聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

社会批評

ワイドナショー「核シェルター特集」を見て思ったこと


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今日のワイドナショーでは、「核シェルター」が特集されていました。

何でも、スイスやイスラエルでは家や公共の施設に核シェルターを備え付けることが義務付けられていて、国民一人あたりの核シェルター保有率が100%。アメリカも80%台かそこらで、低いところでも30%~40%台だったかな。

しかし、日本は驚きの0.02%ということで、我らが大川総裁が日本人で核シェルターを設置しているお宅にお邪魔してきてくれました。


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まず、一般論として思うのは、「核シェルター」って意味があるの? ってことです。

だって、番組では「核爆弾が投下されたら1~2週間は外に出られない」と言ってましたが、それだけで外に出れるの!?と逆に驚きました。無理でしょう。

仮に2週間で外に出れたとして、国土は荒廃しているから作物は取れないし、作物が取れないから家畜も育てられないので肉も食べられない。もちろん海も汚染されまくってるから魚も食べられない。何も食べられないんですよ。

衣食住のうち衣と住は何とかなっても、食がダメならすべてダメでしょう。

それに、普通に考えて2週間で出られるはずがない。福島の人たちはまだ避難生活を強いられているのに。

便を固体化する特別なトイレがすごいと紹介されてましたが、確かに高熱で圧縮する技術はすごいと思うけれど、「2カ月は臭いが漏れない」って逆にそれは「2カ月たったら臭いが漏れる」ってことですよね。

狭いシェルターの中で、自分の便の臭いに悶絶しながら死んでいくなんて絶対いやです。

そして、もっといやな気持に駆られたのが、これ↓↓↓







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核シェルターを設置していることに「守秘義務」があるということ。
その理由は、有事の際に近隣の人間が殺到するから、とか。

いや、そりゃ殺到するでしょうが、じゃあ「自分だけ助かればいい」ってこと?

780万も出させて自分とその家族を守りなさいって、戦争で生きるか死ぬかも「自己責任」なんですか? その前に核攻撃されないよう外交努力すべきだし、どう考えても核シェルターをもってる人だけ助かればいいという考え方はおかしい。

近隣の人間が殺到するのはなぜかといえば、一部の家にしかシェルターがないからであって、番組でも誰かが言ってましたが、地下鉄の駅とかビルの地下とか、そういうところを核シェルターとして使えるようにすればいいじゃないですか。

予算の問題があるって、だからそれなら攻撃されないように政治家が何とかせよ。(そもそも北朝鮮の標的はアメリカであって日本じゃないのでは?)

核シェルター普及率100%なんてそっちのほうが異常だと認識すべきだと思うし、おそらく、シェルターを作る企業と政府は結託しているのでしょう。

まったくいやになります。


投票しなかった人間に政治を語る資格はないのか

ツイッターで、「いままでほとんど投票に行ったことがない」という小林よしのりに対して「投票しないのなら政治を語る資格などない」と言ってる人がいました。フォロワーさんのなかにも、「投票したからこれで政治を語る資格を得た」みたいなことを言ってた人がいました。

本当に「投票しないと政治を語る資格はない」んでしょうか?

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例えば、ある映画を見ていないのにあーだこーだと難癖をつけるのはダメでしょう。批判したいのなら見なきゃダメ。ある店の料理を云々したいのであれば、その店の料理を食べてから。これは当然の真理でしょう。

で、これらを敷衍して「投票しない(選挙に参加しない)人は政治を語る資格はない」ということになる、と人々は思っているわけですね。

これははたして真理なのでしょうか?

