映画

2019年05月24日

許せない映画シリーズ、久しぶりの第7弾は『タイタニック』。ファンの多い映画ですね。地元の名画座では、もうすぐ権利が切れるとかで最終上映があるそう。何度も見てるファンで埋まるのでしょう。

私も封切ではかなり熱狂的に見た口ですが、何度も見直すうちに釈然としない気持ちになり、それがいつしか「許せない」という気持ちへと変化していきました。


『タイタニック』
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この映画ではこの架空の登場人物の悲恋がメインプロットとして描かれるわけですが、その物語はかなり面白いとはいえ、面白いがゆえにたちが悪い。タイタニック沈没というまぎれもない史実を架空の人物の悲恋物語を盛り上げるための「背景」に利用しているだけだと思うからです。


『ベルサイユのばら』
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史実に材を取った物語はあまたありますが、例えば『ベルサイユのばら』なら、マリー・アントワネットなど実在の人物が多数出てくるうえに、世界史上に名高いフランス革命が描かれます。その中心にいるのはオスカルという名の架空の人物。でも、オスカルの物語を盛り上げるためにフランス革命を利用したりしてませんよね? あくまでもオスカルの目を通してフランス革命を描いている。

実在の人物を主人公にして、その人物の目を通して歴史上の大事件を描くのもひとつの手でしょうが、架空の人物の目を通したほうが歴史の実相に迫れる可能性が高いのかもしれない。それはどういう史実をネタにするかで変わってくるのでしょう。

いずれにしても、『ベルサイユのばら』は『タイタニック』とはまったく違います。

同じ意味で↓この映画↓もあまり好きではありません。


『アンストッパブル』
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トニー・スコットの遺作になってしまった『アンストッパブル』。

これは大惨事を防いだ実際の男たちを主軸に据えています。彼らの目を通して事件を描いている。でも、やっぱり釈然としない。大惨事は確かに起こらなかったけれど、起こったかもしれないわけで、その原因を追究する切り口にするならともかく、結果的にハッピーエンドという物語を見世物として語る切り口に「本当にこれでいいのだろうか」とずっと思いながら見ていました。

先日、BSプレミアムで放送されたので再見したら、劇場鑑賞時ほどの釈然としない感じはなかったけれど、やっぱり「本当にこれでいいのだろうか」という思いはいまもつきまとっています。でも「許せない」とまで思わないのは、やはり大惨事が起こらなかったからなのでしょうか。


再び『タイタニック』
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『タイタニック』を許せないと思うのは、やはり前述のとおり。
2000人もの人が亡くなった、実際に起こった大惨事を、架空の物語を盛り上げるために利用するというのは倫理的に許されないと考えます。


「許せない映画」シリーズ
①『ダーティハリー2
②『L.A.コンフィデンシャル』
③『グレイテスト・ショーマン』
④『ゴースト・ドッグ』
⑤『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』
⑥『ダイ・ハード』




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2019年04月21日

見てきました。『マネー・ショート ~華麗なる大逆転~』のアダム・マッケイ監督・脚本によるアカデミー賞候補作『バイス』。(以下ネタバレあります)



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ソックリさん大会と爆笑場面
チェイニーのことは名前と子ブッシュ政権のときの副大統領だったことぐらいしか知りません。ラムズフェルドがフォード政権時に史上最年少の国防長官だったというのもこの映画で知ったくらいでして。

それにしてもソックリさん大会みたいなこの映画、ラムズフェルドだけは似てませんが、チェイニーも子ブッシュもパウエルもライスもみんな激似で笑いましたが、映画そのものに笑えたかというとそれほどではなかったかな。サム・ロックウェルによる子ブッシュはあまりに似てて素晴らしかったけど。

一元的執政府理論を弁護士から聞いてニヤける場面のストップモーションは爆笑でした。「法律の解釈次第で何でもできるぜ!」なんつーのはいまの日本にも通じるアクチュアルな問題ですね。ほんと、法律なんて悪い奴のためにある。


子煩悩な一面はカットすべき
政治か娘かの選択を迫られたときに娘を選択し、それが原因で政治から引退し、幸せに暮らしましたとさ。という架空のエンディングもよかった。突如クレジットが流れる場面はあの伝説の『シベ超』を想起したほど。

ただ、その「政治か娘か」という選択で娘を選び、子ブッシュが同性婚に反対しているけど自分はその政策には同意できないという子煩悩な一面を見せるチェイニーですが、娘に関連した「いい親父さん」のエピソードはすべてカットしたほうがよくないでしょうか。

それでは事実を歪曲したことになる? いや、でも、冒頭で「かなり忠実にしたつもり」みたいなふざけたテロップが出るから少々いいんじゃないですかね。『ビューティフル・マインド』だって主人公の同性愛とか奇行にはまったく触れてなかったし。(批判もありましたが)

viceという英単語には「副」という意味の他に「悪徳」「邪悪」という意味もあるらしいので、子煩悩な一面とか全面カットして、大統領独裁の礎を築いた「世紀の悪徳副大統領」という側面だけで押したほうがよかった気がします。


ナレーターの正体
冒頭からある人のナレーションで話が進みますが、最後のほうでナレーターの正体が明らかになります。心臓発作で倒れたチェイニーに心臓を提供したドナーだと。これ、ぜんぜん面白くないですよね。ドナーはあくまでも死後に関係性が生じるだけで逆に言えば生前は何の関係もない人。そんな人に大事なナレーションを任せるんですか? ありえない。

イラク戦争のせいで自殺した兵士にするとか、富裕層を優遇したせいで失業した貧困サラリーマンにするとか、「チェイニーのせいで不幸になった人」にするという手もありますが、それはシリアスドラマならの話。

