聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

プチ情報

生涯最高の飯はこれだ!



もう何か仕事でへばってばかりでヘロヘロ状態ですが、こんなときこそブログでも書いてストレス発散しましょう。

今日は、これまでの40年以上の生涯で最高にうまかった料理の紹介です。


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え、おまえの生涯最高の飯ってこれ??? と笑われそうですが、本当にこれなんです。シチリアの州都パレルモで食べた「イカとセロリをオリーブオイルで炒めて塩コショウしただけの料理」。

これはもちろん前菜で、このあとにパスタが来て、魚料理が続いたんですが、この最初のイカとセロリが抜群にうまかったんですよ。

これにはいろいろと伏線があってですね、まず、ミラノの兄貴の家から一人飛行機でシチリアに行き、そのときはいまほどシチリア旅行がポピュラーじゃなかったから、兄貴は会社の人に「何でシチリアなんかに行きたいのか」とさんざん聞かれたそうです。「『ゴッドファーザー』で見た風景を見たいと本人は言っている」というと、「その筋の人なのか⁉」と本気で驚いた北イタリア人たち。何しろ彼らにとってローマより南はすべてアフリカなんだそうです。(ついでにいうと、ドイツ人にとってはアルプス山脈より南はすべてアフリカなんですって)

でですね、その日は一人でパレルモを観光してたんですが、東洋人そのものが珍しいのかジロジロ見られてばかりでした。でも、みんなとても親切でした。(ミラノでは「あっち行け、シッシ!」なんてやられたもんですがね)

しかしいくら周りが親切でも地球の反対側まで来て本当に帰れるんだろうか、と途方に暮れていたんですよ。何とかホテルは英語が通じたからよかったですが、そのホテルで地図をもらってレストランの場所を教えてもらったらアーラびっくり! ぜんぜん違うではないですか。

あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ただでさえ腹が減ってるのに歩き疲れてやっとこさ辿り着いたらば、マフィアの準構成員みたいな顔をしたウェイター(シチリアではみんなそういう顔に見えるのです)が「ほんの少しだけ英語しゃべれる」というからお互い片言の英語でやり取りしたんです。

そこから二人でアーデモナイコーデモナイと、さんざん20分くらいしゃべくった末に「日替わり定食」を頼むことに成功しまして、そこからさらに15分くらい待って、やっとこさイカとセロリの前菜が運ばれてきたわけなんです。だから最高にうまくないわけがないんです!


 

日本語でネットを使えるのはノルウェー系アメリカ人のおかげ

水村美苗『日本語が亡びるとき ~英語の世紀の中で~』(ちくま文庫)読了。


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2008年に単行本が出たときにも読みましたが、文庫化にあたって大幅増補という惹句に惹かれて読み直しました。

インターネットの登場によって英語が「普遍語」の地位を確立し、日本人が学問や文学をやるには、英語で書かれたものを読み、しかも英語で書かなければならない時代になりつつある。というのが主旨。

そして、叡智を求める人が英語で読み書きするうちに日本語は痩せ細っていく。日本語で書かれた文学は読むに堪えないものになっていく。実際、いま書かれている小説のほとんどは読むに堪えないと。

しかも、その読むに堪えない小説ばかりを載せた国語教科書のあまりの薄っぺらさにも著者は牙を剥いていて、そうなのか、私が子どものころは漱石とか小林秀雄とか石川啄木とかその他もろもろ著者が「奇跡」と呼んではばからない「日本近代文学」のあれやこれやが載っていたんですが、いまは2割ほどなんですって。それはよくない。(とはいえ、私が子どものころでも国語の教科書に載っている文学作品というのはどれもこれも抜粋だった。外国では本を丸ごと一冊読むらしい。そのほうが絶対いい)

著者がもっと毒づくのは、「日本人にとって日本語を普通に漢字・平仮名・片仮名の3種類混じった言葉で書き、読むことが自明のことであること」に対して。

明治維新から戦後まで、英語を公用語にしようとか、話し言葉はそのままで書くときはローマ字でとか、そういう日本語排斥論が絶えず、漢字なんか使っていたら文明開化が遅れるとか、民主主義が根付かないとかの議論があったそうで、この本を読むかぎりでは、漢字・平仮名・片仮名まじり文で日本語を綴れるいまの状況はほとんど偶然に偶然が重なった奇跡に近いことだということ。

ほんのちょっとした神様の匙加減で、この文章もローマ字で書かなければならなかったかもしれないのです。

いや、そもそも仮に英語公用語化運動とかローマ字運動とかがなくても、「日本語は”読まれるべき言葉”である」という認識をもつ人がいなければ、こうやってネットに文章を書くときはローマ字を使う、あるいは英語で書かなければいけない可能性があったというから恐ろしい。

最近、たまたまちょっとした手元不如意のためにウィンドウズ・アップデートができなくなるという困ったことになって検索したらば、マイクロソフト社のページが出てきて、そこに、日本語はこちら、英語はこちら、フランス語はこちら、中国語は、朝鮮語は、ベトナム語は、ドイツ語は、スペイン語は、ポルトガル語は、アラビア語は、ペルシャ語は…と様々な言語でヘルプ画面が読めるようになっていて、「なるほど、世界中の人に対してフォロー体制ができてるのね」と呑気に思ったんですけど、よく考えれば、上から下まで全部スクロールするのに数秒で事足りるほどの言語で「世界中」をフォローできるわけがない。世界にはインドみたいに一国の中で何百、何千という言語をもつ国があったりするわけで、インドでも高学歴の人ならみんな英語ができるんだろうけど、そうじゃない人は自分たちの「現地語」ではネットを使えないということを初めて知ったのでした。

