聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

映画

『スキャナーズ』(顔と芝居に賭けたクローネンバーグ)

久しぶりにデビッド・クローネンバーグ監督による名作『スキャナーズ』を見たんですが、初めて気づくことが多くて実に楽しい映画体験でした。映画は情報量が多いから何度も見ないとわかりませんね。

「映画とはまず見せ、そのうえで語るものである」とはアレクサンダー・マッケンドリックの教えですが、この『スキャナーズ』は見事な見せ物映画になっています。

しかし、今回わかったのは「ほとんど何も起こらない見せ物映画」ということです。


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脚本
まず、クローネンバーグは脚本家としても一流だと前々から思っていますが、どうもこの『スキャナーズ』の脚本はそれほどよくないですね。
シンプルな善悪二元論によるメロドラマというのは力強いものがありますが、やはり、主人公の父親が開発した妊婦用睡眠薬の副作用のためにスキャナーが生まれた、実は悪玉スキャナーとは実の兄弟だったという情報をクライマックス直前で出すのは遅すぎると思いました。兄弟という情報はクライマックス直前のほうがいいと思いますが、なぜスキャナーが生まれたのかという背景は中盤くらいで説明したほうがよかったのではないかと思います。

ただ結末はすごいですよね。あれで行けると踏んだ作者たちは偉いと思います。笑っていいのかどうなのかいまだに戸惑ってしまいますが。


芝居
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この画像は冒頭10分ぐらいで悪役スキャナーに頭を爆発させられる場面ですが、スキャナーが自分の能力を使うときってよく見るとほとんど何も起こってないんですよね。念を送っているほうは目を大きく見開いて威嚇するような顔をするだけだし、被害を受けるほうはこのように苦悶したり鼻血を拭ったりするだけ。あとはハワード・ショアの効果音的な音楽があたかも「不吉なことが起こっている」という空気を作り上げる。

だから画面で起こっているのは念を送られた側の芝居だけということになります。

この無名の役者の芝居がやたらうまい。後半、主人公とジェニファー・オニールを捕まえに来た若い警官が念を送られてジェニファー・オニールが母親に見え、泣き崩れるシーンがあります。このときも警官役の芝居がうまい。昨年のベストテンを選ぶときの基準に「監督の演技指導力と役者の想像力の有無」と言いましたが、クローネンバーグも演技指導の達人だとは今回再見するまで気づきませんでした。

演技指導にもいろいろ計算があったようで、頭爆発のおっさんは鼻血を出しませんでしたが、あとはみんな鼻血を出しますよね。あれが映画を豊かにしてくれています。鼻血を拭うために下を向く、流れないように上を向く、など鼻血に対処するために必然的に顔を上下する必要があり、役者は芝居がしやすかったと思われます。



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上述の警官が泣き崩れる場面。彼の他に映っているのは、ただ黙って立っている主役スティーブン・ラックとジェニファー・オニールと母親役の女優の「顔」だけ。

役者からそれらしい芝居を引き出し、あとは特異な顔に賭ける。クローネンバーグはそう考えたのでしょう。



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ここまで来るともうディック・スミスの特殊メイキャップの力ですが、「顔」であることには違いありません。そして顔とはベラ・バラージュの言葉を借りれば「風景」であって「出来事」ではありません。やはりこの映画ではほとんど何も起こっていないのです。

何かが起こっているように見えるけれども、クライマックスは別にして実はほとんど何も起こっていない。
ほとんど何も起こっていないのに、世界が滅亡するかもという恐怖が生み出されていますが、その恐怖の源は実はセリフです。セリフで説明しているだけなんですが、やはり冒頭で頭爆発というすごい見せ物を見せられているうえに、鼻血を出す場面で特異な顔とうまい芝居が相俟ってちゃんと恐怖を感じられる。説明されている気がしない。

やはりクローネンバーグは脚本家としても一流だとの結論に至りました。こんな脚本をシナリオコンクールに応募しても絶対二次ぐらいで落ちると思いますが、商業映画としては上出来(しょせん大衆コンクールなんてその程度のものです)。頭で計算してるんじゃなくて「嗅覚」だと思いますが。

最近のクローネンバーグはつまらないというのが映画ファンのほぼ一致した見解ですが、クローネンバーグは「映画の嗅覚」を失ってしまったのでしょう。死ぬまでに取り戻してほしい!

