聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

アメリカ映画

『バイス』(ナレーターの正体、私ならこうする!)

見てきました。『マネー・ショート ~華麗なる大逆転~』のアダム・マッケイ監督・脚本によるアカデミー賞候補作『バイス』。(以下ネタバレあります)



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ソックリさん大会と爆笑場面
チェイニーのことは名前と子ブッシュ政権のときの副大統領だったことぐらいしか知りません。ラムズフェルドがフォード政権時に史上最年少の国防長官だったというのもこの映画で知ったくらいでして。

それにしてもソックリさん大会みたいなこの映画、ラムズフェルドだけは似てませんが、チェイニーも子ブッシュもパウエルもライスもみんな激似で笑いましたが、映画そのものに笑えたかというとそれほどではなかったかな。サム・ロックウェルによる子ブッシュはあまりに似てて素晴らしかったけど。

一元的執政府理論を弁護士から聞いてニヤける場面のストップモーションは爆笑でした。「法律の解釈次第で何でもできるぜ!」なんつーのはいまの日本にも通じるアクチュアルな問題ですね。ほんと、法律なんて悪い奴のためにある。


子煩悩な一面はカットすべき
政治か娘かの選択を迫られたときに娘を選択し、それが原因で政治から引退し、幸せに暮らしましたとさ。という架空のエンディングもよかった。突如クレジットが流れる場面はあの伝説の『シベ超』を想起したほど。

ただ、その「政治か娘か」という選択で娘を選び、子ブッシュが同性婚に反対しているけど自分はその政策には同意できないという子煩悩な一面を見せるチェイニーですが、娘に関連した「いい親父さん」のエピソードはすべてカットしたほうがよくないでしょうか。

それでは事実を歪曲したことになる? いや、でも、冒頭で「かなり忠実にしたつもり」みたいなふざけたテロップが出るから少々いいんじゃないですかね。『ビューティフル・マインド』だって主人公の同性愛とか奇行にはまったく触れてなかったし。(批判もありましたが)

viceという英単語には「副」という意味の他に「悪徳」「邪悪」という意味もあるらしいので、子煩悩な一面とか全面カットして、大統領独裁の礎を築いた「世紀の悪徳副大統領」という側面だけで押したほうがよかった気がします。


ナレーターの正体
冒頭からある人のナレーションで話が進みますが、最後のほうでナレーターの正体が明らかになります。心臓発作で倒れたチェイニーに心臓を提供したドナーだと。これ、ぜんぜん面白くないですよね。ドナーはあくまでも死後に関係性が生じるだけで逆に言えば生前は何の関係もない人。そんな人に大事なナレーションを任せるんですか? ありえない。

イラク戦争のせいで自殺した兵士にするとか、富裕層を優遇したせいで失業した貧困サラリーマンにするとか、「チェイニーのせいで不幸になった人」にするという手もありますが、それはシリアスドラマならの話。

ブラックコメディなんだから、チェイニーのおかげで大儲けした人・幸せになった人をもってくるのが最善手じゃないでしょうか。最後にハグしてジ・エンドとか。かなり笑えたと思う。


役者のアンサンブル
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『マネー・ショート』と同じく、役者のアンサンブルで魅せようという映画ですが、ちょっと散漫になってませんかね? クリスチャン・ベイルが主役なのはわかるんですが、やはりソックリさん大会の意識のほうが高いのか、芝居というより物真似になってる気がする。

一番人々が知らない奥さんをデフォルメするのがいいと思ったんですけどね。でも、マクベス夫人の出来損ないみたいな役柄で、しかもエイミー・アダムスにマクベス夫人は荷が重いのでは? ジェニファー・ローレンスならもっといろいろできたと思うんですが、それはそれでシナリオの書き直しとか大変そう。

アダム・マッケイ監督には、『俺たちニュースキャスター』『アザー・ガイズ!』みたいなハチャメチャコメディをまた撮ってほしいニャ。こういうのも悪くないけど、ちょっと肩に力が入りすぎな気がします。『マネー・ショート』はいい塩梅だったんですけどね。


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『スパイダーマン:スパイダーバース』(垂直ヴィジュアルの妙味)

アニー賞を獲ったとかアカデミー賞を獲ったとか、それだけの理由で見に行ったのでどんなお話なのかまったく知らず、そのためにあまり乗れなかった『スパイダーマン:スパイダーバース』。

