聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

書籍・雑誌

文芸社からの手紙、再び

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先週びっくりする電話がかかってきました。こないだ生まれて初めて小説を書いたと言いましたが、その小説が出版されるという話でした。

小説に関する過去記事はこちら
小説を書き始めました
文芸社からの手紙

何でも、5月に応募した「人生十人十色大賞」で落選したものの、落選者から「出版してほしい」という声が多数届いたそうで、それなら落選したものの中から10本選んで出版しよう、ということになり、私の『ヒロポン中毒』が選ばれたそうです。

へぇ~、そりゃうれしい、と思っていたら、出版には250万くらいかかるけど、そのうち100万負担してほしいと。100万なんて金はもってない。でも親兄弟は金持ちだから拝み倒せば何とかなる金額ではある。というわけで「考えさせてください」と言ったら、じゃお手紙書きます。詳細を書いて送りますから。ということでした。

その日は何か眠れませんでしたね。実際に出版されるかどうかはともかく、まったく相手にされてなかったと思っていた自分の作品が結構高い評価を受けていたとは、と。

しかし、100万というのが気にかかる。そもそも、私は「講評をお願いしたい」とは言ったけれど「出版してほしい」なんて一言も言ってないのに、向こうが勝手に選出して出版するから100万負担してっておかしくないですか?

で、今日その手紙が届いたらば、いろいろ耳に心地いいことが書いてありました。

いくつかの本屋で平積みにするとか、ISBNコードを付けるとか。あの裏表紙にあるバーコードですね。あれってただレジでピッとするだけで会計ができるだけのものかと思っていたら、あれがないとアマゾンなどネット通販とかできないらしいんですね。
ただ、調べてみるとISBNコードというのは別に個人でも申請すれば取得できるらしく、費用は2万ちょっと。何だ。

しかしもっと大きな問題が!!!

私の負担金は100万という話だったのに、なぜか文芸社の負担が100万で私は143万って話が違うじゃないですか。それに自費出版にまつわる詐欺ってちょくちょく聞くし。と思って調べてみたら、

「詐欺だと言ってる人の作品が劣悪だっただけでは?」

と書いてあるサイトがあって、なるほど、と。多額の費用を出して出版したもののまったく売れず、売れ残った本を着払いで引き取らないといけないとか、そういうのは「売れない本」だったのが悪いんですね。

じゃあ自費出版の本って売れるの? と調べてみたら「1冊も売れないと覚悟しておいたほうがいい」と書いてあって、そりゃまぁそうだろうな、と。売れるかどうかよりちゃんと本の形になって本屋に並ぶのがうれしいわけでしょ。売れたらちょっとばかり印税も入るようですが、これはやはりほとんど期待できない。

でも、文芸社からの自費出版で有名になった作家もいるらしく『リアル鬼ごっこ』とかそうなんですって。知らなかった。

何だか金の話ばかりしてますが、私が一番心配なのは金よりも「書き直せるのか」ということなんです。

過去記事を見てもらえばわかるように、『ヒロポン中毒』という小説は酸欠状態になりながら書いた作品です。とにかく、自分のダメぶりを徹底的に責め苛む作品で、今日届いた手紙の中に講評が載っていましたが、「情け容赦のない筆致」と評されていて、それはそれでうれしい。酸欠状態になって苦悶しながら書いた甲斐があったというもの。

しかしですね、こないだの電話の話では、20枚~30枚は増量しなければならず、その他、今日届いた「今後の流れ」みたいなのには、編集担当者が1か月後くらいに決定して打ち合わせ、みたいなことが書いてあって、もちろんそのときに厳しいダメ出しされるわけですよね。ダメ出し自体はいいけど、それを踏まえた改稿ができるのかという問題。

なぜって、書き直すには読み直さないといけないわけで、己を責め苛む小説なんかもう金輪際読み直したくない。実は、落選したときにハードディスクから消去しようとしたんです。でも、あの作品は「書きたかった」のではなく「書かねばならなかった」小説なので、落ちたからって消去はダメだろうと思い直したわけです。

しかしそれなら書いただけで満足するのはダメで、折に触れて読み直さないといけないのでは? とも思うわけです。書かねばならなかった小説で、かつ読まねばならない小説でもあるということに気づき、「しんどくても書き直して出版してもらおうか」という気にもなるわけです。千千に乱れていました。

