聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

創作

坂元裕二さんに学ぶ「超簡単! キャラクターのつくり方」

古くは『東京ラブストーリー』、最近のものでは『anone』『カルテット』などの脚本家・坂元裕二さんから教わったことを開陳しちゃいましょう。


超簡単! キャラクターのつくり方
まず「男のあるある」を順番に端から全員言わされました。憶えているものを挙げると、

「虚勢を張ることが男らしいことだと勘違いしている」
「プライドが高い」
「女に対して支配欲がある」
「ナルシストが多い」
「意外に傷つきやすい」
「彼女の過去の恋愛にこだわりすぎ」

次に「女のあるある」に移り、

「福山雅治が好き」
「レディファーストされるのが当たり前だと思っている」
「女だってスケベなくせに下ネタを言う男が嫌いとかわけのわからないことを言う」
「男に勘違いさせるために生まれてきたのではないか」
「行列に並ぶのが好き」
「クーポンを使う男が嫌い」
「何でもカワイイを連発する」

などなど。

全員が一つ一つ言うわけですからこれだけでもかなりの時間がかかります。いったい何のために? と思っていたら、驚愕しました。

「ここに挙げられた男と女をすべて入れ替えてみましょう」と坂元さんはホワイトボードの「男」を「女」に、「女」を「男」に書き替えました。ついでに「好き」を「嫌い」、「嫌い」を「好き」にも適宜書き換えられました。するとどうでしょう!

男のキャラクター案
「福山雅治が好きな男」
「下ネタを言う女が嫌いな男」
「行列に並ぶのが好きな男」
「クーポンを使う女が好きな男」
「何でもカワイイを連発する男」

女のキャラクター案
「虚勢を張ることが女らしいと思っている女」
「レディファーストされるのを嫌がる女」
「下ネタを言う男が大好きな女」
「プライドが高く、男に対して支配欲のある女」
「ナルシストで意外に傷つきやすい女」
「クーポンを使う男が好きな女」
「彼氏の過去の恋愛にこだわる女」

簡単なようであまり思いつかない人物像が浮き上がってきました。男と女を入れ替えるだけで斬新なキャラクターが作れてしまうということに瞠目せざるをえませんでした。

これはあくまでも一例です。ご自分でいろいろやってみてください。

私はこれをヒントに、いまやっているキャラクター作りを進めています。上記の通りのやり方は実践してきましたが、今回新たに思いついたのは、「主人公と脇役のキャラクターを考える順番を逆にしてみる」というもの。

ずーっと、まず主人公を作ってそれから脇役を作るという順番でやってきましたが、脇役を作ってから主人公を作ったら思いもしなかった人物が見えてくる気がしたので。うまく行くかどうかはわかりませんが、坂元さんから教わった「逆転の発想」は大事にしたいな、と。


坂元さんのヤングシナリオ大賞受賞秘話
これは余談ですが、坂元裕二という人がフジテレビのヤングシナリオ大賞を受賞して世に出た人だとは広く知られていますけど、受賞作品は当初は2時間もののシナリオだったそうです。それをあるコンクールに出したら一次で落選し、未練があったので内容はそのままで削りに削って半分の長さに縮めたら大賞をもらったとか。

これは示唆的ですね。

キャラクターが斬新だとか、根本的にお話が面白いとかの前提が必要ではありますが、逆にいうと、仮に斬新で意外性がある内容でも不要な描写がたくさんあると少しも評価されないということですね。

頑張まっていきまっしょい。


テレ朝シナリオ大賞一次審査落選を受けて

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うーん、やはりそうだったか。

何がって、3か月前に出したテレ朝シナリオ大賞の一次審査が出たんですが、見事に落選したんです。

書いてるときは「なかなか」だと思ってたんですけどね、出す前の誤字脱字チェックをしていたとき「こら、あかんわ」と思いまして、まぁ出すだけ出したんですが、やはり落ちました。

しかし一次審査で落ちるというのはおそらく14年ぶりのことで、最初は予期していたのでそれほどではなかったんですが、だんだんボディブローのように効いてきまして、↓こんなふうに寝ていました。



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とはいえ、ふてくされていてもしょうがない。ちょっくら街へ繰り出したところ、忘れていたんですが高橋洋さんのシナリオ集『地獄は実在する』が発売されてるんですね。買おうかどうしようか迷った末に懐具合を考えてやめました。

昔からそうですが、落ちたときに一番燃える人間でして、それからドトールで新しい作品に取りかかったのでした。新しい作品というのはちょっと違いますね。数年前に書いた『射殺法時代』というやつをリニューアルしようと思って。あれは確か「第一回松田優作賞」に出したんでした。あのときの受賞者、『百円の恋』の足立紳さんはいま八面六臂の大活躍。私も見習わねば。

最近は机に向かおうとしても「ま、明日でええやん」と先延ばし先延ばしにしてテレ朝に出してから、懇意のプロデューサーから依頼されたある有名小説家の作品を脚色するのだけちょこちょことやっていますが、ほんとにちょこっとだけ。でも今日からやるのです。


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またこんな顔になるかもしれないけれど、書くのです!


