聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

スクリーン

藤井秀剛監督『狂覗』(悪意ばかりで地獄が見えない)

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話題沸騰中の、藤井秀剛監督『狂覗』を見てきました。

この映画を見ている間ずっと頭の中をぐるぐるしていたのが、ある高名な脚本家に言われた言葉でした。

「いじめとか自殺とかDVとか、そういうのなしで話を作れないのか」

という言葉です。

この『狂覗』では、まさに、そのようないじめや自殺が横行していて、どうしてもあの言葉がいまだに重くのしかかっているからか、「こういうのを見たいんじゃないんだ」という思いから逃れられませんでした。

いくら高名な方から言われた言葉であっても同意できなければ気にしませんが、激しく同意できてしまったのでね。これはいい悪いの問題ではなく、単なる主観の問題です。

その高名な脚本家の言葉を借りれば、

「三面記事に載るような事件で転がる話は見たくない」

のです。


そして、ここからが本当に言いたいことなんですが、




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この教師たちは「自分たちが悪事を働いている」という自覚をもってますよね。悪事には違いないが生徒のためだ、学校の秩序維持のためだ、つまり必要悪なのだ、と。

ここが決定的につまらないと思いました。

「地獄への道は善意によって舗装されている」

という有名な言葉がありますけれど、この映画で描かれる「悪意によって舗装された道」は、私には「地獄への道」とは感じられませんでした。

率直に申し上げて、最後のカタストロフが「喜劇」にしか見えなかったんです。

逆のほうがいいと思うんですよね。

つまり、教師たちが必要悪ではなく、自分たちのやっていることは「絶対的な善」だと思い込んでいる設定ということです。

新藤兼人&川島雄三の大傑作『しとやかな獣』みたいに、悪意のかけらもない者どもの言動が地獄を招くように、「生徒のためだ」と100%信じ込んでいるアホな教師たちの喜劇的な言動が最終的に「地獄」を招き寄せる、という。

それも結局、私が喜劇的アプローチが好きだという好みの問題のような気もしますが、いずれにしても、この『狂覗』は残念ながら私の見たい映画ではありませんでした。


シンクロ率ゼロ! 『シンクロナイズド・モンスター』

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この映画には「逆境」がありませんよね。
宣伝惹句には「職なし、家なし、彼氏なし」とあって、確かにそういうダメダメな設定で始まりますが、すぐに解決していまいますから。

偶然にも旧友の男と出会って、彼の酒場で働くことになり、住む家もある。テレビは男が運び込んでくれるし、着の身着のままのはずなのにパソコンはもっていて無料Wi-Fiもある。(どこまで都合ええねん)

彼氏は最後までできないものの、出会ってすぐにチューしかけてくる男と中盤に一夜を共にしますから、その方面でも不満はなさそう。

つまり、惹句にある逆境はすぐに順境になってしまうんですね。

で、次なる逆境がこちら。





シンクロナイズドモンスター1

ソウルに突如出現した怪獣が何と主人公とシンクロしていることが判明。なぜか彼女が動いたとおりに怪獣も動き、怪獣が攻撃されると彼女の同部位が痛む、と。これが第2の逆境。

多数の人を殺していると罪の意識にさいなまれる主人公。この逆境をどのように順境にするのかと思ったら・・・

何と、何も解決しないんですね。

なぜ彼女が怪獣とシンクロしているのか何の説明もありません。映画なんだから大ボラでいいから何らかの説明をしないと見てるこちらは納得できません。

しかも、彼女と怪獣のシンクロ率100%も最後までそのまんま。




シンクロナイズドモンスター2


実は、「第3の逆境」があったんですよね。

彼氏に捨てられた直後に拾ってくれた旧友の男は、こちらは同じソウルに出現したロボットとシンクロしていて、「やっと主役の座が回ってきた」とやりたい放題する始末。なかなかのナイスガイかと思っていたら、とんでもないバッドガイだったという展開自体は悪くないものの、物語全体からすると、この「第3の逆境を解決するために第2に逆境が利用されている」だけなのです。

