ホラー

2017年09月13日

これはゾンビ映画というより正確には吸血鬼映画なのかもしれませんが(だって死なないのに感染してるもの)先日亡くなったゾンビ映画の創始者ジョージ・A・ロメロに対するいい供養になってますね。大傑作だと思います。(以下ネタバレあります)


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ロメロの追悼として、先月こんな日記を書きました。⇒「妊婦」のコードを破ってみせたロメロ

『ゾンビ』では、妊婦として登場した女性が、そのまま流産も出産もすることなく妊婦のまま物語から退場したことは画期的だった、という主旨です。

驚くべきことに、ロメロが死んだ今年に登場したこの『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも妊婦が登場します。

上の画像の先頭の強そうなおっさん(この役者が実にいい!)の奥さんがそうです。


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お腹押さえて走ってますよね。
そしてさらに驚くべきことに、この妊婦さん、最後まで流産も出産もしないんです。破水してクライシスを招くとか、咬まれたあとにひそかに出産して、その赤ちゃんが半ゾンビとして(『アイアムアヒーロー』の有村架純みたく)物語に新しい転回をもたらすとか、いろいろ手はあっただろうに、この映画のつくり手たちはそのどの手も使わなかった。

私としては、最後、生き残った主人公の娘と妊婦さんに射殺命令が下ったとき(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のうまいパクリでした!)妊婦さんが横向いて、出っ張ったお腹を見た狙撃兵が「妊娠してるようですよ」「撃つな!」みたいな幕切れを期待したんですけどね。子どもの歌というのはちょっとがっかりしました。

というか、妊婦を「記号」から解放し、一個の「人格」として扱ったロメロに倣うなら、その前のシーン、咬まれた主人公が別れの前に「おそらくこれがブレーキだ」と教えるじゃないですか。あのセリフをなぜ活かさなかったんだと。

つまり、機関車がもう前へ進めないとなったときに、運転席に座っている妊婦が主人公の思いが託されたブレーキを引いて、機関車を止めると同時に物語自体を終わらせる。物語を盛り上げる役目を担っていた妊婦が、物語を終息させる。それぐらいのことをして初めて「ロメロのパロディ」から「ロメロからの脱皮」へ昇華できたんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。


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何にしても、「妊婦のコードを破る」というロメロと同じ手を使ったこの映画は、ロメロが亡くなった2017年にふさわしい傑作だと思います。(製作されたのは去年のようですが、まぁ固いことはやめましょ)






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2017年08月15日

ジョージ・A・ロメロ監督追悼第2弾としてリビングデッド・シリーズ第2弾の『ゾンビ』を再見しました。

追悼第1弾記事
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(『サイコ』を超える「主人公の入れ替わり」)


『ゾンビ』も何度見ても面白い映画ですが、新しい発見がありました。

いままで、カッティングがあまりにうまいとか、動きはのろいのに大量に襲ってくると異常なまでに恐ろしいゾンビの動きを発明したのはやはり天才だとか、そういうところしか見ていませんでした。

いままで知っていたはずなのにスルーしていたことがあったんですね。


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ヒロインが「妊娠」していることです。

最後のほうでゾンビになってしまう男の恋人で、中盤あたりで妊娠していることが明かされます。

しかも、ショッピングモールに強盗団が侵入してくる直前にはかなりお腹が大きくなっている。いままでまったく気づきませんでした。

私はこれまでずっと映画やテレビドラマを見ていて不満というほどではないですが、自分ならこうする、という実力を棚に上げた野心を抱いたことがありました。

それは「妊婦に出産も流産もさせない」ということ。

フィクションに出てくる妊婦って必ずクライマックス近辺で出産か流産をしますよね。映画において妊婦というのは、クライシスを喚起したり、愁嘆場を盛り上げるための存在なわけです。

ところが、この『ゾンビ』の妊婦は出産も流産もしない。もう40年前の映画が私の野心を先取りしていたのでした。妊婦として登場し妊婦として幕切れを迎える、というのは斬新きわまりない。

しかも彼女は子どもの父親がゾンビとして射殺される場面を目撃しているというのに、お腹の中の子どものために絶対に逃げ延びると決意したりもしないし、「ゾンビが支配したこんな世の中に子供を産んでもかわいそうなだけだ」と堕ろすことを考えもしない。
妊婦だから動きが悪く足手まといになって仲間たちに迷惑をかけることもありません。それどころか結構な戦力になってる。

つまり、ロメロは「映画における妊婦のコード」を破って見せたのですね。妊婦は出産なり流産なりしてクライマックスを盛り上げるコードを背負ってきました。クライマックス以外でも、つわりのような肉体的な反応や、マタニティ・ブルーなど精神的な反応によって物語を新しい方向へ転回させるコード。

