聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

小説

中村文則『悪意の手記』(新潮文庫)

『掏摸』の感動がいまだに忘れられない中村文則さんの『悪意の手記』を読みました。

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不治の病に冒されながら一命をとりとめた主人公が無意識に楽になりたくて親友を殺す。殺した主人公の懊悩を描くのが主題で、これは現代ニッポンの『罪と罰』なんだろうか、と読みながら震えが来たんですけど、リツ子という名前だったと思いますが、かつて娘を少年に殺されて復讐を誓っている女と出遭うところから、何だかちょっと違う話になってしまった感が強いです。

リツ子も人を殺そうとしている。その標的は主人公と同じく人を殺したことがある。

最終的にその元少年犯を別の人物が殺すんですが、登場人物の誰も彼もが「人を殺す/殺したことがある」という共通項をもっています。

それは明らかに狙いなんでしょうが、私にはそこが「作為」と感じられてしまったんですよね。「作り話」を読んでる気分が強くて興ざめしました。

外部からの異物によって主人公の環境が変わるのは物語としてよくある手ですけれど、どうも純文学にこういう手は似つかわしくないんじゃないでしょうか。

リツ子という女と遭遇する、そしてどうなるか、というサスペンス的な手法を使わずに主人公自身の喜怒哀楽をもっと純粋に掘り下げてほしかったです。

続編的ともいえる作品『最後の命』を読み始めました。いまのところ一字一句に息を呑んでいます。最後まで持続してほしい!


ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』(創元推理文庫)

本職は美術評論家らしいS・S・ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』を読みました。
すごい名作、あの乱歩も大絶賛したと聞いていたので、かなり期待して読んだんですが…


51tFwX462nL__SY344_BO1,204,203,200_うーん、これのどこが名作なんでしょうか。

確かに、マザー・グースの童謡の内容をなぞって連続殺人が起こる、という「見立て殺人」というアイデアは面白いと思うんですけども、犯人がこういう遊び心満載の殺人に手を染めた動機に無理があると思うのは私だけでしょうか?

アイデアは面白いけれど、そのアイデアを活かそうとするあまり、人物の内面というか心理描写が疎かになってる気がします。登場人物のうち誰一人として好きになれなかったし。

ここ十数年で読んだ本のうち最もつまらなかった小説は、『金融腐蝕列島』とその続編『金融腐蝕列島 呪縛』なんですけど、あれも銀行業界や財界の内幕情報としての面白さはあったものの、肝腎要の人物描写がものすごくおざなりで、読んでて疲れるだけでした。

事件の謎を解く探偵ヴァンスが読む本として、数学や物理や哲学の本のタイトルがたくさん出てきますが、これはやはり作者ヴァン・ダインの好きな本なんでしょうか。それはいいんですけど、ああいう本ばかり読んでいたら人間の心理に疎くなるんじゃないのかなぁ、とこれは邪推ですかね。

実は、推理小説ってあんまり読んだことないんです。最後の最後だけに興味が集中する読書というのがどうも性に合わなくて。

逆に、犯人の側から描く、いわゆる倒叙型のミステリなんかは好きなんですが。もっと言えば、犯罪者たちの悪戦苦闘を描く犯罪小説は好きなんですよ。ジム・トンプスンとか、パトリシア・ハイスミスとか、ハドリー・チェイスとか。

ヴァン・ダイン。この『僧正殺人事件』が面白いと踏んで他のも2冊買っちゃってるんですが、もう読む気がなくなってしまいました。だってこんなつまらないのが一番の代表作らしいですから。

他に買ってある推理物は、ディクスン・カー(カーター・ディクスン)のが2冊。これにはまだ期待したいです。

しかし、ほんとこれのどこが名作なんだか…



宮部みゆき『火車』(新潮文庫)

ずーっと前から読みたい、読まねばと思い続けていた、宮部みゆきさんの『火車』(新潮文庫)をやっと読むことができました。

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この本、兄が「ぜひ読め」と貸してくれたんですが、10年以上積読状態だったんですよね。

やはり700ページという分厚さが結構なハードルで。はい。

とはいえ文章がとても読みやすく、5日がかりとはいえ特に苦痛を感じることもなく読み終えることができました。

しかし…

面白くなかったwww

いや、笑っては失礼ですか。
解説の佐高信さんが「自己の過去を消し、他人になろうとしてなりきれなかった女たちを描いて、この小説は哀切である」とお書きになってます。

うん、それに異論はありません。

ただ何というか、どうしても23年も前の作品なのでいろんな細部に古さがあるのはしょうがないとはいえ、作品がもつ主題や個々の登場人物がもつ個性なども古臭くなってる気がするんですよね。

借金で首が回らなくなって他人になりすます、という手口自体があまり今日性をもっていないし。そりゃ23年前は切実な問題だっただろうし、いまでも切実な問題なんでしょうけど、どうしても「フィクションとしての古さ」を感じてしまうのですよね。

読んだ時期が悪かっただけじゃないか。もっと早く読めばよかっただけじゃないか。と言われたらもう返す言葉がありません。そのとおりです。

だけど、小津安二郎の言葉「新しいとは古くならないこと」を真とすると、その対偶「古くなるということはもともと新しくなかった」も真となります。

最近、手塚治虫の『ブラックジャック』を読み返してるのですけど、少しも古臭いなんて感じませんよ。どの話をとっても普遍的な真実が描かれています。パトリシア・ハイスミスの『贋作』も読み返してみたんですが、これも古くない。トム・リプリーという稀代の悪人を描いてなお清風のような爽やかさにあふれています。(アラン・ドロンが演じてもデニス・ホッパーが演じても少しも違和感がなかったのはハイスミスの造形したキャラクターの基礎がしっかりしていたからでしょう)

だから、この『火車』はもともと新しくなかったのだ。というのが私の結論です。

物語の構造ではなく、この場合はやはりキャラクターでしょうね。
主人公の本間刑事だけでなく、失踪した新城喬子や彼女が殺したと思われる関根彰子、他にもいろいろ出てくる彼女たちの関係者や本間の息子や同僚などなど、どれも「古い」のです。読みながら誰に乗ればいいのかわからない。いろいろ言葉を駆使した比喩も全部滑ってるのがその主な理由のような気がします。他にも理由はあるんでしょうけど、いまの私にはよくわかりません。

この7年後、宮部みゆきは渾身の大作『理由』を上梓、直木賞を獲るんですが、いま読みなおしたら古臭いと感じるのでしょうか。いや、あの大傑作にかぎってそれはないだろう、とは思うものの…?



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