聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

書籍・雑誌

古市憲寿『平成くん、さようなら』(人称の問題と捨てがたい味)

社会学者・古市憲寿が著した芥川賞候補作『平成くん、さようなら』を読みました。


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もっと過激な設定にはできなかったのか
平成が始まった日に生まれ、平成(ひとなり)と名付けられた男と、同じ日に生まれた愛(あい)という女の物語。

天皇の生前退位による改元が目前に迫っているという現実をそのまま踏襲しながら、安楽死が合法化されている社会という架空の設定。

この設定自体については別に何とも思いませんが、安楽死が合法化されているという設定が「平成くんが安楽死を選ぶ」という行動のために都合よく作られている感が強いのが難点かと。

どうせ架空の設定をするなら、天皇の生前退位もうっちゃってしまえばいいんじゃないかと思いました。

天皇自身が安楽死するとか。もちろん今上天皇ではなく、昭和天皇が。生前退位は法律で認められておらず、政府も反対し、かなわなかった。だから昭和天皇は自ら死ぬことで平成を迎え入れた。それが原因で安楽死が合法化されたとか。

「昭和天皇」という名前を出したらいろいろ厄介だろうから、架空の天皇の安楽死にしてもよかったのでは? いや、架空の天皇にしたらそのほうが厄介ごとが増えてしまうのか。いずれにしろ、架空の設定を盛り込むなら、その設定に至るまでの道程を示してほしかった。これでは作者の思想がそのまま現実化しただけというか、作者(と平成くん)にとって都合のいい設定にしかなっていないとしか言いようがありません。背景について考えぬいた痕がない。


なぜ「一人称」なのか
やはり去年、二人称小説を書いたからか、小説における「人称」の問題につい敏感になってしまうんですが、この小説は愛という女の一人称小説なのですね。愛の視点から平成くんと彼女のウロウロが描かれます。

この手法を採用したために、人物や社会の彫りが浅い結果になったのではないでしょうか。

まず、平成くんの一人称はありえないですよね。彼はとても特異な人間なので、そういう人の一人称にしたら平成くんの内実には迫れない。

かといって、愛の一人称でも足りないと思うんですよ。なぜなら、愛は安楽死が合法化された架空の平成末期を実際に生きているから、社会に対する客観的な視点をもてない。


三人称で書かれるべきだった
だから、この物語は三人称で書かれるべきだったと思います。それなら、まず社会背景に対する著者の批評眼が試されるから書くのが難しい。難しいほうが面白くなる。もしかしたら、作者はそれに気づいて「逃げた」んじゃないですかね? 平成くんはもちろん、彼に対して「死なないで」と思ったり、「平成くんらしい」と思ったり、愛の揺れ動く気持ちを批判的に描けたと思うんですがね。批判的というのは創造的ということ。

この小説は、愛から見た平成くんへの批判的な目はあっても、作者から見た愛への批判的な目がない。これは致命的だと思いました。


不思議な読書体験
でも、この『平成くん、さようなら』には捨てがたい味があります。というのも、全体に漂う虚無感というか醒めた感じ。冷徹と言っては言いすぎだし、白けた感じとも違う。真剣だけれどそこまでではなく、ニヒリズムだけれどポジティブで未来志向の精神もある。

これは、もしかしたら、著者が小説家ではないからかもしれません。もし小説家なら、まず三人称で書くことを厭わなかったでしょうが、そうでないがゆえに、上記のような捨てがたい味も出ているように思います。

不思議な読書体験でした。





宇宙開発と飢餓問題(両方大事の哲学)

先日、映画『ファースト・マン』を見に行ったら、思いがけなく私小説作家の車谷長吉さんの言葉を思い出しました。

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「宇宙開発とかそんなことに費やすお金があるなら、なぜ飢えてる子どもたちを救わないのか」

正論ですね。100%正しいから少しも反論できない。

『ゼロ・グラビティ』が公開されたとき、脚本家の荒井晴彦さんも同じようなことを言っていました。

「この人たちは宇宙まで行っていったい何をしてるのか。そんなことより地球上の山積みの問題を何とかしようと思わないのか」

しかし私は両者の言い分に納得できないんです。


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確かにこのような子どもたちを見ると胸が痛むし、車谷さんや荒井さんの言い分は正しいと思う。でもちょっと待ってよ、と。

宇宙開発や物理学や数学よりも飢えてる子どもを救え。それは「政治的に正しい」から誰も反論できないんですが、宇宙開発や物理学の最新理論の研究にはまったく意味がないかというとそうではないでしょう。