そんなことも思った久しぶりの再見でした。




『ストリート・オブ・ファイヤー』(ご都合主義の極み)

今年の映画初めは『ストリート・オブ・ファイヤー』。地元の名画座シネマ神戸さんがやってくれるというので駆けつけました。

実はこの映画は25年くらい前にビデオで見ていまして、当時は黒沢清監督の『映像のカリスマ』を読んだばかりで、あれにかなり影響されていたから「何だこのつまらない映画は」と思ったんです。でも、あれから映画の味方も変わってるし黒沢さんの言うことがすべてじゃないとも思ってるし、それに何よりスクリーンで見れるわけですからね。しかも併映が去年のお気に入り『ザ・プレデター』というのでよけいにね。


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このファーストシーンはノリノリで見ていました。何でこんな素敵な映画をつまらないなんて断じてしまったんだろう。青かったのだろうか。と思いましたが、どうもこのあとから雲行きが怪しくなりました。

悪玉登場、歌姫をさらっていく→善玉の帰還、早速チンピラ退治→助けに行く→悪玉のアジトに監禁されている歌姫

ここまで30分ですが、時間かかりすぎでは? それに、さらわれたダイアン・レインがどこでどうしているのかずっと見せないというのはイライラが募りました。さらわれた直後かマイケル・パレ登場のすぐ後に見せないといけないのではないでしょうか。

しかしこの映画は編集が素晴らしい。冒頭の熱唱シーンからして素晴らしい。編集がいいだけでミュージカル・シークエンスは活き活きすると改めて思いました。
マイケル・パレがダイアン・レインが監禁されている部屋に飛び込んできてナイフか何かで手錠の鎖をぶった切る4カットがすごい。スコセッシも真っ青のジャンプカットを披露してくれます。ああいう勢いのあるアクションシーンは画面を活性化しますね。しかしその直後……


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マイケル・パレがショットガンをぶっ放すシーンになるんですが、漏れてる油を撃って炎上させるじゃないですか。油がちょろちょろ漏れてる画は彼の見た目ショットなんだから遠目から望遠で撮らないといけないのに接写してましたよね。あれは白けた。

ただ、撮影に関してはいいところもあって、最近のアメリカ映画は薄暗い室内という設定だと役者の顔にろくに光を当てずに撮ることが多い。表情が読めなくてイライラするんです。でもこの映画では薄暗い室内や夜のシーンでもちゃんと役者の顔にうっすら光を当てている。好感がもてます。

さて、首尾よくダイアン・レインを助け出し、リック・モラニスらとの個人的いざこざがあって、そのあと他のみんなに救出してきたとなって盛り上がるんですが、助けたあとすぐみんなに知らせて盛り上がって、盛り上がったのに個人的いざこざで盛り下がるほうがよくないですか? どうも映像的にも脚本構成的にも乗れない。

しかも、あの警官たちは何なのでしょう? 誘拐と銃撃戦だけで充分捕まえられるはずなのに、注意するだけって……。

あの警官たちは完全に作者の都合で動いてますよね。最後の決闘シーンでも傍で見守ってるだけってそりゃないですよ。『藁の盾』のラストみたい。

敵と味方が感情を交わすシーンがないのは致命的では? ウィレム・デフォーはターミネーターのような機械みたいです。悪い奴は悪いことをするだけなんてつまらない。しかも警察は彼の悪行を間接的に手助けしている。

やはり、ダイアン・レイン救出のあとマイケル・パレとウィレム・デフォーは逮捕されるべきです。そんなことしたら映画がそこで終わってしまうとウォルター・ヒルら作者たちは考えたのかもしれませんが、ブタ箱に入った二人が決闘のために一致協力して脱獄するほうが面白くないですか? そのあとも警官隊は執拗に二人を追い回す。二人はまた一致協力して警官隊を罠にはめて二人だけの決闘の場へ赴く。そういうシーンを積み重ねればウィレム・デフォーの役にも血が通ったはずなんです。

結局、今年の映画初めは直後に見た『ザ・プレデター』のほうが100倍面白いことを確認しただけで終わりました。残念。

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作家と批評家は共闘関係にあると思う件(遊撃の美学はどこへ?)

伊藤洋司という映画批評家による『映画時評集成2004-2016』という本を読みました。




蓮實重彦に多大な影響を受けた人らしい批評ばかりですが、蓮實のようにこちらを刺激してくれる言葉はあまりありませんでした。でも言いたいのはこの本の感想ではなく、この著者もまた「作家」と「批評家」を対立概念として捉えているんだな、ということ。


創作=批評
よく、このブログで映画の感想を書いていると、脚本家志望者が批評をするのはいかがなものか、みたいなことを言ってくる人がいます。

なぜ???

