聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

連続ドラマ

『王様のレストラン』オーディオコメンタリーが面白い!

三谷幸喜の不滅の大傑作『王様のレストラン』DVDのオーディオコメンタリーを聴いたんですが、これがやたら面白かった。



登場人物名の由来
まず驚いたのが、この物語は「弁慶と牛若丸」がベースなんですってね。千石さんが弁慶で禄郎が牛若丸。だから平安時代から鎌倉時代の人の名前をもじっているとか。

千石武の武は武蔵坊の武で、禄郎は「九郎義経」から来ているとか。三条政子は北条政子から(最初の台本では「南条政子」だったとか)。ディレクトールの水原範朝は禄朗の兄だから源頼朝から。「源」はサンズイに原なので「水原」にしたとか。へぇ~~~。

とはいえ、11話全部で作者の三谷幸喜がホスト役を務めるということで、作劇に関する秘術など伝授してもらえるのかと思ったらぜんぜん違いましたね。だいたいは俳優さん同士で遊びに行った話とか、お互いの芝居を見に行ったとか、あのシーンは誰それのアドリブとか、そんな話ばかりで。

でも、不満だったわけではありません。すごく面白かったです。

とはいえ、あくまでもこのブログでは、例えばデュヴィヴィエ役のジャッケー・ローロンがフランスで映画監督になったとか、梶原善は誰に対しても失礼だったけど誰とも仲がよかったとか、死んでしまった伊藤俊人がやたらマニアックなエッチビデオを共演者仲間に貸しまくっていたとか、そういう話には触れません。

やはり私にとって興味深いのは、作劇術は語らなかったけど三谷幸喜のプロ根性とか、松本幸四郎の「エッチビデオから古典芸能まで」とか、そういう話。


自分の作品は見ない
三谷幸喜が毎回ゲストに訊いていたことのひとつが、

「自分が出演した作品を見るかどうか」

ということでした。

見る人もいれば山口智子みたいに「究極の飽き性」で新しいことを吸収することばかり考えてるから見ないという人もいる。
でも、見るという人も「このドラマだけ特別」という感じで、普通は見ない人が多かった印象。

それよりも、三谷幸喜の「自分の作品を見るのがいや」という言葉が興味深い。

「僕にしかわからないミスというか、もっとこうすればよかった、こういうセリフにすべきだったとか、反省することばかりだから基本的に見ません」

とのこと。自分の作品を「会心の出来だ!」とかいって読んでほくそえんでいる私とはそういうところが違うんだなぁ、と。

でもオンエアでは必ず見るそうで、というか、オンエアでしか見ないそうです。もちろん録画じゃなくて生で。山口智子は「日本中のいろんな人がいま同じものを見てると思うとすごくいやになるからオンエアでは絶対に見ない」と言っていたのとは好対照。

三谷幸喜がなぜオンエアで見るかというと、裏番組のチェックをしたいから、とのこと。CMになったらすぐ裏番組を見て面白そうだったら「やばいな」とか、いろいろ考えるそうです。

この人がCMを入れるタイミングも脚本に書いてることは知ってましたが(『今夜、宇宙の片隅で』のシナリオ集にはっきり書かれていました)出演俳優がスポンサーのCMに出ている場合は、その俳優のアップで終わらないように書くんだとか。そこまで考えて!? すげー!


松本幸四郎の「総合芸術論」
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エッチビデオから古典芸能まで上手下手というものがある。と力説する千石さんこと松本幸四郎。あまりにエッチビデオを語るのでやっぱりこの人はすごく面白いんだなぁと思いましたが(あとダジャレが大好き!)もっと印象に残ったのは「総合芸術論」でした。

「芝居や映画は総合芸術と言われますが、いま、それを履き違えている人が多いんじゃないか」

「脚本家、俳優、演出家、カメラ、美術、小道具、音声など、自分の役目だけを極めた人が集まってそれぞれの技を総合するのが総合芸術だと思われている節がある」

「本来の総合芸術とは、俳優も芝居だけでなくホンのことも演出のこともカメラのこともわかっている、カメラマンもカメラ以外のことがわかっている、一人一人がすべてのことをわかったうえで自分の専門分野の技を出す、ということだと思うんです」

うーん、深い! さすが数十年も舞台に立ってきた人の言葉だな、と。

とにかくめったやたらに面白かったです。


関連記事
①ヒーローは千石さんではない?
②ヒーローはオーナー禄郎である!
③シェフしずかはヒーローでないのか?
④ディレクトール範朝から千石さんへと至る道
⑤アンチヒーロー千石武
⑥最低だが素晴らしい!



