マンガ

2019年06月26日

『闇金ウシジマくん』で有名な真鍋昌平さんの最新短編集『アガペー』を読みました。

これがなかなか一筋縄でいかないというか、創作者として、また一人の日本人として考えさせられる作品群でした。


「アガペー」
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アイドルオタク(ドルヲタ)を主人公にした一編。

あとがきによると、作者は一度もアイドルの熱狂的なファンになったことがなく、どういうものかという興味から描いたとか。取材の結果、「刹那的な面もあるが、否定的になれなかった」と。

ということは否定するつもりだったのだろうか、と一瞬思ったけれど、世間的には否定的に見る人が多いけど自分はそうじゃなかった、ということなんでしょう。

これってとても大事。

私はかつてある高名な脚本家から、ドルヲタじゃないけど、ある種の人たちを笑い飛ばす脚本のアイデアを話したところ「それだけはやってはいけない」と叱られました。

「自分の価値観でこれは否定したい、こっちは肯定したい。そういう人は『作家の目』で物事を見ていない」

ドルヲタにもドルヲタなりの言い分があるし、彼らなりの真実もある。

この「アガペー」はドルヲタを否定も肯定もしません。そして彼らの偶像であるアイドルの心情も正直に描かれます。その果てに、狂騒的ライブシーンになるわけですが、彼らの涙に感動したのはやはり、すべてのキャラクターを等間隔で突き放し、そのありのままの姿を正直に描いているからだと思います。

否定するということは「裁く」ということ。

「登場人物を裁いちゃいけないんだ」とは長谷川ゴジ監督の言葉。


「ショッピングモール」
これはつまらなかった。東北の田舎の現実を切り取ってはいるんでしょうが、ちょっと露悪趣味というか、「人間は最低なクズである」という人間観が好きになれませんでした。「アガペー」とは真逆の作品かと。


「おなじ風景」
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これが一番よかった。

主人公は、東日本大震災をきっかけに奥さんと子どもを連れて東京へ「逃げた」男。逃げたことを悔い、「裏切った」という罪悪感に縛られている男。そんな彼が母親の四十九日で娘と一緒に帰省した一日が描かれます。

前の職場には仙台に住んでいた人がいました。子どものために伝手を頼って神戸へ逃れてきたと。その人は「逃げた」んでしょうか? 逃亡じゃなくて「避難」しただけだと思うけれど、実際に被災しながら町を捨てず、町を守ろうとしている人たちがいる。主人公はそういう人たちに対して後ろ暗い気持ちが絶えない。東京での仕事がうまくいかない。でも出戻ると「あいつは一度裏切った」と後ろ指さされるから何とか東京で頑張らなきゃ、と必死になっている。でも、おそらくそのストレスで奥さんと喧嘩が絶えず、「離婚するかもしれない」というところまで追いつめられている。

かつての友人は重金属を除染するのを専門にしている会社で働いていて、国から金さえ出れば土から放射性物質を取り除く機械を開発できる、と言っている。「変わらないといけない。自分たちの手で守りたいんだ」と言う彼に対しても主人公は後ろ暗い気持ちを隠せない。「みんな町を守ろうとしているのに、俺は自分の家族すら守れていない」と。

残って町を守るか、子どものために町を捨てるか。

どちらが正しいわけでもない。この「おなじ風景」で大事なのは、主人公の父親が養鶏場をやっていて、ちゃんと育たないヒヨコを間引いている、という描写でしょう。間引かなければ、殺さなければ利益が出ない。利益が出なければ自分が生きていけない。命を殺すのは悪いこと。でも悪いことをしなければ生きていけないなら、それはしょうがない。 

子どものために町を捨てたのも尊重すべきひとつの判断。

「正解はわからない。自分の選んだ道が正解と思え」

と息子を励ます言葉が胸に突き刺さりました。


「東京の女(コ)」
木村伊兵衛賞を獲るのが夢というカメラマンの卵の女性の周りで起こる喜怒哀楽を描く。

んですが、その悲喜こもごもの描写は素敵ではあるものの、バイト先のスナックにえりという名の女性がいて、彼女が解体業の社長に娘と息子を預けているエピソードが好きになれなかった。

ポイント制の契約で、遅くまで面倒を見たら50ポイントで、1000ポイント貯まったら沖縄旅行につきあう、と。

その設定自体はいいんですが、ある日の朝方、その社長の家に子どもを迎えに行ったら性的暴行を加えられて血まみれだった、というのが面白くなかったです。

「悪」を出すんじゃなくて、「アガペー」のドルヲタみたいに善でも悪でもない存在を描いてほしかった。暴力をふるったり殺したり、そういう悪人を出すと簡単に話が作れますから。簡単なだけに深みに欠けると思います。

だからやっぱり一人も悪人が出てこない「おなじ風景」が好きなんでしょうね。







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2019年04月15日

『5時に夢中!』エンタメ番付1月場所で中瀬親方が大絶賛していた松本剛さんの『ロッタレイン』をやっと読むことができました。(以下、ネタバレあります)