映画や料理は商品ですが、では、政治における商品とは何でしょうか。「商品」と言って悪ければ「政治活動によって生じた産物」としましょう。選挙は立法府の代表を選ぶのだから、選ばれた人たちによって作られる「法律」が政治的産物でしょう。

投票しなければ、悪法が作られ、施行されても文句を言う資格がないと。

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なるほど、確かにそう思えてしまいますが、私は違うと思います。

だって、法律を作るのは「当選した議員」だけですよ。ならば、落選した候補者に投票した人には政治を語る資格はないことになってしまいます。

いやいや、そういうことじゃなくて、投票というのは大事な政治活動なわけで国民の大切な権利、それを放棄したのであれば政治を語る資格はない。という人もいそうですが、これも私には疑問です。

じゃあ、大病を患い、頼れる人もいない独居老人は投票に行けなかったばかりに何も言えないんですか? 行けなかったと行かなかったは違う? それをどうやって区別するんでしょう。

革命を起こそうという人は、きちんと投票してから武装蜂起しなくちゃいけないんですか? そんなバカな。もしそれが正当な言説であれば、これまで世界中で起こった政治闘争はすべて不当になってしまいます。

言論の自由や結社・集会の自由というのは、誰にでも等しく認められているものであって、それは憲法に明記されているじゃないですか。「投票した者にだけ自由を与える」なんて少しも書かれていない。投票を呼び掛けた人の大半はアンチ安倍で護憲論者が大勢でしたが、こんな基本的な憲法の精神も理解できていないことに驚きます。特にこないだの衆議院選挙は憲法をめぐる選挙でもあったはずなのに。

投票しなかったら罰金とか言い出す人もいて、みんなどうしちゃったの、と。そんなの「投票ファッショ」以外の何物でもないのでは?

投票による政治参加をしなかった者は、政治について語る資格がない。どれだけひどい生活を強いられても、それは自己責任である。

暴飲暴食によって透析が必要になった人間は、自業自得だから健康保険を受けられないようにせよ。病状が悪化しようが死のうが自己責任である。


後者はもちろん、あの長谷川豊の言葉ですが、この二つがどう違うのか私にはまったくわからないのです。

ケビン・スペイシーの「カミングアウト」から考える

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ケビン・スペイシーが昔、14歳の少年に性的関係を強要したことがあるという咎で批判を浴びています。

ハーベイ・ワインスタインの永久追放で続々とセクハラしていた人たちの悪行が暴露されていっていますが、そのこと自体はいいことだと思います。自分が思春期の頃に大人の男から(女でも)性的関係を強要されていたら、と考えると、その少年のいまだ癒えぬ心の傷がおぼろげながら想像できて胸が苦しくなります。

しかもスペイシーが釈明会見にかこつけて、

「これまで男と女とも付き合ったことがあるが、これからはゲイとして生きていく」

とカミングアウトしちゃいました。


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この発言についてザカリー・クイントが「最悪のタイミングでのカミングアウトだ」と非難しました。

そりゃそうですね。話をそらそうという意図がはっきり見えますから。

ただ、クイントは続けてこういったそうです。

「何か賞をもらったり、栄誉を受けたときにカミングアウトすべきだ。そうすれば世界中のLBGTに勇気を与えることができる」

うーん、スペイシーのカミングアウトがふさわしくないタイミングだったことはわかるんですが、「カミングアウトにふさわしいタイミング」というものがあるということにちょっと驚きを隠せませんでした。


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ちょっと前の『5時に夢中!』で、どういう趣旨の特集か忘れましたが、ゲイバーで働く男性にインタビューしたところ、こんな印象的な答えが返ってきました。

「僕はカミングアウトなんかしてませんしこれからもしないです。何かいまカミングアウトするのが正義みたいな風潮があるじゃないですか。あれには納得できないんです。少なくとも僕は、カミングアウトしたときに両親が感じるショックを考えるととてもできません。墓の中までもっていきます」

別に私は「カミングアウトすべきでない」と言いたいのではありません。ただ、カミングアウトした人に「よくぞ言った」と拍手し、カミングアウトしない人を「潔くない」みたいに言う風潮に疑問を感じているだけです。そういうことを言う人こそがLBGTを差別してるんじゃないんですかね?