多くの人が「創作」と「批評」を対立概念として捉えてるんですよね。でも違うと思う。両者は「いい作品が増え、悪い作品を駆逐する」というゴールが同じという意味において、共闘関係にあると昔から私は思っています。ただやっていることが実際に作るか、作られたものを批評するかの違いだけ。

以前、こんな日記を書きました。→「作家と批評家の違いについて」

違いについて書いただけです。どちらがすぐれているとか劣っているとか、そんなことは書いてませんし、思ってもいません。共闘関係なのだから。目指しているゴールは同じなのだから。

だから、脚本家が批評してもいいと思うし、監督が批評してもいいと思う。

そもそもの前提として、創作=批評ですよね?


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脚本家の荒井晴彦さんがよく言っているのが「創作というのは批評なんだ」ということ。ハワード・ホークスが『真昼の決闘』への批評として『リオ・ブラボー』を作ったのは有名な話。

同じ脚本家の高橋洋さんも名著『映画の魔』で似たようなことを言っていました。

「真の映画製作は、なぜこうではいけなかったのか、という既存の映画製作システムを疑うところから始まる」

みたいな意味のことが書かれてました。疑うというのは批評的な目をもつということでしょう。


批評家は作家になれなかった人たち?
荒井さんはもう30年ぐらい前から「映画芸術」の編集長として批評活動をしています。盟友の澤井信一郎監督から「あれは敵を作ってるからやめたほうがいい」と忠告されたこともあるとか。そりゃま、舌鋒鋭く批判するからされたほうからすれば「敵」に見えるのかもしれないけど、根っこにあるのは映画への愛情だろうからそれは誤解だと思う。

というか、批評と創作は対立するものだと捉えているからそういう誤解が生ずるんじゃないですか。もっと言えば、批評する者を一段低い者として捉えている。「批評家は実作者になれなかった二流の人間の集まりだ」とは山城新伍の下品な言葉ですが、同じように考えている作家はたくさんいるのでしょう。

これには批評家のほうにも問題があって、どうも彼ら自身が「自分たちは作家よりも下等」と思っている節がある。

『映画時評集成2004-2016』の伊藤洋司さんも、巻末の青山真治監督との対談で、自分が好きな映画を青山さんも挙げているのがとてもうれしいと言って持ち上げている。作家と同じ価値観を共有できているのがあたかもひとつのステータスでもあるかのように。
作家の仕事が立派なのと同じく批評も立派な仕事だ! と気炎を上げた田山力哉さんのような批評家がいなくなって久しい。

逆に青山さんや黒沢清監督は自分たちより批評家が一段低いとは思っていないはずですよ。思っていたら蓮實重彦から多大な影響を受けたなんて口が裂けても言えないでしょう。


批評は批評家だけのものなの?
そういえば、『映画時評集成2004-2016』の映画本に関する文章の中で気になることが書いてありました。

刺激的な映画本がなく、批評家の言説が機能していないという文脈で、ブログやツイッターの素人批評家のレビューがその代りをしている、それでいいのか、みたいな意味のこと。

うーん、何かエリート意識丸出しというか、素人批評家の文章にもいいものはたくさんあると思うし、別にそれを読んで映画館に足を運んだり、なるほどと思ったっていいじゃないですか。

どうもこの伊藤洋司という人は、「批評はプロの批評家の砦」みたいに思っているらしく、その砦は自分たち批評家が守らなくては、と思っているらしい。

いやいや、そうではなくて、「映画」という砦を守るために作家と批評家とブロガーやツイッタラーが共闘していくというのがあるべき姿じゃないんですかね?

映画の中で「創作」と「批評」を分けるからおかしなことになる。分けるから「青山真治という映画監督が過去10年で最もすぐれた批評家ではないか。でもそれでいいのか」という言葉が出てくる。何でそれでいけないのか少しも理解できない。

両者を分けなかったヌーベルバーグの連中は作家になったし、作家になったあとも批評活動してましたよね。大島渚だって助監督時代からものすごい批評を書いていた。あれが健全な姿だと思うのです。


top

作家と批評家のどちらがすぐれているわけでも劣っているわけでもない。お互いがお互いにいい刺激を与えればそれでいいと思う。

たぶん、伊藤洋司という人の「最近の映画批評家の仕事に芳しいものがない」という危惧(これが的を射ているのかどうか、ろくに映画本を読まない私にはわからないけれど)は単に考え方の問題ではないんですかね? 日本の批評家ってみんなヌーベルバーグが大好きなのに、彼らのように「遊撃」することがないですよね。そこが根本的な問題ではないかと思った次第。



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