聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

社会批評

国から助成金をもらって国からの祝意を突っぱねる意義について

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『万引き家族』の是枝裕和監督が、文化庁から助成金をもらって映画を作っておきながら文科相の祝意を突っぱねるなんてダサいとか、カンヌ映画祭はフランス政府の助成金でやっていて、そこの賞はもらうのに助成金を出した国の気持ちは受け取らないのかとか、いろいろと批判がかまびすしいようですが、私はまったく問題ないと思いますね。というか、昨日実際に映画を見てきましたけど、やはりあの映画を作った人なら「公権力とは距離を置きたい」と言ってナンボじゃないかと。

だって、『万引き家族』という映画も、今回の発言も、どちらも「愛国心」の発露でしょうから。


日大アメフト部へのOBの苦言
例えば、日大アメフト部の悪質タックルと、その後の後手後手に回った対応は記憶に新しいですが、あれについて、日大出身の芸能人が何人もテレビのインタビューを受けて「恥ずかしい。フェアプレーの日大はどこへ行ったんだ」と非難していますが、今回、是枝監督を非難している人たちは、あの人たちへも「恩義ある母校に何を言っているんだ」と非難するんでしょうか? まさかね。

あれは母校が嫌いだからじゃなくて母校を愛すればこそ、あえて苦言しているんでしょ。

それと同じで、是枝監督だってこの国を愛しているからこそ、その行く末を案じ『万引き家族』という映画を作った。まぁ実際にはそんなに声高に政権批判をしているわけではなく、一家の闇を掘り下げていくと天下国家を論じることに通じたというまことに理想的な自国批判になっているわけですが。


愛国ゆえの反日
自国批判、だから反日だ、という人もいるようですが、日大を批判するOBがアンチ日大じゃなくて逆に日大シンパであるように、ああいう反日映画を作る人は本当の愛国者だと思います。政権批判をするから即反日ではない。逆のほうが圧倒的に多い。

だから、「公権力とは距離を置きたい」という発言もうなずけるわけです。変に距離が縮まると、次回作以降が政権におもねる内容になりかねない。それなら距離を置いて、きちんと「愛国的反日映画」を作り続ける選択をしたと。

それの何がいけないのでしょう。わたしにはまったくその理路がわからない。

そういえば、この議論とは直接は関係ないですが、日本に万引きで生計を立てている家族なんていないから『万引き家族』という映画にはリアリティがない、と主張している人もいるようです。

何だかなぁ、という感じ。

私はああいう家族、格差が広がりすぎたいまの日本には結構な数いるんじゃないかと思っていますが、仮にいなくてもいいじゃないですか。現実に存在するものしか描いちゃいけないの? じゃあ『バットマン』も『太陽を盗んだ男』も『野獣死すべし』も同じ理由で全部ダメなんですか? んなアホな。

とにもかくにも、政権批判をするから反日なんじゃなくて、愛国心の発露として政権批判をしているんだという理解はもっておきたいものです。


ネトウヨへの対処法(『万引き家族』をめぐって)

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是枝裕和監督の新作『万引き家族』がカンヌ映画祭の最高賞パルムドールを獲ったことが世間を騒がせています。

私は「日本映画が受賞したからうれしい」という感情がよくわからないのですが、というか、むしろ是枝監督とは相性が悪いので自分は楽しめないんじゃないかなぁ、という不安のほうが強い。

いずれにしろ、またぞろ「日本スゴイ!」案件が来てしまったなぁ、と思っていたら思わぬ伏兵がいました。

「万引きして生計を立てている家族を主人公に描いた映画など国賊映画だ」とか「コレエダとかいう奴は在日に違いない」とか言ってるネトウヨさんたち。なるほど、そう来たかと。


『壁の中の秘事』
かつて若松孝二の『壁の中の秘事』がベルリン映画祭に出品されたとき、同作がポルノ映画ということで「国辱映画」と言われたそうですが、あのときの騒動もこんな感じだったのかなぁと。

見てから言えや、というか、おそらく劇中で描かれる一家は生活保護を受けたくても受けられないから万引きしているのでしょう。不正受給を許さないと息巻く人たちとネトウヨさんたちはおそらく同じ人たちだと思いますが、あなた方が生活保護の基準を厳しくするから作家的想像力によってこういう一家が生み出されたわけだから、この映画が反日だというなら、あなた方も反日では?

