聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

連続ドラマ

夏の新ドラマあれやこれや(すでに3/6)

今月始まったテレビドラマの感想を見始めた順番につらつらと簡単に。


『幸色のワンルーム』
これについては第1話を見てすぐに思ったところを書いているので興味のある方は読んでみてください。→「SNS時代における連続ドラマ作りの難しさ」
ちなみに、私は第2話を見て、見るのをやめようと思いました。だって、ぬるい。30分がものすごく長い。


『義母と娘のブルース』
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綾瀬はるかなら面白いだろうという期待に見事に応えてくれる作品。
いまはまだ竹野内豊と結婚する本当の理由がわからないし、1話ではバイク便、2話では花屋をやっていた佐藤健の本当の役割もわからないので(バイク便での誤配はおそらくわざとでしょう)何とも言えないのが正直なところですが期待がもてます。いじめっ子と友達になれたのもよかった。いじめをドラマの枷にするのは安易ですからね。

数年前、あるプロデューサーが興味深い話をしていました。

「いくら独創的なキャラクターを生み出しても、それを演じられる俳優がいなければ不可能となります。現存する俳優だけで勝負しないといけない。映像作品というのは実は『不自由なメディア』なのです」

このドラマの綾瀬はるかは素晴らしいですね。あのロボットのような役をリアリティをもって演じられる演技力と天性のボケぶり。不自由なメディアを自由にしてしまうスター俳優の真骨頂!


『高嶺の花』
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何か最近、石原さとみの自然さを装った不自然な芝居が鼻についてきました。物語もいったい何を目指しているのかちょっとよくわかりません。だから逆にしばらく見続けるつもり。峯田和伸が相変わらず素晴らしいですし。戸田菜穂もよい。


『ハゲタカ』
これはもう我慢できずに20分でやめました。
大森南朋が主演の2006年作品も最終的に主人公がいい奴になって終わるので拍子抜けでしたが、でも最初のほうはすごく面白かったですよ。落ち着いて見られて。
この綾野剛バージョンは何だか説明セリフばかりでイライラしました。私はテレビドラマにこういうものを求めていないのでさようなら。


『透明なゆりかご』
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始まる日の番宣を見て録画しました。内容的には特に可もなく不可もなくといったところですが、カメラワークには一言だけ言いたい。
出産した安藤玉恵がと主役の清原果耶(なかなかの逸材ではないでしょうか)と言葉を交わすシーン。なぜ手持ちカメラで撮ってるんでしょう? 視聴者にじっくりセリフを聞かせるべきシーンであんなにカメラがぐらぐら揺れたのでは落ち着いて見ていられません。フィックスで撮ってください。できれば全編。


『探偵が早すぎる』
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これ一番期待してたんですけどね。
だって『探偵が早すぎる』ですよ。『早すぎる探偵』なら何とも思わないが『探偵が早すぎる』だとえらく面白そう。タイトルはとても大事。

でも中身はもっと大事じゃ! あんなに後説ばかり使うのはダメでしょう。あのとき実はこうでしたとフラッシュバックばかり。回想シーンはえてして「説明」にしかならないので基本的に禁じ手だと思う。「現在」しか扱えないのが映像の特性では?


というわけで、
『義母と娘のブルース』
『高嶺の花』
『透明なゆりかご』
の3作は完走したいものです。


『幸色のワンルーム』(SNS時代の連続ドラマ作りの難しさ)

製作元のABCテレビは普通に放送したのに、親分のテレビ朝日はビビッて放送を自粛してしまったという、いわくつきの『幸色のワンルーム』第1話を見てみました。

私は、放送の是非よりも、SNS全盛時代におけるドラマ作りの難しさを痛感しました。

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放送自粛の是非
冒頭はギョッとなりましたね。誘拐されたという14歳の少女が、誘拐犯が盗撮した自分の写真で埋め尽くされた部屋の壁を見て「こんなに私のことを好きになってくれる人なんだから」と言うので。

さすがにその時点では、「これはちょっとまずいというか、リアリティがなさすぎでは?」と思いましたが、物語が進行するうちに、少女は親からひどい虐待を受けており、学校でもいじめられ、自殺していたところを青年に助けられた。つまり、「誘拐」ではないんですね。力ずくで無理やり誘拐したのかと思っていたら「保護」しただけだった。

なるほど。それならわかる。

警察をはじめ「誘拐」と考えている世間と、「保護」されてついには逃げ切れたら「結婚」しようとなる当の二人との「ずれ」がこの作品の面白さなのだから、未成年を誘拐する話だから不適切だ、犯罪を助長するという言説は的外れというか過剰反応というか。

だったら、巷にあふれる殺人事件を題材にしたドラマや映画はどうなるんでしょうか。そもそも無理やり誘拐した末にストックホルム症候群に陥る映画に『完全なる飼育』がありますが、あれはいいんでしょうか。実話なんですが。


SNS全盛時代のドラマ作りの難しさ
私は前述のとおり放送の是非よりも、SNS全盛のこのご時世において、この手のドラマを作るときの難しさのほうが気になりました。

親に虐待を受けている。
学校でいじめを受けている。
(次回の予告編を見るかぎり)担任教師から猥褻行為を受けている。

ここまで周囲を悪人だらけにしないといけないのか、と。

いじめているクラスメイトは主人公が行方不明になってるのにそれを喜んでいるというのはリアリティに欠けると思いました。普通は怖がるんじゃないですか? 

