人間ドラマ

2019年07月31日

WOWOWジャパンプレミアで放送された、アンドレ・テシネ監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演『見えない太陽』を見ました。

テシネとドヌーブのコラボレーションといえば『夜の子供たち』というのがあって、あの映画の不思議な構成に魅了された者としては見ずにはいられない映画でした。


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劇場未公開で放映もWOWOWだけなので見てない人がほとんどでしょうから簡単にあらすじを記すと、

カトリーヌ・ドヌーブ演じるミュリエルという女性は農場と牧場を営んでいて久しぶりに孫のアレックスが訪ねてくる。しかし彼はイスラムに改宗しており、シリアに行ってISに入ってテロリストになり自爆テロを敢行して天国へ行こうと画策している。それを知ったミュリエルは何とか必死で止めようとする。

というもので、こういう映画が作られるということはフランス、ひいてはヨーロッパ全体でアレックスのような若者がたくさんいるのでしょう。そういう宗教を題材にした社会派映画は大好きなので期待していたんですが、これが悪い意味で期待を裏切られました。


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アレックスには恋人がいて、彼女と一緒に農場を訪れるんですが、もちろんアレックスと同じくイスラムに改宗して二人でシリアに行こうとしている。

画像が見当たらなかったので文章だけになりますが、他のムスリムの描写もあるんですが、何だか「イスラムは得体が知れない」「理解不能」「とても恐ろしい存在」という描き方しかされておらず、逆にミュリエルなどキリスト教徒たちはイスラム教徒に被害を受けるまともな人々という描き方しかされていません。

キリスト教もイスラム教も、ついでにいえばユダヤ教も元は同じ宗教です。同じ神様を戴いているわけで、ヤハウェもアッラーも元は同じ。ただ、どうしてもいまは違う宗教になってしまって、どちらも「異教徒を排斥せよ」というのが神の御言葉なので(元が同じなんだから当然同じことを言いますよね)この映画の作者たち、つまりキリスト教徒がイスラム教徒を排斥する映画を作ってしまうのは教義の点からいえば正しいのかもしれません。

しかしながら、映画や芸術もまた神の御言葉同様、人々を変えてこそ、と思うのです。新しく作られる作品は新しい宗教でなければならない、と。

だから、既成の神の御言葉を蹴散らす何かを映画全体で言ってほしかったんですが、最終的にミュリエルがアレックスを監禁したり、アレックスが暴力で脱走したり、結局警察に逮捕されて終わりって、それじゃ「イスラムは得体が知れない」というところで思考が止まったままじゃないですか。

そもそも、自爆テロなど聖戦を戦えば天国に行けるという教えはイスラムにはないんでしょ? ずっと前に読んだ本に書いてあったことなのでうろ憶えなのですが、天国に行けるというのはISなどが自爆テロをする若者を勧誘するための嘘なんだそうです。

そういうところをきちんと描けば、イスラムとキリスト教の終わりなき戦いを相対化できる可能性もあったのでしょうが、単に「キリスト教徒=善」「イスラム教徒=悪」とだけ描いたのでは俺の2時間を返してくれ! と言いたくなります。

イスラム教徒にはイスラム教徒なりの真実があろうし、言い分もあるでしょう。そこを封じ込めて自分たちキリスト教徒の正当性だけを歌い上げるのはいかがなものか。どちらの言い分も描かないと「ドラマ」になりません。

さすがはシャルリー・エブド事件を起こした国の映画だな、とこれは大いなる皮肉をこめて。(私も批判するだけではアレなのでもっと勉強しよ)


日本人のためのイスラム原論
小室 直樹
集英社インターナショナル
2002-03-26





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2019年07月17日

御年83歳のロバート・レッドフォードの俳優引退作『さらば愛しきアウトロー』。これが久々に色気たっぷりで艶のある映画でした。(以下ネタバレあります。ご注意を)


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拳銃を見せない演出
10代の頃から強盗に手を染め、脱獄と強盗を繰り返した実在の人物を描いているんですが、この男は「銀行強盗」と聞いてすぐイメージされる粗野な感じとは真逆で、窓口の人間に拳銃をチラリと見せるだけで大金をかっぱらっていたとか。共通する証言は「とても紳士的」「いい人にしか見えなかった」。最後のほうで明らかにされる証言は「彼は一度も拳銃を撃ったことがない」。

だからなのか、ロマンチックな邦題とはぜんぜん違う“The Old Man And The Gun”という原題なわけですが、この重要なモチーフである拳銃をこの映画はまったくと言っていいほど見せません。

