人間ドラマ

2019年12月30日

前回の記事
『すーちゃん』の哲学(とりあえず、風呂入ろ)

に続いて、第3作『どうしても嫌いな人』から第4作『すーちゃんの恋』を経て、最新刊にして第5作『わたしを支えるもの』まで一気読みしました。


第3作『どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心』
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カフェの雇われ店長になった「すーちゃん」こと森本好子36歳が職場で直面する悩みを主軸に、前作まで重要な脇役を担っていた「まいちゃん」「さわこさん」はほとんど出てこず、代わりにすーちゃんのいとこで30歳の「あかねちゃん」の結婚話がサブプロットとして並行して描かれます。

二人とも職場に「どうしても嫌いな人」がいるんですが、その人を避けたいあまり結婚に逃げようとするあかねちゃんとは対照的に、すーちゃんは徹底的に悩みます。

嫌いな人を好きになろう、いいところを挙げてみよう……だけどそれがよけいにストレスになってしまう。

職場のいやな人、いやな上司、いやな部下、社長と知り合いというだけででかい面をする奴などどこにでもいますが(いまの私の職場にも当然ながらいます)最初は「どこがいやなんだろう?」と不思議だったすーちゃんも、次第次第にその人のいやな部分がはっきりしてきて……。

対照的に、結婚に逃げようとしていたあかねちゃんは、結婚相手の男が「店の人に偉そうな態度を取る人」で、そこに疑問を感じてしまう。でも「仙台に転勤になるから」とプロポーズされたらホイホイと受けてしまう。それぐらい辞めたかったんですね。

でも、そのあかねちゃんも結局、プロポーズを保留にする。はっきりと「店の人に偉そうにするのやめて」と言って。破談にしたわけではない。保留にしただけ。はっきり苦言直言したのはやっぱり彼のことが好きだから。もし改めてくれたら晴れて結婚するのでしょう。

一方、すーちゃんはいやな人のいやなところがますますはっきりしてきてしまい、改まることなど期待できないと思ったすーちゃんは辞職を決意。ありとあらゆる嘘をついて有休を取りまくり、その間に次の仕事を決める。

そのとき田舎から出てきた母親の言葉が泣かせるんですよ。

「お母さん、ごめん。仕事辞める理由に、母危篤まで入れちゃったがよ」
「よかよか、そんぐらい。あんたのためならお母さん、何回でも死んであげるが」


第4作『すーちゃんの恋』
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これははっきり言ってあまり面白くありません。『オレの宇宙はまだまだ遠い』で主人公を張る「土田さん」という書店員さんと、カフェを退職し保育園の調理師さんとして働くすーちゃんの恋が描かれるのですが、どこまでも臆病で恋に恋しながらも、それ以上に自分を守るのに必死で自ら幕引きしてしまうすーちゃんのどうしようもなさは身につまされるんですが、前作『どうしても嫌いな人』の圧倒的なリアリティ、さりげない日常を描きながらその実、どこを切っても血が流れるドラマの煮えたぎりようの前ではかすんで見えてしまうのです。


第5作『わたしを支えるもの すーちゃんの人生』
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これもさして面白い物語ではありません。とはいえ、これまで積み重ねてきたすーちゃんシリーズの集大成と言って過言ではありません。

前回の記事では「とりあえず、風呂入ろ」がすーちゃんの哲学だと書きましたが、『どうしても嫌いな人』あたりから「とりあえず、風呂入ろ」というセリフが鳴りをひそめます。そして『わたしを支えるもの』までついに一回も出てこない。

逆に、傷ついたときに無理せず正直に傷つくこと、大丈夫じゃないときに無理して大丈夫な顔をしないこと、悩ましいときにはしっかり悩むこと、が本当は大事だという諦念に至ります。

つまり『とりあえず、風呂入ろ』の一言は悩みを一時保留するにはうってつけですが、逃げたり大丈夫なふりをしないで悩むべきときにはしっかり悩むことの大切さを、シリーズ全体で説いているように私には感じられました。

すーちゃんには「悩む才能」があるのです。とことん悩んだからこそ、カフェの店長を辞めるときにも応援したくなる。

だからお母さんも「あんたのためならお母さん、何回でも死んであげるが」という。

うん、それでいいのだ。








2019年12月26日

益田ミリさんの人気シリーズ『すーちゃん』の最新刊『わたしを支えるもの』が刊行されていると知り、慌てて購入しました。

最後の『すーちゃんの恋』が出てから7年。ずっと2年おきの刊行でしたからもうシリーズは完結したもんだとばかり思っていたのでうれしい悲鳴。

細かく憶えてないし、いい機会だから全部読み直そうと、まず最初の2巻を再読しました。


第1巻『すーちゃん』
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すーちゃんはカフェで働く35歳、独身、子どもなしのいわゆる「負け犬」。

