聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

ドキュメンタリー

『ビハインド・ザ・コーヴ』(捕鯨問題をめぐるカネと宗教とDNA)



アカデミー賞を受賞した反捕鯨映画『ザ・コーヴ』に対するアンチテーゼとして作られた『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』を見ました。


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『ザ・コーヴ』を見たときの怒りが再燃しちゃいましたね。

「太地町をいい町に向かわせたい」とある活動家が言いますが、そういうのをこの国では「よけいなお世話」というんだよ、と。町長も「それはあなたがこの町の住民として登録されたら聞くけれども、そうじゃなければ聞けません」と返しますが、当たり前ですね。

この映画は「一神教と多神教」の違いも背景にある、と指摘します。


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つまり、一神教は唯一神の言うことが絶対的に正しいから、異教の者に自分たちの価値観を押しつけてかまわないと考える、と。
でも、別の人はこうも言います。「イスラム教の人から『日本人はとても偉い』と言われた。なぜかと聞くと、『宗教のことで他の国の人を責めないから』と。イスラムの人でもそういうこと言うのかと驚いたけど」と。

世界では「イスラム教だけがテロをやっている」みたいに喧伝されていますが、グリーンピースやシーシェパードはほとんど白人の団体なのだからキリスト教の信奉者なのでしょう。キリスト教徒だってテロをやっているのです。

誰の言葉でしたっけ?
「地獄への道は善意で舗装されている」と言ったのは。

『ザ・コーヴ』やこの『ビハインド・ザ・コーヴ』を見て頭に浮かぶのは、そのことばかりですね。

と思ったら、実は彼らは「善意」で捕鯨反対をやっているわけではないらしいのです。


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捕鯨反対運動というのはかなりの額のカネを生んでくれるらしいんですね。

別の環境保護活動には一銭も出なくても、捕鯨反対ならものすごい金額の支援金が出るらしく、シーシェパードの活動家らはそのカネが目当てであのような鬼畜に等しい所業をやっているとか。

ますます腹が立ってきた。

日本人は敗戦のあと外国人相手に強くものを言えなくなった、と嘆く日本人がたくさん出てきます。実際、彼らの一人は敵のリーダーに向かって英語で「帰れ、この大バカ野郎!」みたいなこと言ってましたが、本を正せば、日本人が外国人に弱いのは72年前の敗戦ではなくて、中華帝国の周縁に位置する地政学的なことが原因じゃないのかしらん?

中国に朝貢して日本列島を支配するお墨付けを得なければ統治できなかったわけですし。もうこの心性は日本人のDNAに深く刻まれてしまっているのでは?

私は外国人に道を聞かれたとき、できるだけ英語で答えるようにしていますが、その人が横柄な態度だったら日本語で答えます。「英語で話してよ」と言われたら「ここは日本だ!」と怒ることにしています。(といってもそんな事態はいままでただの1回しかありませんが)

こういう話をすると、「外人に向かって日本語はあかんのちゃうん?」と言われますが、いいんですよ、ここは日本なんだから。外国人には英語で話さないといけないと思い込みすぎなんです。

太地町の人も、「ここは俺たちの町なんだから自分たちの価値観を押しつけるのやめてよ、って言ってやって」と監督に頼んだりせずに、日本語で罵声を浴びせてやっていいと思うんですがね。


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この映画で一番びっくりしたのは、日本に開国を迫ったペリーは捕鯨のために太平洋を周遊していたらしく、燃料がほしくて横浜に寄港したんだとか。

へぇ~~~~~! ホンマでっか!?

アメリカも昔は日本と同じようにクジラを捕って食っていた。でも、日本人は肉も油も骨も何もかも無駄にしないのに、アメリカ人というか西洋人はいろんな部位を捨てる「もったいない捕り方」をしていたと。それは知らんかった。

そして、『ザ・コーヴ』がアカデミー賞を受賞したことで、他の候補作品でアメリカ政府にとって都合の悪い有力作品が忘れられてしまった、と。

なるほど、ということは、この『ビハインド・ザ・コーヴ』はアメリカやオーストラリアにとって「不都合な真実」を突きつける良質な映画ということになりますな。

ぜひ少しでも多くの人に見てもらいたい良質なドキュメンタリーです。
(『ザ・コーヴ』では人間の顔にモザイクをかけまくってましたが、この映画はそういう「反則技」とも無縁ですしね)




『ホームレス理事長』(「きれいごと」が大好きな世間へ)

すぐれたドキュメンタリーを連発することで知られる東海テレビが製作した『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』を日本映画専門チャンネルで見ました。


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この作品は、三つの面から「きれいごと」という見えない圧力についての映画だと思いました。どういうことか。
内容をおさらいするところから始めてみましょう。


