聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

思想

『ヤメ暴 ~漂流する暴力団離脱者たち~』を見て思ったこと

昨日のドキュメンタリープラス『ヤメ暴 ~漂流する暴力団離脱者たち~』を見て義憤に駆られたので感想を書きます。


警察庁の金星ではあるが……
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西山組という建設会社を営む西山さんは、かつて山口組系暴力団の組長をやっていたが、35年前に辞めて西山組を立ち上げ、暴力団を辞めて行き場を失った人たち=「ヤメ暴」の受け皿を担っている。

毎月20通もの手紙が全国の刑務所から送られてきて、

「孤独です」
「もう死にたいです」

という悲痛な声が綴られている。西山さんはそういう人たちがカタギとしてやっていけるように更生する役目を担っている。

しかし、おかしい。

警察庁の発表では、暴力団対策法が施行されてからの26年でかなりの数のヤメ暴が生まれていて、この10年間でも2万人以上。そのうち就職できたのはたったの182人とか。暴力団としてやっていけなくしておいてあとは放っておくだけ。

確かに暴力団の数は減り、構成員の数は減った。だから西山さんは言います。「ヤメ暴が増えているのは警察庁の金星です」

でも、増えたヤメ暴がカタギとして就職できず社会の中をさまよっている。「警察庁の金星ではあるけど、社会の金星ではないよね」

まったくその通り。暴力団や暴力団員の数は減り、数字の上では「反社会的勢力」はどんどん縮小しているように感じられるけれど、ヤメ暴を放っておいたのではどうしようもない。食えなくなったら簡単に法を犯して金品を得ようとするし、彼らは殺人だって厭わない。それではダメでしょう。辞めさせたのなら国が何とか支援する手立てを打たないと。


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警察が反社会的勢力!?
このドキュメンタリーではものすごく印象的な場面があります。ナビゲーターの武田梨奈もイチオシだと言っていた場面。

西山さんたちが街頭に出てヤメ暴への理解と支援を訴えようとすると、警察から横槍が入る。西山さんたちは必要なものを入れるために近所のスーパーの了解を得て買い物カゴをもっていたんですが、警察官はそれを疑ってわざわざスーパーに電話を入れて確認を取る。確認が取れても「まだ確認が取れていないので」とか何とか時間を稼いで街頭演説できないようにした。

ここだけ見たら完全に警察のほうが「反社会的勢力」じゃないですか。

後日、署長から西山さんに謝罪があったらしいですが、あんなふうに社会からヤメ暴やヤメ暴を支援する人たちを排除するだけではよけいに犯罪が増えてしまう。

経済の問題と相似形を成していると思いました。


経済の問題との相似形
国は国民から税金を収奪し、その代わり社会保障などで再分配するのが本来のあり方ですが、最近は再分配がうまく行き届いてないですよね。来年から消費税が上がるらしく、安倍某は社会保障費としてと言っていますが、そんなのウソだとみんな知っています。

それと同じように、警察は暴力団を壊滅することにばかり熱心で、そのために増えたヤメ暴の受け皿を作らないばかりか、ヤメ暴さえ社会から排除しようとしている。

排除するだけで受け容れない。
収奪するだけで再分配しない。


いまこの国は相当やばいことになっていると感じました。


史群アル仙『今日の漫画』(圧倒的なリアリティ)



花田菜々子さんの『出会い系サイトで実際に70人と会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』で小さく紹介されていた史群アル仙(しむれ・あるせん)というマンガ家さん。何でもちょっと前まで引きこもりだったそうで、ツイッターで試しに1ページ読切の漫画を載せたらぐんぐんリツイート数が伸びてフォロワーも一気に1万人を超えたとか。

そのマンガがこちら↓

『狂人になりきれない男』
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気が狂って自分を馬鹿にした連中を皆殺しにしてやる! と意気込んだ主人公が妹の「お兄ちゃん、どうしたの?」という無垢な一言に救われる。
まぁよくある話だと言えばよくある話ですが、妙なリアリティがあります。私自身にも似たようなことがありましたが、ここは友人のエピソードを紹介しましょう。
彼は「このままでは誰か人を殺してしまう」と自分で自分が恐ろしくなり、ある日、思いきってお母さんにそのことを告白しました。「俺、誰かを殺してまいそうや」するとお母さんは「はいはい、何でもええからご飯食べ」と少しも取り合わない。でも彼はその一言に救われ、二度と自分が自分でなくなる恐怖を味わうことはなかったそうな。

この作品は妹の純粋な気持ちが兄を救う、となっていて、比べるとすると、友人のエピソードのほうが上かなと思います。なぜ救われたのかよくわからないぶんね。因果関係がはっきりしていないほうが物語の奥行きは深くなりますから。


さて、この『今日の漫画』では、このような1ページだけの読切マンガが73編と、10ページ未満の短編が3編収められています。

他に私の心を撃ちぬいたのを3編だけご紹介すると、

『学校』
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クラスで自分だけがネズミで周りはみんなネコ。ネズミの主人公は自分だけ異質でしかも弱く、標的になる毎日にうんざりしている。「死の恐怖に怯えながらじっとしているのだ……毎日」と。
これは作者が実際に学校に行っていたときの心情を素直に表現したものでしょう。私も同じような感じだったからよくわかります。底なしの孤独。。。


