聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

アメリカ映画

『メリー・ポピンズ・リターンズ』(ダンスシーンをもっとちゃんと見せて!)

まずは以下の動画を見てください。
全部で8分ちょっとありますが、私が言及したいのはちょうど3分後からです。




このダンスシーン、いいと思います? 私は少しもいいと思えないんです。

『シカゴ』でもそうだったと思うんですが(うろ憶え)このロブ・マーシャルという監督はなぜあんなにダンスシーンでカットを割るのでしょうか。もっとこのカットを見ていたいと思うと必ずそこで割られてしまうんです。ほとんど編集でごまかしてると言ってもいいほど。

昔のMGMミュージカルはフレッド・アステアやジーン・ケリーというダンサーの芸をできるだけ長く見せることに腐心してましたよね。最近のだって『ラ・ラ・ランド』みたいな良質なミュージカルではダンスシーンというミュージカルの肝になる場面ではできるだけ役者の芸を意図的に長く見せています。

なのにこの『メリー・ポピンズ・リターンズ』は何? ミュージカルをここまで愚弄されたら怒り狂うしかありません。
ミュージカル以外でも、もう10年以上前の作品ですが『ボーン・アルティメイタム』という映画では細切れの映像ばかり見せられ辟易しました。変に画的に凝らず、もっと役者の芸をちゃんと見せてほしい。


mary_poppins_returns_2 (1)

色づかいはとてもいいんですけどね。近々発表されるアカデミー賞では美術賞や衣裳デザイン賞を取ってほしいとさえ思います。

でも肝心要のダンスシーンがあれでは……


バンド・ワゴン(字幕版)
フレッド・アステア
2013-11-26


許せない映画⑥『ダイ・ハード』

許せない映画シリーズ第6弾は『ダイ・ハード』。私はなぜこのような犯罪にも等しい映画がいまだに根強い人気を誇っているのかまったくわかりません。同じ時期に作られたアメリカのアクション映画なら『ビバリーヒルズ・コップ』『ミッドナイト・ラン』『カナディアン・エクスプレス』なんかのほうがずっと面白いと思うんですけどね。

これまでの許せない映画はこちら。
①『ダーティハリー2』
②『L.A.コンフィデンシャル』
③『グレイテスト・ショーマン』
④『ゴースト・ドッグ』
⑤『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』


等身大のヒーロー
die-hard1

さて、この『ダイ・ハード』という映画は1988年の製作。当時はスタローンやシュワルツェネッガーの「スーパーヒーロー」が主役のアクション映画が幅を利かせていて、それに対するアンチテーゼとして作られたようです。「等身大のヒーロー」「人間臭いヒーロー」ともてはやされましたね。

確かに、ブルース・ウィリス演じる主人公ジョン・マクレーンはとてもいいと思います。前半は。
刑事だから銃器の扱いには慣れてるし、人一倍正義感も強いけれど、自分一人ではいかんともしがたい、だから外に助けを呼ぶ。「等身大のヒーロー」というのもうなずけます。

が……


なぜ見殺しにするのか
die-hard2

この、自分の奥さんに横恋慕する男が交渉をもちかけてきたとき、なぜ彼は見殺しにするのでしょうか? このときアラン・リックマンは「起爆剤を返せ」と言っているだけです。返せばいいじゃないですか。確かにあの起爆剤は強盗団が最後に人質を爆死させてその隙に自分たちだけ逃げるためのものですけど、だからといって、それはまだまだ数時間先の話でしょう? いますぐ返さないと確実に一人の人間が殺されるというのになぜ返さないのか。あれのどこが「人間臭い」んでしょうか。

交渉をもちかける奴のほうが悪いという描き方がされていますが、仮にそうだとしても、刑事が民間人を見殺しにするというのが許せない。等身大のヒーローを標榜していながら少しも等身大じゃないのが許せない。

しかも、あろうことか、この直後、アラン・リックマンと遭遇したブルース・ウィリスは足の裏に大怪我を負うとはいうものの、起爆剤を残して逃げてしまい、結局起爆剤は強盗団のもとに返ってしまう。

そんな馬鹿な!!!

