ラブストーリー

2019年07月02日

山田太一さんの1981年作品『沿線地図』がBSトゥエルビで再放送。楽しみにしていました。
どんな内容か知らなかったので驚きました。まるで自分のことが描かれているみたいだったので。


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真行寺君枝が電車で本ばかり読んでいる主役の広岡瞬に声をかけ、「あなたを探しに学園祭も行った」みたいなことを言う場面では、普通の恋愛ドラマなのかなと思いましたが、じゃあ岸恵子とか児玉清とかはどう絡んでくるのだろう? と思っていたら『早春スケッチブック』みたいな感じの内容だったんですね。

あの傑作では「おまえらは骨の髄までありきたりだ!」と吠える山崎努が主人公とその家族を変えていき、それがフィードバックして山崎努自身が大変化するのが主眼でしたが、この『沿線地図』では、普通に勉強すれば東大合格が約束されている広岡瞬に真行寺君枝が疑問を投げかけ、予告によると第3話では二人は失踪するようです。


私も一流と言われる大学を目指していましたが、やめました。広岡瞬も受験をやめるのかどうかは知りませんが、やめようかと思うきっかけがえらく似ているので驚きました。

さすがに父親の部下が家に訪ねてきて会社を辞めたいと相談し、説き伏せられて銀行を辞めたらいい大学に入ったことがすべてパーになる、ということで辞めるのをやめるなんてことはありませんでしたけど、部下の風間杜夫に父親の児玉清が言い聞かせる場面は似たようなものがありましたね。

あれは高3の夏休み。ちょうとお盆の頃、アホみたいに勉強してましたが、祖母の月命日でお経をあげに来た坊主と、翌年大学を卒業する次兄が話をしているのを横で聞いていました。二人は大学がどうのこうの、彼はどこを目指してるの、ほぉそりゃすごいね、みたいなことばかり言っている。それを聞いたとき「もうやめよう」と思いました。

それには伏線があって、夏休みに入る直前にも「やめよう」と思ったことがあったのです。何がきっかけか忘れましたが、親父からえらく叱られたので「やめよう」と。親父はえらく私に期待していたので、その期待に反することをしてやろうという、まぁいまから思えばかなり甘ったれた考えが原因でした。

しかし風間杜夫のように、大学に行くことと行かないことを天秤にかけた結果、やっぱり行く、ということにしました。が、坊主と次兄の会話を聞いて本当にやめることにしました。別に児玉清みたいに「どの大学に入るかでその後の人生の半分が決まる」なんてことを言われたわけではない。あの会話の何がいやだったのか、いまでもはっきりとはわかりませんが、児玉清と同じく「大学の名前で人生が決まる」という匂いを感じてしまったような気がします。

あの日の午後からまったく勉強しなくなったので、夏休み後半の夏期講習では勉強しているふりをするのが大変でした。行くのをやめると友だちからいろいろ言われるだろうから行ってたんですがね、もう受験への情熱を失っていたので、そういう情熱しかもっていない連中と一緒に授業を受けて、しかも頑張っているふりをするのは憂鬱でした。

結局、何だかんだの末に私は2学期に入ってから登校拒否をしました。あと体育を一時間落とせば卒業は無理というところまで。『沿線地図』で主人公が失踪するのと同じですね。

まるで自画像のような、というのはそういうことです。

来週はプロ野球のため放送がないのが残念ですが、2週間後の3話4話に期待が高まります。


続きの記事
②両親たちのウロウロ
③父親の落とし穴
④脚本家の苦心
⑤前面に出てきた笠智衆
⑥口紅はいらない
⑦仰天の笠智衆!

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『早春スケッチブック』(慙愧の念に耐えられない)




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2019年06月03日

見てきました。小松菜奈と門脇麦がギターデュオを演じる塩田明彦監督最新作『さよならくちびる』。

これが実に素晴らしかった! 予告編を見たときすでに傑作の予感がしていましたが、期待にたがわぬ作品でした。

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女の子二人のバンドを小松菜奈と門脇麦でやる、という時点で勝ったも同然という感じですが、塩田監督自身による脚本がまず素晴らしいですよね。