と言いたくなるんですが、映画を見てもないのに非難するなんて、と先日ツイートしたばかりなので内容について云々するのはやめましょう。


もしカンヌで受賞していなかったら
『万引き家族』はちょっと前から予告編やってるし、当然ユーチューブにもあるだろうし、新聞、雑誌、ネットその他で宣伝されてるはずだからカンヌの発表前にすでに知ってる人は知ってましたよね。それがパルムドール受賞となったら途端に「万引き家族映画なんて反日的だ!」となる。

もし同じ金賞でもカンヌじゃなくてロカルノ金賞とかだったらそんなに吠えないんでしょう。だって大したニュースにならないから。

逆に、『万引き家族』という邦題をもつ中国映画や韓国映画がパルムドールだったらどうか。これについてもあまり騒がないはずです。日本のマスコミは日本映画が受賞しなければあっさり伝えるだけですからね。

つまり、ネトウヨって大きなニュースに乗っかってるだけなんですね。いろいろ言いたい放題言ってるように見えて、自分たちの発言で世間が騒ぐような案件にだけヘイト運動をする。

決して自分たちでネタを探してきてるわけじゃない。メディアの記事や有名人の発言に乗っかってるだけ。もしそうじゃないのであれば、出品作に選ばれた時点で騒がないとおかしい。

彼らは自分たちの狂騒をメディアが取り上げてくれるのを待ってるだけだから、相手にしてはいけないと思う。

私も頭がカッカしてしまい、今朝方、ネトウヨさんたちに真剣に反論するツイートや、嗤うツイートなどをリツイートしてしまいましたが、いまは削除しました。彼らが一番痛いのは無視されることでしょう。もちろん、同じ思想の人たちからはリツイートやいいねをたくさんもらえるんでしょうけど、たぶん、彼らに最もエネルギーを備給するのは、私たちのような反ネトウヨの冷静さを欠いた反論のような気がします。これまでにも、反論した人間を「在日」と指差すことで溜飲を下げていましたから。

だから、「ネトウヨはけしからん」という論旨のつぶやきをしない、文章を書かないことが一番肝要だと思いますね。今後同じようなことが起こった場合は、「相手にしない」「完全無視」これ以外にないと思いますね。何事もなかったかのように通り過ぎましょう。

至極当たり前のように見えて、これって実は難しいと思います。みんな頭カッカしてすぐ反論しちゃいますから。

↓実際に映画を見た感想はこちら↓
『万引き家族』(我々はみな許されざる者である)


ベネディクト・カンバーバッチは女性差別主義者かもしれない件

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ベネディクト・カンバーバッチが「これから仕事をする現場で、男女が同額のギャラを受け取っていない場合はその仕事を断る」と発言したらしいですが(→こちらの記事)やはりこの男は底が浅いと思いました。というか、まるで自分は純粋なフェミニストみたいに言ってますが、もしかすると無意識の女性差別主義者かもしれないな、と。


なぜ「同額」なのか
記事には「給料や機会の平等こそフェミニズムの根幹」とありますが、半分は間違いです。
確かに「機会」は平等でなくてはいけません。でも「給料」はその人がやった仕事に対する対価なのだから「結果」じゃないですか。機会という「入口」と結果という「出口」を一緒にするのは明らかな間違いです。
能力や成果に応じてギャラは変動するのが普通。入口は誰にも平等に開かれていないといけないけれど、出口が平等っておかしいでしょ。能力が高くて成果も高かった人が、低かった人と同じであってはいけない。特に映画界なんて実力が何よりものを言うんだし。

格差はあるのが当たり前です。格差があるのが問題なのではなく、格差が固定化することが問題のはず。貧乏人の子どもは絶対金持ちになれないとか。しかし、「男女同額」というのは「固定化」に一役買うことになりませんかね?

確かに、これまで男優のほうが女優よりギャラが高額だった傾向が高いのは否めません。能力云々に関係なく「男だから」というだけで女性より給料が高い。これは映画界にかぎった話じゃないと思うし、それを是正するのはとても大事なことです。

しかしそれならば「能力の高い女性は能力の低い男性より高いギャラをもらってしかるべき」とならねば論理的におかしい。なのになぜ「同額」なんでしょう?