ブラックコメディなんだから、チェイニーのおかげで大儲けした人・幸せになった人をもってくるのが最善手じゃないでしょうか。最後にハグしてジ・エンドとか。かなり笑えたと思う。


役者のアンサンブル
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『マネー・ショート』と同じく、役者のアンサンブルで魅せようという映画ですが、ちょっと散漫になってませんかね? クリスチャン・ベイルが主役なのはわかるんですが、やはりソックリさん大会の意識のほうが高いのか、芝居というより物真似になってる気がする。

一番人々が知らない奥さんをデフォルメするのがいいと思ったんですけどね。でも、マクベス夫人の出来損ないみたいな役柄で、しかもエイミー・アダムスにマクベス夫人は荷が重いのでは? ジェニファー・ローレンスならもっといろいろできたと思うんですが、それはそれでシナリオの書き直しとか大変そう。

アダム・マッケイ監督には、『俺たちニュースキャスター』『アザー・ガイズ!』みたいなハチャメチャコメディをまた撮ってほしいニャ。こういうのも悪くないけど、ちょっと肩に力が入りすぎな気がします。『マネー・ショート』はいい塩梅だったんですけどね。


関連記事
『マネー・ショート』(華麗なるアンサンブル!)





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2019年04月20日

中島貞夫監督の20年ぶりの新作『多十郎殉愛記』を見てきました。


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伊藤大輔という名前
まず最初の「伊藤大輔監督の霊に捧ぐ」との言葉にグッときましたね。といっても私は語れるほどには伊藤監督の作品を見ていませんが。(一番好きなのは『下郎の首』かな)

「移動大好き」と名前をもじっていじられていたくらい移動撮影が好きだったというのは知っていますが、この『多十郎殉愛記』でも移動撮影がとても多かった。横移動もありましたが、見ていて一番グッときたのは、人物をフルショットくらいで捉えて、そこからジワリと前進移動で寄っていく画をカットバックした場面ですかね。何回かありました。主に長屋で。


東映京都スタッフの底力
伊藤大輔がどうのこうのよりも、東映京都スタッフの底力に戦慄しました。
長屋の奥まったところに多十郎が帰ってくる場面。明らかに白昼に撮っているのに夕景に見せる撮影・照明スタッフの力!
録音もよかった。私は松竹京都に属していた人間ですが、応援で東映の人が来てくれたりしまして噂は聞いていました。ご一緒したことはありませんが、「松竹の録音部はダメ。東映のほうが段違いにすごい」と先輩が言ってました。映画録音の要諦は「芝居を録ること」に尽きますが、何でもない足音や衣擦れの音にも情感がこもっています。音楽と画のリズムが合いまくりなのは逆に違和感がありましたけど。合わせすぎな感じがちょっと、ね。


中島貞夫の演技指導力
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高良健吾も多部未華子もキャリア最高の芝居を見せてくれます。特に多部未華子の凛とした佇まいと柔らかな物腰が印象的。中島貞夫監督の類まれな演技指導力の賜物でしょう。


肝腎の物語は……
しかしながら、肝腎の物語はどうしたことでしょう。少しも感動させてくれません。

何よりも「主人公・多十郎が何をしたいのか」がまったくわかりません。

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最初はこうやって刀の柄を盾にしてばかりなので、暴力に嫌気が差した設定なのかと思いました。でも非暴力の思想をもった主人公で暴力にまみれた幕末を描くことが可能なのか、いや、でももし描き切ったらすごいことになるのでは!? もしかすると「夏みかん」はその象徴なのか! などと期待したんですが、結局、多十郎はちょうど半ばあたりで刀を抜きます。

その前に、多部未華子が刀を抜いたら竹光で「侍の魂はとっくに売ってしまった」みたいなことを言って多部は号泣してしまうのですが、実は本身を隠し持っていて手入れを欠かさない。で、抜刀隊に周りを囲まれたときに刀を抜くんですが、本身と竹光をすり替えるトリックがいったい何のためなのかさっぱりわかりません。多部未華子を欺くんじゃなくて抜刀隊や新選組を欺かないといけないのでは?

そもそもの問題として、多十郎は長州を脱藩した素浪人で、天下国家を論じるよりも夏みかんの絵を書いているほうがいいという男。そりゃ幕末にだってそういう侍はいたでしょうが、結局彼は何のために戦っているのでしょうか?

最後に駆け込んだボロ屋に僧侶とその女がいて、「天下国家のためか? 金か? 女か?」と訊かれ、すぐに多部未華子を思い浮かべるのですが、別に彼女のために戦っていたわけではないですよね? 結局、寺島進との決闘にも敗れ、自分がお縄になることで多部未華子と目をつぶされた弟は生き延びられるわけですが、別に最初からそういう目的で戦っていたわけではない。長州を脱藩したというだけで付け狙われていただけ。つまり、主人公は常に受け身で、主人公から積極的に起こすアクションがない。

多十郎はすごい剣士なのになぜあんなふうに落ちぶれたのかも結局答えが示されないし、何だかよくわからないままに終わってしまいました。

中島貞夫監督といえば、『沖縄やくざ戦争』という煮えたぎるような思想の詰まった傑作がありますが、この『多十郎殉愛記』には何もなかった。

すべての映画に思想がないといけないとは思いません。中島監督の作品にも『狂った野獣』『脱獄広島殺人囚』という思想とは縁のない傑作がありますし。

しかしながら、幕末というイデオロギーと暴力が結託した時代を扱うにあたって、無思想の人物を主人公に据えるというのはやはり無理があります。


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