聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

書籍・雑誌

『十二人の手紙』(読者を楽しませるあの手この手)

「週刊文春エンタ!」で徹夜必至と紹介されていた井上ひさしさんの『十二人の手紙』(中公文庫)を読みました。(できれば作品を未読の方は以下の感想は読まないでください。特にネタバレはしてませんが読まないほうが楽しめるかと)

徹夜はしなかったというか、もう徹夜なんかできる歳じゃないだけで、徹夜するほど面白いという惹句に嘘はないでしょう。13の手紙や書簡から成る短編集なのにひとつの話が終わってもすぐ次が読みたくなる。もうページをめくる手が止まらない。

ミステリと紹介されてましたが、謎解きとかそういうものではなく、正確にはサスペンスでしょうね。シリアスなサスペンスもあればコミカルなものもあり、ほとんどホラーじゃないかと思えるものもあったりするなど多種多彩。

手紙なのですべて一人称で書かれています。どうも去年、二人称の小説を書いたからか、小説における「人称」というものにこだわってしまうのですが、この一人称しかありえない書簡体小説において、プロローグ「悪魔」というのは純粋な一人称小説ですが、他のものはすべて「複数の一人称小説」になっています。

つまり、手紙の書き手が複数いるということです。手紙なんだから当然ですよね。書けば返事が来るのだから「悪魔」のような形が特別で、他の作品が普通のあり方でしょう。

で、その複数の手紙の書き手によって、ウソが暴かれたりする。そのウソも意図的で悪いウソもあれば、微笑ましいウソもあり、さらには書き手すらウソとわかってない無意識のウソもある。この無意識のウソを扱ったものが私には一番面白かったですね。タイトルを挙げれば「隣からの声」「シンデレラの死」というところ。こわい。

あとは「鍵」なんていう本格ミステリかと思わせておいて喜劇として収束するものも面白いし、「里親」みたいにダジャレがカギになっているのも悪くない。「葬送歌」の底意地の悪さも面白い。たぶん井上ひさしさんの周りにこういう「悪い小説家」がいたのでしょうね。

とか言いながら、解説でも書いてありましたが、「赤い手」と題された作品が一番この短編集の精髄のような気もします。

これは手紙ではなく、出生届や死亡届、死亡診断書、転入届、転籍届、欠席届、洗礼証明書、誓約書、起訴状など公的文書だけを使って、私生児として産まれ修道院に引き取られた不幸な身の上の少女が、キャバレーのホステスに身を崩し、そして車に轢き殺されるまでの悲劇を語り尽くしてしまうのです。

これには唸らされました。もう40年も前にこんな斬新な作品が書かれていたのかと。もっと早く読みたかったと後悔しています。「赤い手」の最後2ページほどだけがその少女の手紙になっていて、これが泣かせるんです。

エピローグでは、プロローグ「悪魔」で悪役だった男に復讐しようと、無残にも愛人の子を殺してしまった女の弟がホテルに立てこもる事件を扱っているんですが、何とそれまでの12の作品の登場人物がそのホテルに泊まっているという設定で人質に取られるんですね。

最後の短編の終わり方が難しいんじゃないかと思って読み進めていたんですが、そう来たか、と。

天才としか言いようがないですね。井上ひさしさんの作品はこれまで1冊しか読んだことなかったんですが、これからもっと読んでいこうと思います。
いやぁほんと、こんなド傑作をこの歳になるまで読んでいなかったとは不覚のうえにも不覚ですわ。



十二人の手紙 (中公文庫)
井上 ひさし
中央公論新社
2009-01-25


「東京には地方紙がない」(定点観測の重要性)

いま内田樹先生の新著『常識的で何か問題でも? 反文学的時代のマインドセット』を読んでいて、まだ読み終わってないんですが、途中になかなか刺激的なことが書かれてあったので、それだけでもここでご紹介しようと思い。




この本は『AERA』の「eyes」という巻頭コラムばかりを集めたものなので一つ一つがとても短いんですが、私が「おおお」と思った文章は2016年10月に書かれたもので、現時点ではもう移転してしまった築地市場の豊洲移転でいろいろ問題が表面化してきていた頃のものです。

何ゆえに都政の醜悪な暗部がこれまで表面化しなかったか、という問いに対し、著者は「東京に地方紙がないからだ」と断定します。全国紙の東京版はあっても東京地方紙がない、と。

へぇ~~~! ちょっと前まで東京に住んでいながら知りませんでした。

著者によると、アメリカでは近年、地方紙が激減しているそうです。調べてみると、日本でも地方紙が激減しているみたいです。→こんなになくなっていたなんて! 最近休廃刊になった地方新聞一覧


さて、ベルというカリフォルニアの小さな町では、1998年ごろに地元紙が休刊になったとか。

で、何が起こったかというと、市の行政官が500万円ほどだった年俸を十数年かけて6400万円まで引き上げたそうです。他の公務員たちも自分たちの給与を増額した。ベル市民は10数億円もの自分たちの血税を公務員や政治家に奪われた。