『失敗』
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楽しかった日々が思い出されるけれど、我に返ると首を吊ろうとしたロープが切れて自殺は失敗に終わる。死ぬ直前にそれまでの人生を走馬灯のように思い出すというアレをマンガにしたものです。『ふくろうの河』(アンブローズ・ビアス『アウル・クリーク橋の一事件』の映画化作品)のハッピーエンド版といっていいんじゃないでしょうか。
いずれにしても、私のような過去に自殺を図ったことがある者にとってはやたらリアリティがあります。私は別にその瞬間に走馬灯が見えたなんてことはありませんでしたが、心の中に過去のあれやこれやが浮かんでは消えていきました。
人間の記憶は、その人がどれだけ幸せな人生を送っていようと、どれだけ不幸を味わっていようと、楽しかった記憶、つらかった記憶、そのどちらでもない記憶が「6:3:1」になっているそうです。そういう配分になってないと生きていけないんだとか。


最後はもう少し明るいものを。

『シノブ』
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もう死ぬから新聞を取ってこないでもいいと言っているのに、犬は言葉がわからないからしつけられたとおりにもっていき、そしておせっかいにもほっぺたをペロペロなめて主人公の気力を恢復させることを暗示して幕を閉じるのですが、これはいいですね。私も飼い犬にどれだけ救われたかわかりません。内田樹先生が「いまの世の中に求められているのは『おせっかい』だ」と繰り返し言っていますが、このマンガはまさにおせっかいによって救われる様が描かれています。


というように、この史群アル仙という変な名前のマンガ家さんは自分のことを素直に正直に描いている。私が脚本家として成功できなかったのは素直でも正直でもなかったからだ、と痛感させられました。どこかカッコつけていたんですよね。
カッコつけるといえばまだ聞こえがいいですが、もっと正直に白状するなら、「借り物の思想」で書いていました。史群アル仙さんのように自分の生活からくる本当の思想を書こうとしなかった。

でも、いまはそういう脚本の代表格だった作品をリニューアルしようと目論んでいます。はたしてどこまで自分の本心からくる思想で書けるか。覚悟が問われています。



本当の「勉強」とは何か

ちょっと前に、博士号を取得した人の数と論文数において日本は先進国中ダントツの最下位という報告が出た際、

「もう大学は職業訓練校になればいい」

というとんでもない意見をツイッターで見かけました。


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努力は嘘をつく?
よくスポーツ選手が「練習は嘘をつかない」と言います。練習をすれば着実に実力が上がる、と。それは確かに真理でしょう。ただし、自分のどこがよくないかを見極め、そこを矯正しつつ同時に長所を伸ばすにはどうしたらいいかを考えてやれば、という条件付きで。それをせずに闇雲に長く練習しても疲弊するだけでしょうが、ちゃんと考えながらやればまさに「練習は嘘をつかない」。

職業訓練校で勉強するのも同じようなものでしょう。
ワードで文書作成できるようになった、エクセルの関数を憶えた、グラフ作成ができるようになった、フォトショップが使えるようになった、ドリームウィーバーを憶えた、フォークリフトの免状を取った、etc.

自分が何を知らないかを見極め、そこを補強する勉強をしていけば、就職の道は勉強時間に比例して広く開けていくはずです。

しかし、本当の勉強というのは「努力が嘘をつく」ものなんですよね。


勉強すればするほど……
本当の勉強というのは、勉強すればするほど己の勉強不足を思い知らされる営みのことです。1冊の本を読めば知らないことがたくさん出てきて、あれもこれも読まないと……という気持ちになる。そして読めば読むほど知らないことがどんどん無尽蔵に増えていき「自分は何もわかっちゃいない」と途方に暮れる……。

私は高卒なので大学の内情についてはまったく知りませんが、本当の勉強がそういうものだということは身をもって知っています。大学は職業訓練校になればいいと本気で言える人は、本当の意味での勉強をしたことのない人なのでしょう。


谷崎潤一郎『神童』



先日、谷崎潤一郎の傑作中編『神童』を再読しました。
主人公は幼くして古今東西の書物に通暁したまさに「神童」で、とにかく学問にしか興味がない。だから学校の授業がつまらなくて眠ってしまう。

しかし、そこが彼の本質的な欠点なのですね。本当の意味での勉強をしていたら学校の授業がつまらないということはありえません。いくら古今東西の書物に通暁していても、目の前の生身の肉体をもった教師が語る言葉には世界中の書物が束になってかかってもかなわない「力」があります。主人公はそれがわかっていない。自分は神童であり、いろんなことを知っていて教師よりも頭がいいという自惚れがあるから授業中に居眠りをしてしまう。最近、「ネットでいろんな情報を仕入れられるから講義が退屈」という学生が増えているらしいですが、彼らはまさに『神童』です。

本当の勉強をしていれば、自分はまだまだ何も知らない、だから誰でもいいから教えてほしいと教師の講義を集中して聴くでしょう。そこには何かがある。つまらないと断じる前にまずは聴いてみる。主人公が神童で終わってしまうのは「たくさん勉強したから自分は賢い」と、勉強時間や読んだ本の冊数に比例して自分の知識や教養が上がっていると勘違いしているからです。

勉強すればするほど己の勉強不足を思い知らされ、したたかに打ちのめされる。そういう「蟻地獄」に自らはまりこむ自虐的な営為にこそ「勉強」というものの本質があります。

だから、大学を職業訓練校にせよ、なんていうのは、「本当の勉強」を実行したことも、その甘美な味わいも知らない者の戯言にすぎないと思うのです。


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