やくざ映画

2020年03月20日

笠原和夫×深作欣二の黄金コンビによる1976年作品『やくざの墓場 くちなしの花』。

笠原さんの「骨法十箇条」はほとんど忘れてしまいましたが、ひとつだけ死ぬまで頭にこびりついて離れないであろう一箇条があります。

それは、「枷(かせ)」

例えば『天使のはらわた 赤い教室』でいえば、蟹江敬三が女と会う約束を交わしたのに、ブタ箱に入れられたために会いに行けず、それがきっかけで蟹江は女と最後までわかりあうことができない。

ブタ箱に入れられる、正確には警察に密告されたんですが、あれも枷です。あのとき女に会えていたら二人とも幸福になれただろうに、それを阻害したわけですから。

でも、笠原さんはそういう枷はあまりいいものとは言えないと厳しい。

「枷は主人公の心のあり方にこそ求めるもの」

といいます。(正確には『天使のはらわた 赤い教室』の密告も主人公の心のあり方が原因なんですが、それはまた別の話)

では、この『やくざの墓場 くちなしの花』における「主人公の心のあり方」とは何でしょうか。そしてその枷がどのようにドラマを盛り上げているのでしょうか。


主要人物3人の境涯
映画の中盤、鳥取の海岸で渡哲也と梶芽衣子の語らいで二人の境遇が説明されます。

渡哲也
131675395018513210405_vlcsnap-2011-09-23-13h34m23s21

渡哲也は、満州からの引き揚げ者で、それを理由に理不尽ないじめを受けていた。「警察官になったのも警察に入れば喧嘩に強くなれると思ったからや」といいます。


梶芽衣子
DUTpTh8U0AERNaJ

梶芽衣子は、在日一世の父と日本人の母との間に生まれ、特に説明はありませんが、いわれなき差別を受けていたことは明らか。


梅宮辰夫
hukasaku11.hakaba2.jfif (1)

だいぶあとになって初めてわかることですが、梅宮辰夫は「混じりっけなしの朝鮮人」で、彼もまたいわれなき迫害を受けていたことは明白です。

つまり、渡哲也を縛る枷は「常に弱者の味方をせずにはいられない」というものです。

警察官の身でありながら、梅宮が所属する西田組という組に肩入れするのも、敵対する山城組のほうが強者だからでしょう。
最初は西田組の金庫番ということで歯牙にもかけなかった梶芽衣子に対しても、朝鮮との混血児とわかると途端にシンパシーを感じるようになる。
梅宮とは兄弟の盃を交わしてほしいと懇願され、最初はさすがに「警察官とやくざが盃を交わすなんて」と断りかけますが、「混じりっけなしの朝鮮人」という梅宮の告白を聞いて即断し、盃を交わします。

警察官としてやくざと盃を交わしてはいけないことぐらいわかっている。でも、それ以上に「常に弱者の味方をせずにいられない」という枷がそれを覆させます。

しかしそれによって「警察官の職務規定違反」と県警本部長はじめ幹部たちに責められる。そして彼らは山城組と癒着している。

「わしもあいつらと同じ赤い血が流れとりますけぇ」といいセリフを吐きますが、そのセリフもさらに彼の立場を悪くてしてしまう。

「枷は主人公の心のあり方にこそ求めるもの」

うーん、こういうことだったのか。私はこういう作劇ができなかった。いや、しようともしていなかったのかもしれない。

ただ、これだけなら物語は一本調子になったことでしょう。笠原さんの真のすごさはサブプロットにこそ表れていると見ます。


室田日出男の役割
DeUx-yEUwAAP1sw

渡哲也は二年前に容疑者を射殺しています。同期の桜・室田日出男と容疑者・志賀勝の家に踏み込み、室田が撃たれたために渡は志賀を射殺してしまう。(射殺というより転落死でしょうけど)

しかし、常に弱者の味方である渡哲也は責任を感じ、志賀の家に弔問に訪れ、自殺を図ろうとしていた女を助け、デキてしまう。

代わりに、直截的には描かれませんが、撃たれた室田日出男は怪我の功名か、楽な部署に回され、たっぷり時間があるので昇任試験に邁進、警部補となり、渡の上司として二人は再会する。

渡と室田が久しぶりに飲むシーンが素晴らしい。

室田の物言いに「強者」の匂いを感じ取った渡は席を立つ。室田は思わず叫んでしまう。

「おまえの人事権は俺が握ってるんだぞ!」(言葉通りじゃないですけど意味は同じ)