話には乗れなかったけど、存分に楽しみました。

まず、ピーター・パーカーの語りから始まって、すぐマイルスという少年に話の焦点が移り、いったいどっちの話なのかと思っているとピーター・パーカーが死んでしまう。なるほど、『エグゼクティブ・デシジョン』みたいなのを狙ったのかな、と思っていたらば、何とピーター・B・パーカーというスパイダーマンが出てきて、このあたり乗れませんでした。中盤で、並行世界のスパイダーマンが集結しているというのがわかって、あ、なるほど、そういう世界観なのね、とは思ったものの、前半で乗れなかったツケで物語には最後まで乗れませんでした。というか、あまり大した話じゃなかったような……?

それよりも「垂直方向を意識したアクション」がとても気に入りました。

こんなのとか、
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こんなのとか、
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こんなのも。
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何か似たようなアングルばかりですが、ほしい画像が見つからなくて。

サム・ライミの『スパイダーマン』シリーズがどうだったか定かには憶えていないんですが(『アメイジング・スパイダーマン』にいたっては1本も見てません)この『スパイダーマン:スパイダーバース』はアクションも垂直方向なら、人物の配置もできるだけ垂直の関係になるように設計されています。

ある高名な脚本家から教わった大切なことのひとつに「垂直方向のアクションを意識せよ」というのがあって、この映画はまさにそれを実践しているとうれしくなりました。

壁に張り付いた状態で会話するシーンがたくさんありましたけど、絶対に人物を水平方向に並べず、垂直の関係においていました。だからカットバックするには、思いきり仰角か思いきり俯瞰か、ということになる。ビジュアルがとてもよかった。

先月公開された『アクアマン』。あれは水中ばかりだから仕方ないのかもしれないけれど、水平方向の人物配置やアクションになっていましたよね。

こんなのとか、
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こんなの。
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話を『スパイダーマン:スパイダーバース』に戻すと、玉に傷なのが、大乱闘になると、いったい何が起こっているのかよくわからなくなること。私は70年代のアメリカ製アクション映画が大好きなんですが、あの頃の映画ってちゃんと何が起こっているかはっきり見せていたしいまの映画に比べたらゆっくりしたアクションだけれど、それで充分だった。いまのアクション映画は見せ方が派手すぎて好きになれません。

とはいえ、「垂直」を常に意識したこの『スパイダーマン:スパイダーバース』は超美味な映画でございましたことよ。


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スペースシャワーネットワーク
2019-03-01



『運び屋』(失われた脚本を読む力)

我が永遠のアイドル、クリント・イーストウッド6年ぶりの主演作品『運び屋』を見てきました。公開2日目の土曜日の日中、しかも今日は結構あたたかい。花粉症の人は外に出づらいかもしれないが(私も今日は今季一番ひどい症状)それにしても空席が目立っていたのはとても淋しい。


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実在した高齢の麻薬の運び屋を霊感源として、イーストウッドの実人生と重なる部分も少なくないこの映画、私は少しも面白くありませんでした。

最も敬愛する人だからこそイーストウッド作品はできるだけ批判的な目で見ることにしていますが、ごく普通に見てもこの映画はつまらない。どうせ世間は絶賛一色だろうと思って検索したらやっぱり! ここは「世界一のイーストウッド・ファン」を自認する私が文句を言わねばならないという使命感から筆を執りました。


第1幕の流れが不自然
冒頭、「2005年」というテロップが出て、娘の結婚式に出ず、農園で育てた花のコンテスト会場に行っていた主人公。このあとすぐ「2017年」になります。2005年のシークエンスはほんの5分ほど。娘が12年も口を利いてくれない理由を示したかったのかもしれませんが、オフで充分でしょう。なぜたったあれだけのシーンをオンで描く必要があるのか理解できません。

近代劇の祖、ノルウェーの劇作家イプセンは「それまでの演劇の第5幕から始めた」と言われています。『人形の家』『ヘッダー・ガーブラー』『ロスメルスホルム』などなど、すべてそうなっています。第4幕までの情報を第5幕の中(のセリフ)にぶちこんで、どこを切っても煮えたぎる血が流れ出すドラマ形式が確立されたのは19世紀のことです。