カンバーバッチの底が浅いというか、かなり問題だと思うのは、「女性が男性より能力が高い可能性」を最初から排除していることです。それは「無意識の女性差別」と見て間違いない。


テニスにおける男女格差
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テニスでは、ちょっと前まで男女の優勝賞金に差がありましたが、いまは四大大会はすべて男女同額らしく、それより下の大会でもすべてそうなのかは知りませんが、40年前とかは男子のほうが数倍も多かったらしい。

だからといって、まったく同じにする必要なんてないと思います。
優勝賞金って何よりもチケット収入が主な財源なんだから、男子の試合に観客が多ければ男子に多く払い、女子の試合に観客が多ければ女子に多く払えばいいだけの話では? 前年度の男子と女子の観客動員の比率をその年の賞金額の比率と同じにする、とか。

実際には、男子の試合の集客率のほうが3倍ほど高いようです(私は女子のテニスのほうが面白いんですけど、そう思って見ているのは少数派とか)。ただ、大会によってばらつきがあるはずなので、男子が女子より3倍の観客を集めたのなら賞金も3倍にすべきだし、2倍なら2倍、1.5倍なら1.5倍。当然、女子が男子より2倍観客を集めたのなら女子が2倍もらうべきです。「男女平等」ってそういうことじゃないの?

だからやっぱり問題は「固定化」なんですよ。すべてを流動的にすればいい。

それから、フェミニストとか男女平等論者がずれてるなぁと思うのは、「男女が平等であればそれでいい」と思っていることなんですよね。

テニスにおける格差は男女だけではありません。
シングルスとダブルスの格差は男女の格差以上です。そりゃそうだと思います。私もシングルスは好んで見るけれどもダブルスなんてほとんど見たことないですから。観客が呼べないのであれば賞金は少なくて当たり前でしょう。しかし、男女平等論者は「男女の格差は許せない」と息巻くのに、シングルスとダブルスの格差には何も言わない。「結果」の平等を問うのであれば、どちらにも反対の声を上げないといけないはずなのに。


「政治的正しさ」は両刃の剣
いまの世の中、「政治的正しさ」こそが正義と思っている人が多いようですが、それは「手段」にすぎないと思う。男だからという理由だけで高額のギャラをもらうのはおかしい。そこに「男女平等」という政治的正しさをもちだして是正していくのは大事なことです。でも、それが「目的」になってしまったら「男女同額」という歪んだ平等主義に行き着くしかない。女性が男性より能力が高い場合でも、男性と同額のギャラしか受け取れなくなってしまいます。

政治的正しさというのは、だから両刃の剣なんです。そんな危険なものはあまり振り回さないほうがいい。

繰り返しますが、「男女同額」という発想の根底にあるのは「女性が男性を上回る可能性などない」という女性蔑視の思想です。


梅沢富美男の未婚ハラスメントとハゲハラについて思うこと

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歯に衣着せぬ男、梅沢富美男が『梅ズバッ』で未婚ハラスメントをしたとか昨日ツイッターで見ました。

番組そのものは見ていません。ユーチューブにあるかなと思ったけれどなかった。でもまぁだいたいわかりますよ。ゲストの吉田羊と楠田枝里子に「何で結婚しないんだ」と言ったとかで、この人がどういう言い方をしたかくらいは見なくてもわかる。

あらかじめ断っておくと、私はこのオッサン好きですよ。もしかすると、クリント・イーストウッドが2年前の大統領選挙のとき「みんなポリティカリー・コレクトネスにはうんざりしているんだ。だから俺はトランプに投票する」と言ったのと同じかもしれません。
私はトランプは嫌いでしょうがないけど、梅沢富美男は大好き。言いたい放題だけど嫌味がない。でも、嫌味があるかないかという感じ方は人によって違うのでしょう。

で、当のツイート主の主張は、「なぜ結婚しないんだ」という未婚ハラスメントが昔から横行していて、もういいかげんやめてほしい、というものでした。

わからないではない。私もこの歳で未婚だから「なぜ」とか「同い年の人はみんな結婚して子どももいる」とか言われるともちろんいい気はしません。でも、それをハラスメントだとかこの世からそういう発言をなくすべきだとか、そんなことを思ったこともない。

