聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

文化・芸術

文芸社からの手紙

いまの仕事はもともと来週金曜日までの短期限定の仕事で、早く次の仕事を決めないといけないのになかなか決まりません。

さて、さっき食材を買いに外へ出たら、郵便受けに多量の郵便物が入っていまして、そのうちのひとつが文芸社からの手紙でした。

文芸社といえば、私がこないだ生まれて初めて書いた小説を出したところ。毎日新聞との共催だったんですが見事に沈没しました。(関連記事→「小説を書き始めました」

募集要項には「応募者全員に通知」と書いてあったのにHPで結果発表するだけというのはけしからんと思っていたら「選考結果のお知らせ」が来たんですね。


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何と作品の講評をしてもらえるとか。これはぜひお願いしてみようと思います。

何て言われるだろうか。ドキドキ、ワクワク!?


続きの記事
文芸社からの手紙、再び

生まれて初めての小説、落選!

いやぁ、ダメでした。4月から5月にかけて書いた、生まれて初めての小説が落選しました。

脚本ばかり書いていた私がなぜ小説を書くに至ったかの経緯については、小説を書き始めました←こちらの記事を参照してください。

で、酸欠状態になるなど苦しみぬいて書いた作品でしたが、見事に沈没でした。

自分としちゃかなりの手応えがあったので、もしダメなら「審査員がアホなんや」と開き直ろうと思っていたのですが、どうもそれはできそうにない。というか、そんな開き直りすら必要ないようです。

十人十色大賞の選評は→ こちら

選評を読んでもらえばおわかりいただけるかと思いますが、自分史の文芸賞といっても、私のように自分で自分を責めぬくような内容のものはもともと望まれておらず、波瀾万丈の人生を面白おかしく書いたものが好まれたようです。

誰の人生でも波瀾万丈ですけど、何というか、いろんなエピソードや登場人物が入り乱れるものが望まれていたようですね。「十人十色大賞」と銘打っているからには、そりゃまぁそうなのかもしれません。

「おぉ、こんな人生を送った人がいるのか」と驚愕するような内容を書けばよかったかな。なんてことは思いません。私の人生だって波瀾万丈だし、やたら濃いキャラクターが身内に二人ほどいます。彼らとのあれやこれやを書けば受賞に近づけたかもしれないけれど、書けばよかったなんて少しも思いません。上のリンク先の日記を読んでいただければわかりますが、今回の小説は書きたいというより「書かねばならなかった作品」だからです。

あの内容で、しかも二人称で自分自身を徹底して責め苛む小説、それが15年ぐらい前から「死ぬまでに一度は書きたかった小説」であり、それがシナリオコンクール受賞作を書き終えたときと同じかそれ以上の手応えを感じたのだから、もうそれで充分。そりゃ受賞できればそれに越したことはないけれど、本当に書けただけで良い。

そりゃ書いたことを糧にこれからの人生をよりよいものにできなければまったく無意味になってしまいますが、あれだけ自分を責め苛んだ意義はきっと出てくるはずです。

だから気落ちなんかしていません。脚本の結果だったら自分の名前がないだけで目の前が真っ暗になるし、そういうときほど燃えるんですが、何もない。気持ちに何の変化もありません。

燃えないということは「小説でやりたいことはやりつくした」ということでしょう。最初からたぶん最初で最後の小説になるだろうと思っていたし、もう書きません。ちょっと前から脚本のアイデアを膨らませているので(といっても最近は滞りがちですが)それをやります。


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ダメでした。でも悔いはない。ベストは尽くした。以上!

