文化・芸術

2019年07月24日

ほぼ2年ぶりに脚本を書いています。

本当は年初から書き始めていたんですが、どうにも書きたい気持ちばかり先走ってしまって、ろくに背景を整える前に書き始めてしまってすぐに頓挫しました。というか、あれは根幹となるアイデアがよくなかった。そんなことすらわからなかったんですね。やはり継続は力なり。ブランクがあると力はどんどん落ちていきます。

そして、新しい仕事が決まり、憶えるのが大変だったのと、ようやく慣れて繁忙期でも普通にこなせるようになった4月頭、そろそろ創作を再開しようかなと思ったんですが、雨が降ってはすぐ晴れ、晴れてはまた降りという天候のせいで体調を崩しがちになり、そのまま5月末の契約期間満了まで書けない日々が続いていました。

幸か不幸か失業したので、いっちょ書いてみよう! と思って考え始めました。来月21日締切の城戸賞に出すつもりです。

その1か月前、7月21日から書き始められれば、内容の是非はともかく、締切には間に合うという計算でした。それが10日ほど早く書き始められたので、スケジュール的には余裕だと安心していました。

が、書き始めるとなかなか進まない。私はかつて京都の専門学校で脚本の先生から、

「書き始めたら絶対最後まで書くこと。つまらなかろうが何だろうが石にかじりついてでも最後まで書くこと。途中で投げ出したら癖になって死ぬまで最後まで書けなくなってしまう」

という恐ろしいことを言われたので、昨日まで書いたところを読み返すこともなく、ひたすら前進することだけを考えていました。

ところが何本も書いているうちに、行きつ戻りつしたほうがいいのではないか。もし最後まで書けなくても、もう何本も書いているのだから二度と最後まで書けなくなることはあるまい。と思うようになりました。

だから、いま書いてるのも、書いては書き直し、そして次のシークエンスへ。というやり方で書いています。

どうしてもブランクがあるから、書き直すところがとても多い。だからなかなか前へ進めなかったのです。

このままではやばいぞ。間に合わないぞ。と思って何とか馬力を入れ直して何とかミッドポイントまで、つまり半分のところまで書きました。

高橋洋さんのこんな言葉があります。

「前半は自動的にできる。勝負は後半なんだ」

その通りですね。何だかんだ言って前半はそれほど難しくない。ここからが本当の難所です。

しかも、先週、京都アニメーションの痛ましすぎる事件が起こり、気持ちが千々に乱れています。裁判なんかなしで死刑にしてしまえという怒り。何とかして防げなかったのかという、いまさら言ってもどうしようもない思い。

やはり私にとって脚本を書くということはセラピー的な意味合いもあるのか、うんざりする気分ばかりではなく、高揚感もあります。もしいま書いていなかったら鬱になっていたかもしれません。

しかも今回書いているのは、4年前に東京であきらめる決断をしていたときに書いていたアイデアなんです。アイデアというか素材ですね。キャラクターはやや違います。シチュエーションはだいぶ違います。だからもちろんプロットもテーマも違います。

でも主人公ほか、主要人物の名前は一緒なんです。一緒にしないとダメなんです。

なぜなら、あのとき放っぽったままにしていたことがずっと心の重荷になっていたので、話は違っても同じ名前の人物(私のかわいい子どもたち)のラストシーンを書くことができれば、重荷から解放される。憑りつかれた亡霊から解放される。

というわけで、いまからまた書きます。




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2019年06月21日

もう15年以上前のことですが、『インファナル・アフェア』が公開されたとき、うちの親父がこんなことを言いました。

「素晴らしかった! 香港映画ってジャッキー・チェンしかないのかと思ってたけどこういうのもあるんやね」

いやいや、ジャッキーの前にはブルース・リーがいるし、後にはチョウ・ユンファにチャウ・シンチー、ジョン・ウーにウォン・カーウァイなどいっぱいいるぜよ!

なんてことはもちろん主張していません。仮に香港映画界にジャッキーしかいないとして、その何がいけないのか、と心の中で毒づきました。ジャッキーだけでも充分すごいじゃないかと。

でも親父は映画ファンだから別にいいのです。楽しむためにお金を払っているのだから、ジャッキー・チェンなんかつまらないと断じてもそれはそれで尊重せねばならない。

私はイーストウッド作品やヒッチコックの信奉者だけれど、イーストウッドなんか面白くないという人の意見は尊重せねばならない。いつも気に入らない映画は容赦なく貶している私のような人間は、人一倍反対意見を尊重せねばならない。でないと自分の意見を言えなくなっちゃう。