逆に言うと、冒頭で「逃げ切れたら結婚しよう」と言わせないと読者や視聴者からのクレームがつく。だから極悪人に虐げられている主人公という設定が必要だったのかもしれません。だからポリティカリー・コレクトネスがドラマ作りを歪めてしまったということも言えるかもしれません。

『完全なる飼育』は普通に誘拐から始まって、無理やりレイプしたりという描写があったあと、徐々に恋愛関係に傾いていくわけですが、SNSでクレームが拡散する現代においては、そのような悠長なことはやってられないのかな、と思いました。

『万引き家族』と比較する文章を読みました。あの映画も世間的には「誘拐」、主人公たちにとっては「保護」を描いていましたが、なぜあれが上映自粛になったり観客からクレームがつかないかといえば、それは「劇場映画だから」ということに尽きるでしょう。
上映中にSNSで実況して悪評が拡散することもないし、それに何より2時間で終わりますから。終わるころには多くの観客が主人公たちに共感している。

でも『幸色のワンルーム』は「連続ドラマ」ですからね。誘拐(保護)から始まって徐々に少女と青年に共感するように仕向けることができない。それをやったらひどいバッシングを受けて打ち切りも覚悟せねばならない。だから冒頭で納得させるために周囲の人物をリアリティに欠けるほどの極悪人に設定しないといけない。

とても難しい問題です。できることなら、そういうことを恐れない作品が出てきてほしいとは思っていますが。


『正義のセ』総括!(人はみな正義が大好き)

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昨日で『正義のセ』が終了しましたが、このドラマはいろいろな問題を含んでいましたね。

とか言いながら最後まで見てしまった私の心のほうに大いに問題がありそうですが、それは後ほど語るとして、まずこのドラマで疑問に思ったこと、んなアホな! とずっこけそうになったことなど、箇条書きで記したいと思います。


『正義のセ』の問題洗い出し
・昨日の最終回では、正当防衛を主張する代議士の息子に対し「何も作戦はない」と、ただ被害者の婚約者の言葉「彼はどのような最期を迎えたのでしょうか」だけを訊き、泣き落としに成功。自白を得られる。
自分のしてきたことに罪悪感を感じていた人だったからよかったものの、何の良心の呵責も感じてない人だったら完全にアウトでしょう。このドラマでは捜査手法が物量作戦とか人情に訴えるとかばかりで知恵がない。

・第6話の「オレオレ詐欺編」では、同期の弁護士・倉科カナが出てきて、正義と正義がぶつかるいい話になりかけていたのに、結局、倉科カナが間違っていて主人公の吉高由里子が正しかったでは意味がないのでは? 主人公が壁にぶつかるから面白いのに、脇役(それもゲスト)を壁にぶつけてどうする。

・第9話の痴漢冤罪でも、結局、冤罪ではなかったというのがつまらない。本当に冤罪にして、主人公を壁にぶち当たらせないと本当の成長はないと思う。

・第7話の保育園の保育士の数を水増ししていた延長を断罪する回では、確かに違法なことをやっているけれど、あの園長には園長なりの「正義」があるわけですよね? 保育士の数を水増しすればたくさんの子どもを預かれる、それぐらいいまの日本は保育園の数が足りてない、と。
それをただ「違法だから」の一言で園長を断罪して終わりでは「正義とは何か」という究極の問いが一度もなされないまま。非常に残念。

・三浦翔平との誤チューはいったい何だったのか。最後は安田顕と「年の差カップルか!?」みたいな展開になっていたし、ちょっと脇筋のプライベートの描写が、彼氏のよくわからない言動も含めて理解不能。

・なぜ実家が豆腐屋なのか。なぜ妹に主役級の広瀬アリスがキャスティングされているのか。


と、まぁ、以上のような難点がすぐに挙がるんですが、ただ、前述のとおり、私は少しでも面白くない連ドラはすぐに見るのをやめるのに「なぜ最後まで見てしまったのか」という問題が重くのしかかってきます。

吉高由里子や安田顕の芝居がいいから、という理由もありますが、それだけでは10週間にもわたって見ませんし。


人はみな「正義」が大好き
結局、これに尽きるのかなぁという気がします。

最終回、「いくら何でもうまく行きすぎだろう!」と突っ込みたくなるし、宅間伸が「息子をよろしくお願いします」と頭を下げるシーンなど「まさか!」とも思うんですが、それでも、やはりあの憎たらしい代議士が自分の非を認めて頭を下げるところを目撃するというのは大いに溜飲が下がる。

だから、他の回でも、いろいろ問題はあるにせよ、正義が貫徹される様を目撃することにカタルシスを感じていて最後まで見てしまったのかな、と思います。

倉科カナとの正義対決にしても、吉高由里子が正しかったという展開には「いや、それはダメでしょ」と突っ込みながらもカタルシスを感じていたような……?

だから、正義というのは本当にたちが悪いと思いますね。

正義が必ずしも勝つわけじゃないし、正義が暴走すればとんでもない惨劇を生んでしまうというのはもはや常識ですが、それでも我々は正義を愛してやまない。何か問題があれば正義の側に立って発言する。

だから、芸能人が未成年と酒を飲んでいたというだけで大問題になる。みんな自分の周りの未成年に「ちょっとぐらいいいよ。正月なんだから大丈夫だよ」などと言って酒を飲ましたりしているのに、有名人がそういうことをしていると自分のことを棚に上げて「謝罪しろ!」となる。

だから、正義は「麻薬」なんだな、と思います。

『正義のセ』を批判することはたやすいですが、このドラマを最後まで楽しんで見てしまった自分自身を厳しく批判するところから始めないと先に進めない気がしています。




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