確かに、窓口でレッドフォードが拳銃を見せているんだろうな、と思わせるカットはあります。窓口係が明らかに動揺してすぐ金を用意しますからね。でも拳銃そのものは見せない。

では、いつ拳銃を見せるのか。


シシー・スペイセクの動揺シーンのみ
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逃げる途中にたまたま知り合った未亡人シシー・スペイセクと恋仲になるんですが、そのスペイセクがレッドフォードの車のグローブボックスをふと開けたときに拳銃が入っていて動揺するシーンで初めて拳銃が観客にも見せられます。

この直後、家に帰ったスペイセクがお湯を沸かそうとやかんに水を入れるんですが、そのとき「あぁ、銀行強盗と言ってたのはほんとだったのね」という感じで一点を見つめてぼんやりします。で、水があふれて慌てて蛇口を止める。

最近の普通の映画なら、水があふれる手元をアップで見せることが多いじゃないですか。でもこの映画の監督デビッド・ロウリーはそうしない。

「映画とはまず見せ、そのうえで語るものである」とは、かのアレクサンダー・マッケンドリックの名言ですが、その前段階である「何を見せて何を見せないか」という問題に非常に意識的だと思います。(とはいえ別にこれは新しいわけでも何でもない。古典的ハリウッド映画はすべてこういう作法で作られていました)

では、なぜ強盗のシーンで拳銃を見せないのか。


「ラクな人生より楽しい人生」
とは、「君なら強盗なんかしなくてももっとラクな人生が送れるだろう」と言われたときの主人公の返答です。

彼は大金を得てラクな人生を送るのが目的ではなく、強盗そのものが楽しくてやっている。

だから彼は拳銃を撃たない。撃つことで誰かが傷つくのは本意じゃない。それじゃ少しも楽しくない。盗む俺も盗まれた銀行もいい思い出しか残らない。そんな思いで強盗を重ねていたのでしょう。

窓口係に拳銃をチラ見せするのもあまり本意ではなかったのでしょう。でも見せないかぎりは盗めないからしょうがなく、ということだったのでしょうね。

ただ、映画は拳銃を見せない。拳銃などという物騒なものは楽しい人生がモットーの主人公のこの映画にはふさわしくないという適切な判断。

そして唯一見せるのは、心を許せる異性が拳銃を見て動揺するときだけ。楽しくあってはいけない場面だけ観客にも見せる。こういうのを「映像演出」というのだと思います。


脱獄ハイライト
捕まったレッドフォードを訪ねたスペイセクに、彼は「いままで幾度も脱獄してきた。今回もするつもりだ」みたいなことを言います。

そのとき、10代から直近までの脱獄ハイライトになるんですが、最終盤であのような見せ方をすることに最初はちょっと戸惑いました。

でも、スペイセクの「最後までここにいれば?」というたった一言でレッドフォードは脱獄しなかったことが明らかになり、のけぞりました。すごい作劇。こういうオチにするためのハイライトだったのか、と。

ただ、最後のオチはまだあって、レッドフォードにすれば恋仲のスペイセクの言葉が脱獄しなかった一番大きな理由なんでしょう。脱獄すれば逃げ続けなければいけない。それより満期出所したあとのスペイセクとの生活を楽しもう。どこまでも楽しい人生を追い続ける主人公に見ているこちらも心が浮き立つばかり。

なのに、最後に自分を追っていたケイシー・アフレック刑事に電話していると目の前に銀行。そしてまたやってしまった、というオチにはさらに心が浮き立ちましたね! しかもさらに4回も!!!

好きな女は大事。でも……という男のロマン。

こんな映画が引退作だなんてめちゃくちゃ素敵じゃないですか。
役者がみんなよかった。レッドフォード、スペイセクは言うに及ばず、ダニー・グローバーもトム・ウェイツも。みんな年寄りなのに色気がある。ケイシー・アフレックは相変わらず好きになれませんでしたが。

音楽もよかったですね。ジャズで押し通すのかと思ったら後半は突然キンクスがかかったり、選曲が見事でした。


さらば愛しきアウトロー
ダニエル・ハート
Rambling RECORDS
2019-06-26





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2019年06月26日

『闇金ウシジマくん』で有名な真鍋昌平さんの最新短編集『アガペー』を読みました。

これがなかなか一筋縄でいかないというか、創作者として、また一人の日本人として考えさせられる作品群でした。


「アガペー」
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アイドルオタク(ドルヲタ)を主人公にした一編。