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文芸社からの手紙
文芸社からの手紙、再び


パクリ、盗作、芸のうち!(『カメラを止めるな!』をめぐって)

あらかじめ断っておきますが、私はまだ『カメラを止めるな!』を見ておりません。公開は3日後です。当然ながら「原作」とされる舞台も見ておりません。だから、どこまでその舞台を活かした作劇になっているのかまったくわかりません。
しかしながら、私が以前、シナリオコンクールで受賞したときと状況がとても似ているな、と思って筆を執った次第です。


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似ている経緯
私の受賞作も私自身のオリジナルアイデアではありません。友人が自主製作で短編映画を撮りたいといってもちかけてきたのが最初のアイデアです。ですが、こちらがいろいろアイデアを出すもすべて却下。結局私はそのプロジェクトから降り、プロジェクトは頓挫しましたが、自分が出したアイデアを基に長編シナリオを書き、めでたく受賞と相成りました。

『カメラを止めるな!』の原作者と称する人のブログは→こちら

まずは原作者さんの言い分を読んでいただきたいのですが、一番のポイントは、

そしてそのプロジェクトは一旦頓挫し、その後監督が独自に書き上げたのが「カメラを止めるな!」という作品だそうです」

という一文じゃないでしょうか。

私と経緯はまったく同じ。何度でも言いますが、私の受賞作は私のオリジナルアイデアではありません。あくまでも最初のアイデアは友人のものです。しかし、その友人のアイデアで行こうとするも「頓挫して」、その後、自分なりにアレンジを加えて「これは盗作ではない」と胸を張って言えるものを書き上げたからオリジナルと称して応募しました。

「監督が独自に書き上げた」という一文に込められているのも、監督なりにアレンジした、ということなんじゃないでしょうか。

それに、そもそもの問題として、『カメラを止めるな!』がここまで大反響を起こさなかったら原作者さんは声を上げたんでしょうか? 私はそこが一番の疑問です。


角松敏生の言葉
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もう1年ほど前でしょうか。音楽プロデューサーの角松敏生さんが『5時に夢中!』に出演したときにこんなことを言っていました。

「パクリとか盗作なんていうのはほんとくだらない話で、売れてない作品なら誰もパクリだって言わないでしょ? 売れるとパクリだと言う人が現れる。結局それだけの話なんですよ。モーツァルトやベートーベンだってたくさんパクッてますよ。芸術っていうのは模倣と借用からできてるし、模倣と借用ってとっても大事なことなんです」

『カメラを止めるな!』が全国2館だけの上映で終わっていたら原作者さんも声を上げなかったのは必至。当たったら声を上げて、当たらなかったら声を上げない。それだけの話では?
とはいえ、舞台も映画も見てないのだから『カメラを止めるな!』についてこれ以上言うのはやめておきましょう。


いかに「オリジナルなアレンジ」をするか
私の受賞作に話を戻すと、おそらく誰かがシナリオ作家協会に通報したのでしょう。事務局からインタビューと称してやんわりと聞かれましたよ。「この作品のアイデアはどうやって発想したんですか?」と。

「友人の自主製作映画のアイデアが元ネタです」と正直に応えました。そこに自分なりのアレンジを加えて長編にしたと言ったら何のお咎めもありませんでした。もし「盗作」と認定されていたら賞を剥奪されていましたが、絶対にそうならないという自信があったので正直に答えました。

ある高名な脚本家から同じことを聞かれ同じ答えをしましたが、これまた何のお咎めもなし。それどころか、その高名な脚本家は常日頃から「もっとパクれ、うまくパクれ」が口癖の人でした。その人だけでなく、脚本家や監督はみんな「うまくパクる」ことを考えていますよ。作家じゃない人やアマチュアの域を出ない人(私もだけど)が「パクることはよくない」とかって言うんですよね。

ジャッキー・チェンはもう30年以上前に言ってましたよ。

「パクリ、盗作、芸のうち!」

もちろん、他の作品のまんまやっちゃダメです。自分なりのアレンジを加えないと。もうこの世に本当の「オリジナル」と呼べるものは存在しません。「オリジナルなアレンジ」こそが命。それができているのであれば、「パクリ」というのは誹謗中傷以外の何物でもないと思います。


後日、映画本編を見た感想はこちら→「マギー司郎を映画化するなら」


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