なぜか。

地元の地方紙がないから市民はそんなことが行われているとはまったく知らなかったから。役所や議会や地裁に記者が取材に入らないから簡単にできてしまう。

著者は続けてこう語ります。

確かにネットからの情報供与はある。だが、ネットはニュースを高速で広める力は抜群だが、「今日のところは何も起きていない」領域を定点観測はしない。しかし、忍耐強い定点観測なしには変化の兆候を感知することはできない。ジャーナリストが定点観測をやめたらニュースはもう「ニュース」にならない。

ベルの実態を調査した委員は、
「市民が自腹を切ってでも地方紙を残し、役所や議会を監視する記者を置いておけば、巨額の税金の無駄遣いを防ぐことができただろう」と忠告したそうです。

ただし、と著者は最後に恐ろしいことを付け加えます。

ただし、この忠告は記者が「統治機構の監視人」であることを前提にして成り立つ。日本のメディアにその前提は適用できるのだろうか。



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とりあえず私にできることは、地元紙・神戸新聞を守ることですね。購読を考えてみようかしら。



中野信子『不倫』を読んで思ったこと

脳科学者・中野信子先生の『不倫』を読みました。


不倫 (文春新書)
中野 信子
文藝春秋
2018-07-20


ソフトバンク新書の『人はなぜ不倫をするのか』と同じように、「生き物にとって不倫をするのは別に悪いことではない」というのが本書の主張。そもそも一夫一婦という制度が人間には合っていないのだと。

中野先生の『シャーデンフロイデ』や『サイコパス』でも触れられていた「フリーライダー」という言葉。共同体の決まりごとを無視して自分勝手に行動する人間。不倫は一夫一婦という制度を破って自分だけいい思いをするフリーライダー的行為だから「共同体の維持のため」という大義名分のもと断罪される。

しかしフリーライダー的に生きることに快楽を覚える人間は時代を超えて確実にいるから、いくら不倫を断罪しても不倫する人間はいなくならないだろうと。

そこから、『シャーデンフロイデ』や『人はいじめを止められない』の著者は昨今の「不倫バッシング」について語ります。

しかし、不倫バッシングについては『人はなぜ不倫をするのか』に書かれてあったことのほうが私にはいまでも充分面白いし新しい。→こちらの記事『学校化するニッポン』を参照してください。

さて、話は本に書かれていることから離れ、ここからが本題です。

芸能人の不倫を叩く人、不祥事を叩く人、とにかく何も考えずに炎上に加担する人たちにこそ、この『不倫』という本は読まれねばならないと強く思うのですが、『サイコパス』はかなり売れたみたいですが、この『不倫』はあまり売れてないみたい。

それはやはり『不倫』というタイトルにあるのでしょうね。『夫のちんぽが入らない』という名作エッセイがありますが、あれもタイトルを見ただけで食わず嫌いをする人が多い。不倫バッシング華やかなりし時代ですから「不倫」というワードに嫌悪感を催す人がたくさんいると思われます。

しかし、そういう人にこそ読まれないと意味がないですよね。なのにそういう人には届かない。

それだけでも厄介な問題なのに、『夫のちんぽが入らない』に話を戻すと、食わず嫌いの人が多いだけでなく、実際に読んでも嫌悪感を催す人が多いとかで、これはおそらく「この本は汚らわしい」という先入観が強すぎるのが原因だと思われます。先入観が読む力を奪っている。

だから、不倫バッシングに血道を上げる人たちがもし『不倫』を手に取ったとしても、先入観に支配されて読んでしまうから結局「不倫を肯定する本なんてけしからん」という感想しかもたないのではないか。

百田尚樹の『日本国紀』が話題ですが、あれも最初から「百田尚樹の本だから」というのが右派にとっても左派にとっても先入観になってしまい、読む前から感想が決まってしまっているんじゃないか。私はまだ読んでないからわからないけど、どうもツイッターの百田非難の声を読んでいると、そうなんじゃないかと思えてしまう。

そうやって、いろんな問題で日本人は断絶してしまっている。経済的にも格差は拡大する一方だし、イデオロギー的にも考え方の違う人同士の間隔は開く一方。

本を読んだり、映画を見たりするのって、自分自身が刷新されるところに無類の楽しさがあると思うんですけど、どうもいまの日本人は「自分と同じ考え方が載っている本しか読まない」という人が増えてる気がする。いまの自分の考え方を変えられるのをとても恐れている。変わったあとの自分を恐れている。


ダウンロード

もしかすると、ネトウヨさんたちが威嚇するような言葉遣いをするのは「恐れているから」ではないか。

生きているかぎり人は変化するのが普通。だから変化することを忌避するのは「自殺」に等しいと思う。

ということを『不倫』を読んで思った次第です。




人はなぜ不倫をするのか (SB新書)
亀山 早苗
SBクリエイティブ
2016-08-06

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