社会批評

2020年05月31日

手越祐也が無期限活動自粛という処分を下されました。

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自粛期間中に一度ならず二度、三度と首席を設けていたのが理由だそうで、そりゃできるだけ三密を回避しなくちゃいけないときに軽率すぎるという非難は的を射ているでしょうが、そこまで叩かれないといけないこととは到底思えないんですよね。

社会学者の古市憲寿は、検察庁法改正で危うく定年延長されそうだった黒川某の賭け麻雀のほうがよっぽどヤバい案件であって、手越の件はそこまでバッシングする必要があるのかとまっとうな意見を述べていました。


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山田孝之も活動自粛までは追い込まれてはいないけれど、祖母のいる沖縄に家族で旅行に行っていて非難されましたよね。

先週のワイドナショーで中尾明慶が「高齢の人がいるからこそ行っちゃダメだと思うんですよ。感染させちゃうかもしれないわけだし」と言っていましたが、これも至極まっとうな意見だと思う反面、本当にそうか? と思ってしまったのも事実。

だって、「こういうときだからこそ」会いたかった可能性もあるじゃないですか。山田孝之が会いに行かなくても近隣の誰かから移されて死んでしまうリスクは充分ある。そしてもし感染して死んだらもう二度と対面できないんです。死に顔にも会えないんですよ。その前に会っておきたかったという可能性はある。

私たちは、志村けんが死んだときのニュースにもっと驚き、憤るべきではなかったか。


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死体からも感染する可能性がある。だから対面させない。それは至極まっとうな対処の仕方に見えるけれども、実は至極非人間的な対処ですよね。死に顔にさえ会わせないんだから。まるで戦争で死んだ息子が骨になって帰ってきたみたい。志村けんのお兄さんも、岡江久美子の旦那・大和田獏も同じような苦言を呈していました。それってどうなの、と。

ちょうど一週間前、BS1スペシャルで「コロナ新時代への提言 ~変容する人間・社会・倫理~」(6月3日深夜に再放送予定)という番組が放送されました。


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左から哲学者の國分功一郎さん、霊長類学者で京大総長の山極寿一さん、歴史学者の飯島渉さん。

一番印象的だったのは『中動態の世界』のインパクトがいまだに強烈な國分功一郎さんの言葉でした。

イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンが、次のようなことを言ったというんですね。

「生き延びることだけが唯一絶対の正義という社会とはいかがなものだろうか。死者は遺族にも会えず葬儀もしてもらえない。これは『死者の権利』の蹂躙である」

この発言はヨーロッパ中で大炎上したそうです。感染を広げないためには当たり前のことではないか、と。

でも、疫学的には当たり前のことであっても、もう一度そこを疑ってみようよ、というのがアガンベンの主張らしく、國分さんも100%アガンベンの主張に同意しているわけではないみたいですが、「哲学者とは人々にとってのアブのような煙たがられる存在のこと」というソクラテスの言葉を引き合いに出し、いまこういう炎上発言をするアガンベンは本物の哲学者と言っていいだろうということでした。傾聴に値します。

感染を広げないことはいま何よりも重要かもしれない。でも、「それだけが重要」になってはいけないと強く思います。

疫学的なものの見方だけがすべてではない、というのはいま構想中の小説にも活かせそうです。感謝。








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2020年05月02日

okamura

ナインティナインの岡村隆史が、

「コロナ騒動が終われば金に困った美女が風俗に殺到しますよ。チャンス到来!」

みたいなことをラジオで発言して大炎上しました。


言ってはいけないこと
私自身もあれは言ってはいけないことだと思いました。

何しろ、いま世界中で倒産と解雇の嵐で、世界大恐慌以来の超不景気到来と言われています。いろんな人がお金に困るでしょうから美女が風俗に殺到するのは確かでしょう。でもそれを待ち望んでいる、つまり他人の不幸を心待ちにするかのような発言は完全にアウト。不快感を禁じえませんでした。

しかし……

岡村を番組から降ろせとか、他番組である『チコちゃんに叱られる』からも降ろそうという署名運動が行われていると聞いて、途端にきな臭いものを感じました。

署名活動をやっている女性の文章も読みましたが、違和感を感じずにはいられませんでした。


買春は「搾取」なのか
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その人の文章では「男が女を買うのは性的搾取だ」とありました。

そりゃ、借金のカタに仕方なく売ってる人もいるでしょうが、将来お店をもちたいからその資金に、とか、遊ぶお金がほしくて、とか、単に興味本位で、という女性もいますよね。私はそういう人たちを実際に買ったことがあるから知っています。

「気がついたらこの店に連れてこられてた。でも借金じゃない」なんてことを言った子もいましたが、さすがにそれは嘘でしょう。借金が理由で、となると性的搾取になるのかもしれませんが、手軽に稼げるからという理由で売春している人を買うのは別に搾取でも何でもないでしょう。単なる金銭と商品+労働力の交換です。

「でも、借金のカタに仕方なく、という人は大勢いるだろうし、岡村の言うようなコロナのせいで困窮して仕方なくという人も終息時にはかなりの人数出るはず、それは搾取に決まっている」

という声が聞こえてきそうです。

それは確かにそうかもしれません。

しかし、それなら、仮に女が男を買う店があったとしたら、それも性的搾取になるんですよね?

実際にそういう店があるのかどうか知りません。本や映画の中でしか見たことがない。

でも、ずっと以前、職場の女性でこんなことを言った人がいました。

「何で女が男を買う店ってないんですかね? 私はあっていいと思うんですよ。男だけが買えるっておかしくないですか?」

この人は男女平等の観点から「女にも性的搾取をさせろ」と言っていたのでしょうか?

その人は続けて言いました。

「男だけが楽しむなんて不公平だ。女も楽しみたい」

そういうことを平気で言う放縦なところのある人ではありましたが、普通に結婚している家庭人で、ごく普通に仕事をこなす労働者でした。

そういう人でも「男女平等の観点から」女にも買春させろと言ってはばからない人がいるのです。男が女を買う行為が性的搾取なら女が男を買う行為も同様になりますが、それでいいんでしょうか。


売りたい男もいる
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映画や本で描かれる女性相手に体を売る男娼は性的搾取を受けているんでしょうか? 

正直に告白しますが、私自身、そういう仕事があるならやりたいと思ったことありますよ。かなりお金に困っていたとき。でも「たまには男が相手のときもある」と知ってそれ以上調べるのをやめました。というか、かりに女性相手だけだとしても、ほんとにそういう店で働いたかどうかとなるとかなり疑問です。

それはやはり実家暮らしだったからでしょう。別に仕事がなくても死にはしなかったから。

でもいまは独り暮らしだから困窮してどうしようもなくなったらそういう仕事があればやりたいというか、やらざるをえないですね。それは岡本が言うコロナ後の美女たちと事情は同じ。まだ女性のほうがそういう働き口がたくさんあるからうらやましいくらい。男娼なんかほんとに存在するとしてもめちゃくちゃ狭き門でしょう。

最初に書いた通り、岡村の発言は他人の不幸を待ち望むものだから絶対に許してはいけません。

が、性風俗産業そのものが性的搾取だからやめろ、というのもまた私は容認しがたい。


岡村発言の「真偽」
売春業に従事しないと生きていけない人はどうすればいいのか。実際、コロナ終息後にはそういう人がたくさん出ますよね。

岡村の発言は許しがたいという意見は私も含めて大多数派ですが、「こんな子が風俗で働いてるなんて、と驚くような美女が殺到する」という未来予想図に関しては誰も異論がないようです。発言の「是非」にはいろんな意見があるようですが、未来予想図の「真偽」に関しては誰もが「真」だと思っている。

ということはですよ、もし岡村発言がなく、コロナ終息後に『5時に夢中!』みたいな番組で、

「コロナで生活に困った女性が風俗に殺到しているらしい。かなりの美女も結構いるみたいで男たちはウハウハなんだって」

みたいな発言があったとしても、そうだろうね、世の中そういうもんだろうね、と考える人が大多数派だということですよね? 岡村のように「自分にとっておいしい未来かつ他人にとって不幸な未来」を志向しているのではなく、現状を説明しているだけの言葉だからケチのつけようがないはずです。

ということは、性風俗産業は性的搾取だから云々かんぬんという論調も、岡村発言がなかったら出てこなかったということじゃないんですか? 実際に借金のカタに体を売らされている女性は昔からずっといるのに、失言がなければ声を出さないというのは、私には「他人の尻馬に乗っている」だけのように感じられます。


「最終手段」は認めてほしい
私がコロナ終息後に「今日食うものもない」という状態になったとしたら、「性的搾取でも何でもいいから稼ぎたい!」と強く思うでしょう。

今回岡村に番組降板を要求すると息巻いている人たちは、「自分が体を売らないといけない羽目になる」という可能性を最初から除外しているように感じられます。私が感じる違和感の正体はそこです。

性風俗産業自体をなくすべき、という意見も聞こえてきますが、それは明らかな間違いでしょう。

だって、岡村の未来予想図の真偽に関しては誰も異論がない。「世の中そういうもの」であるなら、そういう世の中を維持しないと今日食う物もない人はいったいどうしたらいいんですか。

売買春のない世界というのは一見「正しい世界」に見えるけれど、本当は誰もそんなもの望んでないし、そんな世界が実現するとも思ってないでしょう。「男を買ってみたい」という女性だっているんだから。

それに、食うものもない、住むところもない、着るものもない、でも、最後に売るものがある、という「最終手段」が認められているほうがぎりぎり踏ん張れそうじゃないですか。ただ、男の場合、女よりも需要が少なそうなので心細いですけど、でも認められていれば何とかなりそう、とは思える。

そうならないように常日頃から貯金をして……なんて正論はコロナ相手には通用しません。この状態がいつまで続くかわからないのですから。

私たちはいま誰もがみんな、この体を売るしかなくなるかも、という非常事態に直面していることを肝に銘じるべきだと思います。





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2020年04月22日

サッカーのスペイン1部リーグのバルセロナが、本拠地「カンプ・ノウ」のネーミング・ライツ(命名権)を売るというニュースを見て、マドリディスタの私は思わずほくそ笑んでしまいました。


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新型コロナウイルスの研究、ワクチン開発をする組織に寄付をするためらしい。そのために命名権を売るというのは、一見、類まれなる善行のように見えます。

しかし私にはそうは思えません。

なぜなら、バルサは3年ほど前にもカンプ・ノウの命名権を販売しようとしていたからです。それも30年契約で。

今回は1年契約とのことですが、それで終わるとは思えません。

確かに新型コロナは長期化するだろうと言われています。いまはあくまでも第一波であって、一度終息しても第二波、第三波が来る。

とはいえ、100年前のスペイン風邪だって3年だったのだから、その程度でしょう。いくら長く見積もっても5年くらい。それだけの時間があればワクチンもできるだろうし、抗体をもった人が大多数派になるからそれ以上のパンデミックなどありえない。

とすれば……

もともと30年契約でボロ儲けしようとしていたクラブならそれ以上の甘い汁を吸おうとするのは目に見えています。おそらく、コロナが終息すれば別の企業と30年契約に近い形で儲けようという寸法でしょう。何がしかの口実を設けて。

そうです。
「新型コロナのために寄付をするため」というのは口実です。見え見えです。

もともとバルサは、以前は「ユニセフ」のロゴをユニフォームに付けていて、広告料を取ってないばかりか、逆に寄付金を払ってたんですよね。

そのお金はすべてソシオ(会員)からの会費と入場料収入やグッズ販売の収益だけで賄っていた。それがいまや「RAKUTEN」のロゴを入れて広告収入を得ています。

そこまでは別にいいです。どこのクラブもやっていることだから。

ただ、命名権を売るというのは名前を売るということ。いくら「カンプ・ノウ」という名前はそのままにスポンサーの名前を追記するだけとはいっても、名前を売ることには違いない。

名前とは「魂」に等しいもの。『千と千尋の神隠し』で主人公が湯婆婆によって「千尋」という名前を奪われて「千」という名前をつけられ、そのために元の世界に戻れなくなったことからもわかるように、名前は魂そのもの、この世で生きるための重要な何かなのです。

それをカネで売る? ありえない。

まあ、レアル・マドリードだってサンティアゴ・ベルナベウの命名権を売る売らないでもめたことがあるからあまり人のことは言えませんが、それでもあのフロレンティーノ・ペレスが実権を握っていてもまだそういう事態は出来していないわけで、まだバルサよりは自分たちの魂を大切にしていると思われます。


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メッシには常に移籍の噂が絶えません。クラブ幹部との軋轢もよくニュースになります。火のないところに簡単に煙を立たせられる時代なのでどこまで信用できる情報かわかりませんが、彼はカネのことしか頭にないクラブの幹部たちに苛立っているんじゃないでしょうか?

バルサまた内紛⁉

マドリディスタは思わずほくそ笑んでしまいます。












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