脚本
正直、時系列が複雑であまり理解できませんでした。毎晩どこかで開かれる解散ツアーと解散に至るまでの3人のウロウロが描かれるんですが、小松菜奈の男の家に入って決闘する成田凌は少なくとも数日入院していたみたいなので解散ツアーの前の出来事みたいだけど、どれぐらい前のことなのか判然としないし、問題のこのシーン、、、


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これも時系列のどこらへんなのかがわかりませんでした。でも、それもこれもあまり大事なことではないような。大事なのは、このキスシーンをツアー最終地である函館の直前にもってきたことですよね。「さよならくちびる」という歌が真に胸に迫ってくるのはキスシーンの時系列上の位置ではなく、脚本上の位置から来ると思うので。

作詞も作曲も天才的なハル(門脇麦)と、ハルが誘ってだけ、見た目がいいだけのレオ(小松菜奈)の葛藤劇。プラス、成田凌演じるシマという元バンドマンのマネージャーとの三角関係。

しかし、「なぜ私なんか誘ったの」というレオの問いに対し、「歌いたそうな目をしてた」というハルの返事が素晴らしい。それ自体がひとつの「詩」になってる。

必要なセリフしかないのも素晴らしい。目の表情や動きだけでわかるなら何も言わせない。基本ですけど基本だからこそ難しいんですよね。基本は奥義ですから。

逆に、何度も出てくるセリフ「バカで何が悪い」はこの映画のテーマなのでしょう。テーマをセリフで言わせちゃダメなのもまた基本ですが、ここは基本を踏み外してるのが逆にいいと思いました。お行儀をよくすることが目的になってどうするの、もっとバカになろうよ、人間はみんなバカなんだから。という人間讃歌。昨今の不倫だの何だの不祥事を起こしたらすぐ叩きまくる風潮に対するアンチテーゼのようにも感じました。映画で描かれるスキャンダルも男女関係のもつればかりだし。


演出
しかし、私が一番瞠目したのは脚本よりも演出です。

まず、オッと思ったのは、冒頭、車に乗り込んだ3人を3つのアングルでしか捉えていないこと。運転席の成田凌と助手席の門脇麦は真横から。後部座席の小松菜奈は斜め前から。他のアングルのあってよさそうなのにまったくなし。車内だからどうしても限られるというのもあるでしょうが、その昔、ロジャー・コーマン製作の『戦慄! プルトニウム人間』(監督:バート・I・ゴードン)という映画があって、巨人が出てくる場面は全部スクリーンプロセスなんですけど、低予算だからアングルが二つしかないんです。コーマン印ということで笑って許せてしまうんですが、普通そういうのは退屈。この『さよならくちびる』でアングルを限定しているのは、昨今のカットが目まぐるしく割られる多くの映画に対するアンチテーゼのようで好感をもちました。役者の芝居だけで行くよ、という。

かつて監督志望だった友人が撮り方のことばかり云々するので、「一般の観客は役者を見ている。カメラワークとかエッジの効いた編集とか、そんなの見てない」と言っても、あまりピンと来てないようでした。


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この映画では役者の芝居をとても大事にしてますよね。門脇麦に誘われてギターの弾き方を習い、二人で一緒にカレーを食べるシーン。孤独だった小松菜奈はあまりにうれしくて(←この感情も説明なし。私がそう感じただけ)思わず泣いてしまって門脇麦の肩に頭をのせるんですが、いっさいカットを割らず、ワンカットで見せてくれたのはたまらなくよかった。カメラが微妙に寄るんですけど、あそこはフィックスでよかったんじゃないかしら。寄りたくなる気持ちはわかるけど。

あとは成田凌と小松菜奈が林の中で会話するシーンとか、成田凌が門脇麦に無理やりキスするシーンとか、基本的にワンカットで見せる演出手法がたまらなく素晴らしかった。

何だかんだで函館に着き最後のライブを迎えるのですが、ここがちょっと特異な構造になっていると感じました。


誰に向かって歌っているのか
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この映画で一番の肝はこの二人のような気がする。ハルレオがまだ解散なんか考えていなかったころ、音楽番組のインタビューで「ハルレオのどこが好き?」と訊かれて左の子が突然ハルレオの歌を歌い出すんですよね。で、恋仲のもう一人の子と涙を浮かべあって抱き合う。この子らは函館にも来ていて、画像のシーンが函館の前か後かわかりませんが、時系列は重要ではない。二人でハルレオの動画を見ながら歌うシーンの瑞々しさ!