だいぶ想像と違う内容でいい意味で裏切られました。

だって、大人の男が血のつながってない13歳の妹と出逢って……と聞くと、『ロリータ』みたいなのを思い浮かべるじゃないですか。

しかもその少女の外見はこんなんだし。↓



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しかも我らが主人公はこんなちょっと風采の上がらない男だし。↓


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だから、30歳の男が13歳の少女に恋してしまうも、少女の魔性に振り回されてひどい目に遭う物語なのかな、と思ってました。私の好きなフィルムノワールってそういうお話が多いし。

でも、この『ロッタレイン』は大人の男と年端のいかない女の子との「純愛」を描くんですね。これは相当にハードルが高い。


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最初はこんな感じの出逢い方で、だから主人公がひどい目に遭う話かと予想したんですが、彼女(初穂という名前)にとって主人公は本妻の息子で、お妾さんの娘である初穂にとっては「正しい側の人間」なんですね。学校では「二号の子ども」と後ろ指さされてひどいいじめを受けているし、主人公が自分たちを恨んでいるに違いない。だからつっけんどんな態度を取る。

でも二人はある事件をきっかけに急接近します。


あやうい女心
初穂のクラスメイトでモテ男の奥野にいきなりキスされるんですね。最初は受け入れているのかと思いきや、現場を目撃した主人公が怒り狂って殴り飛ばす。ここは嫉妬もあるんでしょうが、主人公は過去にとんでもないパワハラ上司と自分の恋人が浮気している現場を目撃しており、そのことが脳裏をかすめてあのような暴虐に及んだのでしょう。嫉妬だけならあそこまで突発的な暴力は振るわないと思う。

もともと初穂が奥野のことをどう思っていたのかわからない。その後、「好きじゃない」とはっきり言いますが、いきなりキスするという一件がなければどうだったかはよくわかりません。ともかくも、そのような破廉恥な行為に及んだ奥野を殴り飛ばした主人公と自分のことを初穂は「私たち」と表現するようになる。

しかし、ここですでに二人が相思相愛なのかどうかはよくわかりません。どうしても外見がよくて色気もある少女が、主人公の指先をなめて「もうあんなことしないで」なんて場面を見ると、主人公を幻惑しているだけではないのか、という疑惑が消えてくれません。

最終的に二人は怪文書のせいで東京まで逃げ、そこで二人だけの生活をしようと誓い合うも、初穂だけ父親のもとへ帰る。しかしそれは戦略で、父親が転勤でオーストラリアのパースに行くことになり、それについていくだけ。6年後には帰ってこられる。その6年後のためにいまは離れるのだと。6年たてば正式なカップルとして誰に恥じることもなく堂々と付き合える。

ということに表面上はなっていますが、何か安心できません。

そう言っているだけで、初穂は主人公を裏切るのではないか。意図的ではなくとも、魅力的な子だからパースで知り合った男の子といい仲になって主人公のことなど忘れてしまうんじゃないか。というサスペンスが残ったままです。いわば、宙吊りのままこの物語は幕を閉じます。


憲法と法律
初穂の本心がどこにあるのかは作者にすらわかってないのかもしれませんから、以後はわかることだけ話題にしましょう。

この『ロッタレイン』で思い出したのは「憲法と法律」の違いですね。

「自白は証拠にならない」というのは憲法に書かれているんですが、なぜ刑事訴訟法とかじゃなく憲法かというと、憲法は軸足を国民のほうに置いているから。国民の権利を最大限保障し、権力者の暴走を防ぐのが憲法。逆に、権力側が国民を縛るためにあるのが法律。こういう罪を犯したら何年刑務所に入らねばならないとか。だから「自白が証拠にならない]というは憲法に書かれていないとおかしいことになります。


世間という名の権力
主人公が再就職する運送会社の社長さんはこう言います。

「人を好きになるのは理屈じゃないもんな! 世間とか周りの声とかそういうのはいーの!」

でも、この社長さんは、怪文書が回ってくると態度を変えます。従業員も「こんなの信じてないよ」などと言いながらもはや完全な敵です。

それもこれも、初穂が13歳だからです。主人公がやっていることは「淫行」であり、それは違法であると。

ピエール瀧の事件でも「違法な行為だから」処罰されて当然だという意見が多々見られますが、先述したように、法律というのは権力側に軸足を置いています。世間が権力と一体化して「人を好きになるのは理屈じゃない」という当たり前のことを許さない。世間という名の権力が主人公と初穂を追い詰め、そしてあのラスト。というのがこの『ロッタレイン』のあらましなのですが……


もう一度、初穂の気持ち
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この出逢いのとき、「初穂にとって主人公は正しい側の人間」と言いました。だから「来ないで」と言い、つっけんどんな態度を取る。

ということは、やはり初穂は主人公との6年後の再会を希求しているんじゃないか。

主人公は「間違った側の人間」ですもんね。自分と関係をもてば淫行罪に問われる。それでも彼は初穂と一緒に暮らそうという。そんな主人公に初穂は「自分の側の人間」という気持ちを抱いているはずです。だから「私たち」なのでしょう。

