エッセイ・ノンフィクション

2020年08月09日

『5時に夢中!』エンタメ番付7月場所で紹介されていた山本さほというマンガ家がやたら気になり購入。番組で紹介されていたのは『きょうも厄日です』というやつの第1巻なんですが、それは未入手。それと同時発売だったらしい『この町ではひとり』をまず。現時点での代表作らしい『岡崎に捧ぐ』は未読です。


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益田ミリなんかと同じエッセイマンガで、作者が19歳ごろに神戸で体験した出来事がベースになっています。

美大を受験したものの二浪の末に失敗し、やけのやんぱちで自堕落な生活をしていたけれどそれもやめ、「誰も知らない街へ行こう」と一念発起して横浜から神戸へ移住したとか。

時は2005年というからいまから15年前。震災からちょうど10年。もうかなり復興していた頃でしょうかね。

大事なのはこのマンガの「現在」が2018年であること。いまはまた横浜に住んでいる山本さほさんが13年前を振り返ってマンガにしようと取材に来ている。

画像はおそらく三宮から春日野道、あるいは灘までの高架下でしょうね。とてもうまく描けています。私は絵がうまい母親の遺伝子を少しも受け継がなかったので落書きみたいな絵しか描けず、こんなふうに描ける人は尊敬の対象なのですが、それはともかく。


最悪な町・神戸
神戸に来たらいきなり笑える出来事や暴力沙汰に遭遇し「この町は何て面白いんだ」と胸を高鳴らせるところから物語は始まるんですが、これは誇張でしょう。

そりゃ確かに私を含めて人々は終始冗談ばかり言ってるし、暴力的な物言いもある。でもやくざと高校生が喧嘩してるところなんか見たことないし、突然暴れる女もいない。別の地域で生まれ育った人にとってはそういうふうに見えたということでしょうか。

それはともかく、物語の中核をなすのはゲーム機を扱う店でのアルバイトで、これが店長らしき社員からしてひどい人間で、当然そんな店長がやっている店だから他のバイトたちも最低な人間ばかり。客のレベルも最低最悪。

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人見知りで臆病な山本さんがついにその店を辞めるまでのお話なんですが、そこに至る過程も面白いものの、私は本編が終わったあとの「おまけマンガ」が一番印象的でした。それもオーラス。


楽しかった町・神戸
とにかくひどい体験ばかりで精神的に追い詰められて逃げるように故郷へ戻った。そんな町に作者は帰ってくる。

取材のためにウィークリーマンションを借りて住んでいると、神戸以外の地域の友だちが訪ねてくる(結局神戸では一人も友だちができなかったとか)。彼らと遊びまくった夜に山本さんは、

「何ていうか、楽しかった。本当に楽しかった。またこの町に遊びに来たいなぁ」

とつぶやいて終幕。

この「楽しかった」が友だちと遊んだその夜のことではなく、店長や同僚からひどい仕打ちを受けたバイトの日々であることは、主人公の表情から読み取れます。

あのどす黒かっただけの日々が「楽しかった」と記憶されている。

そして思い出すのです。ある番組で島田紳助が言っていた言葉を。確か『深イイ話』での一幕。


紳助の言葉
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「人間の記憶っていうのはね、楽しかった、うれしかったっていうポジティブなものが6、つらかった、悲しかったというネガティブなものが3、どうでもいいものが1、誰でもそうなっているらしい。どんな幸福で運のいい人生を歩んでも、どれだけ不幸で不運な人生を歩んでも、脳内の記憶の比率は変わらない。そういう比率になってないと人間は耐えられないらしいよ」

試みに調べてみると、いい思い出が6、どちらでもない普通の思い出が3、悪い思い出が1、と書いてあるサイトもあります。紳助と同じ説のサイトもある。

いずれにしても、いい思い出が6割と過半数を占めるというのは変わりません。「このつらい出来事もいずれは笑い話になる」などと言いますが、あれには科学的な根拠があったのですね。目からウロコ。

あとがきにも、漫画を描くことによって神戸でのあれやこれやのいやな想い出が脳内からスーッと抜けていく感じがした、と書いてあって、やはり「物語る」ことにはそういう効能があるのだな、私もそれが目的でシナリオや小説を書いているんだろう、と認識を新たにしました。

