ホラー

2018年08月25日

ついに見てきました。話題沸騰中の『カメラを止めるな!』。見る直前に盗作騒動などがあって、ほんの少しだけ水を差された形にはなりましたが、私は「ゾンビ映画の撮影中に本物のゾンビが現れるが撮影を続行する」という基本アイデアしか知らない状態で見に行けたので何も影響はありませんでした。ちなみに、盗作疑惑についての私の意見はこちら→「パクリ、盗作、芸のうち!」

以下の感想を一言で言ってしまえば、「マギー司郎の芸を映画化すること自体はいいとしても、方向性が違うのではないか」です。


素晴らしすぎる劇中ゾンビ映画!
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どんだけすごいのかとちょっと構えて見始めてしまいましたが、始まったらそんなのはすぐどこかへ吹っ飛びました。それぐらい劇中ゾンビ映画は素晴らしかった。とはいえ、最初はこのままこの禍々しいゾンビ映画が95分続くのか、と思っていたら、カメラのレンズについた血糊をカメラマンが手で拭き取りますよね。あそこで「あ、カメラマンは作中人物なのか」と誰でも気づいてしまう。てことは……ということで、劇中映画は40分ほどで終わって「1か月前」とテロップが出たときにだいぶテンションが下がりました。そこからまた上げてくれたらよかったんですが……


DVDの特典映像
ロバート・レッドフォードはDVDの特典映像で見られるメイキング映像にかなり否定的だそうです。「映画のマジックが失われるから」と。私は脚本作りの参考にさせてもらったりしてるし重宝してますが、確かにレッドフォードの言い分もわからないではない。

『カメラを止めるな!』は前半が完成した映画で後半がメイキングですよね。で、あのとき舞台裏では実はこうなっていたと種明かしがされる。思わず笑ったシーンもあったし、基本的に最後まで退屈せずに見ることができました。

が、映画全体に満足したかと訊かれたらぜんぜんそんなことはありません。前述のとおり劇中映画にはかなり感動しましたから、あそこで終わってくれたらよかったというのがウソ偽りのない正直な気持ちです。

劇中映画でいろいろ「あれ?」と思うことがありますよね。
カメラマンの手もそうだし、
護身術指南の場面でドアがゴーンと鳴ったり、
なぜか録音マンがゾンビのいる外へ出ていこうとして犠牲になったり、
勝間和代似の監督の奥さんが斧で絶命したはずなのに「あれ何?」と立ち上がったり、
ヒロインが密室で息をひそめているとゾンビの足が近づいてきて……でも去っていく。

などなど、これらの種明かしが後半になされるわけですが、それがそんなに面白いと思えないんです。

種明かしがないほうが面白くないですか? つまり劇中のゾンビ映画だけで勝負するということ。あの禍々しさはトビー・フーパーの再来かと思ったほどですから。


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結局この映画は家族の再生物語だったんでしょうか。父親を「あいつ」呼ばわりする娘が一仕事やり終えた父親を見直し、父親は失われた父性を回復する。そのテーマ自体が悪いとは思いませんが、あれだけ素晴らしい劇中ゾンビ映画がそのテーマを表現するための出汁にすぎなかったというのはいただけません。


マギー司郎との決定的な違い
この映画は、前半で素晴らしいマジックを見せておいて、後半はそれ以上の時間を使って延々と種明かしをしていたわけですよね。それがそんなに面白いですか? ただの答え合わせじゃないですか。

たまにテレビでマジックショーを見ますけど、種明かしなんかしないでしょ。種明かしをするのはマギー司郎みたいな人だけです。

マギー司郎は私も好きですが、この映画はマギー司郎と同じく、種明かしのほうに比重を置いています。しかしながら、マギー司郎の場合、マジックそのものがものすごくしょうもなくて笑えますよね。で、種明かしで「やっぱり!」という笑いになる。笑いの相乗効果があるんですよ。

しかし『カメラを止めるな!』では前半がホラーで種明かしがコメディだから面白さが相殺されているように感じました。冒頭で言った「方向性が違う」というのはそういうことです。無理やり真逆のジャンルを混ぜようとしたから、父と娘のドラマという別のテーマを入れざるをえなくなったんじゃないでしょうか。

だから、マギー司郎の芸と同じく劇中映画もコメディにすべきだったと思います。あんな本気モードのゾンビ映画じゃなくて、脱力系のゾンビ映画。それなら劇中映画そのものの面白さも損なわれないし、種明かしのほうでもよけい笑える相乗効果が期待できたはずです。これはかなり残念。


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こんな素晴らしい顔の役者さんを見つけてくるくらいだから、上田慎一郎という監督さんは相当な目利きだと思います。40分ワンカットの技はかなりのものだったと思うし、もっといい脚本で撮ってほしかったというのが正直な感想です。






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2017年09月13日

これはゾンビ映画というより正確には吸血鬼映画なのかもしれませんが(だって死なないのに感染してるもの)先日亡くなったゾンビ映画の創始者ジョージ・A・ロメロに対するいい供養になってますね。大傑作だと思います。(以下ネタバレあります)


