聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

ラブストーリー

松本剛『ロッタレイン』全3巻(世間という名の権力に抗って)

『5時に夢中!』エンタメ番付1月場所で中瀬親方が大絶賛していた松本剛さんの『ロッタレイン』をやっと読むことができました。(以下、ネタバレあります)

だいぶ想像と違う内容でいい意味で裏切られました。

だって、大人の男が血のつながってない13歳の妹と出逢って……と聞くと、『ロリータ』みたいなのを思い浮かべるじゃないですか。

しかもその少女の外見はこんなんだし。↓



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しかも我らが主人公はこんなちょっと風采の上がらない男だし。↓


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だから、30歳の男が13歳の少女に恋してしまうも、少女の魔性に振り回されてひどい目に遭う物語なのかな、と思ってました。私の好きなフィルムノワールってそういうお話が多いし。

でも、この『ロッタレイン』は大人の男と年端のいかない女の子との「純愛」を描くんですね。これは相当にハードルが高い。


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最初はこんな感じの出逢い方で、だから主人公がひどい目に遭う話かと予想したんですが、彼女(初穂という名前)にとって主人公は本妻の息子で、お妾さんの娘である初穂にとっては「正しい側の人間」なんですね。学校では「二号の子ども」と後ろ指さされてひどいいじめを受けているし、主人公が自分たちを恨んでいるに違いない。だからつっけんどんな態度を取る。

でも二人はある事件をきっかけに急接近します。


あやうい女心
初穂のクラスメイトでモテ男の奥野にいきなりキスされるんですね。最初は受け入れているのかと思いきや、現場を目撃した主人公が怒り狂って殴り飛ばす。ここは嫉妬もあるんでしょうが、主人公は過去にとんでもないパワハラ上司と自分の恋人が浮気している現場を目撃しており、そのことが脳裏をかすめてあのような暴虐に及んだのでしょう。嫉妬だけならあそこまで突発的な暴力は振るわないと思う。

もともと初穂が奥野のことをどう思っていたのかわからない。その後、「好きじゃない」とはっきり言いますが、いきなりキスするという一件がなければどうだったかはよくわかりません。ともかくも、そのような破廉恥な行為に及んだ奥野を殴り飛ばした主人公と自分のことを初穂は「私たち」と表現するようになる。

しかし、ここですでに二人が相思相愛なのかどうかはよくわかりません。どうしても外見がよくて色気もある少女が、主人公の指先をなめて「もうあんなことしないで」なんて場面を見ると、主人公を幻惑しているだけではないのか、という疑惑が消えてくれません。

最終的に二人は怪文書のせいで東京まで逃げ、そこで二人だけの生活をしようと誓い合うも、初穂だけ父親のもとへ帰る。しかしそれは戦略で、父親が転勤でオーストラリアのパースに行くことになり、それについていくだけ。6年後には帰ってこられる。その6年後のためにいまは離れるのだと。6年たてば正式なカップルとして誰に恥じることもなく堂々と付き合える。

ということに表面上はなっていますが、何か安心できません。

そう言っているだけで、初穂は主人公を裏切るのではないか。意図的ではなくとも、魅力的な子だからパースで知り合った男の子といい仲になって主人公のことなど忘れてしまうんじゃないか。というサスペンスが残ったままです。いわば、宙吊りのままこの物語は幕を閉じます。


憲法と法律
初穂の本心がどこにあるのかは作者にすらわかってないのかもしれませんから、以後はわかることだけ話題にしましょう。

この『ロッタレイン』で思い出したのは「憲法と法律」の違いですね。

「自白は証拠にならない」というのは憲法に書かれているんですが、なぜ刑事訴訟法とかじゃなく憲法かというと、憲法は軸足を国民のほうに置いているから。国民の権利を最大限保障し、権力者の暴走を防ぐのが憲法。逆に、権力側が国民を縛るためにあるのが法律。こういう罪を犯したら何年刑務所に入らねばならないとか。だから「自白が証拠にならない]というは憲法に書かれていないとおかしいことになります。