人間は言葉でコミュニケーションを取る生き物で、言葉が刃物になることがある。誰のどんな言葉だって刃物になりうる。だって相手が何を嫌がるかは当人にしかわからないから。

繰り返しますが、私自身は「なぜ結婚してないの」と言われるのはいやです。いやだけれどハラスメントだと告発するつもりはない。私が相手を知らず知らず傷つけていることも多々あるだろうし。

そう、人間は刃物となりうる言葉でコミュニケーションを取るのだから、常に心を傷つけたり傷つけられたりという状況にある。

どうも最近の人たちは傷つきやすくなっていませんかね? ツイッターでも「自分の好きな映画をけなされるのがすごくいや」と言ってる人たちがいます。好きな映画を否定されると自分が否定されたように感じるんですって。そんなの単に感じすぎなだけしょう。

「なぜ結婚しないの」はハラスメントだと思います。だけど、すべての言葉がハラスメントになる可能性がある以上、ハラスメントを完全追放するのは不可能です。



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私は禿げてますけど、自分からハゲを笑いのネタにするから周りは逆に安心するそうです。それはおそらく、この人には少々のことならハゲハラにはならない、というサインになるからでしょう。それぐらいハラスメントということに対して言われる側はもちろん、言う側もセンシティブになっている。

そりゃ私だって、こちらが笑いのネタにしているからといって度を越した言葉や笑いにはいやな気がしますけど、「人間はそういうもの」と思ってやり過ごしています。やり過ごせばいいだけの話じゃないの? 

すべてのハラスメントをやり過ごすべきだと言ってるんじゃないですよ。やり過ごせないほどひどいなら、「おっぱいもませて」の事務次官や「このハゲーーーー!」の議員みたいに録音して訴えて社会的制裁を受けさせるべきでしょう。でも「何で結婚しないの」ぐらいの言葉がそれに該当するとは思えない。

どうもいまの世の中は、「どこまでもクリーンでなければならない」という強迫観念が蔓延していると思う。少しでも心地よくないものはこの世から追放しましょうと。

抗菌グッズの売り上げを表す折れ線グラフと、アレルギー患者の増減を表す折れ線グラフは完全に一致するそうです。

過ぎたるはなお及ばざるがごとし。きれいすぎるのも問題なのでしょう。

私だって結婚したら未婚の人に「なぜ結婚しないの」って言っちゃうと思う。

いまの日本人は「自分は被害者になる可能性がある」ということをデフォルトにしています。それでは片手落ちで、「被害者になる可能性もあるし同時に加害者になる可能性もある」というのをデフォルトにしないといけないと思うのです。


女と土俵①女人禁制はカネになる

結論から先に言いますと、女人禁制の本当のところの理由は「カネ」だと思います。相撲であれ、大峰山などの霊山であれ何であれ。


女性には「価値」がある
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まるで女性を物のように扱うこのような場面に顕著なように、女性には「価値」があります。価値があるから貨幣と同じように交換の対象となるわけで、男には何の価値もないから交換の主体になるしかない。文化人類学ではそういうことになっているらしいです。確かに洋の東西を問わず女性は交換の対象になっています。

今回の大相撲の女人禁制問題は、人が死にかけているのに人工呼吸をしようと土俵に上がった女性に「下りてください」とアナウンスしたことに世間が怒りの鉄槌を降したことに端を発していますが、あれは非難されて当然でしょう。女人禁制が妥当かどうかはこれからみんなが考えていかないといけない問題ですが、多くの識者の言うとおり、人命より優先される伝統やしきたりなどありません。

ただ、そのせいでみんなヒステリックに「女人禁制などナンセンス!」とがなり立てすぎではないでしょうか。もうちょっと冷静に考えてみようというのがこの記事の眼目です。


山の神は「女」
12年前に脚本家の内館牧子さんが『女はなぜ土俵にあがれないのか』という本を出しました。まったく憶えてないので図書館で借りてきました。まだ読んでませんが、気になる関連書も一緒に借りてきました。