しかも、彼女を捨てたはずの彼氏が連れ戻しに来たりとか、いったいこの映画は何をやりたいのか少しも見えてきません。


シンクロナイズドモンスター3


そういえば、冒頭にも肩すかしがありました。

主人公がパソコンをもっているということ自体がよくないと思うのですが(パソコンは彼氏のもので、まとめられた荷物の中にネットに接続できるものが何もないほうがよかったと思います)それはともかく、ネット動画でソウルに怪獣出現を知った彼女がのちのバッドガイに電話をすると、「それって9時間前の話だろ」と言われますよね。

あそこまで主人公に感情移入して見ていたこちらとしては冷や水を浴びせられたように興ざめしました。

やはり、男が拾ってくれたとき、車のラジオで「ソウルで怪獣出現!」のニュースを聞くべきだと思うんです。オーソン・ウェルズの「火星人襲来」を引き合いに出して「これはラジオドラマよ」と笑っていたら、酒場に到着してテレビを見るとほんとに出現していた! えええーーーーーーーーっ!!

というように、主人公や作中人物みんなと一緒に驚きたかったんですがね。

だから、私が言う「シンクロ率ゼロ」というのは、決して彼女と怪獣のシンクロ率のことではなく、私とこの映画とのシンクロ率のことです。

少しも乗れなかった。期待していたのにとっても残念です。

『アトミック・ブロンド』(肉体労働としての映画)

シャーリーズ・セロン主演の『アトミック・ブロンド』が素晴らしかったです。以下ネタバレあります)


シャーリーズ・セロン


ベルリンの壁崩壊前夜。MI6のスパイ、シャーリーズ・セロンが、極秘リストの奪還と二重スパイを見つけ出して始末する命を受けてベルリンに降り立つところから物語は始まります。

ロンドンが舞台だとデビッド・ボウイやクラッシュがかかって、ベルリンに移るとニーナがかかったりする選曲が微笑ましいんですが、それはともかく、この映画では、シャーリーズ・セロンが敵の二重スパイを上回る三重スパイだった(実はCIAのスパイ)というオチが素晴らしく、結局、冷戦が終わって得をしたのはアメリカだけだった、というその後しばらく続くアメリカ一強時代が「パクス・アメリカーナ」だったと言いたいのか、それともその逆なのかは定かではありませんが、最後の最後まで面白く見せてくれるこの脚本は秀逸だと思いました。




アトミック・ブロンド


しかし、この『アトミック・ブロンド』で本当にスゴイのはドラマの内容ではなく、アクション・シークエンスなんですよね。

特に、画像のシーン。あるマンションで始まるアクションは、フロアでの激戦が終わると階段を下りながら下のフロアで激戦をし、さらに下のフロアまで戦闘が続くんですが、およそ1フロア1カットなんですね。

特に最後のカットが凄まじい!
ちょっとカメラを動かしすぎじゃないかというきらいもありますが、それでも、縦横無尽に動き回るシャーリーズ・セロンと敵の男たちの動きをきっちりワンカットに収めきってます。あれは役者もしんどいでしょうがスタッフもしんどい。監督はじめ演出部は芝居を見ないといけないし、撮影部はフォーカスを合わせるのが大変だろうし、よけいなものが写ってないかの確認も大変。録音部はマイクマンが大変でしょう。それとも、ああいう場面ではワイヤレスを使うんですかね?

かつて黒沢清監督がこんなことを言っていました。

「映画はまぎれもない肉体労働です。僕はスタッフと俳優の肉体労働の結果をフィルムに刻みたいと思っています」

と、なぜ長回しが多いかという理由でした。

この『アトミック・ブロンド』も「肉体労働としての映画」を画面に刻みつけてますよね。そこが素晴らしい。

また、「痛みを感じるアクション」という意味でも素晴らしい。
同じスパイ映画でもジェームズ・ボンドなんかはもっとスマートに殺したりするじゃないですか。

でも、この映画のシャーリーズ・セロンは絶叫しながら狂ったように殴ったり蹴ったりするんですよね。この女が活きるか死ぬかの瀬戸際で生きていることがジンジン伝わってきます。それに、人を殴るのも殴られるのも痛いんだということがよくわかるように撮られている。ゲーム感覚で人を殺すような映画が横行している現代においてこういうリアルなアクション映画はとても貴重ではないでしょうか。

「映画を見た」という斬られたような感覚。ごっつぁんです!