人ひとり犠牲にしてまで死守した起爆剤をそんな簡単に奪われていいわけがない!


作者の都合で動く映画
今年の映画初めは奇しくもこの映画と同じプロデューサーによる『ストリート・オブ・ファイヤー』でしたが、あの映画でも中盤で銃撃戦を演じたマイケル・パレを警察は逮捕すべきだと言いました。逮捕したら映画がそこで終わってしまうという計算。『ダイ・ハード」でも、あそこで起爆剤を返したらそれを出汁に投降しろとまで言われかねない。投降したら映画がそこで終わってしまうという計算なのでしょうが、そのような計算は百害あって一利なしです。作者たちは「世界の原理」より「映画の原理」を最初から優先してしまっています。

投降したら映画がそこで終わる? まさか!

だって、クライマックスでは、奥さんを人質に取られ、投降したふりをして背中に貼り付けた拳銃でアラン・リックマンを撃ってすべてを解決に導くじゃないですか。あそこであのような振る舞いができる主人公を用意しておきながら、途中の場面ではその振る舞いを封じる。作者の都合で映画が動いてしまっています。

おそらく、あの見殺しにする場面で「しょうがない」と黒人警官と同じ感想をもつ人が多いのは、殺される人質が「嫌な奴」だからでしょう。奥さんに横恋慕するばかりかセクハラ発言もするし、部屋でこっそり麻薬やってるシーンもありました。「ジョン、君が活躍すると僕らが迷惑するんだ」と我らが主人公を邪魔者扱いするキャラクターだから「排除されてもやむなし」と思ってしまうのでしょう。

同時に、「彼が人質を殺したも同然だ」と非難するのが、外の黒人警官の上司で、彼もまた「嫌な奴」として描写されています。黒人警官は「しょうがなかった」と擁護しますが、彼は頼れる主人公の味方。

つまり、主人公を非難する人間はすべて悪い奴だというのが作者たちの考えなのです。

はたしてそうでしょうか?


人質の言い分という「発明」
人質ではっきりキャラクターが描かれるのは、奥さんと社長と交渉する男だけですが、あの交渉する男と同じように「変に活躍されると逆に迷惑だ」と思っていた人は他にもいたと思う。

というか、そういう「現場の人質の思い」をきちんと提示したのはこの『ダイ・ハード』の「発明」だったはずなんです。スタローンやシュワルツェネッガーの映画へのアンチテーゼとして作るのであれば、「活躍されると迷惑だから投降してくれ」という声を嫌な奴・悪い奴の言葉として描写するのではなく、まともな人物の言葉として描写するべきだったと思います。そうすればスタローン映画やシュワ映画への絶妙な批評になったんじゃないでしょうか。

人質たちは、強盗団をテロリストと思っています。政治犯の釈放など要求が受け容れられれば解放されると信じている。でも、ブルース・ウィリスは最終的にあの起爆剤で人質が全員殺される計画だと知っている。この情報量の差をもっと活かすべきだったのではないでしょうか。

人質には人質の言い分があり、主人公には主人公の言い分がある。どちらも間違ったことは言っていない。そういうふうに葛藤を仕組んでくれればかなり乗れたと思います。


見殺しにした苦みを最後まで持続させるべき
終盤、屋上から飛び降りねばならなくなったとき「何で俺がこんな目に遭うんだ」と泣き言を言ったり、首尾よく一室に飛び込めてもホースの重みで落ちそうになったときの顔面蒼白の顔などが描写されます。あれが「等身大のヒーロー」と呼ばれる所以なのでしょうが、それが「点描」でしかないのが一番大きな問題だと思います。

人質を見殺しにせざるをえなかった。百歩譲ってそうだとしても、それならその苦みを最後まで彼は抱えていなければならないはずです。見殺しにしたときに生じたエモーションを最後まで持続させなければ。直後に簡単に奪われるなど絶対にあってはならない。

逆に、見殺しにしてまで死守した起爆剤なのだからと、自分や他の人質の命よりも起爆剤を守る、王より飛車をかわいがるヘボ将棋のようなぎこちない戦い方を見せてくれたら、本当の「人間臭いヒーロー」になったんじゃないかと思います。それぐらいぎりぎりまで「世界の原理」に忠実でありながら、最後の最後で「映画の原理」が勝利して大逆転! となれば大喝采だったんですがね。