カミングアウトというものを広く「宣言」と捉えてみると、例えば蓮實重彦が何度も著書で書いているのが映画監督の引退ですね。

「昔のハリウッド黄金期に活躍した監督たちは、ある程度の年齢に達したら引退するのが普通でした」

フォードやホークスが引退宣言をしたかどうかは知りませんが、最近は宮崎駿監督が何度も引退を宣言し、また先日も撤回したのは記憶に新しいところ。


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撤回自体は悪いことだとは少しも思いません。人間は生きている以上、変化するものですし、「君子、豹変す」という言葉もあるし、「引退と言ってたじゃないか」と非難するほうがおかしい。

そんなことより、「引退宣言」というものが必要なのかどうか、ということです。

高畑勲監督は、同志・宮崎監督の数年前の引退宣言のとき、「何で映画監督が引退宣言なんかするんだよ」と、あるドキュメンタリー番組で言っていました。

引退と言えば・・・


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スポーツ選手は必ず引退宣言しますよね。あれは必要だと思うんですよ。浅田真央のように個人競技の場合だって契約しているスポンサーに対して「もう終わり」という意思表示は必要でしょうし、団体競技の場合は、何より来季も契約したいと考えているクラブや球団に対して選手側から契約の意思なしという表明が必要です。

そして、浅田真央みたいな人気の高い有名選手の場合は、ファンに対して「もう終わり」と意思表明することも必要ですよね。じゃないと、あの人は最近何もやってないみたいだがどうしたんだろう、とやきもきさせることになります。

となると、宮崎駿が引退宣言をするというのも、「人気が高いから」ということは言えるのかもしれません。宮崎アニメを心待ちにしているファンに対し「もう終わり」という意思表示。


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引退宣言に共通するのは、「もう終わり」つまり、「これからの私はいままでの私とは違います」ということなんですね。過去の自分と未来の自分との間に結界を張るような感じでしょうか。同時に、自分と自分を応援してくれていたファンとの間にも結界を張っている。(参照記事「空間の結界、時間の結界」

とすれば、LBGTの人がカミングアウトするというのもまた結界なのでしょう。しかし何のための結界なのか私にはわからない。

スポーツ選手のように誰かと多額の契約があるわけでもなければ、有名映画監督のように世界的人気が高いわけでもない人間がわざわざ「宣言」をする理由あるいは目的。

前述の「カミングアウトしたら両親が悲しむ」という男性は、「自分と両親の間に結界を張ってはいけない」と無意識に思っているのでしょう。

ケビン・スペイシーのカミングアウトが最悪なのは、「過去の過ちを犯した自分」と「これからゲイとして健気に生きていく自分」との間に結界を張ろうとしたからだと考えられます。

では、ザカリー・クイントのように意識的に結界を張るタイプの人はいったい何が目的で、というか、自分と誰の間に結界を張っているのか。

普通に考えると、LBGTに理解のない人間との間に、なんでしょうね。

ただ、どうなんでしょう。何度も言いますが、私は別に結界を張ってはいけないと言いたいわけではありません。

ただ、どう考えてもザカリー・クイントのような考え方の人がどういう目的で結界を張っているのかがわからないのです。「栄誉を受けたときにカミングアウトすれば~」という発言がありましたが、そういう効果のあるカミングアウトはいいが、何も効果がないのなら意味がない、と。うーん、何かそういう「営利目的で結界を張る」というのは違う気がする。

「自分の性的嗜好のことは墓の中にもっていく」と恥ずかしげにつぶやいた男性のほうが、LBGTとそうでない人々の間に結界を張らない、つまり「差別のない社会」を真に希求していると感じるのは私だけでしょうか。


藤井聡太の高校進学を寿ぐ(中学時代の同級生はいま)

私の中学時代の同級生はプロ棋士です。棋士といっても将棋ではなく囲碁のほうですが。

彼は中学の時点ですでにプロで、たまに公休をもらって試合に行っていました。そして高校へは進学しませんでした。

もともと誰とも交わろうとしない、人間嫌いのような面があって、そのうえ大の囲碁好きで「プロとしてやっていくことしか考えていない」ということだったので、高校に進学しないと決めたと聞いて「それはそれでいいのでは」と思っていました。

