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2020年06月16日

2003年製作、リチャード・リンクレイター監督による『スクール・オブ・ロック』を再見。何度見ても楽しい名作です。


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スコット・ルーディンの偉大さ
この映画を見るたびに思うのは、プロデューサーであるスコット・ルーディンの偉大さですね。

マイク・ホワイトという脚本家によるシナリオにゴーサインを出した。そりゃ、リチャード・リンクレイター監督の手腕の大きさもありますし、大人たちからの抑圧のために生ける屍のようだった子どもたちがロック魂に目覚めることで生き返るというテーマの普遍性もありますがが、あの穴だらけのシナリオで行けると踏んだスコット・ルーディンはやはり名プロデューサーです。


映画の原理と世界の原理
かつて黒沢清監督は、

「映画は、映画の原理と世界の原理の覇権闘争の場である」

と言いました。

泥棒は泥棒する。殺し屋は殺す。恋人たちは恋をする。それが映画の原理だと。でも、泥棒だって泥棒ばかりしているわけじゃないし、殺し屋もそうそう簡単に人を殺すわけではない。それが世界の原理。二つのせめぎあいで映画は成り立っているという論旨でした。


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バンドをクビになったジャック・ブラックは自分好みのバンドを再結成するための資金稼ぎのために、かつてのバンド仲間であり、いまは教員に成り下がっている友人の名を騙ってお坊ちゃん・お嬢ちゃん学校の教師の座に収まります。

フィクションにおいて「嘘は露見せねばならない」というのは鉄則で、ジャック・ブラックも終盤には化けの皮を剥がされるのですが、それはいいとしても、子どもたちがジャック・ブラックのことをほとんど疑わないのはどう考えても変です。あまりに主人公にとって都合がいい。

ジョーン・キューザック校長はじめ他の教師に言いつける子どもがいたり、親に言いつける子どもがいるのが「世界の原理」のはずですが、そうはならない。それぐらいあの子どもたちは普段抑圧を受けているという設定なのですが、それにしても、算数も社会も関係なく音楽ばかりの授業に疑問を抱かないのはおかしい。これをはたして「映画の原理の勝利」と言っていいものかどうか。


人種問題
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天性のピアニストで、ロックバンドではキーボード担当になるアジア系の坊ちゃんは、「僕は辞めます」とジャック・ブラックに言う。

お、いきなり主人公にピンチ到来かと期待したら、「僕はイケてないから」と。ジャック・ブラックは励ましすぎるほど励まして元の鞘に収まる。


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黒人のお嬢ちゃんは、「太ってるから馬鹿にされる」という。ジャック・ブラックはそんなことないと励ましまくってこれまた何事もなくなるんですが、ここで気になるのは、「アジア系だから」「黒人だから」という人種のことを彼らが少しも出さないことですね。

世界の原理に倣うなら自分の人種のことを口にしてもいいはず。いや、そうでないとおかしい。でも、脚本家のマイク・ホワイトもプロデューサーのスコット・ルーディンもそういう凡百の道は選ばない。

人種なんかなかったことにする。それがこの『スクール・オブ・ロック』の世界観です。

人種問題がいまも大きな問題であることを捨象して話を進めていく。多様な人種から成るバンドに人種問題をもちだしたら「ロック魂に目覚める抑圧された子どもたち」というメインテーマと干渉するサブテーマが容喙してくる。それを嫌ったのでしょう。まことに懸命な判断だと思います。


大人も抑圧されている
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校長を演じるジョーン・キューザックはいつになくえらく美人ですが、それはともかく、彼女も酔えばロックを歌い出す俗人であることが明かされます。

しかしながら、一番の抑圧者であるべき人物が最初から胸のうちでは主人公の味方でいいのでしょうか? 最終的に、スクール・オブ・ロックの演奏を聴いてジャック・ブラックに拍手喝采しに行きますが、そうなることは中盤から目に見えてますよね。

でも、それは「予想」ではなく「期待」なのですね。予想は外さないといけないが、期待には応えないといけない。

おそらく、シナリオだけ読めばジョーン・キューザックの設定はかなり甘いものです。こんな主人公にとって都合のいい設定はダメだ、と大衆コンクールなら一次審査で落とされるでしょう(しょせん大衆コンクールなんてその程度のものです)。

それを、「キャスティングと演出によっては期待に応えるためのものに変えられる」と読んだスコット・ルーディンはやはり偉大なプロデューサーだし、それに応えたリチャード・リンクレイター監督の演出とジョーン・キューザックの演技力には脱帽です。

抑圧されているのは子どもたちだけじゃないというメッセージ。それは、家庭の親たちもそうだった、いや、この世に生きるすべての常識人が抑圧されているのだ、もっとバカになろうよ、というメッセージを声高に歌い上げて素晴らしい。