とはいえ、そこで最初の問題である「143万もの金をどうするのか」ということを考えた場合、読まねばならないから、という理由だけでそんな大金を出してもらうなんていうのは甘えもいいところ。

だいたいあの小説は自分のそういう甘えた性分を徹底的に非難したものなのだから、そういう作品を世に出すために他からお金を出してもらうのは作品の精神に反する。作品に書いたことを実践しないんだったらいくらいい作品を書いても無意味。いったい何のために苦悶しながら書いたのかわからなくなってしまう。

別に、読み直したり、それこそ書き直してもっと自分を責め苛む内容にしたり、というのは別に出版しなくてもできるわけだから、やっぱり出版の話は断ろうと思います。

あ、念のために言っておきますが、どうもうちの両親は応募したとき「恥ずかしいことを書いた」と言ったら「そんなものが出版されたらどうなるの」とえらく気にしていましたが大丈夫! 恥ずかしいのは私だけで、あなた方は何にも心配することはありません。

おそらく、私のことをよく知っている人ほど「ここに書かれてることってほんとのことなの?」と必ず訊くでしょう。ほんとだよと答えてもおそらく誰も信じないでしょう。本当だと知ったら仰天するでしょう。
どうも脚本コンクールで受賞したのが下ネタ満載のコメディだったからか、「またあいつ下ネタみたいなのを書いたのか」と思われてるみたいですがぜんぜん違いますよ~。




益田ミリ『今日の人生』(気づきとどんでん)

敬愛してやまない益田ミリさんの『今日の人生』(ミシマ社)を読んだんですが、すべてのページが愛おしくなる傑作でした。帯にはいまをときめく石田ゆり子の絶賛文が書かれています。



日常の何でもない一コマにとんでもない非日常を感じてしまうとか、何でもない一コマがかけがえのない時間だと気づかせてくれるのが益田ミリさんの魅力ですが、この『今日の人生』は集大成的な傑作だと思いました。

例えばこんなエピソード。

ある日、片づけをしていたら母親からもらった小さなオルゴールが出てくる。ミリさんはそれが妙に懐かしくそして悲しい。

なぜかというと、上京前にお母さんが「何かほしいものを買ってあげる」というので買ってもらったものだから。いや、ただそれだけなら単に懐かしいで終わりですが、そのオルゴールはかなりよこしまな気持ちで買ってもらったものだったんですね。将来、有名になったときオルゴールのようにメロディが出るものだったりするほうが思い出に深みが出てインタビューを受けるときにいい話と受け止められるんじゃないか、という。

で、一緒に買いに行って、小さな安物を買ってもらった。何も知らないお母さんはもっと高価なものを、みたいなことを言ったけれどそれを制して買ってもらった。でも、よこしまな気持ちで買ってもらったものだから好きになれず、ずっとしまってあった。

それを今日久しぶりに手に取ってあのメロディを聴くと、オルゴールにまつわるすべての記憶がいい思い出に変わっていて、ミリさんは心の中で「人生……」とつぶやく。

うーん、深い! 一言で言ってしまえば「嘘から出た真」というやつでしょうが、人生というか、人間という生き物がもつ不可思議な心の動きが不可思議なまま提示されていて心が温まるし、何も知らないお母さんのことを思うと何となく残酷な気もしてしまう。

他に特に好きなエピソードを3つだけ挙げると……


「何か、むなしい」という日は、とりあえず〈むなしさ〉を味わいます。

たったこれだけの言葉にミリさんの不器用だけれど真摯に人生と向き合っている姿が見えてきます。私なんかむなしさを感じたらすぐにそこから逃げようとしてしまいますから。これからは逃げずに味わってみようと思った今日の人生。


②外国の空港で係員が「ボーディーバ」を見せろと舌打ちしながらしつこく言われ、それは本当は「ボーディングパス=搭乗券」のことだったのだが、その外国人は完全に上から目線で英語がわからない人間を軽蔑している。本当なら日本語でいいから「舌打ちなんて失礼ですよ」と文句のひとつくらい言うべきであった。「わたしはわたし自身を守ってやれなかった」と後悔するミリさん。

「わたしはわたし自身を守ってやれなかった」

我が身を振り返ってみると、私自身を守ってやれなかったことってとてもたくさんあるような気がします。もっと自分を大切にしようと思った今日の人生。でもあんまり文句を言いすぎるとそれはそれで角が立つし、バランスが難しい。


