聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

ホームドラマ

『義母と娘のブルース』①(論理と感情のはざまで)

綾瀬はるかがほとんどアンドロイドのような元エリートサラリーマンで現主婦を演じる『義母と娘のブルース』。昨日の第3話からエンジン全開になってきました。


gibotomusumenobruce

前回で会社を辞めた綾瀬はるかがPTAの一員として運動会で誰が何をやるかという議論に参加するところから物語は始まります。
元ロボット部長らしく、エビデンスなどの用語を使ってそれまで当たり前だった会長・奥貫薫のやり方に反旗を翻します。徹底して理詰めで追い込んでいくところなどは痛快であり、同時に鼻白む部分もあります。だって「理屈」だから。どういう生い立ちかいまのところまったく明らかにされていませんが(ガリ勉でいじめられていたという説明はあったけど)人間的な感情などまるでもちあわせていない綾瀬はるかは「論理」だけで物事を解決しようとします。まるで「すべての物事は数学的に解決できる」と考えているAI信奉者のようです。

奥貫薫は悪役らしく微笑みで返すだけですが(あの笑みはかなり怖い)誰よりもそんな綾瀬はるかに反対するのは夫の竹野内豊です。


gibotomusumenobruce1

「何か違うと思うんですよね」と。そして、さらに竹野内豊はこう言います。

「僕はあなたのやり方に反対だけど、味方ですよ」

綾瀬はるかにはその意味が理解できない。AIと同じですね。論理学の土台は排中律(Aまたは非Aのどちらかだけでその中間を認めない)ですから、「反対だけど味方」がわからないのも無理はない。

綾瀬はるかは奥貫薫が支配するPTA廃止を訴え、運動会を一人で切り盛りすることを提案しますが、はたしてうまく行くのかどうか。
と思っていたら、やっぱりうまく行くんですね。独りで四苦八苦している彼女を見て、いろんな人が手助けしてくれる。「あたしたちも何かやろうよ」という人が出てくることは綾瀬コンピュータの計算外だったでしょう。それもそのはず、それは人間ならではの「感情」のなせる業だからです。


gibotomusumenobruce2 (1)

奥貫薫は結果的に綾瀬はるかとママ友になりますが、彼女はかつて綾瀬はるかのようなキャリアウーマンを目指していたのに夫に無理やり仕事を辞めさせられた過去があり、学校を舞台にエリートサラリーマンをやっていたことがわかります。
会社でできなかったことを学校でやる。人間には簡単にわかりますが、そこにはどす暗い感情が横たわっており、ロボット綾瀬に理解できたかどうか。コンピュータはつまるところ「計算機」であり、計算機にできることは「四則演算」だけですから。

とはいえ、排中律を土台に四則演算しかできない綾瀬コンピュータが見事な解答をはじき出すのが第3話の素晴らしさです。

助けてくれる人がいたから何とかなった。
去年まではこんなんじゃなかったという人がたくさんいた。
だから奥貫一派を筆頭とするPTAは必要だ。

論理だけで弾き出した解答によって、悪役・奥貫薫の心(感情)を変えてしまう。お見事

竹野内豊と娘の二人三脚の写真を撮れなかったと嘆く綾瀬はるかのもとに奥貫から「代わりに撮ってあげた。私も去年まで自分のこの写真を撮れなかったから」と写真が届きます。

ここで竹野内豊の言う「奇跡はわりとよく起きる」というのがこの作品を貫くキーワードになりそうですが、奇跡は人間にしか起こせませんよね。論理を推し進めるだけでは奇跡(飛躍)は起こりません。が、徹底して論理を推し進めた末に奇跡が訪れるというのが第3話の要諦でしょう。


さて、おそらく竹野内豊は不治の病に侵されており、それが結婚の理由なのでしょうが、はたして綾瀬はるかのほうの動機は何なのか。そして↓この男はいったい何者なのか。


gibotomusumenobruce3

がぜん目が離せなくなってきました。


続きの記事
②残念な転回



『ブリグズビー・ベア』(誰ひとり主人公に牙をむかない)

傑作と評判の高い『ブリグズビー・ベア』を見てきましたが、着想は素晴らしいのに……と残念でなりません。

主人公ジェームスは幼い頃から定期的に届く『ブリグズビー・ベア』という教育ビデオが楽しみでしょうがない日々を送っているが、わけのわからないままに警察に保護され、やさしい両親だと思っていた夫婦が実は誘拐犯で、実の親が待っていることを知ります。
そして『ブリグズビー・ベア』という教育ビデオは誘拐犯夫婦が作った偽物の映画で、主人公が見てきた世界はすべて嘘っぱちだった。だから『ブリグズビー・ベア』はもう続きが見られない。それなら自分で作ろう!

