聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

マンガ

益田ミリ『今日の人生』(気づきとどんでん)

敬愛してやまない益田ミリさんの『今日の人生』(ミシマ社)を読んだんですが、すべてのページが愛おしくなる傑作でした。帯にはいまをときめく石田ゆり子の絶賛文が書かれています。



日常の何でもない一コマにとんでもない非日常を感じてしまうとか、何でもない一コマがかけがえのない時間だと気づかせてくれるのが益田ミリさんの魅力ですが、この『今日の人生』は集大成的な傑作だと思いました。

例えばこんなエピソード。

ある日、片づけをしていたら母親からもらった小さなオルゴールが出てくる。ミリさんはそれが妙に懐かしくそして悲しい。

なぜかというと、上京前にお母さんが「何かほしいものを買ってあげる」というので買ってもらったものだから。いや、ただそれだけなら単に懐かしいで終わりですが、そのオルゴールはかなりよこしまな気持ちで買ってもらったものだったんですね。将来、有名になったときオルゴールのようにメロディが出るものだったりするほうが思い出に深みが出てインタビューを受けるときにいい話と受け止められるんじゃないか、という。

で、一緒に買いに行って、小さな安物を買ってもらった。何も知らないお母さんはもっと高価なものを、みたいなことを言ったけれどそれを制して買ってもらった。でも、よこしまな気持ちで買ってもらったものだから好きになれず、ずっとしまってあった。

それを今日久しぶりに手に取ってあのメロディを聴くと、オルゴールにまつわるすべての記憶がいい思い出に変わっていて、ミリさんは心の中で「人生……」とつぶやく。

うーん、深い! 一言で言ってしまえば「嘘から出た真」というやつでしょうが、人生というか、人間という生き物がもつ不可思議な心の動きが不可思議なまま提示されていて心が温まるし、何も知らないお母さんのことを思うと何となく残酷な気もしてしまう。

他に特に好きなエピソードを3つだけ挙げると……


「何か、むなしい」という日は、とりあえず〈むなしさ〉を味わいます。

たったこれだけの言葉にミリさんの不器用だけれど真摯に人生と向き合っている姿が見えてきます。私なんかむなしさを感じたらすぐにそこから逃げようとしてしまいますから。これからは逃げずに味わってみようと思った今日の人生。


②外国の空港で係員が「ボーディーバ」を見せろと舌打ちしながらしつこく言われ、それは本当は「ボーディングパス=搭乗券」のことだったのだが、その外国人は完全に上から目線で英語がわからない人間を軽蔑している。本当なら日本語でいいから「舌打ちなんて失礼ですよ」と文句のひとつくらい言うべきであった。「わたしはわたし自身を守ってやれなかった」と後悔するミリさん。

「わたしはわたし自身を守ってやれなかった」

我が身を振り返ってみると、私自身を守ってやれなかったことってとてもたくさんあるような気がします。もっと自分を大切にしようと思った今日の人生。でもあんまり文句を言いすぎるとそれはそれで角が立つし、バランスが難しい。


③空港でお土産を買い、お茶しながら原稿を書いているミリさんの隣の母娘の会話。
娘さんはもう30分以上愚痴り続けていて、それはおそらく旦那のことで「それであたし言ったんだけど効果ないし! 信じらんない!」
お母さんは何も言わずに「うん、うん」と聴いていて、娘さんは最後にこう言ったとか。
「でも、ま、毎日楽しくやってるから安心して」

なるほど。いろいろ鬱憤が溜まっているから愚痴るものの「喧嘩するほど仲がいい夫婦」なのか。それとももう離婚を考えるくらい本気で仲が悪いけれど、母親が何も言わずに聴いてくれるからうまくガス抜きができて、とりあえずいますぐ離婚するのはやめてお母さんには気分よく帰ってもらおう、という娘としての気遣いだったのか。