同期の桜だったはずが、いまや上下関係。上司と部下であっても室田が同期のよしみでつきあってくれるだけなら渡も荒れなかったはずですが、室田が「力」を振りかざすので渡は我慢がならない。

せっかく理解者が現れたと思ったら、喧嘩別れになってしまい、県警幹部から職務規定違反と難じられたときも、室田が「梅宮と兄弟盃を交わしたとは本当か」と問い詰めます。かつては一緒に命を懸けて容疑者を追い詰めた仲だったのに、いまや完全に決裂してしまった。室田日出男のこの映画での役割は大きすぎるほど大きい。

でも登場シーンは少ないのです。

志賀勝を射殺する回想シーン。
久しぶりの再会で飲み交わすシーン。
幹部たちとともに渡哲也を詰問するシーン。
そして渡を射殺するラストシーン。

もし、志賀勝に撃たれた同僚と最後に渡を射殺する県警幹部が別の人間ならこれほど感動はしなかったはずです。同期の桜に射殺される渡哲也。彼を殺してしまい涙があふれる室田日出男。サブプロットが最終的にメインプロットばりの悲劇としてドラマを盛り上げます。

梅宮辰夫との兄弟盃。
梶芽衣子とのロマンス。

など、見かけ上は彼らのほうが室田より大きい存在なんでしょうけど、私はこの『やくざの墓場 くちなしの花」の要諦は、サブプロットである室田日出男との関係にあると感じました。


関連記事
『仁義の墓場』(父親を追い求めた息子の悲劇)
『天使のはらわた 赤い教室』は内部告発の映画である







  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2020年02月03日

深作欣二監督による1975年東映実録映画『仁義の墓場』。


0274

この映画は石川力夫という実在した狂犬のようなヤクザを主人公にした、映画自体が狂ってるような作品ですが、今回見直してみて、狂っているのは力夫ではなく周りのほうなんだと、力夫はただ純粋な男だったということに初めて気づきました。敗戦直後の政治状況を絡めて実にうまく語っています。


Boogie Nights fight scene

初めて見たとき『ブギーナイツ』と同じ構造だというのには気づいたんですよ。
父親が父親として機能しておらず、母親が父親の代わりを一生懸命務めようとするあまりヒステリックに怒鳴り散らしてばかりで主人公マーク・ウォールバーグは家出し、ポルノ映画ファミリーを第二の家族としてその家長バート・レイノルズを父親として慕い、反抗し、また家出して、最後には赦しを請う、という「父親探し」の映画でした。

s072258001a
『仁義の墓場』も同じですよね。石川力夫の実の父は描写がないので、映画内世界に関してだけ言えばハナ肇が実の親みたいなものでしょう。力夫はハナ肇をかなり慕っていた。それは彼が最初に刑務所に入る傷害事件の理由から明らかです。喧嘩の原因は親分を馬鹿にされたからだと供述したそうです。彼がハナ肇の組に拾われたのは戦中。そのときのハナ肇がどんな人物だったのか、はっきりとは示されませんが、おそらく力夫が慕うほどなのだから大人物だったのでしょう。

『仁義の墓場』は『ブギーナイツ』の冒頭と同じように、親が親としての機能を果たしていないために子どもが苛立ちを募らせる物語です。

ところが、ここからが今回初めて気がついたことなんですが、敗戦を経てアメリカに占領され、ハナ肇は変わってしまった。『ブギーナイツ』との決定的な違いもここからです。


20170227120706 (1)

彼は進駐軍の大佐と懇意で、彼らから仕入れたウィスキーを高く売ってボロ儲けしている。なのに大佐が出ていくと「毛唐が」と馬鹿にしています。戦争に勝ったからって偉そうにしやがってと。力夫はただ黙って聞いています。

馬鹿にするといえば、この映画に出てくる日本人はみな、いわゆる三国人(在日朝鮮人、台湾人、中国人)を馬鹿にしています。宗主国・日本が負けたことで三国人はそれまでの鬱憤晴らしとばかりに街を荒らしまくっている。日本人は敵も味方も警察も全部グルになって、三国人だけブタ箱に入れるという卑劣な手段を取ります。石川力夫はこういう差別にもただ黙って見ているだけ。

アメリカと日本
日本と中国、朝鮮、台湾


この二つは完全な相似形です。かつては日本がアジア諸国の父親として彼らの「庭」を荒らす横暴な振る舞いをしていた。いまはアメリカが日本の父親としてのさばっている。自分たちがやっていたことをやられているだけ。それならそれで三国人のように反抗すればいいものを、愛想笑いでお追従を言い、陰口をきくという卑劣さ。