だから13年後に神戸に戻ったのでしょう。自分の記憶を書き換えるために。笑い話として消化するために。

蛇足ながら、山本さほさんの顔写真を見るとえらい美人で驚愕。美人で若いから妬まれていたのか。実際そういう回がありましたよね。でも男からも疎まれていたようだし、謎。

まぁ、関西では関東人は嫌われるからそれが一番の原因かもしれませんが。







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2020年05月27日

『5時に夢中!』のエンタメ番付で中瀬ゆかり親方が激賞していた、アイドル評論家・中森明夫さんの短編小説集『青い秋』。中瀬親方の言うとおり、これは大傑作です。できるだけ多くの人に読んでもらいたいと筆を執りました。


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小説かノンフィクションか
でもこれって「小説」なんですかね? 「小説書いてくださいよ」と友だち(?)だった編集者が言っていて、その人が死んでしまったために書いたみたいな感じになっていますが(中上健次を思わせる巨躯の小説家から「来いよ、文学に」と言われたのも大きかったような)「俺」「私」などの一人称の語り部は著者の名前をもじった「中野秋夫」で、衝撃の飛び降り自殺をしたアイドルの名前が「岡野友紀子」、後藤久美子と宮沢りえはそれぞれ「野口久美子」「宮川えり」として登場する。

どこまでが本当のことなんだろう? 

というのは愚問ですね。これが小説だろうとノンフィクションだろうと、著者の目というフィルターを通して見た世界はやっぱりひとつの「フィクション」でしょう。エピソードがすべて本当のことでも、どういう順番で情報を出し入れするか、どういう切り口で始め、どういう一文で幕を閉じるか、という「構成」という作業を経ているのだから、フィクションとしてどれだけ面白いかが問題。どこまでが本当かなんてどうでもよろしい。


全部で8つの物語から成る本ですが、特に印象的なものの感想を述べましょう。


「文芸編集者」
高垣という文芸編集者がいて、彼が「中野さん、小説書いてくださいよ。あなたの最初に出した本は小説だったじゃないですか。あれ僕が若い頃のバイブルだったんですよ」という。それで著者はこの『青い秋』を出したという態になっています。

高垣とは別の山辺という名の編集者と朝まで飲み交わす仲で、お互い独身貴族を気取り、結婚なんかするかーー! みたいに盛り上がっていたのに、ある日その人から電話で「結婚します」と言われショックを受ける。

それを写真家の篠川実信(篠山紀信)に話すと、

「もしかして山辺のこと、友だちだと思ってるの?」

と言われる。編集者なんて経費で飲み食いできるから作家とつるんでるだけだよ、と冷たい反応。そうか、俺は山辺とは友だちじゃなかったんだ。

じゃあ高垣とはどうだったんだろう。というのがこの小説の主題。

高垣はいつの間にか文芸編集者になり、いつの間にか副編集長になり、いつの間にか編集長に出世している。ほとんど連絡を取っていなかったのだから友だちじゃないようにも思うけれど、高垣が死んだと知らせが入り、葬列に参加した著者は思ってしまう。

「おまえ、おまえさ……俺の友だちじゃなかったの?」と。

「もう永久にわからない問い」を発し続けないといけない苦しみが如実に伝わってきますね。「もう永久にわからない問い」って普遍的なものでしょ。誰だってそういう問いを胸に秘めて生きている。


「四谷四丁目交差点」
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1986年4月に衝撃の自殺を遂げた岡田有希子(劇中では「岡野友紀子」)をめぐるお話。

あの年の4月は岡田有希子とチェルノブイリ原発事故でもちきりだった。

というのはどうでもいい話で、この小説には何度でも読みたくなるフレーズがあります。

「私は成長できなかった。成熟を果たせなかった。ずっと青いままに年齢だけを重ねてしまった」

これは私自身のことでもあるし、名作映画『レイジング・ブル』の主人公ジェイク・ラモッタのことでもある。

まぁラモッタはすべての人間のモデル、すべての愚か者の象徴といってもいいので当たり前かもしれない。

でも「自分のことが書いてある」と思えるのはそうそうあるものではありません。

私にとっては太宰の『人間失格』、中原昌也の『ニートピア2010』ぐらいかな。他にもあったような気がするけど。

著者は、毎年4月8日に岡田有希子が飛び降りた四谷四丁目交差点に赴き、大勢のファンと悲しみを共にする。そこで出逢った「あや」という名前の女性は、修学旅行でそのビルの屋上に行こうとしたけど、後追い自殺が相次いだこともあって固く閉じられていて行けなかったらしい。

