聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

書籍・雑誌

中野信子『不倫』を読んで思ったこと

脳科学者・中野信子先生の『不倫』を読みました。


不倫 (文春新書)
中野 信子
文藝春秋
2018-07-20


ソフトバンク新書の『人はなぜ不倫をするのか』と同じように、「生き物にとって不倫をするのは別に悪いことではない」というのが本書の主張。そもそも一夫一婦という制度が人間には合っていないのだと。

中野先生の『シャーデンフロイデ』や『サイコパス』でも触れられていた「フリーライダー」という言葉。共同体の決まりごとを無視して自分勝手に行動する人間。不倫は一夫一婦という制度を破って自分だけいい思いをするフリーライダー的行為だから「共同体の維持のため」という大義名分のもと断罪される。

しかしフリーライダー的に生きることに快楽を覚える人間は時代を超えて確実にいるから、いくら不倫を断罪しても不倫する人間はいなくならないだろうと。

そこから、『シャーデンフロイデ』や『人はいじめを止められない』の著者は昨今の「不倫バッシング」について語ります。

しかし、不倫バッシングについては『人はなぜ不倫をするのか』に書かれてあったことのほうが私にはいまでも充分面白いし新しい。→こちらの記事『学校化するニッポン』を参照してください。

さて、話は本に書かれていることから離れ、ここからが本題です。

芸能人の不倫を叩く人、不祥事を叩く人、とにかく何も考えずに炎上に加担する人たちにこそ、この『不倫』という本は読まれねばならないと強く思うのですが、『サイコパス』はかなり売れたみたいですが、この『不倫』はあまり売れてないみたい。

それはやはり『不倫』というタイトルにあるのでしょうね。『夫のちんぽが入らない』という名作エッセイがありますが、あれもタイトルを見ただけで食わず嫌いをする人が多い。不倫バッシング華やかなりし時代ですから「不倫」というワードに嫌悪感を催す人がたくさんいると思われます。

しかし、そういう人にこそ読まれないと意味がないですよね。なのにそういう人には届かない。

それだけでも厄介な問題なのに、『夫のちんぽが入らない』に話を戻すと、食わず嫌いの人が多いだけでなく、実際に読んでも嫌悪感を催す人が多いとかで、これはおそらく「この本は汚らわしい」という先入観が強すぎるのが原因だと思われます。先入観が読む力を奪っている。

だから、不倫バッシングに血道を上げる人たちがもし『不倫』を手に取ったとしても、先入観に支配されて読んでしまうから結局「不倫を肯定する本なんてけしからん」という感想しかもたないのではないか。

百田尚樹の『日本国紀』が話題ですが、あれも最初から「百田尚樹の本だから」というのが右派にとっても左派にとっても先入観になってしまい、読む前から感想が決まってしまっているんじゃないか。私はまだ読んでないからわからないけど、どうもツイッターの百田非難の声を読んでいると、そうなんじゃないかと思えてしまう。

そうやって、いろんな問題で日本人は断絶してしまっている。経済的にも格差は拡大する一方だし、イデオロギー的にも考え方の違う人同士の間隔は開く一方。

本を読んだり、映画を見たりするのって、自分自身が刷新されるところに無類の楽しさがあると思うんですけど、どうもいまの日本人は「自分と同じ考え方が載っている本しか読まない」という人が増えてる気がする。いまの自分の考え方を変えられるのをとても恐れている。変わったあとの自分を恐れている。


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もしかすると、ネトウヨさんたちが威嚇するような言葉遣いをするのは「恐れているから」ではないか。

生きているかぎり人は変化するのが普通。だから変化することを忌避するのは「自殺」に等しいと思う。

ということを『不倫』を読んで思った次第です。




人はなぜ不倫をするのか (SB新書)
亀山 早苗
SBクリエイティブ
2016-08-06

2018書籍ベストテン!

いよいよ年の瀬。まだ大掃除も満足にできていませんが、ちょっと合間に遊んでみようと。

今年もいろんな本を読みましたが、選りぬきの10作品をご紹介しましょう。(感想を書いたものにはリンクを貼ってますので、よろしければどうぞ)


中動態の世界(國分功一郎)
②戻り川心中(連城三紀彦)
地球星人(村田沙耶香)
うしろめたさの人類学(松村圭一郎)
ワイルドマウンテン(本秀康)
⑥人工知能の哲学(松田雄馬)
⑦悪魔の神話学(高橋義人)
小説禁止令に賛同する(いとうせいこう)
ブラックボックス(伊藤詩織)
今日の人生(益田ミリ)



一冊一冊の感想はめんどくさいからやめておきます。

とにかく今年は『中動態の世界』の衝撃が一番でした。新しい世界観を得ることができました。


『人工知能の哲学』にも教えられること多でした。いまAI自動運転のための法整備が進んでいますが、果たしてAI(著者の言葉によれば「いまAIと呼ばれているものは真のAIではなく「AI技術」にすぎない」らしいですが)に車の運転が可能なのか。そのへんのことについては『AI vs.教科書が読めない子どもたち』『AI原論』などもひっくるめて「AI自動運転社会は永久にやってこないと思う件」という記事を書いています。どうなりますか。