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今年の映画初めは『ストリート・オブ・ファイヤー』。地元の名画座シネマ神戸さんがやってくれるというので駆けつけました。

実はこの映画は25年くらい前にビデオで見ていまして、当時は黒沢清監督の『映像のカリスマ』を読んだばかりで、あれにかなり影響されていたから「何だこのつまらない映画は」と思ったんです。でも、あれから映画の味方も変わってるし黒沢さんの言うことがすべてじゃないとも思ってるし、それに何よりスクリーンで見れるわけですからね。しかも併映が去年のお気に入り『ザ・プレデター』というのでよけいにね。


streetsoffire1

このファーストシーンはノリノリで見ていました。何でこんな素敵な映画をつまらないなんて断じてしまったんだろう。青かったのだろうか。と思いましたが、どうもこのあとから雲行きが怪しくなりました。

悪玉登場、歌姫をさらっていく→善玉の帰還、早速チンピラ退治→助けに行く→悪玉のアジトに監禁されている歌姫

ここまで30分ですが、時間かかりすぎでは? それに、さらわれたダイアン・レインがどこでどうしているのかずっと見せないというのはイライラが募りました。さらわれた直後かマイケル・パレ登場のすぐ後に見せないといけないのではないでしょうか。

しかしこの映画は編集が素晴らしい。冒頭の熱唱シーンからして素晴らしい。編集がいいだけでミュージカル・シークエンスは活き活きすると改めて思いました。
マイケル・パレがダイアン・レインが監禁されている部屋に飛び込んできてナイフか何かで手錠の鎖をぶった切る4カットがすごい。スコセッシも真っ青のジャンプカットを披露してくれます。ああいう勢いのあるアクションシーンは画面を活性化しますね。しかしその直後……


streetsoffire2

マイケル・パレがショットガンをぶっ放すシーンになるんですが、漏れてる油を撃って炎上させるじゃないですか。油がちょろちょろ漏れてる画は彼の見た目ショットなんだから遠目から望遠で撮らないといけないのに接写してましたよね。あれは白けた。

ただ、撮影に関してはいいところもあって、最近のアメリカ映画は薄暗い室内という設定だと役者の顔にろくに光を当てずに撮ることが多い。表情が読めなくてイライラするんです。でもこの映画では薄暗い室内や夜のシーンでもちゃんと役者の顔にうっすら光を当てている。好感がもてます。

さて、首尾よくダイアン・レインを助け出し、リック・モラニスらとの個人的いざこざがあって、そのあと他のみんなに救出してきたとなって盛り上がるんですが、助けたあとすぐみんなに知らせて盛り上がって、盛り上がったのに個人的いざこざで盛り下がるほうがよくないですか? どうも映像的にも脚本構成的にも乗れない。

しかも、あの警官たちは何なのでしょう? 誘拐と銃撃戦だけで充分捕まえられるはずなのに、注意するだけって……。

あの警官たちは完全に作者の都合で動いてますよね。最後の決闘シーンでも傍で見守ってるだけってそりゃないですよ。『藁の盾』のラストみたい。

敵と味方が感情を交わすシーンがないのは致命的では? ウィレム・デフォーはターミネーターのような機械みたいです。悪い奴は悪いことをするだけなんてつまらない。しかも警察は彼の悪行を間接的に手助けしている。

やはり、ダイアン・レイン救出のあとマイケル・パレとウィレム・デフォーは逮捕されるべきです。そんなことしたら映画がそこで終わってしまうとウォルター・ヒルら作者たちは考えたのかもしれませんが、ブタ箱に入った二人が決闘のために一致協力して脱獄するほうが面白くないですか? そのあとも警官隊は執拗に二人を追い回す。二人はまた一致協力して警官隊を罠にはめて二人だけの決闘の場へ赴く。そういうシーンを積み重ねればウィレム・デフォーの役にも血が通ったはずなんです。

結局、今年の映画初めは直後に見た『ザ・プレデター』のほうが100倍面白いことを確認しただけで終わりました。残念。

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