聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

小説

文芸社からの手紙

二日も仕事を休んでしまいました。
原因ははっきりしています。猛暑の疲れがボディブローのように効いてきたのと、台風が去ったあと晴れ、またすぐ雨というふうに気圧が急激に変化したせいでしょう。

もともと来週金曜日までの短期限定の仕事で、今月は10日出勤しかないのにそのうちの2日も休んでしまい本当に悔しい。何でこんな体になってしまったのかと誰かを恨みたくなります。

さて、さっき食材を買いに外へ出たら、郵便受けに多量の郵便物が入っていまして、そのうちのひとつが文芸社からの手紙でした。

文芸社といえば、私がこないだ生まれて初めて書いた小説を出したところ。毎日新聞との共催だったんですが見事に沈没しました。(関連記事→「小説を書き始めました」

募集要項には「応募者全員に通知」と書いてあったのにHPで結果発表するだけというのはけしからんと思っていたら「選考結果のお知らせ」が来たんですね。


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何と作品の講評をしてもらえるとか。これはぜひお願いしてみようと思います。

何て言われるだろうか。ドキドキ、ワクワク!?

というわけで、もう寝ます。


生まれて初めての小説、落選!

いやぁ、ダメでした。4月から5月にかけて書いた、生まれて初めての小説が落選しました。

脚本ばかり書いていた私がなぜ小説を書くに至ったかの経緯については、小説を書き始めました←こちらの記事を参照してください。

で、酸欠状態になるなど苦しみぬいて書いた作品でしたが、見事に沈没でした。

自分としちゃかなりの手応えがあったので、もしダメなら「審査員がアホなんや」と開き直ろうと思っていたのですが、どうもそれはできそうにない。というか、そんな開き直りすら必要ないようです。

十人十色大賞の選評は→ こちら

選評を読んでもらえばおわかりいただけるかと思いますが、自分史の文芸賞といっても、私のように自分で自分を責めぬくような内容のものはもともと望まれておらず、波瀾万丈の人生を面白おかしく書いたものが好まれたようです。

誰の人生でも波瀾万丈ですけど、何というか、いろんなエピソードや登場人物が入り乱れるものが望まれていたようですね。「十人十色大賞」と銘打っているからには、そりゃまぁそうなのかもしれません。

「おぉ、こんな人生を送った人がいるのか」と驚愕するような内容を書けばよかったかな。なんてことは思いません。私の人生だって波瀾万丈だし、やたら濃いキャラクターが身内に二人ほどいます。彼らとのあれやこれやを書けば受賞に近づけたかもしれないけれど、書けばよかったなんて少しも思いません。上のリンク先の日記を読んでいただければわかりますが、今回の小説は書きたいというより「書かねばならなかった作品」だからです。

あの内容で、しかも二人称で自分自身を徹底して責め苛む小説、それが15年ぐらい前から「死ぬまでに一度は書きたかった小説」であり、それがシナリオコンクール受賞作を書き終えたときと同じかそれ以上の手応えを感じたのだから、もうそれで充分。そりゃ受賞できればそれに越したことはないけれど、本当に書けただけで良い。

そりゃ書いたことを糧にこれからの人生をよりよいものにできなければまったく無意味になってしまいますが、あれだけ自分を責め苛んだ意義はきっと出てくるはずです。

だから気落ちなんかしていません。脚本の結果だったら自分の名前がないだけで目の前が真っ暗になるし、そういうときほど燃えるんですが、何もない。気持ちに何の変化もありません。

燃えないということは「小説でやりたいことはやりつくした」ということでしょう。最初からたぶん最初で最後の小説になるだろうと思っていたし、もう書きません。ちょっと前から脚本のアイデアを膨らませているので(といっても最近は滞りがちですが)それをやります。


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ダメでした。でも悔いはない。ベストは尽くした。以上!

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文芸社からの手紙



『小説禁止令に賛同する』(たとえ世界を変えられなくても)

いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』(集英社)がものすごくおもしろかった。


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映像作品の脚本しか書いたことのない私がつい最近、小説を書いたんですけれど、そのような者からすると読めば読むほど興味深さの募る作品でした。

物語は、近未来、東亜細亜紛争が起こって中国らしき大国に占領され、「東端列島」と呼ばれている日本が舞台で、小説家という咎で投獄されている主人公が占領国の「小説禁止令」に全面的に賛同するという内容の「随筆」を書く、というものです。政治犯が書いているものだから当然、検閲されています。


「小説」を徹底批判する「随筆」という態
この「小説」は「小説禁止令に賛同する」という趣旨で書かれた「随筆」なので、徹底して「小説とはいかに曖昧で取るに足らないものか」ということが述べられます。つまり批判的な文学論なんですね。夏目漱石『行人』、中上健次『地の果て 至上の時』などを俎上に載せて、小説の登場人物・作者・読者の関係を暴き立てる。これが正確な批評になっているのかどうかは浅学の私にはわかりません。なるほどなぁ、と思いながら読むしかなかった。