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ロメロの追悼として、先月こんな日記を書きました。⇒「妊婦」のコードを破ってみせたロメロ

『ゾンビ』では、妊婦として登場した女性が、そのまま流産も出産もすることなく妊婦のまま物語から退場したことは画期的だった、という主旨です。

驚くべきことに、ロメロが死んだ今年に登場したこの『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも妊婦が登場します。

上の画像の先頭の強そうなおっさん(この役者が実にいい!)の奥さんがそうです。


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お腹押さえて走ってますよね。
そしてさらに驚くべきことに、この妊婦さん、最後まで流産も出産もしないんです。破水してクライシスを招くとか、咬まれたあとにひそかに出産して、その赤ちゃんが半ゾンビとして(『アイアムアヒーロー』の有村架純みたく)物語に新しい転回をもたらすとか、いろいろ手はあっただろうに、この映画のつくり手たちはそのどの手も使わなかった。

私としては、最後、生き残った主人公の娘と妊婦さんに射殺命令が下ったとき(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のうまいパクリでした!)妊婦さんが横向いて、出っ張ったお腹を見た狙撃兵が「妊娠してるようですよ」「撃つな!」みたいな幕切れを期待したんですけどね。子どもの歌というのはちょっとがっかりしました。

というか、妊婦を「記号」から解放し、一個の「人格」として扱ったロメロに倣うなら、その前のシーン、咬まれた主人公が別れの前に「おそらくこれがブレーキだ」と教えるじゃないですか。あのセリフをなぜ活かさなかったんだと。

つまり、機関車がもう前へ進めないとなったときに、運転席に座っている妊婦が主人公の思いが託されたブレーキを引いて、機関車を止めると同時に物語自体を終わらせる。物語を盛り上げる役目を担っていた妊婦が、物語を終息させる。それぐらいのことをして初めて「ロメロのパロディ」から「ロメロからの脱皮」へ昇華できたんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。


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何にしても、「妊婦のコードを破る」というロメロと同じ手を使ったこの映画は、ロメロが亡くなった2017年にふさわしい傑作だと思います。(製作されたのは去年のようですが、まぁ固いことはやめましょ)






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2017年08月15日

ジョージ・A・ロメロ監督追悼第2弾としてリビングデッド・シリーズ第2弾の『ゾンビ』を再見しました。

追悼第1弾記事
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(『サイコ』を超える「主人公の入れ替わり」)


『ゾンビ』も何度見ても面白い映画ですが、新しい発見がありました。

いままで、カッティングがあまりにうまいとか、動きはのろいのに大量に襲ってくると異常なまでに恐ろしいゾンビの動きを発明したのはやはり天才だとか、そういうところしか見ていませんでした。

いままで知っていたはずなのにスルーしていたことがあったんですね。


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ヒロインが「妊娠」していることです。

最後のほうでゾンビになってしまう男の恋人で、中盤あたりで妊娠していることが明かされます。

しかも、ショッピングモールに強盗団が侵入してくる直前にはかなりお腹が大きくなっている。いままでまったく気づきませんでした。

私はこれまでずっと映画やテレビドラマを見ていて不満というほどではないですが、自分ならこうする、という実力を棚に上げた野心を抱いたことがありました。

それは「妊婦に出産も流産もさせない」ということ。

フィクションに出てくる妊婦って必ずクライマックス近辺で出産か流産をしますよね。映画において妊婦というのは、クライシスを喚起したり、愁嘆場を盛り上げるための存在なわけです。

ところが、この『ゾンビ』の妊婦は出産も流産もしない。もう40年前の映画が私の野心を先取りしていたのでした。妊婦として登場し妊婦として幕切れを迎える、というのは斬新きわまりない。

しかも彼女は子どもの父親がゾンビとして射殺される場面を目撃しているというのに、お腹の中の子どものために絶対に逃げ延びると決意したりもしないし、「ゾンビが支配したこんな世の中に子供を産んでもかわいそうなだけだ」と堕ろすことを考えもしない。
妊婦だから動きが悪く足手まといになって仲間たちに迷惑をかけることもありません。それどころか結構な戦力になってる。

つまり、ロメロは「映画における妊婦のコード」を破って見せたのですね。妊婦は出産なり流産なりしてクライマックスを盛り上げるコードを背負ってきました。クライマックス以外でも、つわりのような肉体的な反応や、マタニティ・ブルーなど精神的な反応によって物語を新しい方向へ転回させるコード。

つまりすべての映画において妊婦は「役割」でしかなかった。映画を盛り上げるための役割。

ロメロは、妊婦のコードを破ることで、妊婦を「役割」から解放し、一人の「人格」として扱いました。

これを言葉の真の意味で「フェミニズム」というのだと思います。

『ゾンビ』以外に妊婦のコードを破った作品を私は知らない。


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ジョージ・A・ロメロ。やはりスゴイ男です。






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