そんなすーちゃんの「このまま年老いていくのだろうか。老人ホームの見学をしておいたほうがいいのだろうか。貯金はいくら必要なのか。いや、やっぱり結婚して幸せになりたい。でも出逢いがない。いったいどうしたらいいの?」

という心の叫びが物語の要諦で、いつの間にか歳をとり、若くて少しだけかわいいというだけで彼氏ができたり結婚したりする後輩を見てうらやましいながらもそれはそれでいいことだと我が事のように喜ぶすーちゃんは、おそらく作者自身の反映なのでしょう。とてもいい人。

そんなすーちゃんですが、やはり上記のような悩みが深く、夜一人で卓袱台に突っ伏してしまう。

そんなとき、すーちゃんの哲学が炸裂します。

「とりあえず、風呂入ろ」

「いま風呂に入ることは正しいことだ」とそれまで悩んでいたのがウソのようにサッと風呂に入りにいく。

とりあえず風呂に入る。とりあえず寝る。こういう気分の切り替えができるかどうかが人生の分かれ道かもしれないと本気で思います。

私はこういう切り替えができなかったから大成できなかったのかもしれない。とりあえず風呂に入って寝て目が覚めて「いい朝だ」と思えていれば、こんなことには……

などとすーちゃんと同じように老後の心配などしてしまう自分自身に笑いが出ます。

この第1巻で印象的なのは、日常あるあるとして紹介されるエピソード。

・落ちていた商品を見つけたけど面倒で拾ってあげなかったことをほんの少し後悔した。
・恋愛攻略本をつい買ってしまった。
・まだ間に合いそうな人がいたけど、気づかないふりで閉ボタンを押してしまった。

などなどには深く深くうなずいてしまうのでありました。


第2巻『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』
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すーちゃんの他、昔バイト先で一緒だったまいちゃんと、同じ会社で働く(といっても現場のカフェではたらくすーちゃんに対し、こちらは本社で事務をしている)さわこさんの結婚願望をめぐるあれやこれやが描かれます。

相変わらず「老後(への不安)がいまの自分を窮屈にしている」と思うすーちゃんとは対照的に、さわこさんはいま40歳で、13年間彼氏がいないので「メスとしてオスを欲している肉食女子」。恋愛よりセックス、結婚よりセックス、妊娠よりセックスのさわこさんがお見合いして13年ぶりにメスとして扱ってくれた男が、実は微妙に女を見下している男であることがわかるくだりはとても印象的。このエピソードだけははっきり憶えています。たまに思い出すくらい。

そんなさわこさんが生理痛で仕事中つらい思いをしているときの心中の一言にハッとなる。

「血を流しながら、女は働いているのです」

男には永久にわからないこと。女だからこそ描ける心理。

話は変わって、風呂に入ったあとに老後について悩み始めたすーちゃんは、

「このまま年を取ったらどうなるのかはわからない。ひとつだけわかっていることは、人に迷惑をかけちゃいけないってこと」

え、ほんとにそうなの? それが唯一正しい老後なの?

山田太一さんの『男たちの旅路』最終話で、車椅子の障害者たちに鶴田浩二が言いますね。

「人に迷惑をかけちゃいけない。確かにそうだ。でも君たちは特別なんだ。迷惑をかけていいんじゃないだろうか」

その一言で引きこもっていた障害者たちが外界へ飛び出していけるようになる。

さわこさんは実家暮らしなんですが、母親の母親、つまり祖母の介護をしている。祖母は娘(つまりさわこさんの母)を自分の姉だと思っている。母親はそれを淋しいと思っている。祖母は迷惑をかけている。でもさわこさんはそれを迷惑とは思わない。そういう老後もある。

すーちゃんの知らない老後がそこにある。

しかし知ることになるのである。すーちゃんがさわこさんの家を訪れたとき「実は祖母が寝たきりで」とさわこさんが言うと、すーちゃんは「ご挨拶したい」という。さわこさんはその一言がとてもうれしい。なぜなら兄の家族が来たとき、祖母が隣の部屋にいることを知っていながら顔を見せなかったから。