教師を軽蔑せよ
ジャック・ブラックがあそこまで子どもたちから慕われるのは、いやな勉強の代わりに楽しいロックを教えただけではないでしょう。

その前段として、自分自身への怒りを表出させたことにあると思います。

ジャック・ブラックが曲を作るときに、「ロックは怒りだ。俺への怒りを言ってみろ」といって一人ずつに言わせ、自分の悪口を歌詞にして歌ってみせる。子どもたちはその姿に「こいつは信用できる!」と思ったのでしょう。


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蓮實重彦はかつてこんなことを言っていました。

「私も教師のはしくれとして、学生たちに教師をいかに軽蔑するかということを教えてきたつもりです」

そうか、映画評論家の前にフランス文学者である蓮實があそこまで映画を擁護するのは、ロックとの親和性が高いからなんですね。初めて知りました。



スクール・オブ・ロック (字幕版)
ロバート・ツァイ
2013-11-26





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2020年05月11日

自粛警察が跋扈するなど、コロナのおかげでこの国の陰湿なところが顕わになっている今日この頃ですが、三密を断つ、ということで通常の映画も連ドラも撮影中断。

それにめげず、「いまだからこそ」作るべき作品を作る人たちがいることに拍手喝采、感謝感激。

といっても私が見たのは、NHK『今だから、新作ドラマ作ってみました』の第二夜「さよならMyWay!!!」と、上田慎一郎監督の新作『カメラを止めるな! リモート大作戦!』の2本だけ。(ジャ・ジャンクーの『来訪』も見たけどあれはリモート撮影ではない)

両方とも面白くなかったです。でも、ここでは作品の優劣は特に問題ではありません。面白い面白くないよりも「リモート撮影の限界」が論旨です。


「さよならMyWay!!!」
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NHKの「さよならMyWay!!!」では、主人公・小日向文世の亡妻・竹下景子がパソコン画面に突如現れるところから話が転がります。

竹下景子はあの世からというとんでもなく「リモート」な出演で、当然のことながら二人のツーショットはありません。延々とパソコンの中の連れ合いとの喋くりが描かれます。

あくまでもいまは濃厚接触を避けるためにリモート(遠隔)撮影をしましょう、というだけなのに、作品世界の設定も「遠隔」というのはいかがなものか。

映画は今日撮ったカットと100日前に撮ったカットをつないでもそれらしく見せることができるメディアなのに。もったいない。


『リモ止め』の戦略
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『リモ止め』では画像のように、それぞれ自宅に引きこもった俳優さんに自分自身を撮影してもらう。

台本上は同じ部屋にいる設定であっても、別個に撮って編集でつなぐとの監督の指示があり、自分で首筋をこちょこちょし、別個に撮ったこちょこちょする手とつなぐという手法。これを『カメ止め』の監督らしく、すべてばらしたうえで見せています。

だから「さよならMyWay!!!」とは違い、作品世界では同じ場所に二人の人物がいるわけです。

しかしながら、その二人を別個に撮るという監督の指示がばらされている。舞台裏をばらすことで逆に面白さを醸し出そうという戦略は、特に面白いものではありませんでしたが、戦略としては充分アリだと思います。

しかし……


映像リテラシーの問題
あれは阪神大震災の年だからもう25年前ですか。ハリウッド俳優が日本のCMに大挙して出ていた頃のことですが、ハリソン・フォードが筒井道隆と一人の女優(誰だったか忘れた)と共演! みたいな言われ方をしていたCMがあったんですけど、ハリソン・フォード一人と、筒井道隆と女優のツーショットがカットバックされていたんですね。

「これ共演じゃなくて別撮りじゃないか!」

と専門学校の同期生と笑ってしまいましたが、「普通の人は別々に撮ってるってわからないんだろうなぁ」と誰かが言っていました。

だから、リモート撮影であっても、「さよならMyWay!!!」のように舞台設定も別々にしないといけなかったり、『リモ止め』のように舞台設定は同じでもそれを別個で撮っているというネタばらしが必要になってくるんだな、と。

もし、別撮りの映像をうまくつないでまるで室内で仲良く団欒している(ような)シーンやスポーツに興じている(ような)シーンを見せても「どこがリモート撮影なんだ!」というクレームが出るんだろうなと思った次第。

一般の観客にそういう「映像リテラシー」を求めるのは野暮でしょう。みんなが映像リテラシーなんかもってしまったら作り手はかなり作りにくくなっちゃいますもんね。映画を作ったことのある人ならわかると思いますが、映画なんて最終的には「いかにごまかすか」ですから。

だから、「リモート撮影」という条件で一番個性を発揮できるのは、いいか悪いかは別にして、やはり『カメ止め』の上田慎一郎監督ということになるのでしょう、と思ったところで、カットカット!