父と子の正常な関係は、自分を押さえつける父に子が反抗し、父の支配から脱することです。三国人たちは正常に日本の支配から脱した。しかし日本は(いま現在も)アメリカに少しも反抗できず、お追従を言うだけ。これはとても異常な関係です。

正々堂々と喧嘩を売ってくる三国人のほうがよっぽどまし。と石川力夫はたぶん考えていたはず。なぜなら、新宿の街に進出しようとしたヤクザと争って刺したとき「俺はただ自分らの庭を荒らされたからけじめつけようと思って」と、力夫は自分は間違っていないとハナ肇に言います。ハナは「いま奴らとことを構えたらどうなるか、よく考えろ」と諭す。つまり損得勘定をしろということです。庭を荒らされても損をするから喧嘩はしない、そしてあろうことか、くだんの大佐に仲裁してもらう。何とも情けない親。そんな親は力夫をボコボコにしながら「何だその目は。それが親を見る目か!」とさらに打擲する。

筋を通しているのは力夫のほうです。ハナ肇をはじめ他の連中は損得勘定を筋目と勘違いしているだけ。

『ブギーナイツ』のマーク・ウォールバーグは家族を捨てて第二の家族を求めます。しかし力夫はそうしなかった。彼はハナを刺します。常軌を逸した行動に見えますが、「親は親らしくしてほしい」という彼なりの純粋な想いだったのでしょう。

親分を刺した。それがミッドポイントとなって後半はガラリと様相が変わります。もう政治状況とかそういうのは出てこない。ひたすら石川力夫という個人を追いかけます。

所払い10年ということになり、兄弟分でいまは一家を構えている梅宮辰夫の計らいで大阪に身を潜めるんですが、そこでシャブの味を憶えてしまう。そこからはもうごろごろ転がり落ちるだけ。何とかしようと説得する梅宮まで殺してしまう。

しかし保釈になると今度は殊勝に「線香あげさせてほしい」と梅宮の家を訪ねる。妻の池玲子は泣きながら断ります。当然でしょう。それがわかっていながら行ったのか、どうか。自分で殺しておいて線香をあげたいというのは殺された側からすれば残酷、身勝手の一語でしょうが、力夫には筋目だったのでしょう。殺してしまった兄貴に線香をあげたい。何となくだけどわかる気がする。

唯一の理解者で妻の多岐川裕美も自殺してしまい、その遺骨をもって彼はハナ肇のもとへ行きます。一家を構えたいから土地をくれ、事務所も作らないといけないから2000万ほしい。と言いながら遺骨を食べる有名なシーン。

彼がほんとに一家を構えたかったのか、それとも親がどう出るかを試そうと思ったのか定かではありませんが、いずれにしろハナ肇はヒステリックな足取りで出ていくだけ。力夫は最後まで父親に父親らしいことをしてもらえなかった。

彼は多くの人を殺し、傷つけた加害者であることは間違いありません。しかし彼は本当に「狂犬」だったのでしょうか? 私には親に恵まれなかった子どもの悲劇にしか見えない。石川力夫は被害者です。


128855543216616208155_PDVD_148 (1)

とはいえ、大事なのは、彼が被害者面をしないことです。

本を正せば、親のために、一家のために喧嘩をした。なのに……。でも彼は恨み言を言わない。独房の壁に「大笑い 三十年の 馬鹿さわぎ」とだけ書き記し、自殺します。そしてただひとつ遺された彼の墓石には「仁義」の二文字が刻まれている。

一番悪いのがハナ肇なのは明らかです。でも彼はいっさいの弁解を拒み、ただ「仁義」の二文字だけをこの世に遺すことを選んだ。石川力夫の仁義。わかる。いまはもうはっきりわかる。








  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2018年06月02日

ついに見てきました、『孤狼の血』。
白石和彌監督では一昨年の『日本で一番悪い奴ら』をワーストに選んだので、嫌気がさして去年の『彼女がその名を知らない鳥たち』は未見。ただ、ロマンポルノリブートの『牝猫たち』がなかなかよかったし、久しぶりに生きのいい役所広司が見れそうだと楽しみにしていました。