いじめやDVで作劇する際に重要なこと(『dele/ディーリー』第6話をめぐって)

ある高名な脚本家が、

「いじめとかDVとか、そういうのなしで話を作ることは無理なのかな?」

と言っていました。

なぜダメなんですかと訊いたら、

「だっていまはそういういやなニュースであふれてるじゃないか。三面記事に載るようなネタをわざわざ映画で見たいとは思わない」

私はこの答えは嘘だったと思います。あの人が自分の好みで「そんな作劇の仕方はダメだ」なんて言うはずがない。答えは自分で考えろ、というメッセージに違いないと。

私のいまのところの結論は「善と善の対立にならない」というものです。

いじめやDVという一方的な暴力は「悪」というものを設定しやすい。設定しやすいけれども、簡単に対立構造を作れるので「善と悪」の対立だけで終わってしまう。その高名な脚本家は常に「善と善」の対立にしなさいと言っていましたから。

現在、絶賛放映中の『dele/ディーリー』でも神回と言われる第3話や先週の第5話などはちゃんと「善と善」の対立になっていましたよね。どちらが一方的に悪いわけではないし、どちらの言い分も理解できる。(ここで言う「善」「悪」というのは「善人」「悪人」という意味ではありません。その人の言い分に納得できるかどうか。『太陽を盗んだ男』で言えば、最終的に原爆で自分もろとも東京を消滅させる悪人・沢田研二の言い分にはみんな納得できるから「善」です。もちろん文太刑事も「善」。逆に『ダイ・ハード』の悪役の言い分にはまったく納得できないからあれは「悪」です)


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昨日の第6話はまるで『ツイン・ピークス』のように「美しい死体」の登場で幕を開けます。

この純子という子がひどいいじめを受けていたのではないかとの両親の依頼を受けて、本来の仕事とは違う調査を主役の二人が行っていくのですが、私は最初、ほんとにいじめの現場を捉えた動画が出てきたときは「『dele/ディーリー』よ、おまえもか」と思ってしまいました。「善と善」の対立で話を作ってきたのに、ここにきて「善と悪」の対立に堕してしまうのか、と。

しかし、それはやはり杞憂でした。
彼女はいじめられていたのではなく、現在いじめっ子になってしまった子たちにとって天使のような存在だった。彼女が自殺したために「世界のバランスが崩れた」のだと。

そういえば……


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もう5年ほど前ですが『ホンマでっか!? TV』で心理学者の植木先生がこんなことを言っていました。

「実はいじめられる子よりもいじめる子のほうが心を深く傷つけられているんです。いじめているときは楽しくてやっているんだけれども実は知らず知らず心が傷ついていて、その傷が少しずつ少しずつ大きくなって40代や50代になってから突然うつ病になる。本人も周囲もなぜ鬱になるのかまったくわからない。わからないまま自殺に至るケースって実はものすごく多いんです」

いじめている人間もまた「弱い人間」だということですね。いじめっ子を悪に設定するのではなく「弱いがゆえにいじめるのだ」という思想が根底にないといけない。ということをあの高名な脚本家は言いたかったのではないか。それができれば「善と善」の対立になる、と。

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だから、この子もいじめたくていじめていたわけではなく、自分の弱い心を天使のような純子が癒してくれていたのにそれがなくなったから弱い心が表に出ていじめをしている、というわけですね。なるほど。

ただ、それを「汚いんじゃないんだ。弱いだけなんだよ」と菅田将暉のセリフで言わせてしまうのは、テレビドラマならではの弱さですね。それと1時間という時間の制約もあるかな。言葉で言うんじゃなくて感じさせてくれないと。

それはともかく、純子が自殺した本当の理由は、彼女にSNSを使って「この世の汚さを見せてあげる」と言って、友人たちの悪口や両親の不倫を暴露した奴がいた(彼女は天使のような存在だったのに悪口を言っていたというのは理解できませんが……?)。そして彼もまた、妻や娘に捨てられたのが原因でそういうことをやっている弱い人間だという結末に至ります。

この「本当の悪人」への突っ込みがやや浅いのと、最後に両親が登場する前にパソコンやスマホの情報をすべて消去してしまうのはどうかと思いました。すべて学校のせいにしようとしていた両親に、娘が自分たちの不貞行為を知っていたことを突きつけないといけないのでは? 