しかし、映画作りをしている人、これから志そうという人がジャッキーを貶すのは我慢ならないというか、そんな輩に映画を作る資格なんかない! というのがこの記事の主旨です。

これがジャッキーじゃなければいいんですよ。「ヒッチコック好きは無能な映画ファン」と断じるタランティーノの意見はそれはそれで傾聴に値するものでしょう。

しかし、ジャッキーだけは別です。なぜかって? 答えは簡単。


JackieChan1

老齢と言っていい最近の作品はともかく、若い頃は一歩間違えば死ぬシーンをノースタントで演じていました。再起不能かと言われるほどの事故に遭っても、治ったらまた同じことに精を出す。文字通り映画作りに命を懸けていました。

そういう姿を見て素直に「すごい!」と思えないような人に映画を作る資格はありません。こんなことは小学生でもわかる理屈です。

でも、多いんですよね、映画人志望者でジャッキー・チェンを軽侮する人。

私が通っていた映画の専門学校でもそういう人はいました。上記のような話をして、「ジャッキーを軽く見る奴はいますぐやめるべきだ」と言ったら暗い顔でうつむいた人間が何人もいました。

あるレストランでバイトしてたときも映画監督志望者がいましたが、「ジャッキー・チェンなんかダメですよ」と言ったので、上記のようなことを滔々と述べて叱ったら真っ赤な顔をしてうなずいていました。(言いたいことはたくさんあったんでしょうけどね)


JackieChan2

とにかく、ジャッキーに限らず、映画作りに命を懸けている人間を軽く見る者に映画を作る資格はないと断言します。




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2019年06月15日

ずっと書く書くと言いながら書くに至らない日々が続いていましたが、ようやく本腰を入れて考えるようになりました。新作シナリオ。

最近は、あまり周りに「書くぞ!」と宣言することが少なかったので(ネット上ではたまに言ってるけど)やっぱり実際に見知っている人に宣言しなくちゃ、と思い、前の職場の人たちに「こんなシナリオをやり始めました」と言いました。これでもう石にかじりついてでも書かねばならない。背水の陣。

基本アイデアは当然秘密ですが、主人公は女性です。女性のほうがテーマがより深まると思ったからですが、どうも「男が女を主人公にしてなぜ書けるのか」みたいなことは前々からよく言われるし、前の職場の人たちとは今度ランチに行くんですが、そのときにおそらく聞かれるだろうから、先に書いちゃえ、と思って書きます。


なぜ性別だけを特別視するのか
確かに男は女のことがわからないし、女も男のことがわからないのでしょう。

しかし、それを言ってしまったら、私にはいまどきの中高生のことはわからないし、70歳、80歳の老人の心境なんてもっとわからない。人を殺した人の気持ちもわからないし、不倫バッシングを受けた人の気持ちもわからない。両親がいまだ健在なので幼いころに死別して施設で育った人の気持ちなんて逆立ちしたってわからない。

なのに人は「性別」だけを特別視しすぎなのです。「男と女はわかりあえない」という意識をもちすぎ。


男は男のことがわかるのか
男が女を主人公になぜ書けるのか、という人は「同性のことならわかる」ことを前提にしていますが、それもおかしい。

よく「男って○○だから」とか「女って××なんですよ」みたいなことを言う人がいるけれど、それは「自分はこうである」と言っているだけでしょ?

日本人だけに限っても、男も女も6000万人くらいいるんですよ。みんな同じなんですか? まさか! 一人一人違うというのは作家たる者なら基本的にもっていないといけない認識でしょう。

だから想像するしかない。自分がこういう境遇ならどうなるか。この人物がこういう出来事を前にしたらどういうリアクションを起こすか。

男が女を主人公になぜ書けるのか、という人は、想像力の力をほとんど信じていないのです。


「男は男」「若者は若者」は誤り
同様に、男の中には男だけが存在し、女の中には女しか存在していないという誤りも犯していると思う。

男の中にも女性的なものがあるし、逆もまたしかり。若者の心にも来たるべき老人の心の萌芽はあるはず。それに耳を澄ませて自分ではないもう一人の自分の声を聴くことができれば書ける。


キャラクター描写に「主役」も「脇役」もない
男が女を主人公になぜ書けるのか、という人は、なぜか異性の脇役を描くことに関しては少しも疑問をもたないんですね。これもおかしい。

主役だろうと脇役だろうと「その人物ならではの言動」を描写するという意味においては、作家がやることはまったく同じです。誰が主役で誰が脇役かというのは「誰を軸にしているか」という物語全体からくる考え方であって、キャラクター描写というディテールに関しては両者は同じ。もし異性を主人公にしたら書けないという人がいたら、異性の脇役も描けないことになります。


というわけで、頑張ります。






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