関連記事
リモート撮影作品の限界について(『2020年五月の恋』を見て思ったこと)


マッケンドリックが教える映画の本当の作り方
アレクサンダー・マッケンドリック
フィルムアート社
2009-09-28







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2020年05月02日

久しぶりに再見しました。泣く子も黙る名作『ゴッドファーザーPARTⅡ』。今回は最後のほうで『ラストエンペラー』を想起するなど、ちょいと新しい発見がありました。

『PARTⅠ』の感想はこちら⇒『ゴッドファーザー』(父親を乗り越えられなかった息子の悲劇)


続編ではない続編?
世に続編映画は数あれど、ここまで完璧な続編はありません。というか、これは正確には続編ではないんですよね。マイケルのその後、マイアミのドン、ハイマン・ロスとの闘いなどより、それと対比された若き日のヴィトー(ロバート・デ・ニーロ)を描くことが主眼ですから。だから今風に言えば、『エピソード0』ですかね。『PARTⅠ』の前日譚をやるのはこの『PARTⅡ』が嚆矢でしょう。すぐれた発明です。

と思っていたのは昨日まで。やはりこれは「続編」だと今回は思いました。若き日のヴィトーが主眼ではなく、現在のマイケルが主眼だと。

とはいえ、誰もが言うように、この『PARTⅡ』ではデ・ニーロの芝居が何といっても素晴らしい。


街のガン ファヌッチ
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ヴィトーはパン屋でまじめに働く好青年でしたが、ある日、街を牛耳るファヌッチというドンが甥っ子をこの店で雇ってくれとやってくる。店主はファヌッチにだけは逆らえない、逆らったら恐ろしい目に遭うということで、しょうがなくデ・ニーロをクビにします。

ファヌッチは街のガンでした。誰も彼もがファヌッチのために苦しんでいる。ひょんなことからすでに闇の稼業に手を染めていた、後年彼の右腕になるクレメンザと知り合ったヴィトーは、同じく将来の右腕テシオと3人で裏の商売を始めます。が、ファヌッチから法外な金を要求される。ヴィトーは誠心誠意をこめてもう少し負けてはくれまいかと頭を下げますが、金の亡者ファヌッチはビタ一文負けるわけにはいかないと去る。

そこでヴィトーは決心します。ファヌッチを殺そうと。あいつを殺さなければ街のみんなは誰も幸せになれない。


マイケルのために初めて人を殺す
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そして、あの名場面です。祭りで賑わう街をよそにヴィトーはファヌッチを見事に殺します。ヴィトーにとって初めての殺人です。そして、拳銃をバラバラにして始末したあと自分の家に帰ります。家の前の階段に座っていたのは他でもない、幼少時のマイケルでした。ヴィトーは「マイケル、マイケル」と声をかけ、おまえのために俺はやってきたぞ、という感じで抱き上げます。

ヴィトーは金の亡者であるファヌッチを殺して新たなドンとして街を支配しますが、決してファヌッチのように法外な金を要求したりしません。払えない人の願いでもちゃんと聞いてあげる。PARTⅠで金のことばかり言う葬儀屋を叱責するのは、俺はファヌッチのようにはならないと誓ったからでしょう。

でもヴィトーは悪人です。暴力で問題を解決する以上しょせん薄汚れた悪人にすぎない。ヴィトーはそれをよくわかっています。だから『PARTⅠ』で「マイケル、おまえにだけはこんな仕事はさせたくなかった」と言うのです。

俺は薄汚れた悪人だ、でも俺のような悪人がいなければ苦しまねばならない人がいる。とヴィトーは汚れ役を買って出る。

街のみんなのために、家族のために、かわいい三男坊マイケルのために初めてヴィトーは人を殺します。

『PARTⅠ』でマイケルも中盤で初めて人を殺します。マイケルは戦争の英雄ですから、すでにたくさんの人を殺してるはずです。だから初めての人殺しではないものの、非合法の人殺しはあの場面が初めてです。

ヴィトーはマイケルのために、マイケルはヴィトーのために初めて人を殺すのですが、それを契機にヴィトーとマイケルの運命は真逆の方向へ変わっていきます。ヴィトーが誰からも敬愛されるドンになっていくのに対し、マイケルは誰からも愛されない、金しか信用できない孤独なドンに成り下がっていきます。

マイケルのために金の亡者ファヌッチを殺したのに、そのマイケルがファヌッチと同じ金の亡者になってしまった。

壮大にして完璧な悲劇です。ここまで完璧な悲劇は映画では他にないんじゃないでしょうか。

『PARTⅠ』で描いた「父親を乗り越えられなかった息子」の物語を、父親の若き日を描くことでその悲劇性をさらに高める。『PARTⅠ』と『PARTⅡ』ではほとんど同じことを語っているんですが、『PARTⅡ』でより深化してるんですね。Ⅱのほうが好きという人が多いのもうなずける出来栄えです。