世間という名の権力
主人公が再就職する運送会社の社長さんはこう言います。

「人を好きになるのは理屈じゃないもんな! 世間とか周りの声とかそういうのはいーの!」

でも、この社長さんは、怪文書が回ってくると態度を変えます。従業員も「こんなの信じてないよ」などと言いながらもはや完全な敵です。

それもこれも、初穂が13歳だからです。主人公がやっていることは「淫行」であり、それは違法であると。

ピエール瀧の事件でも「違法な行為だから」処罰されて当然だという意見が多々見られますが、先述したように、法律というのは権力側に軸足を置いています。世間が権力と一体化して「人を好きになるのは理屈じゃない」という当たり前のことを許さない。世間という名の権力が主人公と初穂を追い詰め、そしてあのラスト。というのがこの『ロッタレイン』のあらましなのですが……


もう一度、初穂の気持ち
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この出逢いのとき、「初穂にとって主人公は正しい側の人間」と言いました。だから「来ないで」と言い、つっけんどんな態度を取る。

ということは、やはり初穂は主人公との6年後の再会を希求しているんじゃないか。

主人公は「間違った側の人間」ですもんね。自分と関係をもてば淫行罪に問われる。それでも彼は初穂と一緒に暮らそうという。そんな主人公に初穂は「自分の側の人間」という気持ちを抱いているはずです。だから「私たち」なのでしょう。

愛人を作り、本妻や主人公を苦しめてきたくせに正義の側の人間然としている父親についてパースに行くというのは、だから絶対ウソとか演技ではない。

と私は思うのですが、ここまで考えても、それでもやっぱり宙吊り感から解放されません。彼らの6年後を実際に見るまでは。

ということは永遠にわからないということ。これから読み返すたびに悶絶してしまいそうな稀有なマンガ体験でした。





連城三紀彦『宵待草夜情』(トリックに隠された狂おしい愛憎)

昨年末に『戻り川心中』を読んではまってしまった連城ミステリ。先日読んだ『夕萩心中』はどれも乗れないものばかりでしたが、『戻り川心中』に勝るとも劣らない短編集と言われる『宵待草夜情』、大変美味でございました。


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いや、最初はね、『夕萩心中』みたいな感じかな、と思ったんですよ。冒頭の「能師の妻」なんかは『戻り川心中』所収の佳編「桐の柩」と同じトリックだし、続く「野辺の露」、表題作の「宵待草夜情」どちらも好きなタイプの作品ではなかった。

はっきり申し上げて、ここで読むのやめようかと思いました。『戻り川心中』で熱狂したものの、『夕萩心中』が同じ「花葬シリーズ」なのにえらくレベルが違ったということもあり、『戻り川心中』だけの人なのかな、と高をくくってしまいそうになりました。

ところが! ちょいと間を開けて読み進めることにしました。すると……

第四編の「花虐の賦」に完全にやられてしまいました。

このお話は、「後追い自殺」をモチーフとしています。ある劇作家であり演出家でもある男が突然自殺してしまう。彼に名女優として育てられた女が、男の四十九日の法要を済ませた日に自殺する。誰もが「女が死んだ男の後を追って自殺した」と思う。

しかし事態は逆で、男のほうが女の後を追って自殺したんですね。

ええっ!? 先に死んだほうが後追い自殺??? 

ここがこの「花虐の賦」の素晴らしさです。

いや、本当の素晴らしさはそこではない。先に死んだほうが後追いだったというトリックに隠された、その男の狂おしいまでの女を想う気持ちこそが素晴らしい。言ってしまえば「くだらない男のプライド」なんですが、そのくだらなさを、くだらないがゆえに納得してしまう人間という存在の不思議。先に死ぬことで後追い自殺を成立させる男のあまりに手の込んだやり方が「本格ミステリ」と呼ばれる所以なのでしょうが、解説で泡坂妻夫さんがいみじくも言っている通り、「普通なら探偵小説の『小説』よりも『探偵』のほうに重きを置くけれども、連城さんは『探偵』と『小説』の両方を重んじ、どちらをも成立させてしまうところが非凡だ」ということになりましょうか。

決してトリックが素晴らしいのではなく、そのトリックを支える人間という生き物のどうしようもない哀しさが浮かび上がってくるところにこの「花虐の賦」の素晴らしさがあります。

そして最終編「未完の盛装」。

手の込み方ではこちらのほうが断然上でしょう。何しろ15年前の殺人、去年の殺人、さらにそこから第三、第四の殺人が起こる。
15年前の殺人の時効をめぐるサスペンスも読ませるし、時効が成立したところで明らかになるあと三つの殺人。それらが時効を成立させるためのあまりに手の込んだトリックと見せかけて、実は……という内容。

