聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

アニメ

ファーストガンダムの政治学③「戦後」を見据えるシャアの深謀遠慮

『機動戦士ガンダム』全43話の再放送がついに終わってしまいました。最終回で、またまた子どもの頃に見た記憶との相違に驚愕しました。

前回までの記事
①地球連邦軍の非情
②シャアを利用するキシリアの狙いとは 



シャアがザビ家への復讐に燃え、ジオン軍の兵士と戦っているけれどもそれは仮の姿。ザビ家の連中の寝首をかくためにそうしている、というのは憶えていました。

が、最後の最後で唯一生き残ったキシリアをバズーカで仕留めて復讐を完遂させるからか、シャアは最後までザビ家への復讐に燃えていたと勘違いしていました。



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クライマックスの白兵戦で白黒はっきりつけようというシャアは、ララァの弔い合戦をしているのだとばかり思っていました。けれど、今回見てはっきりしたのは、ララァを殺したのはアムロだとシャアが激怒しているのではなく、ララァを戦争に巻き込んだシャアに対してアムロが激怒しているんですね。同じニュータイプとして。

ではシャアはなぜもう戦争が終わろうとしているのにキシリアを殺しに行かずにアムロと戦うのか。

二人の殺し合いを止めるのはシャアの妹セイラですが、そのときシャアは言います。アムロは危険だと。ニュータイプとして覚醒しすぎた。戦争が終わればニュータイプの時代になる。そうなればアムロの天下だ、いまのうちに殺しておかねば。
セイラはまだザビ家への復讐に囚われていますが、シャアは「もうそんなことはどうでもいい」と言いきります。驚きましたねぇ。まさかこんなセリフがあったなんて少しも憶えてなかったというか、そういう物語、そういう最終回だったとは…。


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第二次世界大戦ではアメリカとソ連は同じ連合国で味方同士でしたが、イタリアが負け、日本もドイツもジリ貧状態になったとき、ルーズベルトとスターリンは味方同士として笑顔で語り合いながら同時に腹の探り合いをしていたといいます。

「この戦争が終われば、アメリカとソ連の二大大国が敵国同士としていがみ合う時代になる」と。

そのときのことを考えながら原爆開発競争にアメリカは勝ち、そして日本に投下した。

とまぁ、ちょっと話がそれましたが、シャアという男も名うての兵士だけに同じように「戦後」を見据えていたというわけですね。

しかし、「ザビ家への復讐のためにジオン軍兵士として出世する」というシャアのアクロバティカルな生き方に共感するファンのために、復讐などどうでもいいで終わってはいけないと作者たちは考えたのでしょう。

だから、最後にキシリアをバズーカで仕留めるわけですが、その理由というのが、キシリアが自分だけ部下を置き去りにするつもりで逃げようとしていることをシャアが知って「やはりザビ家の人間は許せん」と討ちに行くんですが、ここの動機づけはちょっと苦しいですね。まるでキシリアはシャアを来させるためにせこいことを言ってるみたい。

シャアの行動は理屈としては筋が通っていますし、そうでなければシャア・アズナブルではない! という思いもあるんですが、常に二手三手先を読んで動いていたシャアが爆死覚悟で…というのはちょっと…いや、だから面白いのか。

よくわかりませんが、やはりこの『機動戦士ガンダム』はシャアぬきには語れませんね。主人公じゃない人物がここまで魅力的になるとは、脚本家も夢にも思っていなかったことでしょう。


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ファーストガンダムの政治学②シャアを利用するキシリアの狙いとは

再放送中の『機動戦士ガンダム』ももうあと2話で終わりです。第14話まで見たときに、ファーストガンダムの政治学①地球連邦軍の非情 と題した日記を書きましたが、今回久しぶりの更新です。

シャアがジオン広告を牛耳るザビ家への復讐に燃えており、まず甘ちゃんの末っ子ガルマを罠に陥れて死なせます。公式には「ガルマを守れなかった」ということで左遷されてしばらくシャアは出てきません。


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シャアがいない間に出てくる魅力的なキャラがランバ・ラルで、グフの最初のパイロットですが、このランバ・ラルは「ガルマ様」と言っているし、ガルマはドズルの直属の部下だったはずだから、ランバ・ラルもドズルの部下なのでしょう。