誘拐犯夫婦が作っていたと知ったジェームスは嘆くどころか「それはすごい!」とガッツポーズをするし、続きが見られないと知っても嘆かずに自分で作ると息巻く。ここらへんの感情表現や積極的な行動は素晴らしく、なるほど、これは噂にたがわぬ傑作だ。

と、思っていたんですが……


ホームドラマなのに「家族」がきちんと描かれない
brigsby-bear1

誘拐犯を逮捕した担当刑事グレッグ・キニアはジェームスが『ブリグズビー・ベア』の続きを作るというとめちゃくちゃ積極的に手伝いますが、刑事はそんなに暇じゃないだろうというツッコミ以前に、主人公にとってとても都合のよい人物になってしまっています。

brigsby-bear2

対して、クレア・デインズ演じるカウンセラーは『ブリグズビー・ベア』なんて嘘っぱちだったんだから続きを作るのなんてやめなさいと諭す。

手伝う人間と反対する人間がいるならいいじゃないかという声が聞こえてきそうですが、それは↓この人たちが担うべき役割でしょう。

brigsby-bear3

ジェームスの実の両親。
彼らが25年ぶりに帰ってきた息子に対する思いを吐露するシーンがほとんどないのはどういうわけでしょうか。
グレッグ・キニアが押収した小道具をもってきたときも「それは犯人のものだ」と怒りますが、結局それら小道具を家の中に入れることを了承してしまう。なぜ? あそこは断固として反対しなければ。

父親は猛反対するけれど、母親が「あの子にはブリグズビー・ベアしかないのよ」と言って夫婦の間に亀裂が入ったりすると面白かったんじゃないかというか、クレア・デインズの役割を父親が担い、グレッグ・キニアの役割を母親が担えばよかったのでは? 刑事とカウンセラーを絡ませるより、もっと家族の葛藤を描かないとダメでしょう。だってこの映画は「偽物の両親に育てられた男が実の両親のもとに帰って再生するまで」という物語なわけでしょう? なのに家族以外の人物が大きな役割を担いすぎなのです。


ジェームスの作る『ブルグズビー・ベア』について
父親は一度だけ「25年も待ったのに犯人が作っていた偽物の番組に熱中するなんて!」みたいなことを言って激昂しますが、いつの間にやら『ブリグズビー・ベア』作りを手伝っている。

理由は、「見てみたらとてもクールだった」

そりゃないだろうと思いました。いくら面白くても憎き犯人が作っていた作品の続編なのに。
だから、父親はラスト近くまで反対し続けるけれど、ジェームス自身や母親とのやり取りを経て「この子には『ブリグズビー・ベア』しかないんだ。悔しいけど」という悟りの境地に達したとき初めて手伝えたんじゃないでしょうか。

だから、ジェームスの作る『ブリグズビー・ベア』は面白い必要がない。むしろ、つまらないほうがよくないでしょうか? 

面白いから作る・手伝うのではなく、駄作にしかならないと最初からわかっているけど、それでもこの子にはこの作品を作ることしかないから手伝おう、というほうがよかったように思います。

妹も長らくの間、実質的に一人っ子だったはずで、それが兄の出現によってそれまでの生活が掻き乱されているはずなのに、えらくジェームスに対して好意的ですよね。パーティーに誘ったり『ブリグズビー・ベア』作りも両親と同じく熱心に手伝う。パーティーで知り合った友人たちもみんなとても協力的。

脇役の誰一人として主人公に牙をむかない。牙をむきかける瞬間は何度もあったはずなのにスルーしてしまった。もっと毒のあるホームドラマになる可能性があったのに何とも残念です。





『万引き家族』(我々はみな許されざる者である)

おぞましい会話がありました。

息子の祥太が捕まったことから家族が離散する第3幕に突入しますが、ここで祥太の妹のユリ(本名はジュリ)が本当の両親のもとに返されて、記者たちからの質問を受けます。

「ジュリちゃんは昨日は何を食べたんですか?」
「オムライスを」
「それはお母さんが?」
「はい、私が作りました」

この会話はスプラッターホラーよりも気色悪かったです。あの母親はとんでもない虐待母で「自分で作った」なんて嘘に決まってますが、よく考えてみると、おぞましさの原因はどうもそういうところにあるわけではないみたいです。