すーちゃんは他人でありながらさわこさんの祖母に挨拶することで「老後の現実」を知った。

そこですーちゃんは「やっぱり貯金が必要か?」と考えるが、

「よくわからないけれど、未来のためだけに、いまを決めすぎることもない」

と、とりあえず思うのでありました。

続きの記事
すーちゃんの才能『どうしても嫌いな人』から『わたしを支えるもの』まで







2019年11月04日

やっと見てきました、ヴェネチア金獅子賞『ジョーカー』(以下ネタバレあります)。

この映画と映画にまつわる情報は複雑に入り乱れていますが、私が遭遇した情報と感じたことを以下のように時系列で記していきましょう。そのほうがわかりやすいと思うので。

①友人から高名な脚本家が絶賛していると聞いた。
②映画鑑賞A主人公の「病気」に違和感を感じた。
③映画鑑賞B主人公に共感するところもあった。
④映画鑑賞C高名な脚本家の言は嘘ではないかと思った。
⑤映画鑑賞D後半はどんどん腹が立った。
⑥別の友人につまらなかったというと、アカデミー賞のノミネートは確実だろうと返信があった。
⑦いろいろ考えると「大いに納得」した。が、私はこの映画が好きになれない。

では、順番に行きましょう。


高名な脚本家
その人は脚本だけにとどまらず、演出も含めて分析する達人であり、私の友人は分析してほしいとお願いしたらしいのですが「俺の分析能力を超えている」と返ってきたそうです。あの人がそういうなら本当にすごいのだろうと期待が高まりました。


映画鑑賞A主人公の病気
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主人公アーサー・フレックは精神を病んでおり「突然笑い出す病気です」というカードをもっている。

私はこの時点でかなり引きました。その後の描写や物語展開も含めて「病気」を盾に使ったり言い訳の材料にしていると感じたからです。

とはいえ、私自身、長く精神科に通院しており、病気を言い訳にしたことがあります。ならいいじゃないかって? そうはならないのが映画の、というかフィクションの難しいところです。

かつて長谷川和彦監督に自作シナリオを読んでもらったとき、主人公が自殺未遂したあと妹に助けを求めるシーンがあったんですが、ゴジさんはこう言いました。

「現実にこういう行動を取る人間はたくさんいるだろう。そういう人のことをとやかく言うつもりはない。でもフィクションにおいては、すぐ他人に助けを求める主人公には共感できない」

だから病人と設定され、しかも他人に理解を求めるカードまでもっている主人公に何ら感情移入できませんでした。

そもそもアーサーを「病人」に設定する必要があったのでしょうか。『タクシードライバー』の主人公トラビス・ビックルもベトナム後遺症に悩んでいることが暗示されていましたが、あくまで「暗示」であって、はっきり「病気」とは設定されていなかった。


映画鑑賞B主人公に共感した
とはいえ、主人公に共感してしまう場面もありました。福祉予算の削減で薬をもらえなくなるところ。私自身、常に薬を飲んでいるので薬を飲めないつらさはよくわかります。もし薬をもらえなくなったら……アーサーと同じような行動に出るかも、と。

つい先日、薬が飲めなくなりました。自分の意思で飲めなくなったのです。そのせいで体調をかなり崩してしまい、楽しみにしていたこの映画を公開から一か月遅れで見に行く羽目になりましたが、それはまた別の話。

私と違い、アーサーは周りの状況で飲めなくなる。社会への怨念を募らせても致し方ない。


映画鑑賞C高名な脚本家の言は嘘ではないか
後半、アーサーが母親から虐待を受けていたことが明らかになりますよね。ヒーターに縛りつけられていたとか。いくら何でもひどすぎ。体じゅう大やけどで心に一生消えない傷ができる。でもそれはとても安易なやり方だと思う。

くだんの高名な脚本家は「虐待とかDVとかいじめとか、そういうのなしで話を作るのは不可能なのか」とよく言っていました。理由を問うと「三面記事でよく目にするようなことをわざわざ劇場に行って見たいとは思わない」と言っていましたが、おそらくそれは建前で、本音は「そういう設定は安直だからやめなさい」ということだったと思う。

そんなあの人が、根っこに虐待を設定した映画を絶賛しているのはまったく理解できないし、嘘としか思えないのです。

虐待、DV、いじめ……要は暴力ですが、幼少期に暴力を受けたトラウマが怪物を作りあげる。これはもう『ハンニバル・ライジング』と同じあやまちを犯しているといって過言ではありません。