そして、日本語ソフトと端末さえあれば世界のどこにいてもネットに接続できるのが日本人にとっては当たり前のことになっているけれど、ではその日本語ソフトはいったい誰が開発したのか、ということには誰もかれもが無頓着です。

私はこの本の末尾50ページに及ぶ「文庫に寄せて」というあとがきを読んで初めて知りました。

何と漢字・平仮名・片仮名、つまり日本語の文字をアルファベットと同じような普通の文字として認識するソフトを開発したのはノルウェー系アメリカ人らしいのです。

この人がどういう出自、思想の持ち主かは明らかにされてませんが、この本の主旨から推せば、「日本語が亡びてはいけない」と思っている人なのでしょう。「日本語は読まれるべき言葉だ」と信じている人。

それが外国人だったという事実に驚愕しました。彼がいなければ私たちはこうやって日本語で文章を書いたり、日本語で検索して買い物したり、という当たり前と思っていることができなかったのです。この事実にもっと日本人は驚かねばなりません。

誰もが日本語は未来永劫存在しているだろうという楽天的な考えに浸っていることに著者は苛立ちを感じているのですね。私もちょっと恥ずかしくなりました。こうやって日本語で書くことが特権的なことだということを少しも考えたことがありませんでした。

一年の最後のブログが「言葉」に関するものになったという事実を偶然と思ってはいけないでしょう。これは神様のお計らい。

感謝と畏敬の念をもって来年からも精進していきたいと思います。



あたため整体学「希望に起き、感謝に眠る」

ものすごくいい本を読みました。

宮川整体/整体・健昂会という団体の代表で宮川眞人氏による『あたため整体学』という本です。



実は私、もうだいぶ前から低体温に悩まされていまして。

平熱が35.6度くらいしかないんですよ。がん細胞の一番好きな体温が35度台らしく、えらいこっちゃとしょうが紅茶を飲んだりストレッチや運動したり、みかんやニンジンなど暖色の食べ物は体を温めるらしいのでそういうものをたくさん摂ったり。

でもぜんぜん体温が上がらないのでこの本を手に取ってみた次第。

すると…

いろいろ漢方医学に基づいた「肝」「腎」「心」「肺」が四肢のどこに当たるか、どこを伸ばせば体温が上がるか、冷えを解消できるか、なんてことが書いてあるわけです。

で、イラストと説明に従ってすべてのストレッチをやってみました。できたということはそれなりに体が柔らかいわけでそんなに冷えてないのでは? と思ったりもしましたが、結構汗をかいたのでだいぶ体温上がったのでは? と測ってみると何と35.9度…。

ぜんぜん上がってないじゃんか!!!

それはさておき、この本の非凡なところはそのストレッチの詳しさや新しさにあるのではなく、冷え解消や体の歪みを直すことに対する根本的な考え方なんですよね。

著者は言います。

「ある牛丼屋に入ってみたところ、帽子を脱がずに食べてる人がいる。携帯をずっと眺めたまま食べてる人がいる。茶碗をまるでコップをもつような手つきで食べてる人がいる。そんなことが体を温めることと何の関係があるのかと思うかもしれませんが、私は食べ物そのものの成分を考えるより、まず第一に食べ物に対する態度や食事に対する姿勢から見直すことから始めるべきだと考えるのです

お、何だかただの整体本ではないぞ、という雰囲気が漂い始めました。

「食べ物に関して本当に大事なことは、食べ物に対する感謝の念です。粗末な食べ物でも、心がこもったものを食べたときのおいしさはこの上ないのです。心が温まれば体の冷えなど吹っ飛ぶのではないでしょうか」

なるほど。ますます深くなってきたぞ。

著者は続けます。

「テレビでは、うんざりするくらいの種類と量のサプリメントやダイエット食品が宣伝されています。しかし、やたらそういう商品に飛びつくのは、体の欲求でなく心の飢えからくるものではないか。そういう人にかぎって飢えたり腹を空かせた経験がない」

「この症状には何とかの成分が足りないとか、年齢とともにこの成分が失われるからと強迫観念に駆り立てられている人たちに本当に足りてないのは食事から得られる幸福感ではないか」

そして、ここから驚くべき言葉が出てきます。

「食事は栄養補給ではない」

えええーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!!!!!!!!!?

しかしこれは考えてみれば当たり前のことです。
食事は、家族と語らう場であり、人とつながる場であり、そういう人生の楽しさを与えてくれる場なのですから。

だから「肉食ではなく穀物と菜食だけのほうがいい」とか「一日一食がいい」とか、そういうのは「宗教」にすぎないと著者は断じます。それを信じるのは構わないが、他の人に押し付けるのはナンセンスだと。

なるほど、だから全部のストレッチをやっても私の体温が36度に上がらなかったのは幸福感が足らないからなんですね。

それはさておき、あとがきを読むと、なるほどこの著者を根幹から支えているのは「宇宙観」なのだと判明しました。

人間の体を考えるとき、いつも著者の頭にあるのは、

「なぜ地球上に生命が誕生したのか」

ということなんだそうです。

うん、素晴らしい。その疑問には永遠に答えは出ないでしょうが、永遠に答えが出ないところからしか真理は見えない。

この著者とは会えばすぐ友達になれる気がします。

「希望に起き、感謝に眠る」

著者が薦める生き方です。そのような生活を目指します。


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やはり我々日本人にとっての「食事」とはこれですな。



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