小説ではやはり村田沙耶香さんを知ったのが一番大きかったかな。ちょっと前までブックオフでも村田さんのコーナーってなかったのに昨日行ったら新しくできてました。うれしいようでもあり、ちょいと淋しいようでもある。『コンビニ人間』の衝撃もすごかったですが、『地球星人』の衝撃はもっと大きかった。


昨日読み終えたばかりの『悪魔の神話学』もすごかったですね。
堕天使という嘘、原罪という嘘、処女降誕という嘘、魔女狩りという嘘、などなどラディカルにキリスト教を原初の姿から解き明かし、最終的にはハンナ・アーレントのアイヒマン分析で終幕。
何か問題が起こったときに誰かを「悪」と決めつけて事足れりとする現在の風潮に一石を投じます。ここがこの本の素晴らしいところ。宗教論でもあり哲学論でもあるけれど、実社会を撃つための武器になっている。社会との関わりを失った宗教も哲学も無意味という著者の信条を感じます。
炎上だ何だと他者を非難することに血道を上げている人々は、アイヒマンを非難した人たちと同じ「悪の陳腐」に陥っている、それは魔女狩りに熱狂した人たちと同じであるという過激な提言でした。


マンガでは史群アル仙の『今日の漫画』『臆病の穴』もよかったけど、やはり『ワイルドマウンテン』の大どんでん返しと『今日の人生』のささやかなどんでん返しが気持ちよかった。


『戻り川心中』で恥ずかしながら初めて連城三紀彦を読みました。これからももっと読んでいこうと思います。

関連記事
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戻り川心中 (光文社文庫)
連城 三紀彦
光文社
2006-01-01

『機械カニバリズム』(結局何を言いたいの?)

久保明教という学者による講談社選書メチエ『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』を読みました。





この本はAI=人工知能によって人間がどうなるかを探究したものです。

AIというと、自律システムとして自動運転など人間の代わりを務めてもらおうという考え方と、しょせん他律システムにすぎないのだから道具として使いこなせばいいという考え方ふたつに分けられる、でもその二つを対立概念として捉えるのは間違いで、第三の道を考えねばならないと著者は言います。


銃人間
しょせん拳銃は道具にすぎないから人間の意思で使うべきときとそうでないときを峻別すればいい、という考え方が短絡的なことはすぐわかります。拳銃がもつ殺傷能力に魅せられて引き金を引いてしまうことがあるから。その場合、拳銃が自律システムとして人間を操っていると考えることが可能ですが、そうはいっても拳銃を手にした人間が必ずしも引き金を引くとは限らないし、引き金を引かずとも拳銃が懐に入っているだけで気持ちが大きくなって普段とは違う行動をしたりする。拳銃というテクノロジーが人間に影響を与えるというわけです。


既読スルー
別の例では、LINEの既読スルーが取り上げられます。
もともとLINEの既読通知機能というのは開発当初はなかったそうです。サービス開始が東日本大震災の3か月後から始まったため、返信できない被災者たちが「読んだことだけでもわかれば安心できる」ということで付け足された機能なんだとか。初めて知りました。

最初はそういう理由で作られた機能ですが、そのような機能は次第に忘れられていき、既読になったのに返信がない、そのために人間関係のトラブルの原因になる「既読スルー」という概念が生まれました。何とか既読スルーにならないようにお互い返信を繰り返したり、最悪の場合はそれが原因で殺人事件まで起きました。

この本では、そのようなテクノロジーが人間に影響を与え、それによってさらにテクノロジーも影響をこうむり、更新されたテクノロジーがまた人間に影響を与え……という、人間よりAIを上位に置くのでもその逆でもなく、人間とAIが一体になったとき(それがサブタイトルにある「人間なきあと」です)我々はどうなるのかを考察しています。


0.5人称の語り
もともと人間の発語は一人称の語りですが、ネット上、特にツイッターでは「0.5人称」になっている、と著者は言います。

つぶやくといっても現実につぶやくときは完全に独り言の場合もあるけれど、ネット上でそれはありえない。誰かが受信してくれるのを期待してつぶやかれる。どこかの誰かがいいねやリツイートという反応を示したとき、つまりそのつぶやきをきちんと受け止めた人間がいたと認識されたとき、初めてそのつぶやきは一人称となる。それまでは0.5人称なんだと。これは卓見ですね。


でも、私が理解できたのはこれだけ。
この本はとても難しくてよく理解できないのです。もっとわかりやすく書いてほしいとも思うけれど、将棋に詳しくない人はもっとわからないかもしれない。「将棋については何々というサイトで駒の動かし方など見てください」と平然と書いていますが、それは本の書き手として書いてはダメなことでは? 他の人の説明を読まないと理解できない本なんて。

どうもこの著者は頭はとてもいいんだろうけど親切じゃないですね。それに「銃人間」のように「AI人間」が世界に跋扈し人間なきあとの人類学を探究するとは前述のとおりですが、最終的に何を言いたかったのかはよくわからない。

ま、私の頭が悪いだけかもしれませんが。www



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