聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

主義・主張

アニメDVDについて文句をつけたい二、三の事柄

今年の目下のところのベストワン映画は『リズと青い鳥』でして、アニメはちょいと苦手なんですが、やたら評判がいいのと、もともとのシリーズ『響け! ユーフォニアム』を見てなくても充分わかると教えてくれた人がいたので思い切って見てみたらこれがドンピシャ! あまりのすごさに言葉を失ったのでした。

で、もとのシリーズを見てみようと思ったんですが……



こんな感じで7巻に分かれてるんですよね。1枚に2話ずつ。しかも私はレンタルでしか見ないけど、画像のブルーレイBOXは5万円以上もするんですって。これは在庫切れで値が吊り上ってるのかと思ったら、1枚当たりの定価が7000円ほどで、それなら7枚プラス特典がいろいろ付いてるはずだから5万以上というのは定価でしょう。

ていうか、え? 1枚7000円??? 

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試みに調べてみると、ジブリアニメがだいたい1枚4000円ほど。

高くないですか? 
日本映画のDVDは、というか、ハリウッド映画以外のDVDはほとんどやたら高いですが、それは、ハリウッド映画は全世界が市場だから単価を安くしても充分利益が上がるからでしょう? 
であれば、日本のアニメだって世界中で見られてるんだから単価を安くしてもいいのでは?

FIFAワールドカップがたけなわな今日この頃ですが、サッカー選手には『キャプテン翼』のファンが非常に多い。
というわけで調べてみたところ、『昭和版』というDVD-BOXが24枚、128話分で7930円。1枚あたり330円。それが『ユーフォニアム』は1枚7000円っておかしくないですか? 

そもそもの問題として、1枚になぜ2話しか入ってないの? これは他のすべてのテレビアニメ作品に言えることですけど。詰め込めば2枚だけで足りるだろうに。そりゃ枚数が多いほうが旨味が多いのはわかるけれども、ちょっとファンを馬鹿にしすぎでは?

というわけで私は総集編の劇場版を見ました。いろいろ解説なんかを読むかぎりではテレビシリーズと劇場版では当然ながら構成が大きく違うみたいだし、テレビでは出番の多かったキャラクターが劇場版ではほんのちょっとしか出てこなかったとかいろいろ異動があるみたいで、よけいにテレビシリーズを見たくなってしまった。

繰り返します。
アニメDVDは枚数が多すぎるうえに単価が高い!(一説によるとDVD1枚あたりの原価って100円程度らしいです)


『映画秘宝』創刊者・町山智浩の問題発言について

昨日発表のあったアカデミー賞受賞式。『シェイプ・オブ・ウォーター』の作品賞受賞についてコメントを求められた町山智浩さんが、怪獣映画がオスカーを獲得したことに感極まって言葉を詰まらせたときは私も思わずもらい泣きしてしまいそうになりましたが、その次の発言には「???」でした。


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「これからはゴジラもゾンビもバットマンもアカデミー賞という土俵で戦えるんですよ!」

この発言、ネット上でかなり持ち上げられているみたいですが、私には大いに疑問です。

まず、『シェイプ・オブ・ウォーター』って「怪獣映画」なんでしょうか?

確かに怪獣は出てきますが、ゴジラみたいに怪獣の破壊的行動を描くとか、ゾンビみたいに主人公を食い殺そうとするとかそういう存在じゃないですよね。「怪獣映画」ではなくて怪獣との恋愛を描く映画、だからあれは「恋愛映画」。

オスカーを受賞できたのも「愛」をメインに据えていたからじゃないですかね。私はまったく乗れませんでしたが、あの映画に票を投じた人は異形の者との愛に感動したのであって怪獣そのものに感動したわけじゃないはず。

だから、『ザ・フライ』みたいに、もとは人間だけど異形の者になってしまった男との悲恋ものなら、いまなら何らかの受賞対象になるかもしれません。でも暴れる怪獣と軍隊が戦うような、町山さんやギレルモ・デル・トロが子どもの頃に見て大いに楽しんだ「怪獣映画」がオスカーを獲得することはほぼないでしょう。

『ゲット・アウト』の脚本賞受賞で「ホラーが受賞するなんて快挙!」と喜んでいる人たちがいますが、ホラーというより黒人差別問題という古い酒を新しい革袋に入れて提示したことが評価されたのでしょうから、ゾンビ映画でいえば、ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』なら受賞の対象になるかもしれませんが、『ゾンビ』や『死霊のえじき』が受賞するとは到底思えません。

だから『悪魔のいけにえ』『ビヨンド』『ゼイリブ』のような映画がアカデミー賞を受賞することは永遠にないと思われます。
私は『悪魔のいけにえ』をこよなく愛する人間ですが、あの手の映画にアカデミー賞を受賞してほしいなんて少しも思いません。
同年に作られた刑事アクションの傑作『ダーティハリー』と『フレンチ・コネクション』は、後者にだけ栄光が与えられ、前者には何も与えられませんでした。

私はそれでいいと思っています。『ダーティハリー』ほど「無冠の帝王」と呼ぶにふさわしい映画はありませんから。

そこなんですよ。なぜ怪獣映画やホラーやアクション映画が「無冠の帝王」のままじゃダメなんでしょうか?