彼はいまでも第一線のプロです。別に挫折したわけではありません。しかし、囲碁の7大タイトルのうち獲得できたのは通算2期だけ。とはいえ、デビューから30年以上プロとしてやっているのだからかなり成功した部類には入るのでしょう。

相撲でも、白鵬みたいに幕内通算白星歴代1位とか、幕内通算優勝回数歴代1位とか、そんな華々しい活躍をせずとも、いまだに「十両になれれば力士としては成功」らしいですから。

でも、いま思うのは、あの誰とも交わろうとしなかった同級生がもし高校に進学していたら、もっとビッグタイトルをたくさん獲得するすごい棋士になっていたのではないか、ということです。




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だから、将棋のほうの棋士・藤井聡太四段の高校進学を寿ぎたいわけです。

本人は私の同級生と同じく「将棋のことだけ考えていたい」ということだったみたいですが、周囲の説得もあって進学を決めたと。

羽生だって彼と同じで高校なんか行く気がなかった。でも師匠が「将棋とは関係ないことを勉強し、将棋なんか興味がないという人間と交流することが棋士としての幅を作る」と説得して高校へ進学させたそうです。その後の羽生の活躍はご存じのとおり。

別に高校へ行ったらみんなが活躍できるわけじゃないでしょう。高校へ行かずとも棋士として成功した私の同級生もいます。

しかしながら、藤井聡太四段に世間が求めているのは「史上最強棋士」であるはず。現時点で勝率がまだ9割以上のはずですが、あまりに驚異的です。羽生の通算勝率が確か7割ちょっとのはずで、それですらすごすぎといわれる世界で9割を超えるというのは異常。今季プロ野球でぶっちぎりで優勝した広島とソフトバンクですら勝率は6割台の半ばでした。

勉強ばかりしているとバカになるといいます。だから彼がこのまま将棋のみの道へ進んだら勝率が落ちるのではないか。史上最強棋士にはなれないのではないか。


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世間は「ガリ勉はダメ」という。それは真理でしょうが、なぜか学校の勉強に関してだけダメみたいで、将棋やスポーツのガリ勉はOKらしい。それは絶対におかしい。

学校の勉強にしか興味のない人間には将棋やスポーツなど他の分野にも興味をもたせ、将棋にしか興味のない人間には将棋以外のことを勉強するよう促す。それが「教育」というものでしょう。

藤井四段が3年間も高校へ行くのは明らかな「遠回り」です。でも、いまの日本人は遠回りの大切さを忘れてしまっているのではないか。「近道」ばかり求めていないか。

近道ばかり求めているから「役に立つ学問」という言葉が幅を利かせているのではないでしょうか。





私が加担した映画界のセクハラ(ワインスタイン問題を考える)

かつて現場で働いていた頃、ある女優が楽屋に閉じこもったことがありました。

いまはなきVシネマで濡れ場満載の作品だったんですが、それまで脱いでおっぱいを見せるシーンは普通に演じていた女優が、激しく喘ぐシーンの撮影を拒否して楽屋に立てこもったのでした。

急にそういうシーンを挿入したわけではなく、そのシーンは最初から台本にあったので「読んだうえで出演を承諾したくせに」と同僚たちと文句を言っていました。とにかくその女優が出てこないかぎり撮影ができないので私たちスタッフはじりじりと待たされました。

同期の助監督が楽屋から戻ってきたので、どうなったかと聞くと、「監督が説得している最中」とのことでした。しかし、説得といえば聞こえがいいですが実際は脅迫だったようです。

「芸能界で生きていけないようにしてやるぞ!!」

と、ものすごい怒声で脅していたとか。結局その女優は出てきて渋々濡れ場を演じていました。そのときの私は、「最初から台本に書いてあるシーンで急に拒絶するなんてプロ根性に欠ける」と義憤に駆られる思いでしたが・・・




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ハリウッドの超大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタインが30年に及ぶセクハラの咎で永久追放処分になったのは記憶に新しいところですが、なぜ30年も「公然の秘密」のままだったのか。