『運び屋』は21世紀の映画なのに。。。

2017年の「ネット花屋のせいで」農園が閉鎖に追い込まれたところから始めたほうがよかったと思います。2005年の娘や妻とのいざこざ、孫娘は主人公を好いていること、そういった情報は孫娘の結婚式を訪ねたときに娘の態度や妻のセリフなどで匂わせればOK。

しかし第1幕にはもっと大きな問題が……

ある男から「車の運転さえできれば可能な仕事がある」と紹介されたところへ行くと、ショットガンをもった男たちが出迎える。主人公が車を止めたときの小さい窓から大きな目だけが覗くカットは素晴らしかった。何とも言えない不気味な肌触りがあって。でもすぐに首をかしげざるをえなくなります。

いきなりショットガンをもった男が出迎えたら気後れするでしょう。いくら朝鮮戦争を経験しているとはいえ退役したあとは農園をやっていただけの普通の老人なのだから。

これを運んでくれと鞄をトランクに積みこまれても、何が入っているのかを訊かないのもおかしいですよね? 「1回目」「2回目」そして「3回目」で初めて麻薬を運ばされていると知りますが、そこからいきなり「5回目」に飛ぶのもおかしいでしょう。なぜメキシコ人たちを問い詰めないのか。金になるからということ? それならそれでそういうシーンを入れないと。


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初めて大金を得るシーンはもっと後でした。

どうもこの映画は主人公のリアクションが変です。

車さえ運転できれば可能な仕事がある。やばそうだ。でも金がほしい。行ってみるとショットガンをもった男たち。やっぱり。俺は何を運ばされているのか。麻薬だった。やばい。もうやめよう。というか、おまえら何で俺にこんな真似をさせる。でも大金をくれた。またやろう。久しぶりに女も抱けた。こりゃいい。

というのがごく普通の流れだと思うんですが、「やばそうだ。でも金がほしい」とか「やっぱり」とか「やばい。もうやめよう」というような当たり前のリアクション=感情が描かれないからぜんぜん乗れないのです。


メインプロットとサブプロット
宣伝文句には「ごく普通の老人が麻薬の運び屋をやることを通じて家族への贖罪をする物語」みたいなことが書かれてましたが、「麻薬の運び屋をやることを通じて」というところが何もないじゃないですか。運び屋をやることと家族への贖罪が別個にしか描かれていない。メインプロットとサブプロットが何ら有機的に結びついていないのです。

ブラッドリー・クーパーとのやりとりに感動した人もいるようですが、確かにいいシーンではあるものの、1回だけの遭遇というのはどうなんでしょう? もっと何度もレストランでコーヒー飲みながらいろいろ説教じみたことを言う(ちなみに私はイーストウッドがコーヒーすする顔を斜め45度から捉えたショットが何よりも好き!)。そのときに彼こそ運び屋だとわかることを口走ってしまうのに、クーパーは彼が白人だからまったく気づかない。ということにすれば、人種問題ももっと色濃く出せたように思います。ビリングで1番目の役者と2番目の役者が遭遇するのが逮捕のシーンを含めて2回だけというのはもったいなすぎます。

もっといえば、娘と疎遠になるんじゃなくて「息子」と疎遠になるべきではなかったでしょうか。ブラッドリー・クーパーを息子に見立てて説教じみたことを言ったり、逆に喋っているうちに許してほしい気持ちが募ってしまい、何の関係もないクーパーに謝ってしまうとか。

そういう描写があれば、法廷で家族と抱き合う主人公を見つめるクーパーの胸にいろいろなことが迫ってきたはずです。それはつまり観客の心にいろいろな感情が生まれるということ。でも実際の映画はぜんぜんそうなっていない。

去年の『15時17分、パリ行き』の感想で「イーストウッドは肝心要のシナリオを読む力がなくなっているんじゃないか」と書きましたが、やはりあれは間違いではなかった。こんな不出来な脚本で行けると踏んだイーストウッドはやはり「老いた」のでしょうか。

それとも、彼は監督である前にまず「俳優」だから、「またカメラの前に立つことができる」という歓びが目を霞ませてしまったのでしょうか。

いずれにしろ残念です。今年でもう89歳。まだまだ撮り続けるはずですが、最低『ハドソン川の奇跡』ぐらいのものは見せてほしいというのが正直な気持ちです。


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