映画鑑賞D後半はどんどん腹が立った
主人公に共感するところもあったとはいえ、やはりこの映画には乗れない。

それどころか、病気だから、薬をもらえなくなったから、虐待を受けていたから、憧れの芸人に笑い者にされたから、という理由で人殺しを重ねる主人公がいやでしょうがなかった。

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奇しくもかつてトラビス・ビックルを演じたデ・ニーロが殺される直前に言いますね。

「君は自分を憐れんでいるだけだ」

私にはまっとうな正論にしか聞こえなかった。が、あれを「うさん臭い正論」と捉える人も多いのでしょう。


SNS時代の承認欲求映画(秋葉原事件との類似性)
アカデミー賞ウォッチャーの友人に「こんな映画が今年の有力候補なの?」と問うと、「絶賛記事がたくさん出てるくらいだから候補入りは確実」と返ってきました。

そこで絶賛評を中心にいろいろ読んでみて……大納得しました。

「承認欲求」という言葉を見たからです。

確かにアーサーは社会から疎外され、承認欲求を得たがっている。この映画が絶賛されて大ヒットしているのもそれが要因なのだろう、と。

いまはツイッターやインスタで「いいね」をもらいたがる人が多いじゃないですか。私だってリツイートされたりいいねをもらうとうれしい。でも過度な期待は禁物だと常に自戒しています。ネット上で無視されて殺人を犯したのは秋葉原事件の犯人ですが、アーサー・フレックってあの犯人・加藤智大と何が違うのでしょうか。

そういえば、先日の災害で避難所に助けを求めたホームレスが門前払いされたことが非難されました。私もあってはならないことだと思うけれど、加藤智大はホームレスたちとは違って「疎外された」んじゃなくて「疎外されたと思い込んでいた」だけですよね? 周囲への過度な期待がそもそもの原因なのでは? 


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アーサー・フレックも薬をもらえないなど社会から確実に阻害された面もあるとはいえ、トーマス・ウェインを父親だと思い込んで過度な期待をして門前払いの末に怨みを募らせたり、デ・ニーロとのあれやこれやもほとんど被害妄想でしょう。

私がこの映画の主人公を「ジョーカー」と呼ばず一貫して「アーサー・フレック」と呼んできたのは、ジョーカーという存在がアーサー・フレックの被害妄想の産物かもしれないからです。というか、物語のうちのどこまでが彼の現実でどこまでが妄想なのか判然としなかった。すべれがアーサーの妄想という解釈だって可能ですよね。あまりそういうの好きじゃないけど。

確実なのは、トーマス・ウェイン(ブルース・ウェイン=バットマンの父親)を殺したのはアーサー・フレックではなく、彼に感化された別の人間だったこと。彼やその他ピエロの恰好で暴徒と化した群集こそ「ジョーカー」なのでしょう。

いずれにしても被害妄想を根っこにしたこの映画を私は好きになることができない。

かつて「自分を憐れんでいただけ」の加藤智大は非難の集中砲火を浴びました。そしていま、フィクションの登場人物とはいえアーサー・フレックには共感する声が多い。

秋葉原事件から11年。11年で大きく変わったのはSNSの大流行でしょう。11年前より承認欲求の強い人間があのピエロの群集のような勢力になっていると思われます。

だから、ヴェネチアで金獅子賞とかアカデミー賞有力候補というのには大納得する、というわけです。「時代を象徴する映画」として。だから今年の「最重要映画」ともいえる。決して「最優秀」ではなく。


映像的には好き
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この映画では被写界深度の浅いショットが多いですよね。被写界深度が浅いと被写体のすぐ手前やすぐ奥にピントが合わなくなります。カメラを被写体から離れたところに置いてズームレンズで寄るとそういうショットになるんですが、私は基本的にそういう画が好きなので、映像的にはとてもよかったと思います。

自宅やピエロの支度部屋など美術もよかった。室内ではタバコの煙、屋外では朝靄や蒸気など、スモーク類の多い映像も好きです。個人的にはもっとスモークを炊いたほうがよかったんじゃないかと思いますが。

ホアキン・フェニックスの肋骨が浮き上がるほど減量した役者魂にも頭が下がります。

でも私はこの映画がどうしても好きになれない。


Joker (Original Soundtrack)
Hildur Guonadottir
Watertower Music
2019-10-02