あとがきによると、作者は一度もアイドルの熱狂的なファンになったことがなく、どういうものかという興味から描いたとか。取材の結果、「刹那的な面もあるが、否定的になれなかった」と。

ということは否定するつもりだったのだろうか、と一瞬思ったけれど、世間的には否定的に見る人が多いけど自分はそうじゃなかった、ということなんでしょう。

これってとても大事。

私はかつてある高名な脚本家から、ドルヲタじゃないけど、ある種の人たちを笑い飛ばす脚本のアイデアを話したところ「それだけはやってはいけない」と叱られました。

「自分の価値観でこれは否定したい、こっちは肯定したい。そういう人は『作家の目』で物事を見ていない」

ドルヲタにもドルヲタなりの言い分があるし、彼らなりの真実もある。

この「アガペー」はドルヲタを否定も肯定もしません。そして彼らの偶像であるアイドルの心情も正直に描かれます。その果てに、狂騒的ライブシーンになるわけですが、彼らの涙に感動したのはやはり、すべてのキャラクターを等間隔で突き放し、そのありのままの姿を正直に描いているからだと思います。

否定するということは「裁く」ということ。

「登場人物を裁いちゃいけないんだ」とは長谷川和彦監督の言葉。


「ショッピングモール」
これはつまらなかった。東北の田舎の現実を切り取ってはいるんでしょうが、ちょっと露悪趣味というか、「人間は最低なクズである」という人間観が好きになれませんでした。「アガペー」とは真逆の作品かと。


「おなじ風景」
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これが一番よかった。

主人公は、東日本大震災をきっかけに奥さんと子どもを連れて東京へ「逃げた」男。逃げたことを悔い、「裏切った」という罪悪感に縛られている男。そんな彼が母親の四十九日で娘と一緒に帰省した一日が描かれます。

前の職場には仙台に住んでいた人がいました。子どものために伝手を頼って神戸へ逃れてきたと。その人は「逃げた」んでしょうか? 逃亡じゃなくて「避難」しただけだと思うけれど、実際に被災しながら町を捨てず、町を守ろうとしている人たちがいる。主人公はそういう人たちに対して後ろ暗い気持ちが絶えない。東京での仕事がうまくいかない。でも出戻ると「あいつは一度裏切った」と後ろ指さされるから何とか東京で頑張らなきゃ、と必死になっている。でも、おそらくそのストレスで奥さんと喧嘩が絶えず、「離婚するかもしれない」というところまで追いつめられている。

かつての友人は重金属を除染するのを専門にしている会社で働いていて、国から金さえ出れば土から放射性物質を取り除く機械を開発できる、と言っている。「変わらないといけない。自分たちの手で守りたいんだ」と言う彼に対しても主人公は後ろ暗い気持ちを隠せない。「みんな町を守ろうとしているのに、俺は自分の家族すら守れていない」と。

残って町を守るか、子どものために町を捨てるか。

どちらが正しいわけでもない。この「おなじ風景」で大事なのは、主人公の父親が養鶏場をやっていて、ちゃんと育たないヒヨコを間引いている、という描写でしょう。間引かなければ、殺さなければ利益が出ない。利益が出なければ自分が生きていけない。命を殺すのは悪いこと。でも悪いことをしなければ生きていけないなら、それはしょうがない。 

子どものために町を捨てたのも尊重すべきひとつの判断。

「正解はわからない。自分の選んだ道が正解と思え」

と息子を励ます言葉が胸に突き刺さりました。


「東京の女(コ)」
木村伊兵衛賞を獲るのが夢というカメラマンの卵の女性の周りで起こる喜怒哀楽を描く。

んですが、その悲喜こもごもの描写は素敵ではあるものの、バイト先のスナックにえりという名の女性がいて、彼女が解体業の社長に娘と息子を預けているエピソードが好きになれなかった。

ポイント制の契約で、遅くまで面倒を見たら50ポイントで、1000ポイント貯まったら沖縄旅行につきあう、と。

その設定自体はいいんですが、ある日の朝方、その社長の家に子どもを迎えに行ったら性的暴行を加えられて血まみれだった、というのが面白くなかったです。

「悪」を出すんじゃなくて、「アガペー」のドルヲタみたいに善でも悪でもない存在を描いてほしかった。暴力をふるったり殺したり、そういう悪人を出すと簡単に話が作れますから。簡単なだけに深みに欠けると思います。

だからやっぱり一人も悪人が出てこない「おなじ風景」が好きなんでしょうね。







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