作家としての「プライド」が許さない

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先月の終わりに知り合いのプロデューサーから頼まれたホラー映画の企画ですが、こちらからお断りすることになりました。

武士は食わねど高楊枝です。

どういうことかというとですね、今回の企画はある大ヒット映画をパクる、というものなんですね。

パクることそのものが悪いことだとは思いません。

「パクリ、盗作、芸のうち」とジャッキー・チェンだって言ってるし、それでなくとも、これだけ物語が氾濫した現代において、真にオリジナルな発想なんてないでしょう。すべては「アレンジ」の問題です。ほとんどのラブストーリーは『ロミオとジュリエット』か『アンナ・カレーニナ』のパクリだし。

私のコンクール受賞作だってそうですよ。あれはもともと友人のアイデアなので。そこに自分なりのアイデアを盛り込んで私流にアレンジしたから「オリジナル」と称して応募したら幸運にも選ばれただけの話。しかし、本を正せば、その友人のアイデアだって過去のいろんな映画をアレンジしたもの。

それはともかく、企画の話に戻すと、元ネタになる映画のキャラクターを一人そのまんま出す、という注文プラス主人公たちの年齢を少しだけ上げる。注文はその二つだけ。物語は自由に、ということだったから引き受けて自分なりに「これならオリジナルと称してよかろう」と思えるものを出したわけです。

すると、「企画自体の見直しをすることになった」と昨日連絡がありまして、あ、なるほど、訴えられることを懸念してボツになったのかな、と思ってたわけですよ。ところが違っていました。

今日になって、見直し自体を見直すことになったと連絡があり、集まったプロットがどれもいまいちだったから、改めて元ネタに似た内容で行くことになったと。



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いやいや、ちょっと待ってくださいよ。そこまで似せてしまったら、それこそ「盗作」になるじゃないですか。

向こうは盗作じゃないと主張していましたが、私が言っているのは法的に問題があるとかないとかそういうことじゃなくて、作家としての「プライド」の問題なのです。

そういえば、最近、久しぶりに『王様のレストラン』を再見したんですけど、あの第10話、パティシエ稲毛がストライキを起こす回で、主人公の千石さんがオーナー禄郎に言います。


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「よそで買ってきたケーキを当店のオリジナルと称してお客様にお出しせねばならない。そんなギャルソンの気持ち、オーナーにはおわかりになりますか? 長年この仕事をやってきて、あんな屈辱を受けたのは初めてです」

他の映画の物語を自分のオリジナルと称して観客に見せる。「そんな他人のふんどしで相撲を取るような真似はできません」と丁重にお断りしました。

仮に1億円積まれたっていやですね。

え? 1億円ももらえるんだったら、法的な問題さえクリアできたらやったほうがいいのでは? という声が多数聞こえてきそうですが・・・




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アホか! 

以前、山口組の組長だったか誰だったか忘れましたけど、「この世で一番恐いものは?」との質問に、

「カネでは絶対に動かない奴」

と答えていました。

そういうものに、わたしはなりたい。

(さすがに先方もわかってくれたようで、別の企画への参加は引き続きやってほしいとのこと。とりあえずはよかったです)

映画を作りたい人はあまり映画を見ないほうがいいと思う件

ちょっと前から、映画人志望者なのに『サイコ』を見たことのない人が過半を占めたというようなことが話題になりますよね。
昨日も大寺眞輔という映画評論家の「映画人志望者のなかで『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を見てない/知らない人があまりに多いことに驚いた」旨のツイートを読みました。



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映画を作ろうという人間が過去の名作映画に通暁していなくてどうする!! と言いたいんでしょうが、これは一面の真理を言い当ててはいますが、一面にすぎないんですね。

なぜなら、ほとんど映画を見ていないのに傑作を撮った人を私は現実に知っているからです。

その人と喋っていたら、ほんとにまったくと言っていいほど映画を見ていないことがわかりました。そんなので映画作れるの? とそのときは思いましたが、その人の映画がテアトル新宿で上映されるというので見に行って驚きました。

過去の名作映画に通暁しているとしか思えない脚本構成と演出ぶりだったからです。なぜ映画を見ていないのにモンタージュ理論を身につけられたのか皆目わかりませんが、実際にそういう人がいる以上、「過去の名作映画に通暁していないと映画を作ることなどできない」などという言説は短見と言わざるをえません。

「才能」とはそういうものなのです。努力して得られるものではありません。


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大寺眞輔という人は評論家だから、映画を見ていない映画人志望者(誤解している人が大勢いますが「映画人」とは「映画を実作する人」のことであって、批評家は映画人ではありません)に対して呆れ返るのもわかります。映画人より評論家のほうがたくさん映画を見てますから、見てない人はよけい「映画的教養に欠ける」ように感じられるのでしょう。