さて、ガルマ戦士時点でのザビ家の人間は、

父親 デギン
長男 ギレン
長女 キシリア
次男 ドズル 

の4人です。


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この3人の権力争いが面白いわけです。

例えばキシリア直属の部下マ・クベ大佐。


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2週間くらい前の回では、ギャンで出撃してすぐにアムロにやられます。子どもの頃ギャンは弱いとバカにしてましたが、マ・クベやギャンが弱いのではなく、アムロがニュータイプとして覚醒してしまったからなんですね。もしランバ・ラルと戦ったころのアムロだったらいい勝負になっていたでしょう。

それはともかく、マ・クベは地球にいたころ、中央アジアで金鉱を採掘する役目を負っていたんですね。そして大きな鉱脈を発見したことをキシリア派以外の人間(つまりランバ・ラル)に知られてはならぬと部下に厳命します。ここらへんのジオン軍内部での派閥争いが今回の再見で最も面白いところです。子どもの頃は「地球連邦軍vsジオン軍」という構図でしか見てませんでしたから。複雑な政治情勢など少しもわかっていなかった。

シャアもランバ・ラルと同じくドズルの直属の部下でしたが、左遷されたあとに少佐から大佐に昇進して戦列に復帰します。キシリアの直属の部下として大佐になっているという設定ですが、ならばキシリアがシャアを引き上げた理由とは何なのか。

すっかり忘れていたシーンを昨日の第41話で見ました。まさに目から鱗!!!



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キシリアはシャアが自分たち一族に復讐をもくろむ本名キャスバル・レム・ダイクンであることを知っていながら引き抜いたと。シャアがララァというニュータイプを育てていることを知り、復讐よりもニュータイプのほうに興味が向いていることを鑑みたキシリアの判断だったらしいのですが、ここでシャアは恥ずかしそうにうつむいているのでおそらく図星なのでしょう。シャアがあのような表情を見せるのはすごく珍しい。

キシリアの本当の狙いは何なのでしょう? 自分たちの寝首をかこうとしている男をどう利用しようとしているのでしょうか。



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ドズルはすでに数話前にアムロたちに殺されているし、デギンは昨日の回でギレンに殺されました。
連邦軍の最高司令官ネビル将軍のもとへ和平交渉に行ったデギンを「父上は年を取って弱気になられた」とソーラ・レイ・システムで殺すラストシーンでしたが、これは憶えていましたけど……え、ってことはネビル将軍も死んだということですよね。

このへんぜんぜん憶えてない。

というか、ネビル将軍といえば、地球連邦軍もジオン軍に負けず劣らずかなりえげつないんですよね。
軍人ではなく一般市民でしかなかったホワイトベースの連中をむりやり軍人にする。そうしないと軍法会議で死刑にするしかないからでしょう。シャアと互角に戦えるアムロや、アムロたちを統率できるブライトは自軍に引き入れておきたいという政治的思惑が透けて見えます。

とはいえ、ホワイトベースは地球連邦軍にとって「捨て石」にすぎないというところが非情というか、富野由悠季さんの厳しい世界観の顕れです。
昔は、ホワイトベースこそ地球連邦軍の中心だと思って見てましたが、ただの「囮」だったんですね。囮である以上は都合のいいときにやられてくれればいい、とネビル将軍が考えているということであって、中央幹部たちにとってホワイトベースというのはほとんどどうでもいい存在なのです。ジオンの目をそらせてくれさせすればそれでいい。

昨日のラストシーンで、ア・バオア・クー近くに陣取っていた連邦軍の艦隊が全滅したわけだから、ずっと囮として周縁部で戦っていたホワイトベースが、戦いの中心部ア・バオア・クーに乗り込んで最終戦争に至るわけですか。なるほど。

「戦争は血を流す政治であり、政治は血を流さない戦争である」という毛沢東の言葉を思い出すならば、あと2話は全面戦争ですから「血を流す政治」しか見られないのかな。「血を流さない戦争」のほうに興味津々の当方はもうあまり楽しめないのかも。ギレンやキシリアがどういう最期を迎えるかは憶えてるし。

でも、キシリアがシャアを利用しようとした本当の理由は気になる!

続き
③「戦後」を見据えるシャアの深謀遠慮


 

能年玲奈の主演女優賞ノミネートに物申す!