かつてソン・イルゴンという監督の『マジシャンズ』という映画がありました。バンドメンバーが自殺してしまい、解散したメンバーが久しぶりに集まり、最後は死んだ仲間へ向かって合唱するんですが、たった一人に向かって歌われる歌はこんなにも力強いのかと感動しました。

最後に歌われる「さよならくちびる」は、ハルはレオに向かって、レオはハルに向かって歌っているのは明白ですが、熱烈なファンに向かっても歌っているわけで、あの女の子二人を出す出さないではぜんぜん違う。あの子たちがいなかったら、バンド内のいざこざを描いただけになってしまうし、何よりあの子たちは「ハルレオは自分たちのためだけに歌っている」という幻想に浸っているわけでしょう?

映画だって観客はみんな「これは自分だけに作られた映画なのだ」という幻想に浸って見るというか、そう思える映画こそが心に残るわけだし、プロットに何らかかわりのない端役のファンを出す、それも短いシーン3つだけというのは瞠目すべきことと思いました。ひとつの発明ですね。

だからやっぱり一番感心したのは脚本ということでしょうか。(笑)

もう一度見に行ければ行きたいですね。

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さよならくちびる
ハルレオ
ユニバーサル ミュージック
2019-05-22





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2019年05月24日

許せない映画シリーズ、久しぶりの第7弾は『タイタニック』。ファンの多い映画ですね。地元の名画座では、もうすぐ権利が切れるとかで最終上映があるそう。何度も見てるファンで埋まるのでしょう。

私も封切ではかなり熱狂的に見た口ですが、何度も見直すうちに釈然としない気持ちになり、それがいつしか「許せない」という気持ちへと変化していきました。


『タイタニック』
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この映画ではこの架空の登場人物の悲恋がメインプロットとして描かれるわけですが、その物語はかなり面白いとはいえ、面白いがゆえにたちが悪い。タイタニック沈没というまぎれもない史実を架空の人物の悲恋物語を盛り上げるための「背景」に利用しているだけだと思うからです。


『ベルサイユのばら』
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史実に材を取った物語はあまたありますが、例えば『ベルサイユのばら』なら、マリー・アントワネットなど実在の人物が多数出てくるうえに、世界史上に名高いフランス革命が描かれます。その中心にいるのはオスカルという名の架空の人物。でも、オスカルの物語を盛り上げるためにフランス革命を利用したりしてませんよね? あくまでもオスカルの目を通してフランス革命を描いている。

実在の人物を主人公にして、その人物の目を通して歴史上の大事件を描くのもひとつの手でしょうが、架空の人物の目を通したほうが歴史の実相に迫れる可能性が高いのかもしれない。それはどういう史実をネタにするかで変わってくるのでしょう。

いずれにしても、『ベルサイユのばら』は『タイタニック』とはまったく違います。

同じ意味で↓この映画↓もあまり好きではありません。


『アンストッパブル』
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トニー・スコットの遺作になってしまった『アンストッパブル』。

これは大惨事を防いだ実際の男たちを主軸に据えています。彼らの目を通して事件を描いている。でも、やっぱり釈然としない。大惨事は確かに起こらなかったけれど、起こったかもしれないわけで、その原因を追究する切り口にするならともかく、結果的にハッピーエンドという物語を見世物として語る切り口に「本当にこれでいいのだろうか」とずっと思いながら見ていました。

先日、BSプレミアムで放送されたので再見したら、劇場鑑賞時ほどの釈然としない感じはなかったけれど、やっぱり「本当にこれでいいのだろうか」という思いはいまもつきまとっています。でも「許せない」とまで思わないのは、やはり大惨事が起こらなかったからなのかなり。


再び『タイタニック』
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『タイタニック』を許せないと思うのは、やはり前述のとおり。
2000人もの人が亡くなった、実際に起こった大惨事を、架空の物語を盛り上げるために利用するというのは倫理的に許されないと考えます。


「許せない映画」シリーズ
①『ダーティハリー2
②『L.A.コンフィデンシャル』
③『グレイテスト・ショーマン』
④『ゴースト・ドッグ』
⑤『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』
⑥『ダイ・ハード』




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