大事なことでしょうが、その追求のために作品の質が落ちたんじゃ意味がない。今回ノミネートを逸した作品がそうだとは言いません。ほとんど見てないし、見てない以上は口が裂けても言えない。(しかし世の中には見てない映画のことを語る輩が何と多いことよ)

確かに、結果の不平等は機会の不平等につながります。

「ノミネートされただけでも家が建つ、日本とはえらい違いや」とは、私に映像編集の極意を教えてくださった谷口登司夫さんの言葉ですが、ノミネートされればギャラも上がってオファーも増える。機会の平等を追求するためには白人男性ばかりの会員の構成を是正していくべきです。(すでにいろいろと手は打ってあるみたいですけど)

しかし、それは映画芸術科学アカデミーという「組織」が考えるべきことであって、純粋に「一個人」が投票するときに結果の平等など考えなくていい。

これが面白かった。これもよかったけど、あっちのほうがよかった。

お祭りなんだから無邪気に楽しめばいい。お祭りに政治などもちこんでもらっては困る。