マンガ

2020年01月12日

敬愛してやまない業田良家先生の最新刊『機械仕掛けの愛』第6巻。

このシリーズは、1話完結形式で「人間の心とロボットの機能は同じではないのか」「人間の心よりもロボットのほうが機能に従順なぶん純粋ではないのか」というテーゼを打ち出していくのが素晴らしいところ。

人間の眼底ばかり覗いていた医療用ロボットが初めて外界に連れ出され、海を見、山を見、この世の美しさを初めて見ることで、なぜ患者たちが目が治るとあんなに喜んでいたかを知る「眼科医ルック先生」も素晴らしかったし、『マトリックス』のような世界を描いた「バーチャル・プリズン」も面白かった。「焚書工場」は『華氏451』の完全パクリじゃないかとは思ったけれど。

それはそれとして、私が一番胸を打たれたのは「宇宙の片すみ清掃社」ですね。


「宇宙の片すみ清掃社」
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掃除用ロボットのタスクが、いまは亡きご主人様の墓を丹念に掃除する場面から始まるこの物語の要諦は、タスクがご主人様から聞いた「掃除の心得」。それは……

家の前を掃除していたご主人様が、隣の家の前も掃除をしているのを見たタスクが、

「掃除は我が家の前だけでよろしいのでは?」

と問いかけたところ、

「いいの。宇宙をきれいにしてると思ってるから」

との返答。

「ここはこの町のほんの片すみ。そして日本の片すみ。そして地球の片すみ。広大な宇宙の片すみ。でも、どんなに片すみだろうとこの宇宙を掃除してきれいにしているのに変わりはない。私のひと掃きが宇宙をきれいにしている。そう考えたら楽しくなる。ねえ、この考え、ステキと思わない?」


「スケール」とは……
私は年明けから職場で配置換えがあって、それ自体はいいものの、元の部署といまの部署とを行ったり来たりで疲弊して倒れてしまいました。「なぜ俺だけがこんな苦労をしないといけないのか」と。

でも、そんな恨み言はもうやめようと思います。私の仕事は清掃ではないけれど、確かに社会に貢献する仕事ではある。ほんの少しだけど。

だからタスクのご主人様が言うように「自分のちょっとした仕事が地域社会に、ひいては宇宙に貢献している」という大きなスケールで物事を考えないといけないと思い知らされました。

歴史的名著『映像の発見』の松本俊夫監督は、

「スケールとは、予算の規模や物語の舞台の大きさのことを言うのではなく、時代や社会を見つめる『目』の問題である」

と言っていました。大事なことをすぐ忘れるのが私の悪い癖。隣の人より自分が不遇だとか、そんなことに拘泥せず、宇宙に貢献しているという大きなスケールで考えないといけない。それは、話は変わるけれど、食事するときに「地球の裏側では今日食べるものがなくて餓死する子どもがいる」ということを頭の片隅に入れておくということでもあります。


業田良家先生の転回
しかし、ちょっと待ってよ。この『機械仕掛けの愛』の面白さは人間とロボットの何が違うのか、人間よりロボットのほうがよっぽど人間的だというところが面白いんじゃなかったの?

という声が聞こえてきそうですが……はい、その通りです。

私はこの第6巻でそのような面白さには出逢うことができませんでした。むしろ、ただの機械でしかなかったロボットが、人間の真心に触れて変容する様が描かれています。業田良家先生はシフトチェンジを目論んでいるのでしょうか。


人間の目をロボットは獲得できるのか
ただ、この「宇宙の片すみ清掃社」で、次に印象に残っているのは、先述のご主人様の素敵な言葉を聞いたタスクが「はい、同意します」と言う場面。

ご主人様は「あら、タスク、あなた笑うのね」と言う。タスクは「いえ、笑う機能はついてないはずです」と返す。

でも、確かに「はい、同意します」と言ったときのタスクの目は輝いているように見える。

この目、描くの大変だったろうと思います。本当にキラキラ輝いているのではなく「何となく輝いているように見える」ように描かねばならない。業田良家先生はストーリーテラーとしてずば抜けているだけでなく、やはり絵もうまい。(当たり前ですけど)

ここで大きな問題は、人間の目には前後の文脈によって同じ目でも輝いているように見えたり、笑っているように見えたり、怒っているように見えたりする、ということです。

それは人間の「心」が生み出す技。心と機能に何の違いがあるのかと問いかけてきたこの『機械仕掛けの愛』シリーズですが、ロボットの目も人間のそれと同じように、同じものが違って見える瞬間があるのか、どうか。

第7巻以降はそこらへんの「哲学」を読ませてほしいと切に願います。


関連記事
『機械仕掛けの愛』(「心」と「機能」はどう違うのか)