あらかじめ断わっておきますが、私は能年玲奈の大ファンです。だから「のん」などという芸名を認めないので本名で表記します。

毎日映画コンクールに続いて東京スポーツ映画大賞でも『この世界の片隅に』の能年玲奈が主演女優賞にノミネートされたらしいですね。


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3年ほど前には『her/世界でひとつの彼女』でAIの声のみ演じたスカーレット・ヨハンソンがどこかの映画祭で女優賞を取って物議を醸しました。私も疑義を呈したかった一人ですが、どうも自分の意見に説得力がなく、あのときは何も言えませんでした。

毎日映コンのときも「それは絶対おかしい」と思ってたんですよ。でも言えませんでした。

その時の違和感は、『her』のときと同じで、「声だけの演技と、肉体すべてを使う演技とを同列に扱っていいのか」ということでした。アニメの演技はアニメーターと声優の協働作業だと思うんです。だから…

でもこれって何か説得力がないんですよね。

誰かが、『マイ・フェア・レディ』でオードリー・ヘップバーンが歌だけプロの歌手に吹き替えてもらったからアカデミー主演女優賞の資格を剥奪された。あれとは逆で、今回のケースは能年玲奈は声は使っているけど表情など肉体を使った演技をしていない。だからダメだと言っていました。

一見もっともらしいんですが、これはちょっと違うんじゃないかと。確かに能年玲奈は声だけですが、オードリーは歌以外はちゃんと自分の声で芝居をしています。プラス肉体も見せて表現している。『her』や『この世界の片隅に』が『マイ・フェア・レディ』を裏返した作品というのは違うと思うのです。





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 (こういう凛々しい顔も実にいいんですよね。誰だ、こんな素晴らしい顔をもつ女優を干しているのは!)


では、この違和感の正体は何だろうとずっと考えていたんですが、このたび東スポ映画大賞にもノミネートされたと聞いて、はたと気づいたんですね。

東スポ映画大賞はビートたけしが一人で選ぶ映画賞ですが、ノミネートはたけし以外の映画祭ディレクターが選ぶそうです。

だからノミネートをたけしが選んだわけじゃないけれど、たけしが最優秀賞に選ぶ可能性に賭けてディレクターたちは能年玲奈をノミネートしたんじゃないか。

どういうことかというと、彼女はいま干されてますから、「世界のキタノも認める女優をこのまま干していていいのか⁉」という異議申し立てをしたいんじゃないか。そういう政治的配慮が絡んでいるのでは、と思ったわけです。

それが仮に当たっていても、そのこと自体は別に悪いこととは思いません。人間は政治的動物だし、何より私は能年玲奈の大ファンなので早く復帰してほしいと思っているのでね。こういう手を使うのは逆に素晴らしいことじゃないかと。

しかし、そのことと「声のみの演技に演技賞を与えることの是非」とはまた別問題です。

ここで問題提起。
能年玲奈ではなく、一般市民に名の知られていない声優だったら主演女優賞ノミネートなんて事態がありえたでしょうか? 



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答えは否、です。

ついおとといですが、WOWOWで風夏(ふうか)という風変わりな女の子がヒロインの、その名もずばり『風夏』というアニメを見ました。グイグイ引き込まれたから見ている間は「声優さんがいい芝居をしている」なんて少しも思いませんでした。いまこの問題を考えるにあたって思い出すと「確かにいい芝居をしていたな」と思う程度です。

逆に言えばアニメの場合、声優がいい芝居をしていればいるほどキャラクターが本当に生きているように見えるわけです。誰それが声を演じている風夏とかじゃなく、風夏そのものとして。

でも、『この世界の片隅に』を見ているとき、どうしても能年玲奈の顔がちらついてしまうのです。それは『her』でも同じでした。実写なら映っている人と声の主が同じだから何も気になりませんけど、アニメの場合、声の主の顔がわかると映っている顔が本当に「ただの描かれた顔」にしか見えなくなる瞬間がある。しかも能年玲奈はいまかなり特殊な状況に置かれているので、それら煩瑣なあれやこれやのことまでもが頭の中を支配してしまう。

それって作品にとって幸福なことなんでしょうか?  不幸なことなのでは???

能年玲奈の声の芝居が抜群にいいことは認めます。が、そう思えるのは彼女の顔を私たちが知っているからです。すでに女優としてお茶の間の人気者だからです。それに加え、どうにかして復帰してほしいというファン=審査員の思いがあり、今回のノミネートに至ったと思われます。

何度も言いますが、復帰の道筋のためのノミネートは大歓迎なんですよ。
だけど、それは声優さんやアニメというジャンルそのものを不幸にすると思うのです。

でも、『風夏』のようにまったく知らない人が声を演じている場合、あの声優さんは素晴らしい! 演技賞を与えよう。とはならないはずなんです。実際、いままでそういう例はひとつもないはずです。

描かれた絵と声とが渾然一体となって一つのキャラクターを生み出しているのですから、芝居が云々なんてことが頭に浮かばないほうが作品にとってはよっぽど幸福なことだと思います。

もし能年玲奈が最優秀賞を取ればおそらく日本の映画賞史上で初めて声優に演技賞が与えられる。それって一見アニメ大国日本の声優さんたちにとって、とてもいいことのように感じられますが、しかし!