著者は本が売れたりアイドルブームが去ったりするたびに引っ越しをしているんですが、いつの間にかあの飛び降り現場から歩いて5分とたたないところに居を構えていることに気づく。粘り強く交渉し、誓約書まで提出して屋上に入らせてもらった著者の耳に聞こえてきたのは、何と南沙織の『17才』だった。

著者の最初のアイドル体験で、あれから40年以上アイドルだけを追い続けてきた自身の来し方行く末に思いを馳せ、「成長できなかった。成熟を果たせなかった」という後悔に至る。

別に似たような体験を私がもっているわけではない。が、「成長できなかった。成熟を果たせなかった」という後悔の念は同じようにもっている。

それと、この一編を好もしいものにしている大きな要因に、著者は決して岡田有希子の自殺の理由探しをしたりしない、というのがあると思う。

少しだけそれに触れているところもあるが、遺書に載っていたある俳優の名前は絶対に出さない。いまさら犯人探しをしてどうなるのか、という節度に好感。私はその俳優と一日だけ仕事をしたことがあるけど、私のようなどこの馬の骨かわからない若造にも気遣いを忘れないとてもいい人だったことだけを記しておきます。


「美少女」
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後藤久美子と宮沢りえはいまでも連絡を取り合うほどの親友だと初めて知りましたが、共演したのはこのCMだけだそうです。

篠山紀信が二人の魅力を開花させたとか、時代を代表する美少女二人をメインにした話かと思いきや、実は主人公は別にいることが最後に判明します。

おそらくこの変な構成は著者の計算にはなかったものでしょう。後藤久美子と宮沢りえの話を書こうとしているうちに、国江という名前のデザイナーの話になってしまったものと思われます。

国江という男はロリコンの変態で、普通に妻子がいたにもかかわらず、娘ほどの年齢の女性劇作家と不倫関係になり、その顛末を暴露され、奥さんに捨てられ、その劇作家にも捨てられ、仕事を失い、財産も何もかもを失い、死んだという。

その国江が後藤久美子と宮沢りえを絶賛するときに使っていた言葉が「実存」

「見てごらん、あれが実存だよ」と二人を絶賛する。著者も意味がわからないが、読んでいるこちらもまったくわからない。

しかし、国江が死ぬ前、最後に会ったのは一緒に『レオン』を見たときだというからかなり昔ですが、そのとき国江はこう言っていたそうな。

「なぜレオンが最後に死ぬかわかるか? 少女を愛してしまったからだよ。少女を愛した者は死ななきゃならないんだ」

国江がロリコンなら中森明夫というアイドル評論家だってロリコンじゃないか。とよく言われるそうですが、著者は国江さんに比べたら自分などフェイクだという。嘘ではないでしょう。

本気で少女を愛してすべてを懸けて、失って、破滅していった男に思いを馳せるとき、著者は「こういうのを『実存』というんじゃないのか」と初めて理解するのだった……。

確かにすべてを懸けてすべてを失い破滅するのが実存なら、さんざん滅茶苦茶やって40代半ばで死んだ中上健次も実存だろうし、18歳で自殺を遂げた岡田有希子も実存だろうし、妻のいないこの世に未練はないと自決した西部邁(文中では「東部進」)も、彼を手助けしたTVマンも実存でしょう。

そして、著者も私も実存からはほど遠い。

成熟できずに50代も終わりを迎え、あの人に比べたら自分などしょせんフェイクにすぎないと自嘲するしかない思いに囚われ、このあと著者はどこへ行くのか。

そして、私自身もどこへ行くのか。。。


青い秋
中森 明夫
光文社
2019-10-22





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2020年05月04日

新聞の書評欄で興味深く取り上げられていた、イタリアの気鋭作家パオロ・ジョルダーノのエッセイ集『コロナの時代の僕ら』(早川書房)を読みました。


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パオロ・ジョルダーノといえば、確かずっと前に新聞のインタビューで、

「書くことで世界を変えることはできないかもしれない。でも自分が変わることはできる」

という名言を語っていた人だと思います。(⇐あやふやですが、たぶん)

世界を変えることはできないかもしれない、でも自分が変わることはできる。だいぶ消極的ですが、自分が変わることで世界を変えることを希求する気持ちはよく理解できました。