で、次に「過去形の禁止」。この随筆に似せた小説はほとんどすべての文章が現在形で書かれている。「誰それが何した」と過去形で書くと断定的な感じがしてしまう。断定的な感じがするから、ただのフィクションなのに「本当にそのようなことが起こった」かのように感じられる。これは二葉亭四迷のものすごい発明だとまたぞろ文学論が顔を出すんですが、それは小説ならではの欺瞞であると、政治犯の筆者は言うんですね。

さらに、近代以降の日本文学の伝統である「私小説」のことが述べられたあと、永井荷風『濹東綺譚』『四畳半襖の下張』などを例に挙げて、小説の作中人物がある架空の小説を見つけてその内容を語るという形式のものがなぜか小説というジャンルには多いと。これも例に挙げられている作品を読んだことがないし、その手のものは確かに読んだことはあるにしろ、小説というものをそれほど読んだことがないので当たっているのがどうかまったくわかりません。でも、インタビューを読むといとうせいこう氏はかなりの小説好きらしく(当たり前ですね)おそらく当たっているのでしょう。

ただ、問題は、この「作中人物がある架空の小説を見つけて~~」というのがこの『小説禁止令に賛同する』という傑作のミソなんですよね。
『月宮殿暴走』という小説を確かに読んだと記すも、検閲官によると「そんな作品はない」となり、そうこうするうちに、この「随筆」が『月宮殿暴走』の作中人物が主人公の「小説」へと変容していく。そのあたりは、クライマックスの少し前から明らかなんですけど、やはり胸がすく展開です。


本当に「随筆」のはずだった
著者のいとうせいこう氏のインタビューを読むと、「最初は本当に随筆のはずだった」というから驚きです。
え、だって、各章の終わりには「軽度処置、中度処罰、投与量加増」なんて検閲官による処置の報告が書かれているから、最初から小説だったように思えますが、これはあとから追加したんですかね?
そのへんのことはよくわかりませんが、「随筆と小説の違いって何なんだろう」という興味で随筆を書こうとしたら結果的に小説になったと。

私はいとうせいこう氏の作品を読むのが初めてなので、全作品のうちフィクションとノンフィクションの割合がどれぐらいとかまったく知らないから、氏が小説家なのか随筆家なのかすらわかっていません。ただ、インタビューを読むかぎりではかなりの小説好きと見られ、おそらく随筆よりも小説が好きなのでしょう。だから、随筆と小説の間のぎりぎりのところで随筆に踏みとどまるものを書こうとしたにもかかわらず最終的に小説になってしまった。そこがとてもチャーミングだと思いました。


私の「私小説」
私が書いた私小説は前にも書いたように二人称で書かれています。作者の私が私自身を「おまえ」と名指しし、徹底的に責めぬく内容です。しかし、責めぬきながらも、最後はやはり自分かわいさからか、ちょっとした救いを書いてしまったんですね。

ちょうど、この『小説禁止令に賛同する』のいとうせいこう氏が随筆を書こうと企図しながら最終的に小説になってしまったように、私の作品は私自身を最後まで責め苛むものにしようと企図しながら最後の最後でやさしい言葉をかけてしまった。


「たとえ世界は変えられなくても」
もうかなり前のこと、9.11の直後くらいだったと思いますが、新聞にイタリアの新進気鋭の小説家のインタビューが載っていました。

「書くことで世界は変えられないかもしれない。でも書くことで自分自身が変わることはできる」

まずは自分の足元から、といういい言葉でした。

『小説禁止令に賛同する』はそういう作品のような気がします。小説とはいかにくだらないかを説きながら、実は最初から小説を企図していて、検閲官に喧嘩を売って処刑される主人公。というのは、著者のもともとの意図ではなかった。書いているうちにそうなった。小説を愛する心が作品を変えた。その作品によっていとうせいこう氏が変わったかどうかは知りませんが、変わったと信じる。

私の場合、自分を責めぬく内容を意図しながら、最終的に自分をいたわってしまった。これでいいのか、と思いながらも、あれを書く前と後で確実に自分の内側から変わった気がする。たぶん、最後まで自分を責め苛んでいたら、こんなふうに本を読んだり感想を書いたりできなかったでしょう。もしかしたら死んでいたかもしれない。

書くことで自分自身が変わることはできる。ということを身をもって実感しました。これは映像作品の脚本を書いていたときにはまったく味わえなかった境地です。

『小説禁止令に賛同する』という小説は「書かれた」というより「生まれた」。私の作品も生まれた。その作品によって新しい「私」が生まれた。

僭越ながら、いとうせいこう氏の身の上にも同じことが起こっていると推察します。

氏は「これはやっぱり政治小説ですよ」と言っています。
私にとってこの『小説禁止令に賛同する』は、作者の小説への愛が迸り出た「私小説」なんだがなぁ、と思っていましたが、自分が変わることで世界を変えることを希求している点において、やはり「政治小説」なのかもしれない、と思った次第です。


二人称小説『ヒロポン中毒』脱稿!