部屋から出させないようにしたり、無理やりキスしたり、尻を触ったり胸を触ったり、この男の所業はやりたい放題だったようですが、権力を握っているから反旗を翻そうにもできなかったのでしょうね。

反旗を翻せなかったといえば、この人もそう。




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ワインスタインと縁のあるクエンティン・タランティーノ。
デビュー作の『レザボア・ドッグス』をワインスタインの会社から配給してもらったらしいし、確か次の『パルプ・フィクション』や『ジャッキー・ブラウン』などもワインスタインの会社ミラマックス配給だったと記憶しています。

タランティーノは恋人や知り合いの女優からワインスタインの悪行について相談を受けるも黙認せざるをえなかった、と。それはやはり、大物プロデューサーを敵に回したらもう二度と映画を撮れなくなるかもしれない。もう映画に出られなくなるかもと考えて我慢していた女優たちと心境は同じでしょう。

タランティーノや、いまになって告発の声を上げる女優たちに「なぜそのとき言わなかった」と批判するなど誰にもできないはず。

件の撮影現場の話に戻ると、あの女優は確かに事前に台本を読み、そういうシーンがあるとわかっていて出演を決めた。しかし、決めさせられたという可能性はなかったか。

つまり、こんなシーンがある映画には出たくない、こんなシーンはやりたくない、と主張していたとしても、事務所の社長から「出演を承諾しなかったら芸能界で生きていけないようにしてやるぞ」と脅されていたのかもしれません。

で、しょうがなく承諾したけれども、そのシーンの撮影直前になって反旗を翻した。何時間も楽屋に閉じこもり、監督から脅迫されてそれでもかなり粘り、やっとこさ出てきたのだから、そういう背景があったと考えるほうが自然です。あのときの私はただの青二才で、そういう可能性に少しも考えが至らなかった。

で、女優の喘ぎ声をしっかり録らんとマイクを振っていたわけですが、女優の立場になって考えると、これだけ嫌がったのに誰もあたしの味方をしてくれない、と泣きたい気持ちだったでしょう。実際、同期の助監督によると、その日の撮影が終わったあとしばらく楽屋から出てこなかったそうです。

ということは、私もセクハラ(というかこの場合はパワハラというほうが正確でしょうが)に加担したのです。

もし、そのときの私が出演承諾の背景に脅迫があったんじゃないか、と監督に詰め寄り、このシーンに彼女を本当に出演させてもいいかどうか事務所と連絡を取ったほうがいいんじゃないですか、なんてことを言ったとしたらどうでしょう。

「おまえが映画界で生きていけないようにしてやるぞ」

と脅迫されて泣き寝入りして終わりです。タランティーノと同じように。

だから、今回のワインスタイン事件で問題なのは、セクハラよりパワハラだと思うわけです。

ワインスタインですら永久追放ですから、これからはちょっとしたセクハラさえ許されなくなるでしょう。

でも、「出演を承諾しなければ映画界で生きられなくしてやるぞ」というようなあからさまな脅迫は論外としても、「この濡れ場満載の映画に出なければ女優としてのあなたの未来はない」と、脅迫と同じ意味のことをやんわりと言うエージェントや先輩がいたりすると思うんですよね。男性だけでなく女性も。





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かつて黒沢清監督は、
「独裁主義が唯一合法的に残っているのが映画界だ」
と言っていました。かつて現場で働いていた私もそう思います。独裁がダメだとなったら、おそらく面白い映画はもう作れなくなるでしょう。

ハリウッドはおろか日本や他の国の映画界でも「セクハラ」に関しては完全NGでOKでしょう。逆に完全NGじゃなかったいままでがおかしいのだから。

でも、「パワハラ」についてはどうか。
独裁を許容しなくては映画作りができないなら、パワハラを映画界から追放することはできないことになります。少なくとも論理的には。

ワインスタイン事件はもう終わりました。
すでに新しい問題、もっと難しい問題が目の前に迫ってきています。





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