来年でも数年後でもいいですが、声優が演技賞を取ったとして、その人は脚光を浴びるでしょう。テレビに出たりして顔が知られる。そして「あの『○○』という作品で××映画賞で演技賞を取った誰それが主役の声を演じる」と宣伝されたら「あの声が聴きたい」と劇場に駆けつけるファンも大勢いるでしょう。

でもそれって「声」にだけ注目が行って、アニメ本来の楽しみ、つまりアニメーターと声優の協働作業によって描かれた絵が本当に生きているように見える、という幸福を奪ってしまうと思うんです。

一般に顔の知られている有名人がアニメの声優を務めた最初の作品が何かは知りません。もしかしたら『となりのトトロ』の糸井重里かもしれません。あの糸井重里がこれまたいい味出してるんですが、しかし、どうしても見ているときに顔がちらつくし、本来俳優ですらない人がいい味出してるのがたまらん、というのは、ほとんど楽屋オチであって、『トトロ』という作品世界そのものにとっては邪魔物なんじゃないか。




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だから、私は今回の能年玲奈が声優として主演女優賞ノミネートという事態を批判します。
映画本来の楽しみを守るために、絶対に最優秀賞を取らせてはいけないと思います。



ファーストガンダムの政治学①地球連邦軍の非情

BSイレブンで再放送中の『機動戦士ガンダム』、俗にいう『ファーストガンダム』も全43話中、14話が終わりました。

この名作を見るのはおそらく30年ぶりぐらいなので細かいところを忘れていました。へぇー、こんな設定・展開だったっけ、と思うこともしばしば。

地球連邦軍とジオン公国が戦争していて、主人公アムロは連邦軍側の兵士、そして宿敵シャアはジオン軍の兵士でありながらジオンを牛耳るサビ家に対する復讐を狙っている。つまり、アムロもシャアも実は「打倒ザビ家」という同じ目的をもっている。それは生き別れになった兄妹シャアとセイラも同じで、敵と味方に分かれて戦っている者同士が同じ目的をもっているという、大きな枠組みの中心で「ねじれ」が生じている設定、というのはさすがに憶えていました。

しかし、子どもだった私は、どうしても主人公アムロも、最も魅力的なキャラであるシャアも、どちらもザビ家打倒を目論んでいるために、ジオン公国=悪、地球連邦軍=善、だとばかり思い込んでいたんですね。

今回の再見でそれが間違いだったと気づきました。

戦争なんだからどちらが善でどちらが悪とか関係ないと言ってしまえばそれまでですが、もともとジオンは地球連邦の一員というか、地球だけに棲めなくなった人類が宇宙都市をいくつか作って生活していて、アムロはサイド7の人間ですが、ジオンは月の裏側に位置するサイド3だったんですね。(もっと広大な宇宙戦争かと思っていたらご近所同士だったというのも意外)

だからこれはジオンの独立戦争なのです。

普通は、映画とかフィクションってだいたい支配する側の圧政に苦しむ民衆の独立戦争を支持することが多いじゃないですか。それがなぜこの『機動戦士ガンダム』では独立戦争を起こされた側の地球連邦側に主人公を置いているのか。そしてもう一人の主要人物というか、この人物こそ主人公といっても過言ではないシャアをなぜ私怨がもととはいえ独立戦争を仕掛けたジオンと対立する側に置いているのか。

これでは、この作品自体が「帝国主義」だと批判されてもしょうがないのでは? という思いで見てきましたが、どうやらそれは違うぞ、富野由悠季さんが仕掛けた「ファーストガンダムの政治学」はそんな単純なものではないことに気づきました。




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そもそも、私はアムロがガンダムの正式なパイロットではなく偶然そうなってしまったこと、また、ホワイトベースの乗組員たちも正規の乗組員が死傷してしまったために偶然ブライトが指揮を執り、他の少年少女たち(何と驚くべきことにブライトは19歳だとか!)がそれに続いていることを憶えていませんでした。

だから、先日の第14話を見て驚愕したんですよね。

マチルダも美人だからか、「いい人」というイメージが強かったんですが、ブライトにものすごいことを言います。

「あなたは本来死刑なのよ」と。

なぜそんな自分に連邦軍の秘密兵器であるホワイトベースの指揮を任せたのかとブライトが問いただすと、「実験だった」という驚くべき回答が返ってきます。

「素人から学ぶべきことは多い。これまでのホワイトベースの戦いをすべてデータとして収集しコンピュータで解析してこれからの戦いに活用させてもらう」

というのが、マチルダを介した地球連邦軍最高司令官からの言葉でした。

なるほど!