2019年12月30日

前回の記事
『すーちゃん』の哲学(とりあえず、風呂入ろ)

に続いて、第3作『どうしても嫌いな人』から第4作『すーちゃんの恋』を経て、最新刊にして第5作『わたしを支えるもの』まで一気読みしました。


第3作『どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心』
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カフェの雇われ店長になった「すーちゃん」こと森本好子36歳が職場で直面する悩みを主軸に、前作まで重要な脇役を担っていた「まいちゃん」「さわこさん」はほとんど出てこず、代わりにすーちゃんのいとこで30歳の「あかねちゃん」の結婚話がサブプロットとして並行して描かれます。

二人とも職場に「どうしても嫌いな人」がいるんですが、その人を避けたいあまり結婚に逃げようとするあかねちゃんとは対照的に、すーちゃんは徹底的に悩みます。

嫌いな人を好きになろう、いいところを挙げてみよう……だけどそれがよけいにストレスになってしまう。

職場のいやな人、いやな上司、いやな部下、社長と知り合いというだけででかい面をする奴などどこにでもいますが(いまの私の職場にも当然ながらいます)最初は「どこがいやなんだろう?」と不思議だったすーちゃんも、次第次第にその人のいやな部分がはっきりしてきて……。

対照的に、結婚に逃げようとしていたあかねちゃんは、結婚相手の男が「店の人に偉そうな態度を取る人」で、そこに疑問を感じてしまう。でも「仙台に転勤になるから」とプロポーズされたらホイホイと受けてしまう。それぐらい辞めたかったんですね。

でも、そのあかねちゃんも結局、プロポーズを保留にする。はっきりと「店の人に偉そうにするのやめて」と言って。破談にしたわけではない。保留にしただけ。はっきり苦言直言したのはやっぱり彼のことが好きだから。もし改めてくれたら晴れて結婚するのでしょう。

一方、すーちゃんはいやな人のいやなところがますますはっきりしてきてしまい、改まることなど期待できないと思ったすーちゃんは辞職を決意。ありとあらゆる嘘をついて有休を取りまくり、その間に次の仕事を決める。

そのとき田舎から出てきた母親の言葉が泣かせるんですよ。

「お母さん、ごめん。仕事辞める理由に、母危篤まで入れちゃったがよ」
「よかよか、そんぐらい。あんたのためならお母さん、何回でも死んであげるが」


第4作『すーちゃんの恋』
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これははっきり言ってあまり面白くありません。『オレの宇宙はまだまだ遠い』で主人公を張る「土田さん」という書店員さんと、カフェを退職し保育園の調理師さんとして働くすーちゃんの恋が描かれるのですが、どこまでも臆病で恋に恋しながらも、それ以上に自分を守るのに必死で自ら幕引きしてしまうすーちゃんのどうしようもなさは身につまされるんですが、前作『どうしても嫌いな人』の圧倒的なリアリティ、さりげない日常を描きながらその実、どこを切っても血が流れるドラマの煮えたぎりようの前ではかすんで見えてしまうのです。


第5作『わたしを支えるもの すーちゃんの人生』
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これもさして面白い物語ではありません。とはいえ、これまで積み重ねてきたすーちゃんシリーズの集大成と言って過言ではありません。

前回の記事では「とりあえず、風呂入ろ」がすーちゃんの哲学だと書きましたが、『どうしても嫌いな人』あたりから「とりあえず、風呂入ろ」というセリフが鳴りをひそめます。そして『わたしを支えるもの』までついに一回も出てこない。

逆に、傷ついたときに無理せず正直に傷つくこと、大丈夫じゃないときに無理して大丈夫な顔をしないこと、悩ましいときにはしっかり悩むこと、が本当は大事だという諦念に至ります。

つまり『とりあえず、風呂入ろ』の一言は悩みを一時保留するにはうってつけですが、逃げたり大丈夫なふりをしないで悩むべきときにはしっかり悩むことの大切さを、シリーズ全体で説いているように私には感じられました。

すーちゃんには「悩む才能」があるのです。とことん悩んだからこそ、カフェの店長を辞めるときにも応援したくなる。

だからお母さんも「あんたのためならお母さん、何回でも死んであげるが」という。

うん、それでいいのだ。








2019年12月26日

益田ミリさんの人気シリーズ『すーちゃん』の最新刊『わたしを支えるもの』が刊行されていると知り、慌てて購入しました。

最後の『すーちゃんの恋』が出てから7年。ずっと2年おきの刊行でしたからもうシリーズは完結したもんだとばかり思っていたのでうれしい悲鳴。

細かく憶えてないし、いい機会だから全部読み直そうと、まず最初の2巻を再読しました。


第1巻『すーちゃん』
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すーちゃんはカフェで働く35歳、独身、子どもなしのいわゆる「負け犬」。