町山智浩さんといえば『キネマ旬報』や『映画芸術』など既存の映画雑誌が選ぶ「由緒正しきベストテン」に対するアンチテーゼとして『映画秘宝』を創刊した人でしょう? 「無冠」であることにこそ価値があるんだ、俺はそういう映画をこそ称揚したいんだ、という思いが誰よりも強い人だと思っていました。

それがアカデミー賞という「権威」のお墨付きをもらったことに泣いて喜ぶというのはどうにも解せません。

「これからはゴジラもゾンビもバットマンもアカデミー賞という土俵で戦えるんですよ!」

これは『映画秘宝』という雑誌を創刊した人間が絶対に口にしてはいけない言葉だと思います。

キネ旬に対するアンチテーゼじゃなくて「キネ旬になりたかったんだ」と思いましたもの。
『映画秘宝』を創刊したときは純粋に「日陰の無冠の帝王映画」を称揚するつもりだったのでしょうが、いつの間にか『映画秘宝』が権威と化してきたために「世界最大の権威」にすり寄るようになってしまった。

ミイラ取りがミイラになるとはこのことかと。



江戸しぐさを考える(別に嘘でもいいのでは?)

江戸しぐさというものがあります。
ありますなんて言ってはいけないんですかね? だって巷では「あんなものは嘘だ」「捏造だ」とものすごい批判にさらされていますから。






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江戸しぐさの代表的なものがこの「傘かしげ」で、傘を差した者同士がすれ違うとき、お互いの傘を傾けてぶつからないようにする。

江戸しぐさとは、そういう、世間で生きていくためのマナーなんですね。「江戸時代の人たちはそのようなマナーをもって生活していた」ということで、芝三光、本名・小林和雄という人がちょっと前から広めたもののようです。

他にも、

「こぶし腰浮かせ」
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乗合船などで、後から来る人のために拳ひとつ分だけ腰を浮かせて座っていた、というもの。

「うかつあやまり」

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足を踏まれたほうが、「いや、私のほうがうかつでした」と言って、その場をやんわりとおさめる。

その他、約束の時間に遅れることを「時泥棒」というとか。

私は5年ぐらい前でしょうか、何かの縁で江戸しぐさに関する本を数冊読み、「へぇ、うかつあやまりって面白い」とか「傘かしげは確かにいまはやらない人がいる」とか呑気な感想をもっていました。まぁ、江戸しぐさというものを信じていたわけです。

それが昨今の江戸しぐさバッシングを見ていると、

「時間の概念がほとんどない時代になぜ『時泥棒』などという発想が出てくるのか」
「乗合船にはいまのような座席がなかった。座席がないのになぜ『こぶし腰浮かせ』などできるのか」
「当時、傘は贅沢品で、庶民はみんな雨合羽みたいなのを着て雨中を歩いていた。『傘かしげ』は絶対に嘘である」

という、至極まっとうな批判で、確かにそれも一理あるな、というか、江戸しぐさはやはり嘘であろうと思うわけです。



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ただ、私は「嘘でなぜいけないの?」と思うわけです。

というか、つい先日、雨の中を歩いていたら高校生の一段とすれ違ったんですが、こちらがいくら傘かしげをやっても向こうがしないから傘が衝突してお互い雨粒に濡れることになってしまいました。

おそらく彼らに「すれ違うときは傘を傾けなさい」とまっとうな注意しても聞く耳をもたないでしょう。

そこで考え出されたのが「江戸しぐさ」だと思うんですよね。
国造りの神話のように「マナー作りの神話」として。

「江戸時代の昔からそのようなマナーがある」というファンタジーを捏造することによってマナーの失われた現代にマナーを甦らせる試み。いいじゃないですか。

それを、嘘の歴史を捏造することで教育上問題がある、と批判している人たちって「正しい」ことだけが正義みたいに言っていますが、何が正しいかなんてわからんですよ。

ちょっと前まで「ビタミンCは風邪に効く」と言われていましたが真っ赤な嘘だといまでは言われていますし、歴史に関することだって、例えば聖徳太子は実在の人物として私は教わりましたが、いまは違うんでしょ。「厩戸皇子(聖徳太子)」と記述しないといけないとか。

厩戸皇子はいたのかもしれない。でも、さすがに神武天皇はフィクションでしょう。アマテラスやスサノヲ、イザナギ、イザナミにいたっては誰がどう考えても嘘です。

だから、「正しい歴史」を標榜する人は、『古事記』をも否定せねばならず、それはすなわちこの国の成り立ちを根底から否定することになりますが、そのことにどれだけ自覚的なのでしょうか。

話が大きくなりすぎましたが、つまるところ、根拠は嘘でもそれで「正しいマナー」が広まるなら別にいいんじゃないですか、というのが私の主張です。

「江戸しぐさ」という神話を根拠にしないとマナーを根づかせることが不可能な時代、ということのほうがよっぽど大きな問題だと思いますね。




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