ジオン公国はザビ家の独裁国家という「悪玉」みたいにナレーションで言われているけれど、地球連邦軍もなかなかの狸というか、人を人とも思わぬやり口をしてきたわけですな。だからサイド3の住人たちは彼らの圧政に耐えきれなくなり、独立戦争を仕掛けた、と。

もう完全にジオン=悪、地球連邦=善ではなくなってしまいました。というか、地球連邦のほうがよっぽど悪なのでは? 

だって、ブライトやアムロは嫌気が差したりしますが、ジオンの兵士たちって一枚岩ですもんね。
それに、サイド7から地球までホワイトベースに乗ってきた老人たちが反乱を起こす回がありましたが、彼らは一様に「地球で死にたい。故郷をこの目でもう一度見たい」と言っていました。地球連邦がむりやり彼らを宇宙都市サイド7に連行したのでしょう。連邦軍への不満が鬱積しているため、反乱を起こしたと推察されます。

とにかく、富野由悠季さんたち作者が『機動戦士ガンダム』に仕掛けた政治学はなかなか一筋縄ではいかないものが含まれているようです。

昔は、「地球連邦軍vsジオン軍」の物語だとばかり思い込んでいました。

それがいま見直してみると、確かに大枠はそれで間違いないとしても、興味を惹かれるのは、シャアとザビ家の対立とか、連邦軍のお偉方とブライトの対立、そのブライトに反感を抱くアムロといった感じで、ジオンと連邦軍それぞれの「内部の対立」のほうが主眼じゃないのか、とすら思います。

幼かった頃にはまったく気づきもしなかったことにこれからも気づいていくことでしょう。

どんな「新事実」が飛び出してくるのか。毎週日曜日が楽しみでしょうがありません。

続き
②シャアを利用するキシリアの狙いとは
③「戦後」を見据えるシャアの深謀遠慮




『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダムの政治学)

先日、BSイレブンで始まった『機動戦士ガンダム』(俗にいう「ファーストガンダム」)の再放送。
まだ4話までしか再見してませんが、やはり面白すぎるほど面白いです。



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実は今回の再見はおそらく30年ぶりくらいでして、細かいところは忘れてました。

特にまったく憶えてなかったのは、ブライトやヤシマ・ミライ、セイラにカイ、リュウなどホワイトベースの乗組員たちが実はただの少年兵で、もともとホワイトベースの乗組員やガンダムのパイロットは別にいた、という設定。

アムロが偶発的にガンダムのパイロットになるのは何となく憶えてましたが、ブライトたちがもともと予定されていた乗組員でなく、サイドセブンが攻撃されて艦長や他の乗組員たちが死傷したから仕方なく地球連邦軍がブライトたちにホワイトベースに乗り込むように指令を出す、なんて設定はすっかり忘れてました。


それにしても、この『ガンダム』は戦争の物語ですが、「政治とは血を流さない戦争であり、戦争とは血を流す政治である」との毛沢東の言葉がありますから、政治の話でもあるんですね。政治学と戦争論を同時に学べる。

幼少の頃は難しいことなんか少しもわからず、ただアムロとシャアの死闘に手に汗握ったり、ジオン公国(ザビ家)を打倒するという同じ目的をもちながら敵味方にわかれて闘っているアムロとシャア、シャアとセイラの行く末にハラハラしただけでしたが、今回見直してみて、戦争とは何か、政治とは何か、という大命題と向き合わないわけにはいかなくなりました。(たぶん、子どものころも無意識に感じとっていたんじゃないでしょうか。もしかしたら私の政治というものへの考え方は『ガンダム』が培ってくれた可能性もあります)

同じロボットアニメでも『新世紀エヴァンゲリオン』とはぜんぜん違いますね。あちらには「政治」がないですもん。誤解の内容に言っておきますが、私は『エヴァンゲリオン』も大好きです。ただ両者が違うといっているだけでして。

やはり、政治の季節を生きた富野由悠季さんと、その季節が終わったあとの庵野秀明さんの「世代」の差なのかな、と。

あまり世代論というのは好きじゃないんですが、二つの偉大なアニメ作品を比較すると、どうしてもそこに行き着いてしまいます。

来週からの5話以降もとても楽しみです。これから半年以上、毎週「日曜日が待ち遠しい!」状態になりますね。



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