愛人を作り、本妻や主人公を苦しめてきたくせに正義の側の人間然としている父親についてパースに行くというのは、だから絶対ウソとか演技ではない。

と私は思うのですが、ここまで考えても、それでもやっぱり宙吊り感から解放されません。彼らの6年後を実際に見るまでは。

ということは永遠にわからないということ。これから読み返すたびに悶絶してしまいそうな稀有なマンガ体験でした。







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2018年10月08日

敬愛してやまない益田ミリさんの『今日の人生』(ミシマ社)を読んだんですが、すべてのページが愛おしくなる傑作でした。帯にはいまをときめく石田ゆり子の絶賛文が書かれています。

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日常の何でもない一コマにとんでもない非日常を感じてしまうとか、何でもない一コマがかけがえのない時間だと気づかせてくれるのが益田ミリさんの魅力ですが、この『今日の人生』は集大成的な傑作だと思いました。

例えばこんなエピソード。

ある日、片づけをしていたら母親からもらった小さなオルゴールが出てくる。ミリさんはそれが妙に懐かしくそして悲しい。

なぜかというと、上京前にお母さんが「何かほしいものを買ってあげる」というので買ってもらったものだから。いや、ただそれだけなら単に懐かしいで終わりですが、そのオルゴールはかなりよこしまな気持ちで買ってもらったものだったんですね。将来、有名になったときオルゴールのようにメロディが出るものだったりするほうが思い出に深みが出てインタビューを受けるときにいい話と受け止められるんじゃないか、という。

で、一緒に買いに行って、小さな安物を買ってもらった。何も知らないお母さんはもっと高価なものを、みたいなことを言ったけれどそれを制して買ってもらった。でも、よこしまな気持ちで買ってもらったものだから好きになれず、ずっとしまってあった。

それを今日久しぶりに手に取ってあのメロディを聴くと、オルゴールにまつわるすべての記憶がいい思い出に変わっていて、ミリさんは心の中で「人生……」とつぶやく。

うーん、深い! 一言で言ってしまえば「嘘から出た真」というやつでしょうが、人生というか、人間という生き物がもつ不可思議な心の動きが不可思議なまま提示されていて心が温まるし、何も知らないお母さんのことを思うと何となく残酷な気もしてしまう。

他に特に好きなエピソードを3つだけ挙げると……


「何か、むなしい」という日は、とりあえず〈むなしさ〉を味わいます。

たったこれだけの言葉にミリさんの不器用だけれど真摯に人生と向き合っている姿が見えてきます。私なんかむなしさを感じたらすぐにそこから逃げようとしてしまいますから。これからは逃げずに味わってみようと思った今日の人生。


②外国の空港で係員が「ボーディーバ」を見せろと舌打ちしながらしつこく言われ、それは本当は「ボーディングパス=搭乗券」のことだったのだが、その外国人は完全に上から目線で英語がわからない人間を軽蔑している。本当なら日本語でいいから「舌打ちなんて失礼ですよ」と文句のひとつくらい言うべきであった。「わたしはわたし自身を守ってやれなかった」と後悔するミリさん。

「わたしはわたし自身を守ってやれなかった」

我が身を振り返ってみると、私自身を守ってやれなかったことってとてもたくさんあるような気がします。もっと自分を大切にしようと思った今日の人生。でもあんまり文句を言いすぎるとそれはそれで角が立つし、バランスが難しい。


③空港でお土産を買い、お茶しながら原稿を書いているミリさんの隣の母娘の会話。
娘さんはもう30分以上愚痴り続けていて、それはおそらく旦那のことで「それであたし言ったんだけど効果ないし! 信じらんない!」
お母さんは何も言わずに「うん、うん」と聴いていて、娘さんは最後にこう言ったとか。
「でも、ま、毎日楽しくやってるから安心して」

なるほど。いろいろ鬱憤が溜まっているから愚痴るものの「喧嘩するほど仲がいい夫婦」なのか。それとももう離婚を考えるくらい本気で仲が悪いけれど、母親が何も言わずに聴いてくれるからうまくガス抜きができて、とりあえずいますぐ離婚するのはやめてお母さんには気分よく帰ってもらおう、という娘としての気遣いだったのか。

いずれにしても、何も言わずに「うん、うん」と相槌を打って聴いてあげるって大事だな、と思った今日の人生。

脚本の書き方を教えてくれた恩師が「クライマックスで大事なことは『気づき』と『どんでん』だ」と言っていましたが、益田ミリさんのマンガはいろんなところに人生の真実に気づく瞬間があり、それが小さなどんでん返しをもたらしてくれる。
「小さな」というところがポイントですね。大きなどんでん返しが面白いこともあるけれど、小さなどんでん返しにも魅力があるし、その魅力に気づかないようでは本当の意味で「生きている」とは言えないよ。とミリさんの作品は言ってくれているような気がします。

他にもいろいろ印象的なエピソードがありますけど紹介しきれません。ぜひ全編読んでみてくださいな。


今日の人生
益田ミリ
ミシマ社
2017-04-20




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