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(承前)①小説を書き始めました 
     ②酸欠状態になりながら小説を書くということ


約一か月前から突如書き出した生まれて初めての小説がようやく脱稿できました!

いやぁ~、この1か月、本当にきつかった。酸欠状態にもなったし、酸欠が怖くてなかなか机に向かえなかったり。

まぁ途中からは書きながら深呼吸すると術を身に着けましたが、書き直しもきつかった。何しろ自分で自分を責めぬく内容ですからね。一文一文が突き刺さってくる。

俺はどうしてこんなしんどいものをわざわざ自発的に書いているんだろうと、書きながら笑ってしまったりもしましたが、前も書いたように、これは「通過儀礼」なのでしょう。これを書いたら一皮むけるという確信がありました。

書き終えたいま、本当に一皮むけたかと問われると、ウーン、、、何も変わってないような気がする。としか答えられませんが、おそらくこれからの生活に生きてくるのでしょう。

タイトルは『ヒロポン中毒』といいます。(最初は『撃つべきはおまえの目』とご紹介してましたが、出す直前に変えました)
そもそも小説作法がまったくわかっていないのに加えて、「二人称」なんて手法を選んでしまったから大変。はたしてこれでいいんだろうか、という心配ばかり。でもま、何とか形になってくれました。(読む人が読んだら一文の価値もない、と言われなかねませんが)

文芸社と毎日新聞社共催の「人生十人十色大賞」というのに出そうと思っています。受賞すれば出版されますが、読まないでくださいね。恥ずかしいこといっぱい書いてあるから。じゃあ何で出すんだよ、と言われそうですが、だって、ほら、書いたからには出してみたいじゃないですか、やっぱりね。

とりあえず重荷を下ろすことができてホッとしました。というか、この重荷は最終目的地までもっていけないんじゃないか、今度こそ最後まで書けないんじゃないかと危惧してましたが、杞憂に終わってくれたのが何よりです。  

あとは野となれ山となれ。

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落選!
文芸社からの手紙


      

酸欠状態になりながら小説を書くということ

一週間ほど前に「小説を書き始めました」と題した日記を書きました。(→こちら

しかし、あまり書き進められていません。なぜかというと、書くと酸欠状態になるからです。

今回の小説は決してフィクションではありません。フィクションなら脚本でやればいいわけで、わざわざ小説になんかしなくていい。小説を書くなら日本の伝統である私小説を書きたいと常々思っていました。だから「自分のダメダメな半生」を徹底して批判的に描く、というのがテーマなんですが、これが書いてて本当につらい。

しかも二人称で書いているんです。

最初は一人称で書くつもりだったんです。脚本は三人称しかありえないけど、小説なら一人称が可能。どうせ小説を書くなら小説にしかできないことをやろう、と思いましてね。

でも、頭の中に奔流のように浮かび上がってきた文章は二人称だった。つまり、私が語り手となって、私自身に「おまえは本当に情けない」などと責めてくる内容なわけです。私が語り手なのだから本質は一人称ですが。

私はもともとつらいことに遭遇すると呼吸が止まってしまう性分でして、書いてるときおそらく息が止まってしまってるんですね。気がつくと頭がボーっとして吐き気がして失神しそうになる。何とか外に出て新鮮な空気を吸って落ち着かせるも、とにかくつらくてそれ以上書けない。

で、翌朝、起きたときからしんどいわけです。別に食べすぎたわけでもないのに朝から胃がもたれている。とりあえずヨーグルトを少量食べるだけにしても、胃は一日中もたれ続ける。そのうえ何もする気が起こらない。

そんな日が二日続くと次は書けるんですよ。昨日書いたときは酸欠にならないようにできるだけ意識的に深呼吸しながら書いていました。幸い酸欠にはならずにすみましたが、それでも書き終わったらぐったりして横にならざるをえず、寝れたらいいのにこれがまったく眠れない。

というわけで、今日も朝11時に起きましたが、起きた尻から胃がもたれている。何もする気が起こらない。だから今日は予定どおり休養日。

しかし、こんなつらい思いをしてまで書く必要があるんだろうかと疑問に思う。でも、書きたいわけではなく、書かねばならないという義務感で書いているので、書く必要はあるのでしょう。書き終えたら、新しい自分になれるのかもしれない。そうじゃないかもしれない。

わからないから最後まで書きます。


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