しかし、この数年でだいぶ考えが変わったようです。この『コロナの時代の僕ら』は積極的に「世界を変えよう」という意志にあふれています。


僕は忘れたくない
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訳者が言っているように、最後に置かれた「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」と題された著者のあとがきが一番印象深い。日本版にだけ特別に掲載が許可されたとか。(なぜだろう)

マーティン・ルーサー・キングのあの有名な「私には夢がある」という演説のように、印象的なリフレインがあります。(以下、一部抜粋)


・僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲り笑ったことを。

・僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても飛行機のチケットを一枚キャンセルしなかったことを。この自己中心的で愚鈍な自分を。

・僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルで、感情的で、いいかげんな情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。

・僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題も、それぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。

・僕は忘れたくない。ヨーロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。

・僕は忘れたくない。今回のパンデミックそのものの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にあることを。

・僕は忘れたくない。パンデミックがやってきたとき、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを。

・僕は忘れたくない。誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。


ヨーロッパが遅刻もいいところなら日本はどうなるのか、とも思うけれど、いまそれは措きます。

著者はこのような文章を書くことで、まず自分自身がコロナ以前に逆戻りしないよう厳しく戒め、変わろうとしている。そしてこの文章を公にすることで周りを、世界を変えようとしていることに感動しました。


コロナ以前/以後
そして著者はこう問いかけます。

「すべてが終わったとき、本当に僕たちは以前と同じ世界を再現したいのだろうか?」

いま日本ではコロナ騒動にかこつけて「学校の9月入学」を実現しようと躍起になっている人たちがいます。

私は賛成であり同時に反対です。

小中高大すべてを9月入学にするなら、単に世界と足並みをそろえるというだけの話でしょう? 留学生を受け入れやすくなるという皮算用だけでしょう?

高校の卒業式直前の学年集会で、ある教師がこんなことを言いました。

「君たちの中から将来この国の中枢を担う人材が出たら、そのときは大学の入学を9月に変えてもらいたい」

そうすれば、高校を卒業してから受験勉強しても間に合うし、おそらく7月と8月は夏休みでしょうから、大学卒業は6月末くらいですよね。そこから就職活動を始めて次の年の4月に入社。という考え。

つまり、大学の入学時期だけを9月に変える。それだけで3年間の高校生活も4年間の大学生活も充分エンジョイすることができる、という主旨でした。

いまの議論には学生たちのためを考える気持ちがないように思われるのは私だけではないでしょう。確かにコロナ以前とは違う世界を生み出そうとしていますが、形だけ変えようとしているように感じられます。

私が高校を卒業したのはバブル真っ盛りの頃で、日本中が浮かれていた。そういうときでさえ冷静に考えている人が確実にいた。

いま、現代人のほぼ全員が初めて直面する未曽有の事態が起きているのだから、せめてパオロ・ジョルダーノが数年前に語っていたように、「自分を変える」ところから始めていただきたい。

世界を変えることはできないかもしれない、でも自分が変わることはできる。

これはやはり「自分が変わることで初めて世界を変えることができる」という意味でしょう。

政治家のみなさんにはぜひ「あなた自身がまず変わってください」と言いたい。



見ず知らずの人への礼儀
いまは街なかや電車の中など家の外ではマスクをするのがエチケットになっています。マスクをしてないだけで白い目で見られる。

何しろ、移される危険性もありますが、知らず知らず自分がウイルスをもっていて移してしまう危険性もあるん。だからマスクをするのがエチケット。

こういう「見ず知らずの人に対するエチケットやマナー、礼儀」というのはコロナ以後の世界でも続いてほしい。

常にマスクをつけるという意味ではなくて、例えば、先日ニュースでやっていた、ゴミ収集車の人へ感謝の手紙ををつけてゴミを出すとか、そういうの。

いままでゴミ収集業の人たちは「生活の中の黒子」でしかなかったはずですが、いまは「ごみを収集してくれる人がいるから自分たちの生活が成り立っている」ことをみんな痛感している。それはコロナ以後も忘れてはいけない。

そして、自分の軽率な行動が見ず知らずの人に迷惑を及ぼすかもしれない可能性について、ずっと敏感でいたい。

そんなことを考えさせてくれる良書でした。


コロナの時代の僕ら
Paolo Giordano
早川書房
2020-04-24








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