その一冊、『女の領域・男の領域』という本では、「女人禁制」について丸々一章が割かれています。

初めて知ったんですけど、トンネル工事も女人禁制なんですってね。霊山が女人禁制なのと理由は一緒で、山の神は女神だから女性が入ると嫉妬して激怒するからなんですって。

これと同じように、狩猟は山で行われるものだから女人禁制。だけど面白いことに、漁業でも同じように女性は船に乗せない場合が多々あるらしいんですが、それはあくまでも日常的な漁の場合であって、新しく造った船の船おろしには女子を化粧させて乗せたり、豊漁祈願の祭りでは妊娠した女性を乗せるとか。
女性には子どもを産む能力があり、そのために月経の血を穢れとして忌む風習もあれば、逆に生殖能力を利用して豊漁を願うこともある。つまり、時と場合によって何とでも言いかえることができるんですね。


「作られた伝統」とは
言いかえることができると言えば、今回の相撲の女人禁制で識者の多くが口にしていた、「江戸時代には女相撲とか普通にあって、女人禁制になったのはたかだか明治以降。作られた伝統なのになぜ守らなきゃいけないの?」という言説には違和感を禁じえませんでした。
だって、それを言ってしまったら「いつ作られたか明確にわからない伝統」においては女人禁制を認めないといけなくなるじゃないですか。

伝統というのはすべて「作られたもの」なんじゃないの? 比較的浅い歴史しかない伝統を「作られた伝統」とよく言いますが、しょせん伝統なんて人間が始めたものなんだから地球や宇宙の歴史からしたら浅すぎるほど浅い。


経済的な理由で変わる伝統
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大峰山などの霊山で女人禁制なのは「山の神は女で女が入ると嫉妬するから」とされていますが、しかし、神が人を作ったのではなく「人が神を作った」のだから、「女が山に入れない理屈を作るために、男たちが山の神を女にした」のが本当だと思うんですよね。

何のために? 
古来の女人禁制の理由についてはまだわかりません。もっと勉強しないといけない。

ただ、はっきりしているのは、現在の女人禁制の理由は冒頭にも掲げたとおり「カネ」です。

大峰山だって、1970年に女人禁制の結界をだいぶ狭めたそうですが、その理由は「観光による地域振興」とはっきり謳っていたそうですから。それに、若者がみんな都会へ出てしまうから女性も山仕事をしないと追いつかなくなり……ということなんだとか。
しかしそれならすべての結界をなくしてしまえばいいのに、と思いますが、女人禁制をいまに残す最大の理由は「信仰と経済」の問題らしいです。つまり、女人禁制を解けば「一般の山」になる。観光客は増えても信者は来なくなり経済的に疲弊するんだとか。つまりは信者にとって「唯一の山」でありたい、と。

女人禁制を守る理由もカネなら、ゆるめる理由もカネ。

甲子園もそうですよね。おととし、女子マネージャーが甲子園に入ることを許されませんでしたが、同じ甲子園でもプロ野球の始球式を女性タレントがすることがあります。なぜそれは許されるのか。女性タレントを呼んだほうがカネになるからに決まっています。

じゃあ、なぜ高校野球のときはダメなのか。それはたぶん、「唯一性」だと思います。

祇園祭で2001年に山鉾に女性が乗ることが許され、300年ぶりに女人禁制が解かれたということが話題になりましたが、そのときも反対派には「いくら男女平等といってもそういう場がひとつくらいあってもいいと思う」という人が多くいたとか。

今回の「土俵に女は是か非か」の議論でも「そういう場があってもいいのではないか」という人がいる。
そして、「唯一」や「他と違う」というのはそれだけで「価値」つまり「カネ」となります。

だから、土俵に女を上げないというのもそういう唯一性、他とは違う場所≒神聖な場所として担保しておきたいということなのでしょう。

ただ、そう結論した途端に疑問が湧きおこります。

なぜ、「唯一性を担保するために“女人禁制”が要請されたのか」です。「老人排除」でも「障碍者排除」でも「子ども排除」でも「ハゲ排除」でもなく、なぜ女性が排除されるのか。

これはまったくの推測ですが、冒頭に書いたとおり、女性そのものに「価値」があるから男性がそれを恐れてこういうことになったんじゃないかなーと。しかしこれは推測の域を出ません。

まだまだ勉強が必要なようです。(つづく)

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