現実のニュースを見ていてもありますけど、捕まった人間たちだけが悪くて、自分たちは善なる者である、という空気。善人だけが集まって「まともな」会話をしているのだ、とでも言いたげな気色悪さ。

確かにリリー・フランキーたちがやっていたことは少しも正しくないことだけど、ジュリじゃなくてユリを家に連れ帰ったのはやっぱり「誘拐」じゃなくて「保護」ですよね。でも法律ではそうならない。ならば間違っているのは法律のほうでは? 何かがおかしい。


jTo

しかしながら、「何かがおかしい」と思っていたのは、誰よりも息子の祥太だったらしく「わざと捕まった」と最後に彼自身が告白します。車上荒らしもかなり嫌がっていたし、何よりも死んだ樹木希林の隠していた金をリリー・フランキーと安藤サクラが「あのババアこんなにもってやがったぜ」と懐に入れるのを見つめる目のまっすぐさ。妹のユリが万引きしようとしたからそれを隠すために自分が犠牲になった、というのが直接的な動機でしょうけど。

いずれにしても彼は正しいことをしたんですよね。こんな生活は間違っていると。彼もまたユリと同じくどこかで拾われてきたんですが、あの家族の中で生き抜くには正義感が強すぎた。彼は家族よりも法律や倫理を優先させてしまった。

でも祥太の正しさには、記者たちの会話のような気色悪さはまったく感じません。なぜなら、彼自身が「本当にこれでいいんだろうか」という幼い心なりに考えた痕が見られるから。それに、わざと捕まったことの贖罪に、リリー・フランキーと一晩だけ共にしに来ますしね。

逆に世間の大人たちは何も考えていない。
これが正しくてこれは悪いこと。と、きっちり色分けされた世界で、正しいことだけを選択してきて目が曇ってしまっているのでしょう。リリー・フランキーたちは、万引きや盗みが悪いと自覚してやっている。自分たちは「許されざる者」だという自覚がある。正論をかざす人間には、自分もまた許されざる者だという自覚がないんですね。あの気色悪さの正体はこれか、と。

「家族」と「法律」の間で引き裂かれる存在がいた。それが息子だった。だけど誰も恨んでいない。それはやはり彼らが「本当の家族」だからでしょう。なのに法律は彼らを引き裂く。何かがおかしい。

「捨てたから拾った。誰が先に捨てたのって話でしょ」

と安藤サクラは取り調べで言いますが、あのセリフは射程距離がとてつもなく長い。

「万引きは悪いことだからこの映画も悪い映画だ」とかって言ってる人たちって、あのレポーターや高良健吾ら役人たちと同じ側の人たちですよね。
そういう輩から映画を守るためにも、この素晴らしい傑作をできるだけ多くの人に見てもらいたいと思います。

ただ、蛇足ながら付け加えると、リリー・フランキーと安藤サクラの夫婦が、サクラの前夫を二人で殺して一緒になったという前歴は不要じゃないですかね。
正当防衛という判決が出たとはなっていますが、そういう設定にしてしまうと「まじめに働いているのに給料だけでは生活できず万引きに手を染めている」というワーキングプアの困窮度合いが薄まってしまいかねないのでは? そりゃそんな前歴があったらまともな職にも就けないし自業自得でしょ、と思う人が増えてしまうと思う。

何だかんだ言っても、やはり家族離散の原因が内側にあった、というのがいいですね。安藤サクラの同僚はユリを見たらしいですが、クビを免れるために黙ってくれていたし。やはり家族映画なのだから家族の内部から崩壊してこそ、と思います。『ゴッドファーザー』や『東京物語』と同じ。でもあの名作2本が崩壊して終わるのに対し、この『万引き家族』は崩壊しても絆は残っている。そこが素晴らしい。

あとは、やはり松岡茉優のおっぱいには瞠目してしまいました。(笑)





ギャラリー
  • 宇宙開発と飢餓問題(両方大事の哲学)
  • 『メリー・ポピンズ・リターンズ』(ダンスシーンをもっとちゃんと見せて!)
  • 『幻の湖』(橋本忍が好きになった傑作!)
  • 『幻の湖』(橋本忍が好きになった傑作!)
  • 『幻の湖』(橋本忍が好きになった傑作!)
  • 『幻の湖』(橋本忍が好きになった傑作!)
最新コメント
お問い合わせ
お問い合わせは、こちらまでお願いします。
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード