もう半年ほど近く前に出た本ですが、まだまだ話題の橘玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮社新書)を読みました。

そして、大いなる違和感を覚えずにはいられませんでした。


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この画像にもあるように、だいたい「遺伝」で人生が決まってしまうという「残酷な真実」が語られます。

何でもかんでも遺伝子が決めていることにするというのは、20年ちょっと前の『利己的な遺伝子』を読んだときに感じた違和感と同じで、いや、確かに遺伝子レベルではそうかもしれないけれど、何十兆か何百兆か知りませんが遺伝子の総体として一人の人間という個体があるわけで、もし人体が「部分の総和が全体を超える」ものであるならば、遺伝子の総体としての人間は、遺伝子が考えている以上のことをするんじゃないか。いや絶対そうでしょ、みたいな。

しかしですね、私がこの本を読んで覚えた違和感というのはそういう本文に書いてあることよりも、「あとがき」を読んだときに感じたもののほうがずっと大きいんです。

著者の橘玲さんは、去年の初めにフランスの新聞社シャルリー・エブドがムハンマドの風刺画を載せたことでテロリストから襲撃されたことが本書執筆の大きな動因になったと語っています。

「不愉快なことを言うのがけしからんという風潮に一石を投じたかった。人が不愉快に感じることほど真実を含んでいることが多いし、そこを認めずに表現の自由も言論の自由もありはしない」

みたいな言葉でした。うろ覚えですが。

確かに「人が不愉快に感じることほど真実を含んでいることが多い」という箇所には大いに賛同します。『言っててはいけない』に書かれていることが本当かどうかは別にして、一般論として少しも間違っていないと思います。しかしながら橘氏は「本書に書かれていることにはすべてエビデンスがある」とおっしゃっていますが、そのエビデンスがすべて文献というのはどうなんでしょうか。それってエビデンスなの? ただの伝聞情報では???

それはさておき、シャルリー・エブド事件は表現の自由・言論の自由を脅かすものとして議論が沸騰しました。私はその頃はまだまだ脚本家になる夢を捨てていない「表現の自由は死守すべきと信じている人間」でしたが、シャルリー・エブドには何の同情も感じませんでした。むしろ教祖を貶められたテロリストたちのほうに同情してました。あえてはっきり言いますが、テロリストがシャルリー・エブド社を襲撃したというニュースを聞いて喜びました。天誅が下された、と。

不愉快なことほど真実を含んでいる。それは大概の場合は当てはまりますが、よその宗教の開祖を貶める絵(あれは「風刺」ではありませんが。ただの「愚弄」です)などは、「不愉快」ではあっても「真実」など1ミリもないでしょう。

「他人を不愉快にする自由」など存在しません。

直近の例を出すと、アナウンサーの長谷川豊が「自業自得の透析患者を殺してしまえ」と発言して炎上した末に当の長谷川氏はいくつものレギュラー番組を降ろされました。
本人のブログを読むと、あの日記を読んで気を悪くした人たちが徒党を組み、ありもしないウソ話をでっち上げて話を盛って盛って、そのうえでスポンサーに働きかけて降板させたらしく、それが本当なら「どっちもどっちやなぁ」と思わざるをえませんが、どちらがより悪いかはともかく、この問題の発端は長谷川氏のブログであって、そこには「医者の注意を聞かずに透析が必要になった人間に健康保険が適用されるのはおかしい」と書いてありました。

私は先週の日記で「人間は必ず間違う存在なのだし、何でも真面目にきちんとできる人だけを対象にした制度設計はおかしい」と異議申し立てをしました。私は透析患者でも何でもないし家族にもいませんが、「この人は人間というものがわかっていない」というその一点において「不愉快」になりました。長谷川豊には、自分もそういう「自業自得」な状況に陥ることがあるかもしれない、という想像力が決定的に欠如しています。

シャルリー・エブドの愚弄画も同じでしょう。もしイエス・キリストを辱める愚弄画をイスラム教徒が描いて新聞に載せたらどう感じるかという想像力が欠落している。

相手を思いやることなしに「俺たちには自由がある!」と叫んでも意味がない。いや、意味がないどころか迷惑至極です。それこそ殺されても「自業自得」です。長谷川豊も同様でしょう。

と思っていたら、昨日、小松菜奈出演のあるCMが放送中止の憂き目に遭ったニュースを見て考え込んでしまいました。

クレームをつけた人たちの言い分にはまったく納得いかないけれど、彼らは「不愉快」な思いをしたんですよね。でも私は「なぜその程度が不愉快なの?」と理解できない。

不愉快というものの尺度は千差万別で人によって違います。

ここは難しい。クレーマーたちを愚者となじることは簡単ですが、この問題はもう少し時間をかけて考えてみたいと思っています。