内容
問題を起こして退学処分になった球児たちに再チャレンジの場を与えたいということで2010年に設立されたNPO法人に焦点が当てられています。

金策に走り回る理事長のお話と、甲子園にも行ったことがありながら2002年に体罰で野球界を追放された監督と子どもたちの触れ合いの物語の二本柱で構成されていますが、根本にあるのは「たった一度の過ちですべてが終わってしまういまの日本の社会への異議申し立てをしたい」という理事長の純粋な思いです。

NPO立ち上げ当初は安アパートで電気・ガス・水道全部止められてバナナを晩ご飯に食べていた理事長ですが、家賃滞納のために追い出され、ネットカフェでの生活を余儀なくされます。自分の生活を捨ててでも子どもたちのため、子どもたちのために働く職員たちのためにお金を使う。

そんな理事長の価値観がよく出ているのが、ファーストシーンをはじめ何度も出てくる、ネットカフェでのオセロゲーム。
理事長は独特の考え方でオセロをやります。普通なら角を取れば勝ちに近づくと考えますが、理事長はあえて角を取らせる。角を取られても総枚数が上なら勝ち。肉を切らせて骨を断つに近いでしょうか。

世間への異議申し立てをする人はオセロでも異議申し立てのごとく人とは真逆のやり方で遊ぶ。人間の考え方はそういう些細なところにも如実に滲み出るからとても面白い。

そんな理事長は監督から「愛すべきアホ」と評されるんですが、ここにすべてが集約されているというか、金策にばかり走り回る理事長を監督が批判したり、給料未払いが原因でコーチが辞めると言い出したり、挙句の果てには理事長自身のわがままのために監督がクビになったりするんですが、結局、みんな戻ってくる。純粋な理事長と理事長の理念の賜物である学校を守りたいんでしょうね。

最後に、球児たちのインタビューがあって、

「野球がなかったら…。何かわからん。何か楽しい」

と言って恥ずかしそうに笑う子がいるんですが、あの笑顔こそ、あの学校が教育機関としてうまく行っている何よりの証拠ですね。


ドキュメンタリーの「ルール」?
ただ、世の中、理想だけでは飯は食えないわけで、理事長が金策に走り回った末にとんでもない行動に出ます。


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何と番組ディレクターに向かって「お金貸してください」というんですね。

ここでディレクターは「貸してしまうと私たちの関係性が壊れるから。それがドキュメンタリーのルールなので」みたいなことを言って拒否するんですが、これに私は納得がいかない。

だって、東海テレビはこの理事長の活動に共鳴しているから取材しているんじゃないの? 共鳴しているんなら泣いて土下座する相手に拒否するというのは矛盾しています。これは倫理的な観点からの疑問。

仮に共鳴しておらず、ホームレスになってまで子どもたちのために走り回る理事長を少し突き放して見つめる番組を作りたかっただけで、体罰で追放処分を食らった人を雇っていることへ批判的に接したかったのかもしれませんが、それならそれで、お金を貸して関係性を壊してしまったほうがよっぽど作品が面白くなったと思うんですよ。これは純粋に作品づくりの観点からの疑問。そもそも作品づくりに「ルール」なんてないのでは?

とはいえ、「関係性を壊したくない」というのは方便というか、ほとんど世間からの見えない抑圧がそう言わせたと思うんですよね。

貸したら貸したでその場面は撮って見せないといけないわけで、そうなると世間からの批判があるだろう、だからそれはちょっと…ということだと思うんですよ。

ここで貸したほうがよっぽどこのドキュメンタリーが面白い方向へ転がるんじゃないか、という色気は作者たちにもあったはずです。

でも、「きれいごと」が大好きな世間の目を考えると断らざるをえなかった。


フジテレビがカットした場面
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この監督さんが劇中でビンタを連発する場面があります。(フジテレビはこの場面をカットして放送したそうです)
体罰が原因で追放処分になったのにまた殴った。前夜に両親ともめて手首を切った子どもを殴ったんですが、私はこの監督が間違ってるなんて少しも思いません。監督も自殺を考えたことがあるそうですが、私も両親ともめて手首を切ったことがあります。

私自身はあのとき両親を試そうとかそんなつもりはなく、ただただ絶望して切っただけでしたが、あのときの両親の気持ちを考えると「殴られてもしょうがない」といまでは思います。

いまは「体罰があった」それだけで非難が集中し、殴った教師が左遷されたり解雇されたりしますが、それでいいの? そりゃ殴ったほうが悪い場合もあろうけれど、殴られるほうが悪い場合だってある。どういう原因で体罰が行われたかを少しも考慮せず、ただ一方的に殴ったほうを断罪して終わり。それでは何の解決にもならないし、何より子どもたちに悪影響を及ぼすと思います。