スーパーカミオカンデで粒子を超高速で飛ばして素粒子の秘密を解き明かすとか、そういうのって「ロマン」もあるんでしょうけど、何よりも『ブレードランナー』のセリフを借りれば「我々はどこから来てどこへ行くのか」を探究してるわけでしょ? それって政治的には正しくなくても哲学的な営みだと思うんですよ。

米ソの宇宙開発競争は政治的なものでしたが、宇宙の秘密を解き明かしたいという純粋な欲望は人間なら誰しももっているだろうし、もしもっていないなら、あまりに政治に毒されていると思います。

そりゃ私だって飢える子供を少しでも減らしたいから慈善団体に寄付したりしています。政治的に正しい行いをしている。だから車谷さんや荒井さんのような考え方が悪いとは言いません。

でも、衣食住が足りている人間は宇宙の秘密を研究してはいけない、「我々はどこから来てどこへ行くのか」という哲学的な探究をすべきでないという主張には賛同できないし、何か胡散臭いものを感じてしまうのです。

「マタイの福音書」にある「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉は常に忘れたくないと思います。そして、今日食う物さえないない子どもたちのことも忘れずに。

別の記事でも書きましたが、どちらかだけが重要なんてありえない。

両方大事!




『十二人の手紙』(読者を楽しませるあの手この手)

「週刊文春エンタ!」で徹夜必至と紹介されていた井上ひさしさんの『十二人の手紙』(中公文庫)を読みました。(できれば作品を未読の方は以下の感想は読まないでください。特にネタバレはしてませんが読まないほうが楽しめるかと)

徹夜はしなかったというか、もう徹夜なんかできる歳じゃないだけで、徹夜するほど面白いという惹句に嘘はないでしょう。13の手紙や書簡から成る短編集なのにひとつの話が終わってもすぐ次が読みたくなる。もうページをめくる手が止まらない。

ミステリと紹介されてましたが、謎解きとかそういうものではなく、正確にはサスペンスでしょうね。シリアスなサスペンスもあればコミカルなものもあり、ほとんどホラーじゃないかと思えるものもあったりするなど多種多彩。

手紙なのですべて一人称で書かれています。どうも去年、二人称の小説を書いたからか、小説における「人称」というものにこだわってしまうのですが、この一人称しかありえない書簡体小説において、プロローグ「悪魔」というのは純粋な一人称小説ですが、他のものはすべて「複数の一人称小説」になっています。

つまり、手紙の書き手が複数いるということです。手紙なんだから当然ですよね。書けば返事が来るのだから「悪魔」のような形が特別で、他の作品が普通のあり方でしょう。

で、その複数の手紙の書き手によって、ウソが暴かれたりする。そのウソも意図的で悪いウソもあれば、微笑ましいウソもあり、さらには書き手すらウソとわかってない無意識のウソもある。この無意識のウソを扱ったものが私には一番面白かったですね。タイトルを挙げれば「隣からの声」「シンデレラの死」というところ。こわい。

あとは「鍵」なんていう本格ミステリかと思わせておいて喜劇として収束するものも面白いし、「里親」みたいにダジャレがカギになっているのも悪くない。「葬送歌」の底意地の悪さも面白い。たぶん井上ひさしさんの周りにこういう「悪い小説家」がいたのでしょう。

とか言いながら、解説でも書いてありましたが、「赤い手」と題された作品が一番この短編集の精髄のような気もします。

これは手紙ではなく、出生届や死亡届、死亡診断書、転入届、転籍届、欠席届、洗礼証明書、誓約書、起訴状など公的文書だけを使って、私生児として産まれ修道院に引き取られた不幸な身の上の少女が、キャバレーのホステスに身をやつし、そして車に轢き殺されるまでの悲劇を語り尽くしてしまうのです。

これには唸らされました。もう40年も前にこんな斬新な作品が書かれていたのかと。もっと早く読みたかったと後悔しています。「赤い手」の最後2ページほどだけがその少女の手紙になっていて、これが泣かせるんです。

エピローグでは、プロローグ「悪魔」で悪役だった男に復讐しようと、無残にも愛人の子を殺してしまった女の弟がホテルに立てこもる事件を扱っているんですが、何とそれまでの12の作品の登場人物がそのホテルに泊まっているという設定で人質に取られるんですね。

最後の短編の終わり方が難しいんじゃないかと思って読み進めていたんですが、そう来たか、と。

天才としか言いようがないですね。井上ひさしさんの作品はこれまで1冊しか読んだことなかったんですが、これからもっと読んでいこうと思います。
いやぁほんと、こんなド傑作をこの歳になるまで読んでいなかったとは不覚のうえにも不覚ですわ。


十二人の手紙 (中公文庫)
井上 ひさし
中央公論新社
2009-01-25


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