しかしながら、底なしの悪意を扱っていながら「善と悪」の対立に逃げなかった『dele/ディーリー』製作陣の心意気には感動しました。



『義母と娘のブルース』②残念な転回

前回までかなり面白かった『義母と娘のブルース』。昨日の第6話から夫の竹野内豊が死んで、本当に「義母と娘」の物語となったわけですが、これが非常に残念な転回でした。

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「義母と娘のブルース」にあらず
9年のときがたち、二人の間に何か新しい葛藤が芽生えるのかと思ったら何もなし。
「趣味なし、男なし、休みなしのキャリアウーマンの貯金」とデイトレーダーを片手間にやって稼いだ金だけで義理の娘を育て上げた綾瀬はるかの悩みは、娘の進学と自分の仕事のことだけ。母親の背中を見て育った娘は「デイトレーダーになりたい」というけれど、やはりそんな虚業に手を染めてほしくはないらしく、きっぱりと株はやめてアンパンのうまいパン屋の売り上げを伸ばすことに精を出すことになります。


一方、娘のほうは、父親の死後すぐに転校してしまった幼馴染がイケメン(とは思わなかったけど)として再び姿を現し、いきなり告白される。戸惑うあまり別にいやでもないのに「ごめんなさい!」と振ってしまった形となる。

というわけで、次回の予告を見ても、母親はパン屋で奮闘し、娘は受験と恋にゆれる、と。

でも、これって少しも「義母と娘」の話じゃないですよね。


ファースト・ガンダムとエヴァンゲリオン
やっぱり、竹野内豊が死ぬのであれば第1話で死なないといけなかったんじゃないでしょうか。つまり、娘との葛藤が解消する前に。

あくまでも「義母と娘」の話をやりたいわけでしょう? それなら父親は早く退場するべきだった。最初は竹野内豊が不治の病に侵されているとは思ってなかったのであまり気にしてませんでしたし、前回は病を克服するかに見えたので楽しんで見ましたが、結局死ぬのであれば中盤で死なずに、冒頭で死ぬべきでしょう。

娘一人だけ遺すのは忍びない、だから契約結婚をする。プロポーズして何とか説得して娘は認めてくれないけど無理やり結婚して死んでしまう。

このほうがよくなかったでしょうか?

緩衝材だった父親がいないぶん、二人の間の緊張と葛藤は高まる一方で面白いドラマになったと思うのですが。

『機動戦士ガンダム』でも『新世紀エヴァンゲリオン』でも、主人公がロボットに乗り込むまでを第1話で描いています。碇シンジはエヴァ初号機のパイロットとして招聘されたのだから乗り込ませるのはあまり難しくなかったと思いますが、アムロはガンダムとは何の関係もないし地球連邦軍の兵士ですらなかった。ただの機械いじりの好きな少年が自分の意思でガンダムに乗り込み、シャア以外のザクをすべて倒す。これをたった30分(正味22,3分)でやっているわけです。奇跡。

だからこの『義母と娘のブルース』も竹野内豊が死ぬまでを第1話でやるべきだったと思います。そこからが本格的な物語の始まりだと思うので。

そしてこの男。

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いったいどういう奴かと思っていたら第2章でパン屋として登場するためにこれまでチョイ役で出ていたんですね。しかしそれならいままでの彼の登場シーンはすべていらないのでは?

佐藤健はともかく、肝心の母と娘の葛藤が何もないのではドラマにならないじゃないですか。母はパン屋との葛藤を演じ、娘は幼馴染や受験という見えない壁と葛藤を演じる。それぞれが別々の葛藤を演じるのでは「義母と娘」の物語じゃない。


新しい葛藤を待望!
百歩譲って竹野内豊が中盤で死ぬのを良しとしても、それなら何か新しい葛藤がないと面白くない。ぜんぜんいい例じゃないですが、娘がぐれるとか、そういう「義母と娘」を引き裂く「何か」がないと『義母と娘のブルース』にはならないんじゃないでしょうか。

第4話から第5話まで、綾瀬はるかの「初恋」と竹野内豊の「最後の恋」が描かれてとても楽しく、同時に切なかっただけに、この転回は非常に残念です。


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