小説

2020年07月28日

もう3月からやり始めたというのにまだ完成していない生涯二作目の小説は、この梅雨空のせいでようやくちょうど半分のところまで書くことができました。


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前回までの記事
小説を書き始めました(二作目)
二作目の小説、その後
白紙と向き合う恐怖と闘え!


梅雨空がなぜ遅筆の原因なのか、というと、私はある持病があって、この病気の患者さんは一年で梅雨の時期が一番危険なのです。

しかも今年の梅雨は異常でした。なかなか梅雨前線も雲も移動してくれず、日本列島の真上に鎮座ましましていたからか、私も含めて他の患者さんも大変だったらしい。少なくとも私はいまの病院にかかり出してからこの梅雨が一番ひどかった。

何しろ、仕事のある日は仕事以外特に何もしていないのに、帰ってくるとクタクタなんですよね。それどころか遅くとも9時半には寝ないと次の日がしんどすぎるほどしんどい。

仕事のない日もつらかった。日曜日の夕方に1本映画を見に行っただけでありえないしんどさ。次の月曜日に早退を余儀なくされたり。

というわけで、今月はほとんど小説を書いていません。先月末までにおよそ半分まで書いたというわけ。

で、先の4連休中は梅雨が明けさえすればどんどん書いていく予定でしたが、梅雨明けが先に延びる伸びる。いったいいつまで梅雨なんじゃ! 責任者出てこい!! と怒鳴りたくなる始末。


shippitsu


でも、ちょっとはやっていたのです。

書いたところまでをプリントアウトして読んで自分で添削したり、添削した原稿をもとに書き直したり。

新しい章は書かないけれど、あのシーンにはこんな描写が必要ではないか、こういうシーンがあれば後半に活かせるのではないか、テーマがより深まるのではないか。

何しろ蒲団に横になっていた時間が長かったので、いろんな妄想が頭の中で生まれては消えていった一か月。消えなかった妄想だけを書き足しました。

さて、後半はどうなるか。実は、前半を読み返した手応えはなかなかのもので、後半次第では傑作になる! と意気込んでいます。だから作者の私が一番わくわくしていて書きたいのだけど、梅雨明けはおそらくあさって。

今日はもう寝ます。
(しかし、書きたいのに書けないもどかしさ、書きたいのに我慢せねばならない悔しさ、これは書いたことのある人にしかわからないでしょうね)


 

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2020年06月27日

先日は親への恨み言のような日記を書いてしまいました。(⇒忘れていた心の傷が口を開けてしまった件

でも、いまの気持ちはもう違います。

父親からの暴言や理不尽な物言いは幼少の頃からですが、正直言っていまぐらい年齢を重ねると小学校くらいまでのことはあまり憶えていません。

でもはっきり憶えているのは中学3年のとき、次兄が、先輩からおまえの電話の出方がおかしい、おまえの弟はこんな口の利き方をしたと怒られた、と文句を言ってきて、まったく身におぼえがなかったから必死で否定しました。

しかし父親も母親も次兄の味方をして「なぜ嘘をつくのか」「何でそうやっていつもごまかすのか」と難詰されました。

私は何を言っても無駄だと「ごめんなさい」と謝りました。他にも同様な場面はもっとたくさんあったはず。でもまだ10代半ばにも関わらず私は両親からの誹謗中傷に耐えられず、嘘をついていたと認めてしまったのです。

そういうとき、もっとちゃんと反抗すべきだった。

反抗したら親父の怒りに油を注ぐ結果にはなっただろうけど(実際、小学校までの私は反抗してもっと怒られていたはず)それでもやっぱり反抗すべきだった。

高校に上がってからは別のことが原因で殴り合いの喧嘩を演じたこともあるけれど、なじられることに耐えられず、あきらめて抗弁しないという精神構造は中学時代にできあがってしまっていました。

反抗して逆上するような親なら、そんな家はとっくの昔に出るべきでした。それを親への反感は人一倍もっているはずなのに、経済的に甘えてばかりでほんの数年前まで実家にいたままだった。

それが何よりの間違い。

生きるということは後悔すること。

映画『レイジング・ブル』のテーマでもありますが、いまの私にはとても切実な言葉です。

考えてみれば、いま書いている小説はまさにそういうテーマなんですよね。そういうテーマで書こうとしたわけじゃない。三島由紀夫が言っているように、作家はテーマなど考えずに書きます。そして最後の句点を打った瞬間に、あぁ俺はこういうことが言いたかったのか、と初めてテーマを知る。

今回の小説は最後まで書いてないどころか、まだ半分にも到達していないはずですが、ラストまでの道筋はすでにあらかた固めています。

もし自分が一読者としてその物語を読んだら、「生きるということは後悔することだ」というテーマを感じ取るでしょう。

無意識に思っていることが、物語の形にすると出てしまうんですね。面白い。これだから創作はやめられない。

あまりいい子ちゃんを演じるのもどうか、もっと親を恨んでもいいんじゃないかとも思うけれど、やはり40代も後半になって親を恨むのはよろしくない。

山積した後悔を糧にして、また今日から一歩一歩生きていくしかありません。





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2020年06月04日

こないだから書いている小説、少しもうまくいっておりません。

創作がうまく行っていないとき、机に向かうまでに言い訳をあれこれ考えます。机に向かわなくてすむ言い訳を。

・今日は寝不足だからよく寝て明日頑張ろう
・参考に○○の映画を見よう
・一日ぐらい休んだって死にやしないよ

などなど、人間は自分自身を甘やかす癖がある。自分に負けていたのでは人を感動させる作品など作れようはずがありません。

新宿で20年負けなかった伝説の雀士・桜井章一も言っています。

「だらしない生活をしていては立派な作品を書くことはできない。体温だけでなく『心温』をもて気温に保つこと」

一方で、東京の恩師である脚本家の高橋洋先生はこんなことを言っていました。

「白紙の原稿用紙に向かうのはとても恐い。でもその恐さとぜひ闘ってほしい。1日1時間でいい。1時間が無理なら30分でいい。白紙と向き合ってほしい。それが明日の君たちを作る」

いい言葉ですね。

で終わってはいけない。

私もこのところ白紙と向き合う恐怖に負けていたので、いまから頑張って書きますわ。

まぁ書くまで行ってないんですけどね。キャラクターづくりや背景を整えるのに時間がかかってしまって。


続きの記事
二作目の小説、その後(パートⅡ)




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