いずれにしても、何も言わずに「うん、うん」と相槌を打って聴いてあげるって大事だな、と思った今日の人生。

脚本の書き方を教えてくれた恩師が「クライマックスで大事なことは『気づき』と『どんでん』だ」と言っていましたが、益田ミリさんのマンガはいろんなところに人生の真実に気づく瞬間があり、それが小さなどんでん返しをもたらしてくれる。
「小さな」というところがポイントですね。大きなどんでん返しが面白いこともあるけれど、小さなどんでん返しにも魅力があるし、その魅力に気づかないようでは本当の意味で「生きている」とは言えないよ。とミリさんの作品は言ってくれているような気がします。

他にもいろいろ印象的なエピソードがありますけど紹介しきれません。ぜひ全編読んでみてくださいな。


史群アル仙『臆病の穴』第1巻(愛を希求する者どものウロウロ)

花田菜々子さんの『出会い系サイトで実際に70人と会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』で軽く触れられていた史群アル仙(しむれ・あるせん)の短編集『臆病の穴』第1巻を読みました。

つい先日、デビュー作の『今日の漫画』の感想を書きましたが(→こちら)この史群アル仙という人は引きこもりでコミュ障という自分の生活や性格を礎にした思想で勝負していて、とても面白い。



『今日の漫画』が読切1ページだったのに対し、この『臆病の穴』は10~20ページの普通の短編集です。愛を希求する者どものウロウロが描かれていてとても面白かった。なかでも特に気に入った3作品をご紹介しましょう。


「また夜がきたら……」
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これは、友人も多く、家族とも円満な中学生(高校生?)が主人公なんですが、円満なのは昼間だけで、夜は家族も友人も道行く人や警官までもが彼を殺そうと狙ってきます。
おそらく史群アル仙さんにとって、このマンガの夜が自分にとってのリアルな生活なのでしょう。昼間はそうありたいという願望なのかな?

でも、願望といえば、夜に現れる人で唯一彼を襲わないクラスメイトのケイコちゃんという子がいて、作者が好きな子だったんだろうと思われます。しかし、この子さえ主人公を襲ってくるほうが作品としては面白いのに……と思ったんですが、そうできなかった作者の気持ちもわかる気がします。


「さくら、愛してる……」
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これはちょっと『百万回泣いた猫』に似てるな、と思いました。(あの絵本は昔一回だけ読んだだけなのでうろ憶えですが)

主人公はさくらという名前の奥さんを愛していて、すぐ「さくら、愛してる」という言葉が口をついて出てくる。すると夢から覚めて、学生や園児の姿になっても「さくら、愛してる」と言っては目が覚め、ついには動物の姿になり宇宙人の姿になっても「さくら、愛してる」と言い続ける。愛してると言わなければいいと気づいたものの、やっぱり好きだから言わずにはおれない。この夢は永遠に続くのかと思われたとき……現実の主人公は死の床に就いていて、妻のさくらさんから初めて「愛してる」と言われます。そして安らかに死んでいく。

素晴らしい。愛されることを希求してウロウロする作者の心情がひしひしと伝わってきます。そしてそのための切符はこちらから愛することであると。


「怪物父さん」
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交通事故で妻を死なせてしまったお父さんが怪物になった。一人娘は怪物父さんのお守りをするのが大変で自分の運命を呪う。医者に見せると、

「愛を存分に与えると人間に戻りますよ。愛を失うと人は怪物になるのです。怪物を救えるのは生粋の愛のみです」

と言われる。理屈としてはわかっても娘は怪物父さんにつらく当たってしまい、ついには街中で捨ててしまう。警察からの電話で交番に駆けつけると、お父さんが花をプレゼントしてくれる。怪物になっていたのは娘のほうだったのですね。「怪物と戦うときに大切なことは、自分も怪物になってしまわないことだ」というニーチェの言葉が思い出されます。

この「怪物父さん」には続編があって、そちらでは娘が本当に怪物になってしまう。それを人間に戻ったお父さんが愛情をもって救おうとする結末で、ここでも愛されることを希求してやまない作者の心情がストレートに表現されていて好感がもてます。

早速、第2巻も堪能します。


史群アル仙『今日の漫画』(圧倒的なリアリティ)