実際、楽しかったですよ。ある程度までは。


役所広司のいいセリフ
korounochi1

終盤、役所広司が松坂桃李に語る言葉がいいですね。

「わしら、綱渡りの曲芸師じゃ。じゃからの、警察側に落ちてもヤクザ側に落ちても死んでまう。死にとぉなかったら歩き続けるしかないんじゃ」

マル暴刑事の哀しい現実を如実に表していて秀逸。この直後、松坂桃李に両腕を突き出し、
「わしを逮捕して県警に突き出すか?」
というのは、半分冗談でしょうが、半分は本気だったんでしょう。「ここで捕まえてくれたら死なんですむ」あの両腕での拝み方はどっちとも取れる絶妙な味があってとてもよかった。

それから、放火、家宅侵入、暴行、でっち上げ、取り調べの女に○○させるとか、何でもやりたい放題の役所広司が中盤にとても大事なことを言いますよね。

「わしらの仕事はヤクザを生かさず殺さず、飼い殺しにすることとちゃうんか。ヤクザがスーツ着てネクタイ締めて堅気の連中にまぎれて地下に埋もれたらどないするの」

暴対法が準備されていた1988年(実質的に昭和最後の年)という時代背景がよく出ていますね。

ヤクザにはやりたい放題の彼も、監察官として自分のスパイをしていた松坂桃李には暴行もしないし恨み言も言わない。まぁ最初からわかっていたというオチがつくんですが(しかしあの阿部純子という女優さんはとても魅力的)14年前の殺しの疑いがかかっているからにはスパイもつくのが当然だろうという毅然とした態度には惚れ惚れしました。で、このあと、両腕を突き出して「逮捕するか?」のシーンになるわけですが……


役所広司の刑事哲学とは?
上記のような感じでヤクザに対しているのはよくわかります。しかし、あの呉原という街には三つのヤクザ組織がありましたよね。

尾谷組
加古村組
五十子組

五十子組の後ろ盾があって加古村組がのし上がってくる。役所広司は尾谷組に肩入れしてやりたい放題の捜査をやるんですが、これって「綱渡り」になってないじゃないですか。確かに警察かヤクザかという二元論には堕ちてないけれども、ヤクザの中だけにかぎれば完全に片一方に肩入れしてますよね。彼はヤクザみたいではあるけど、あくまでも「刑事」なのに。

「ヤクザは生かさず殺さず飼い殺しにする」のであれば、どちらかに肩入れしちゃだめでしょう。14年前の真木よう子の殺人を内々に処理したというのが動機? でも、それなら、それを盾に尾谷組のいろんな弱みを握れますよね。実際、真木よう子を使って警察上層部の弱みを握っていたわけですから。

ヤクザの中では、尾谷組の味方なのか、それとも加古村組の味方なのか、まったくわからない。
警察内部でも、県警上層部の敵なのか、それとも味方なのか。所轄の刑事たちだけは仲間かと思っていたら違うのかも……とか、真木よう子にすら「あの人、もしかしたら敵かも」と思わせるぐらいのやり方が必要だったのでは?
警察にとってもヤクザにとっても「いったいあいつは誰の味方なんだ?」と疑心暗鬼にさせる、まるで鵺のようなつかみどころのない役柄でないと「孤狼」とは言えないと思う。


松坂桃李までトチ狂ってしまう
korounochi2

役所広司が殺されたあと、松坂桃李が何とかしてくれるのかと思ったら、彼はまだ若いからなのか、役所広司以上におかしいことをしでかしてしまいます。

あろうことか、五十子組の組長にして呉原の長老役・石橋蓮司を殺すよう尾谷組の若頭・江口洋介に手引きしておきながら、身代わり出頭しようとした若い衆を差し置いて江口洋介を逮捕してしまう。

あんなことしたら松坂桃李も殺されるだろうし、もう警察とヤクザが完全に決裂してしまって永久に全面戦争が終わらないことになってしまうじゃないですか。数年後に暴対法が施行されるからいいってことですか? まさか!
問題がありながらもそれまでは何とか役者陣の好演もあって楽しんで見ていたのに、江口洋介を逮捕した瞬間は笑ってしまいました。いくら何でもそれはないでしょう。

役所広司の遺志を継ぐのであれば、身代わり出頭とわかっていても普通に若い衆を逮捕して、江口洋介に恩を売っておけば後々の役に立つのに。

最後の、役所広司のライターでタバコに火をつけるというのは、『CURE/キュア』へのオマージュってやつなんですかね。


CURE
役所広司
2013-11-26





  • このエントリーをはてなブックマークに追加