つまりすべての映画において妊婦は「役割」でしかなかった。映画を盛り上げるための役割。

ロメロは、妊婦のコードを破ることで、妊婦を「役割」から解放し、一人の「人格」として扱いました。

これを言葉の真の意味で「フェミニズム」というのだと思います。

『ゾンビ』以外に妊婦のコードを破った作品を私は知らない。


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ジョージ・A・ロメロ。やはりスゴイ男です。






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2017年08月09日

ジョージ・A・ロメロ監督が亡くなったので、追悼の意味をこめてデビュー作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を再見しました。


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やはりこの映画の肝は「主人公の入れ替わり」にあると思うんですよね。

最初に登場する兄妹のうち兄のほうがゾンビに殺されて物語が幕を開けるんですが、この時点では逃げ延びた妹バーバラが主人公なんですね。そんなに仲良くなかったような兄ですが、ゾンビに殺されてしまい、バーバラは以後ほとんどを放心状態でおろおろするばかり。観客はそんなバーバラに感情移入してしまいます。

で、バーバラが農家の母屋にたどり着くと誰もいず、周りはゾンビに取り囲まれている。上の階に上がろうとしたら悲惨な死体があり、外に飛び出そうとするとちょうどトラックでやってきた黒人ベンと出会います。

実はこのベンと「主人公の入れ替わり」が行われるんですが、最初観客はベンにはあまり感情移入できません。

なぜなら、彼は「いろんなことを知っているから」です。
ゾンビが死肉を食らうことも知っているし、戦い方もある程度知っている。





だいたい映画の主人公というものは、観客と同じかそれより少ない情報しか知らないというのが普通です。バーバラに感情移入できたのは、突然兄を殺されたことへの同情もあるでしょうが、彼女がゾンビについて何も知らないことが自分たち観客と同じだからです。自分たちより多くの情報量を知っている人物は頼りには感じられても共感はしにくい。

さて、この映画は1968年の作品ですが、その8年前に「主人公の入れ替わり」という前代未聞の手法をやってのけた名作があります。天才ヒッチコックによる『サイコ』。


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最初は会社の金4万ドルをくすねたマリオンに感情移入してしまうんですよね。これからどうなるんだろう。捕まるんだろうか。あの警官がどこまでも追ってくるんじゃないか。

と思っていたら、あるモーテルに着き、そこの支配人ノーマン・ベイツと出会う。このノーマン・ベイツと主人公の入れ替わりが行われるんですが、ヒッチコックがどういう手を使ったかというと、何と「物量作戦」なんですね。

二人が出会ってから会話するシーンが長い。特にマリオンがサンドイッチを食べながらノーマン・ベイツの母親の話を聞く場面などめちゃ長い。さらにマリオンが殺されてその死体の処理をするシーンも異常に長い。

観客は、いったいあの母親は何者なのか。息子への嫉妬で殺したんだろうか。しかし主人公と思っていたマリオンが死んでこれから映画はどこへ向かうのか。

という、前代未聞の疑問をもちながら死体処理シーンを見るので最初はあまり長さを感じないはずです。

逆にあの場面にじっくりねちねちと時間をかけたからこそ「主人公の入れ替わり」は成功したと言えます。

ただ、マリオンは殺されることで物語から強制的に退場させられるから、ノーマン・ベイツへの主人公の入れ替わりはそこまで時間をかけなくても、という気もします。

ただ、ここで問題になるのが「情報量」です。


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マリオンの情報量と観客の情報量は完全に一致していましたが、ノーマン・ベイツは母親について観客よりもたくさんのことを知ってるじゃないですか。(実際は彼自身すら知らないことがたくさんあるわけですが、それは最後になって初めてわかることです)

つまり、マリオンが死んだ時点でノーマン・ベイツには主人公の資格がないんですよね。だから充分に時間をかけて、粘着気質らしき母親に困らされている哀れな息子を描かねばならなかったのでしょう。(極めつけは車を沼に沈めるシーンですね。いったん車が沈まなくてノーマン・ベイツが慌てそうになるところで観客は「沈んでくれ!」とハラハラしますから。あそこでノーマン・ベイツは主人公になったと言っていいでしょう)


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この二人の場合はどうでしょうか。

入れ替わりにかかる時間はほとんど数分です。いや数分もかかっていないかも。

ヒッチコックより巧みな戦術が取られているんですよね。
その戦術も「情報量」です。

バーバラよりもいろんなことを知っていたベンですが、地下室に何者かがいることは知らなかった。ここで観客の情報量とベンの情報量が一致し、ベンは主人公の資格を得ます。

『サイコ』ではマリオンが死ぬにも関わらず入れ替わりに多くの時間を要しましたが、この『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では、最初主人公と目されていたバーバラが死なないにも関わらず、入れ替わりがほとんど瞬時に行われてしまう。


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ジョージ・A・ロメロ。
一部分とはいえヒッチコックを超えてしまった男。

地獄でもいい映画を作ってください。


続きの追悼記事
『ゾンビ』(「妊婦」のコードを破って見せたロメロ)




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