問題なのは、この一面の真理だけ突いている言説を、当の映画人志望者が口にしてしまうことです。



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まだあまり映画を見ていない映画人志望者が映画的教養を高めようと貪るように見るのはとてもいいことです。

しかしながら、ある程度見ているのに「映画を作るためには見ていなければならない」という言葉を大事にしすぎるのはとても危険です。

だって、見ないで傑作を撮ってしまえる人が現にいるのですから。彼らに追いつくためには、映画を見る時間をすべて脚本を書いたり実際に撮る時間に変えていかねばならない。

だけど、映画人志望者はたいてい大の映画ファンだから、映画を見たい欲望に負けて、「見なければ作れない」という言葉を言い訳にして今日も映画を見てしまうのです。

なぜこんなことが言えるかというと、私自身がそうだったからです。

評論家が「もっと見ろ」というのはかまいません。が、映画人志望者が「もっと見なくちゃ」と自らに言い聞かせるのは諸刃の剣です。非常に危険です。

それに、映画の知識が増えると、隠れた名作というものを次々に知ってしまうので、「もっと見なくちゃ」という気持ちに拍車がかかってしまうのです。これも非常に危険です。


最後に、映画を見ることについて、映画人たちの名言をご紹介しましょう。


「私は映画というものをまったく知らなかった。だからこそ『映画とは何ぞや』と必死に考えた」(大島渚)

「100本の映画を1回ずつ見るより、1本の映画を100回見たほうが真実が見えてくる気がする」(宮藤官九郎)

「映画を見るな」(じんのひろあき)


没後10年 映画監督・田中徳三さんを偲ぶ

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映画監督の田中徳三さんが亡くなって、早くも10年もの時がたとうとしています。

『悪名』シリーズや『兵隊やくざ』シリーズ、『大殺陣 雄呂血』など代表作のある田中徳三さんは、私にとって「映画監督」ではありません。あくまでも「一期一会の人」なのです。

話は90年代前半に遡ります。ある映画専門学校の受験者と面接官という立場で、私と田中さんは出逢いました。

撮影所の所長さんと二人で鋭い目で睨んできて、最初はかなりビビりました。でも田中さんはまったく口を開かない。所長さんの意地悪な質問にできるだけハキハキ答えながらチラチラと田中さんを見ると、ただじろっと睨んでくるだけ。

「君はなぜ大学に行かなかったのかね」と所長さんの質問。

来るべき質問が来た。
本当は適当にごまかす答えを考えて行ったんです。でも、根がバカ正直なので口から出てこない。正直に言ってしまいました。

「いい大学に入っていい会社に入る。そのような人生にいったい何の意味があるのかわからなくなりました。すべてがむなしく思え、死のうとしましたが、死ねませんでした」

もう落ちてもいいと思ったのです。嘘をついて受かるぐらいなら正直に言って落ちたほうがいい、と。

そのとき、ずっと黙っていた田中さんが口を開きました。

「君のような、まだ若いのに厭世的な考えをもっている人がこれから映画をやろうというのは、僕はとても面白いと思う」

救われたと思いました。もう落ちてもいいと思いました。こんな温かい言葉をかけていただけたのなら。

そして、田中さんは温かいだけでなく厳しい人でもありました。

「君の作文だけれども、非常に幼いね。うん、幼い。しかしね、何かをやろうという気持ちは十二分に伝わってくる」

うれしかった。合格か不合格か、そんなことはもう本当にどうでもいい。

後日、配達されてきた結果通知には、第一志望のディレクターコースは不合格でしたが、第二志望のほうで合格でした。

田中さんが推してくれたのだと思いました。そうじゃないかもしれないけれど、そう思うことにしました。そう思うことが、あのときの私のアイデンティティでした。

それから田中さんとは一回もお会いしないまま…。田中さんが特別講師として教壇に立つことを期待しましたが、一度もありませんでした。言葉を交わし、見つめ合ったのは、あのとき一度だけです。

だから「一期一会の人」なのです。
だからこそ、私は「田中徳三監督」ではなく「田中徳三さん」と呼ぶことにしています。

訃報を聞いて呆然となってからもう10年。その間にコンクールで受賞し、上京するも都落ちするなど紆余曲折がありましたが、田中さんのおっしゃった「何かをやろうとする気持ち」だけはいまだにもっているという往生際の悪さ。

でも、おそらく田中さんは笑って許してくださるでしょう。

「君のような、まだ若いのに厭世的な考えをもっている人がこれから映画をやろうというのは、僕はとても面白いと思う」

田中さん、私はあなたのこの言葉を胸に、これからも生きていくつもりです。

いつまでも安らかに。


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