兄をめぐって
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『PARTⅡ』はまた「兄」をめぐる物語でもあります。

マイケルの最大の罪、兄のフレドー殺しが描かれるだけでなく、それとカットバックして描かれるのが、フランク(マイケル・V・ガッツォ)というヴィトーの右腕だった男の自殺です。

フランクはマイケル襲撃の陰謀を企てたと殺されかかりますが偶然通りかかった警察官のおかげで一命を取り留め、FBIに保護されます。そして公聴会の重要証人として召喚されます。

が、このとき、マイケルが一人の男を連れてきます。フランクのお兄さん。ずっと本国イタリアで暮らしていて英語がわからない。でもフランクはそのせいで証言を拒否する。

FBIの証人保護施設か何かにトム・ヘイゲン(ロバート・デュバル)が訪ねてきて言います。

「君は歴史が好きだったな。ヒトラーのこともいろいろ教えてもらった。……昔のマフィアはファミリーを組織化しようとした。ローマ皇帝とその兵隊のように。皇帝に謀反を起こした者でも処刑されるまでは猶予を与えられた。家族を守る猶予を」

兄貴を殺されたくなかったら自決しろという、ものすごく遠回しな脅迫ですが、フランクは唯々諾々と従って兄を守るために自殺します。それと並行して描かれるマイケルのフレドー殺し。

自分の兄は裏切り者だからと殺し(それも母親が死ぬのを待ってからという巧妙というか卑劣というか)別の裏切り者には兄を守るために死ねという。

皇帝マイケルは兵隊たちにどこまでも横暴です。


「皇帝」と「兵隊」
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『PARTⅡ』の最後には、まだ大学生だったマイケルが海軍に入隊したと言ってソニーから殴られそうになる回想シーンがあります。

もともとの台本にはないシーンであとから付け足したらしいですが、いままでずっとこのシーンがなぜ必要なのかわからなかったんです。

今回初めてわかりました。

マイケルは国のために戦う「兵隊」になります。ソニーは「何が国のためだ」と言いますが、本心は「おまえが仕えるべき相手はアメリカの大統領ではなく、ファミリーの皇帝たる親父ではないのか」ということだったはずです。そして「おまえだって皇帝の血を引いた男じゃないか。それがなぜ兵隊なんかに」とも。

マイケルは英雄として帰ってきますが、なぜか「兵隊」として働くのはいやになったと考えられます。皇帝に仕える兵隊ではなく、兵隊を顎で使う皇帝になりたい。

だから『PARTⅠ』でヴィトーが撃たれたとき、血相を変えて帰省し、家族のために力になりたいと殺人まで犯したんだと思います。でなければずっと堅気だった男があそこまでしないはず。

でも、それがそもそもの間違いだったのでしょう。

ヴィトーは「おまえにだけはこんな仕事をさせたくなかった」と言っていました。最初から堅気の人間として育てたはずですが、それはマイケル自身の望みでもあったはずです。

周りがやくざな連中ばかりなのに自分一人だけなぜ、とは思わず、おとなしく大学に入ってひとかどの人物になろうとしていたわけですから、堅気の人間のほうがいいと思っていたのでしょう。だから国のために軍隊にも入った。一兵卒として働いて生きていくというごく普通の将来像があった。

しかし戦場で何を見たのかはわかりませんが、「兵隊」に嫌気が差し「皇帝」になろうとした。そんな器じゃないのに。

『ラストエンペラー』のジョン・ローンに似たものを感じます。

皇帝として生まれながら、辛亥革命によって皇帝の座から引きずり降ろされ紫禁城に軟禁される。そして日本が満州国を建国するとき、皇帝になってほしいという依頼に胸を躍らせます。ただの操り人形だと妻は諭しますが彼の耳には少しも聞こえていない。

「もう一度皇帝になれる!」

その喜びが勝ってしまい、もう何も見えない聞こえない。

マイケルもソニーが殺されたとき、同じような思いをもったのかもしれません。

「ソニーは死んだ。フレドーは能無し。じゃあ俺が次期皇帝だ!」

皇帝の器じゃないのに皇帝になろうとした男の悲劇。その根っこには「裏切り」があった。ヴィトー襲撃もシチリアの妻殺しもすべては裏切り。テシオもカルロも裏切った。今度はフレドーまで。

マイケルはもしかしたら戦場で「国家の裏切り」に遭ったのかもしれない、という思いも芽生えてきました。だから「兵隊」がいやになったのかも……。

それについては『PARTⅡ』までではまったく描かれていませんが、もしかして『PARTⅢ』を見たらわかるのかしらん。あれ、あんまり好きじゃないから見る気が起こらないけど、久しぶりに見てみようかな。







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