花田菜々子さんの『出会い系サイトで実際に70人と会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』で小さく紹介されていた史群アル仙(しむれ・あるせん)というマンガ家さん。何でもちょっと前まで引きこもりだったそうで、ツイッターで試しに1ページ読切の漫画を載せたらぐんぐんリツイート数が伸びてフォロワーも一気に1万人を超えたとか。

そのマンガがこちら↓

『狂人になりきれない男』
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気が狂って自分を馬鹿にした連中を皆殺しにしてやる! と意気込んだ主人公が妹の「お兄ちゃん、どうしたの?」という無垢な一言に救われる。
まぁよくある話だと言えばよくある話ですが、妙なリアリティがあります。私自身にも似たようなことがありましたが、ここは友人のエピソードを紹介しましょう。
彼は「このままでは誰か人を殺してしまう」と自分で自分が恐ろしくなり、ある日、思いきってお母さんにそのことを告白しました。「俺、誰かを殺してまいそうや」するとお母さんは「はいはい、何でもええからご飯食べ」と少しも取り合わない。でも彼はその一言に救われ、二度と自分が自分でなくなる恐怖を味わうことはなかったそうな。

この作品は妹の純粋な気持ちが兄を救う、となっていて、比べるとすると、友人のエピソードのほうが上かなと思います。なぜ救われたのかよくわからないぶんね。因果関係がはっきりしていないほうが物語の奥行きは深くなりますから。


さて、この『今日の漫画』では、このような1ページだけの読切マンガが73編と、10ページ未満の短編が3編収められています。

他に私の心を撃ちぬいたのを3編だけご紹介すると、

『学校』
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クラスで自分だけがネズミで周りはみんなネコ。ネズミの主人公は自分だけ異質でしかも弱く、標的になる毎日にうんざりしている。「死の恐怖に怯えながらじっとしているのだ……毎日」と。
これは作者が実際に学校に行っていたときの心情を素直に表現したものでしょう。私も同じような感じだったからよくわかります。底なしの孤独。。。


『失敗』
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楽しかった日々が思い出されるけれど、我に返ると首を吊ろうとしたロープが切れて自殺は失敗に終わる。死ぬ直前にそれまでの人生を走馬灯のように思い出すというアレをマンガにしたものです。『ふくろうの河』(アンブローズ・ビアス『アウル・クリーク橋の一事件』の映画化作品)のハッピーエンド版といっていいんじゃないでしょうか。
いずれにしても、私のような過去に自殺を図ったことがある者にとってはやたらリアリティがあります。私は別にその瞬間に走馬灯が見えたなんてことはありませんでしたが、心の中に過去のあれやこれやが浮かんでは消えていきました。
人間の記憶は、その人がどれだけ幸せな人生を送っていようと、どれだけ不幸を味わっていようと、楽しかった記憶、つらかった記憶、そのどちらでもない記憶が「6:3:1」になっているそうです。そういう配分になってないと生きていけないんだとか。


最後はもう少し明るいものを。

『シノブ』
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もう死ぬから新聞を取ってこないでもいいと言っているのに、犬は言葉がわからないからしつけられたとおりにもっていき、そしておせっかいにもほっぺたをペロペロなめて主人公の気力を恢復させることを暗示して幕を閉じるのですが、これはいいですね。私も飼い犬にどれだけ救われたかわかりません。内田樹先生が「いまの世の中に求められているのは『おせっかい』だ」と繰り返し言っていますが、このマンガはまさにおせっかいによって救われる様が描かれています。


というように、この史群アル仙という変な名前のマンガ家さんは自分のことを素直に正直に描いている。私が脚本家として成功できなかったのは素直でも正直でもなかったからだ、と痛感させられました。どこかカッコつけていたんですよね。
カッコつけるといえばまだ聞こえがいいですが、もっと正直に白状するなら、「借り物の思想」で書いていました。史群アル仙さんのように自分の生活からくる本当の思想を書こうとしなかった。

でも、いまはそういう脚本の代表格だった作品をリニューアルしようと目論んでいます。はたしてどこまで自分の本心からくる思想で書けるか。覚悟が問われています。



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