だから、この監督さんが自殺を考えるほど世間から叩かれたことと、ビンタの場面がカットされたこと、番組ディレクターが金を無心する理事長を拒否したことは、この三つはすべて通底していると思うんです。

「きれいごと」という見えない圧力

この魔物とどう闘うか。
東海テレビさんには闘える力があると思うんですが、どうでしょうか。

 
 

『ヒッチコック/トリュフォー』を見て思ったこと

今日はサービスデー。ということで、話題のドキュメンタリー『ヒッチコック/トリュフォー』を見てきました。

見ている間はとても楽しんだのですが、終わってみるとどうにも煮え切らない思いが湧き出してきました。


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『ヒッチコック/トリュフォー』といえば、『映画術』という大著のサブタイトルです。ヒッチコック映画に心酔してやまないフランソワ・トリュフォーが憧れの御大にインタビューして映画作りの秘訣を聞き出した本です。

この映画はその本というか、本のもとになったインタビュー音声をもとに構成されています。

ほとんどは『映画術』に書いてあることばかりなので、映画代の3倍のお金を払って『映画術』を買って読んだほうが映画監督志望者にとってはよっぽど有益なんじゃないだろうかとも思いましたが、問題はもっと他のところにありました。


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マーティン・スコセッシ
デビッド・フィンチャー
ウェス・アンダーソン
オリヴィエ・アサイヤス
黒沢清
ピーター・ボクダノヴィッチ
ポール・シュレイダー

などなど、現代映画の最先端を走る監督たちにもヒッチコック映画の真髄をインタビュー形式で聞き出してるんですが、これがこの映画の唯一にして最大の欠点だと思います。

いや、監督に話を聞くなと言っているのではありません。監督だけに話を聞いているのがよくないと思うんです。

『サイコ』のブルーレイの特典映像では、脚本家ジョゼフ・ステファノのインタビューがあって、「ヒッチコックとは絵コンテを書くようにしてワンショットごとに脚本を書いていった」みたいな証言がありました。他にも、よく憶えてませんが何か言われて激怒したみたいな証言も。 

例えば、ロバート・タウン、デビッド・コープ、スティーブン・ザイリアン、ブライアン・ヘルゲランド、トニー・ギルロイ、ケネス・ロナーガンなどなど現代映画を代表する脚本家たちに、

「ヒッチコックから脚本を依頼されたらどう思うか」
「ジョゼフ・ステファノと同じようなことをもしヒッチコックから言われたらどう思うか」
「『めまい』や『サイコ』をリメイクするとしたらどういうふうに脚色するか」

という質問をして面白い答えを引き出すのも一興だったでしょう。

この映画自身が言っているように「ヒッチコックは視覚的に考えていた」のだから、心理的に考えるのが得意な脚本家に「あなたの脚本の書き方は間違っているのではないか」と意地悪な質問を投げかけるのも一興だったかもしれません。

また、『映画術』で語られる有名な逸話、「俳優は家畜のように扱うべきだ」という発言に関して、いろんな俳優にどう思うか聞いてみるのも面白かったと思います。

『汚名』の長いキスシーンを演じてくれと依頼されたらどう思うか、とか。
モンゴメリー・クリフトの気持ちがわかるかどうか、とか。

あと、この映画では一切触れてませんでしたが、デビッド・O・セルズニックとの関係。

ヒッチコックは、『レベッカ』が最終編集権をもったセルズニックによって自分の思った通りの映画にできなかったことを教訓に、次の映画から自分の思い通りにしか編集できないような撮り方をしたと語っていました。

フランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ、ジェリー・ブラッカイマー、ブライアン・グレイザーといったハリウッドの超大物プロデューサーたちに、

「そういう撮り方をする監督をどう思うか」
「仮にその映画が大ヒットしてもいやか」

など本音を引き出すインタビューを敢行するのも一興だったでしょう。

あのプロデューサーはこう言っている、あの俳優はヒッチコックのような監督はいやだと言っている、と件の監督たちにぶつけて、彼らの反応を映し出すのも一興だったでしょう。

そうすれば、トリュフォーの単独インタビューが時を超えて映画史全体を照らし出したかもしれませんし、これからの未来の映画史を作りえたかもしれません(ヒッチコックが好き/嫌いということで意見の一致を見た人たちの出会いを促すという意味で)。

ヒッチコックが嫌いといえば、タランティーノは「ヒッチコック好きは無能な映画ファン」と公言していました。彼になぜインタビューしなかったんでしょう? 

とにかくこの映画は監督たちだけにインタビューしてるのがはっきりよくないし、無批判にヒッチコックを礼賛する内容にしかなっていません。

ヒッチコックを映画史のメインストリームに担ぎ出すために使われた「作家主義」という考え方の末路がこれとは、あまりにも悲しすぎるではありませんか。


 
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