そんなすーちゃんの「このまま年老いていくのだろうか。老人ホームの見学をしておいたほうがいいのだろうか。貯金はいくら必要なのか。いや、やっぱり結婚して幸せになりたい。でも出逢いがない。いったいどうしたらいいの?」

という心の叫びが物語の要諦で、いつの間にか歳をとり、若くて少しだけかわいいというだけで彼氏ができたり結婚したりする後輩を見てうらやましいながらもそれはそれでいいことだと我が事のように喜ぶすーちゃんは、おそらく作者自身の反映なのでしょう。とてもいい人。

そんなすーちゃんですが、やはり上記のような悩みが深く、夜一人で卓袱台に突っ伏してしまう。

そんなとき、すーちゃんの哲学が炸裂します。

「とりあえず、風呂入ろ」

「いま風呂に入ることは正しいことだ」とそれまで悩んでいたのがウソのようにサッと風呂に入りにいく。

とりあえず風呂に入る。とりあえず寝る。こういう気分の切り替えができるかどうかが人生の分かれ道かもしれないと本気で思います。

私はこういう切り替えができなかったから大成できなかったのかもしれない。とりあえず風呂に入って寝て目が覚めて「いい朝だ」と思えていれば、こんなことには……

などとすーちゃんと同じように老後の心配などしてしまう自分自身に笑いが出ます。

この第1巻で印象的なのは、日常あるあるとして紹介されるエピソード。

・落ちていた商品を見つけたけど面倒で拾ってあげなかったことをほんの少し後悔した。
・恋愛攻略本をつい買ってしまった。
・まだ間に合いそうな人がいたけど、気づかないふりで閉ボタンを押してしまった。

などなどには深く深くうなずいてしまうのでありました。


第2巻『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』
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すーちゃんの他、昔バイト先で一緒だったまいちゃんと、同じ会社で働く(といっても現場のカフェではたらくすーちゃんに対し、こちらは本社で事務をしている)さわこさんの結婚願望をめぐるあれやこれやが描かれます。

相変わらず「老後(への不安)がいまの自分を窮屈にしている」と思うすーちゃんとは対照的に、さわこさんはいま40歳で、13年間彼氏がいないので「メスとしてオスを欲している肉食女子」。恋愛よりセックス、結婚よりセックス、妊娠よりセックスのさわこさんがお見合いして13年ぶりにメスとして扱ってくれた男が、実は微妙に女を見下している男であることがわかるくだりはとても印象的。このエピソードだけははっきり憶えています。たまに思い出すくらい。

そんなさわこさんが生理痛で仕事中つらい思いをしているときの心中の一言にハッとなる。

「血を流しながら、女は働いているのです」

男には永久にわからないこと。女だからこそ描ける心理。

話は変わって、風呂に入ったあとに老後について悩み始めたすーちゃんは、

「このまま年を取ったらどうなるのかはわからない。ひとつだけわかっていることは、人に迷惑をかけちゃいけないってこと」

え、ほんとにそうなの? それが唯一正しい老後なの?

山田太一さんの『男たちの旅路』最終話で、車椅子の障害者たちに鶴田浩二が言いますね。

「人に迷惑をかけちゃいけない。確かにそうだ。でも君たちは特別なんだ。迷惑をかけていいんじゃないだろうか」

その一言で引きこもっていた障害者たちが外界へ飛び出していけるようになる。

さわこさんは実家暮らしなんですが、母親の母親、つまり祖母の介護をしている。祖母は娘(つまりさわこさんの母)を自分の姉だと思っている。母親はそれを淋しいと思っている。祖母は迷惑をかけている。でもさわこさんはそれを迷惑とは思わない。そういう老後もある。

すーちゃんの知らない老後がそこにある。

しかし知ることになるのである。すーちゃんがさわこさんの家を訪れたとき「実は祖母が寝たきりで」とさわこさんが言うと、すーちゃんは「ご挨拶したい」という。さわこさんはその一言がとてもうれしい。なぜなら兄の家族が来たとき、祖母が隣の部屋にいることを知っていながら顔を見せなかったから。

すーちゃんは他人でありながらさわこさんの祖母に挨拶することで「老後の現実」を知った。

そこですーちゃんは「やっぱり貯金が必要か?」と考えるが、

「よくわからないけれど、未来のためだけに、いまを決めすぎることもない」

と、とりあえず思うのでありました。

続きの記事
すーちゃんの才能『どうしても嫌いな人』から『わたしを支えるもの』まで