私は実は「本格ミステリ」というのが苦手でして、何かこう、トリックのためにキャラクターが利用されてるような感じが好きになれないんですが、「花虐の賦」もこの「未完の盛装」も手が込みすぎているのにそれを不自然と感じさせない男と女の狂おしいまでの愛憎が浮かび上がってくるのが素晴らしい。

何しろ「未完の盛装」では共犯関係にある男と女が、実は別々の目的で動いていたというだから驚きです。だから「共犯」ではなく一方が一方を騙していたんですけど、なぜ騙さなくてはいけなかったのか、なぜそんな手の込んだことをするのか、というところに理があるから感動するほかない。

手の込んだトリックを弄する作中人物のリアリティが、読んでいる自分に跳ね返ってくる快感があります。もし自分が彼あるいは彼女でも同じことをするかもしれないと思わせられる。

お見事! 途中でやめなくて本当によかったです。


【新装版】宵待草夜情 (ハルキ文庫)
連城三紀彦
角川春樹事務所
2015-05-15



『モンローが死んだ日』最終回がとても残念だった件

鈴木京香と草刈正雄の素晴らしい演技が絶賛されまくっている『モンローが死んだ日』。
第3話のラストシーンにはビックリ仰天してしまい、最終回が楽しみでしょうがなかったんですが、残念な結果に終わってしまいました。


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夫に死なれ、猫と孤独に暮らす鈴木京香は淋しさから精神状態が不安定になり、精神科医・草刈正雄の診察を受け、彼に恋をする。しかし、彼は実はニセ医者だった、というのが第3話までの内容ですが、最終回では「なぜ彼はニセ医者を装ったのか」という説明ばかりで、納得はできるんですけど受け容れがたいものでした。


金のためにニセ医者をやっていた
草刈正雄にはモンローの物真似で一世を風靡した芸人の娘がいて、彼女は不幸にも子どもを亡くしたことから精神を病んでしまい、もともと総合病院で事務をしていた父親・草刈正雄は精神医学を独学で学ぶ。金銭的に行き詰まったとき、「お父さん、もう精神科医になれるよね」という娘の悪魔の囁きをきっかけに鈴木京香の住む小さな町の診療所にニセ医者として赴任する。

というのが草刈正雄の背景ですが、金のためにというのが決定的に面白くない。必要に迫られてしょうがなく、ということでしょう?

娘のために精神医学を勉強したとはいえ、もう開業してもいいぐらいの自信がある。精神科の患者は転移と呼ばれる現象で医師に恋をする傾向が強いから歳を食った俺でも行けるかも。娘の世話ばかりはもうごめんだ……という邪な動機のほうがよかったんじゃないでしょうか。

事あるごとにマリリン・モンローを引き合いに出して「彼と彼女は医師と患者を超えた関係だった」というのも転移を促すためだった。狙い通り美女と恋に落ちるが、彼女との逢瀬を優先するばかりに娘が自暴自棄になってしまい自殺する。彼は自分を責める。責めても娘は戻ってこない。だから姿を消す。「私はもうあなたに会ってはいけない」と自分を責める男と、彼をやさしく包む女のラストシーンであれば、涙と拍手でを迎えられたとのに、と。


娘の自殺
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『モンローが死んだ日』のモンローって佐津川愛美のことでしょ? やっぱり彼女の自殺が新聞記事で触れられるだけというのは致命的だと思う。第3話まで、主人公が知っている情報量と視聴者が知っている情報量を同じにしておくのは大事ですが、最終回は主人公の知らないところでいろんなことが起こってもよかったのではないでしょうか。ずっと鈴木京香に寄り添って語られるので、佐津川愛美の自殺が直截的に描かれず、草刈正雄がその事実に直面してどのような感情を表出させたのかが事後的にセリフで説明されるだけ。娘のためにニセ医者を装ったのに娘の自殺をどう受け止めているのかサラッと触れるだけというのにはイライラしました。

確かに、佐津川愛美が自殺して物語世界からすみやかに退場してくれたほうが鈴木京香とのドラマに決着をつけやすい。それはわかります。しかし、登場人物は生きた人間であり小道具ではないのだから、物が紛失したみたいに「死んだ」だけで済ませるのは、単純に登場人物と演じる役者さんに対して失礼だと思います。


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