『ワンダーウーマン』(もっとドラマチックにできたはず)

アメコミ映画史上初のアカデミー作品賞ノミネートなるか、みたいな記事を見たのでやたら期待値が高くなっていた『ワンダーウーマン』を見てきました。


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うーん、ガル・ガドットは予告編よりもさらにきれいで「美しく、ぶっ飛ばす」というコピー通りの映画でしたが、面白いとは思えなかった。

というか、クローネンバーグの『ザ・フライ』みたいにしたらもっと盛り上がったのに、と思うんです。

『ザ・フライ』の物語を要約すると、「愛する男をこの手で射殺しなければならなくなった女の悲劇」ですよね。

だから、ガル・ガドットがクリス・パインを殺す、という物語にすればよかったんじゃないか、と。

そう、クリス・パインこそ軍神アレスだった、ということにするわけです。映画では、いかにも怪しいデビッド・シューリスがやっぱりか、という感じでアレスを演じていました。それに加えて、ガル・ガドット演じるダイアナは実はゼウスの子で、アレスを倒すために産み落とされたのだと。ゴッドキラーとは剣のことだと思っていたのに、実は自分自身がゴッドキラーだった、となるんですが、あまり面白い展開とは思えません。


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ダイアナにとって、生まれて初めて出逢った男、生まれてただ一人愛した男をこの手で殺さなければならない、というほうがよっぽどドラマチックだったと思うんですよね。

そのためには、クリス・パインをドイツ軍の二重スパイか何かに設定し直す必要がありますが、それは簡単にできます。
それ以上に、「それまで男を見たことがなかった女が初めて愛した男を殺す」という物語のもつ盛り上がりのほうが多でしょう。「男を殺したアマゾネス」ということで、ダイアナをめぐる第2章、つまり続編の作り甲斐もあったんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。

他にもいろいろケチをつけ始めたらきりがないほどツッコミどころ満載の映画でしたが、これ以上は何も言わないことにします。

『新感染 ファイナル・エクスプレス』(ロメロの遺志を継承した大傑作!)

これはゾンビ映画というより正確には吸血鬼映画なのかもしれませんが(だって死なないのに感染してるもの)先日亡くなったゾンビ映画の創始者ジョージ・A・ロメロに対するいい供養になってますね。大傑作だと思います。(以下ネタバレあります)


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ロメロの追悼として、先月こんな日記を書きました。⇒「妊婦」のコードを破ってみせたロメロ

『ゾンビ』では、妊婦として登場した女性が、そのまま流産も出産もすることなく妊婦のまま物語から退場したことは画期的だった、という主旨です。

驚くべきことに、ロメロが死んだ今年に登場したこの『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも妊婦が登場します。

上の画像の先頭の強そうなおっさん(この役者が実にいい!)の奥さんがそうです。


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お腹押さえて走ってますよね。
そしてさらに驚くべきことに、この妊婦さん、最後まで流産も出産もしないんです。破水してクライシスを招くとか、咬まれたあとにひそかに出産して、その赤ちゃんが半ゾンビとして(『アイアムアヒーロー』の有村架純みたく)物語に新しい転回をもたらすとか、いろいろ手はあっただろうに、この映画のつくり手たちはそのどの手も使わなかった。

私としては、最後、生き残った主人公の娘と妊婦さんに射殺命令が下ったとき(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のうまいパクリでしたね!)妊婦さんが横向いて、出っ張ったお腹を見た狙撃兵が「妊娠してるようですよ」「撃つな!」みたいな幕切れを期待したんですけどね。子どもの歌というのはちょっとがっかりしました。

というか、妊婦を「記号」から解放し、一個の「人格」として扱ったロメロに倣うなら、その前のシーン、咬まれた主人公が別れの前に「おそらくこれがブレーキだ」と教えるじゃないですか。あのセリフをなぜ活かさなかったんだと。

つまり、機関車がもう前へ進めないとなったときに、運転席に座っている妊婦が主人公の思いが託されたブレーキを引いて、機関車を止めると同時に物語自体を終わらせる。物語を盛り上げる役目を担っていた妊婦が、物語を終息させる。それぐらいのことをして初めて「ロメロのパロディ」から「ロメロからの脱皮」へ昇華できたんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。



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何にしても、「妊婦のコードを破る」というロメロと同じ手を使ったこの映画は、ロメロが亡くなった2017年にふさわしい傑作だと思います。(製作されたのは去年のようですが、まぁ固いことはやめましょ)


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