③空港でお土産を買い、お茶しながら原稿を書いているミリさんの隣の母娘の会話。
娘さんはもう30分以上愚痴り続けていて、それはおそらく旦那のことで「それであたし言ったんだけど効果ないし! 信じらんない!」
お母さんは何も言わずに「うん、うん」と聴いていて、娘さんは最後にこう言ったとか。
「でも、ま、毎日楽しくやってるから安心して」

なるほど。いろいろ鬱憤が溜まっているから愚痴るものの「喧嘩するほど仲がいい夫婦」なのか。それとももう離婚を考えるくらい本気で仲が悪いけれど、母親が何も言わずに聴いてくれるからうまくガス抜きができて、とりあえずいますぐ離婚するのはやめてお母さんには気分よく帰ってもらおう、という娘としての気遣いだったのか。

いずれにしても、何も言わずに「うん、うん」と相槌を打って聴いてあげるって大事だな、と思った今日の人生。

脚本の書き方を教えてくれた恩師が「クライマックスで大事なことは『気づき』と『どんでん』だ」と言っていましたが、益田ミリさんのマンガはいろんなところに人生の真実に気づく瞬間があり、それが小さなどんでん返しをもたらしてくれる。
「小さな」というところがポイントですね。大きなどんでん返しが面白いこともあるけれど、小さなどんでん返しにも魅力があるし、その魅力に気づかないようでは本当の意味で「生きている」とは言えないよ。とミリさんの作品は言ってくれているような気がします。

他にもいろいろ印象的なエピソードがありますけど紹介しきれません。ぜひ全編読んでみてくださいな。


村田沙耶香『コンビニ人間』(マニュアルという宗教)

とんでもない小説を読みました。最新刊『地球星人』が絶賛されている村田沙耶香さんの芥川賞受賞作『コンビニ人間』。
コンビニのマニュアルを「宗教」と捉えるところが斬新。そして、現代社会もまた大昔と同じ「魔女狩り」の舞台なのだ、というテーマに感動しました。




斬新きわまりない人物設定
何よりこの『コンビニ人間』で描かれる主人公・古倉恵子という人物の設定が素晴らしい。
幼少期からちょっと変わっていて、変わっていることを自覚するあまりほとんど口を利かないという戦法に出る。口を利けば誰よりも母親や妹など自分を慈しんでくれる家族が悲しむから。つまり、変人が変人であることを隠そうとしてよけい変人になってしまったんですね。家族はカウンセリングを勧めるもうまく行かず、主人公が大学に進学して独り暮らしを始めたと同時にコンビニでバイトを始めると、その普通さに喜んでくれた。

コンビニの完全マニュアル化された仕事の仕方が主人公には心地いい。だって自分で考えて行動すると変人性が露わになるから。コンビニでマニュアル人間になっておけば誰も悲しまずにすむ。


そうは問屋が卸さない!
とはいえ、18歳の大学生がコンビニでアルバイトなら「普通」だけれど、現在の主人公はアルバイト歴18年の36歳。恋愛経験なし、就職経験なしの「変人」。普通であろうとしたら変人になってしまったという可笑しみが逆に哀しい。

朝礼で店長とともに「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」と唱和するのが「まるで宗教みたいだ」と評されても主人公は「そうですよ」とあっさり認める。主人公にとってコンビニとは「世界」そのものであり、世界を維持するためには「宗教」が必要だ、と言わんばかり。


白羽の主張「現代は縄文時代と同じ」
その「まるで宗教みたいだ」と斜に構える新人店員は白羽(シラハ)という名前の若い男で、この男は何と婚活が目的で入店してきたという。
主人公と同じく30歳で就職経験なし、恋愛経験なし、ということで周りから奇異の目で見られている。しかも女なら就職経験なしでもまだ恰好がつくが、男ではもうどうしようもないと。就職か結婚をしていないと「何で何で」と問い詰められ、「そんなことではダメだ」と裁かれる。いわゆる「普通」の人たちは普通でない人を裁きたくてしょうがないというのが白羽という男の主張。
縄文時代云々というのも「いつからこの世の中はこうなってしまったのか」を研究するため歴史書を読みあさった結果、縄文時代からだという結論に行き着いたと。男は狩りに出て、女は子供を産んで家を守る。そこからはみ出たものは「ムラ」から排除されるのだと。

その主張には一も二もなく大賛成なのだれど、主人公と同じ境涯のくせして「普通」の人と同じ論理で主人公を難詰するというのが面白い。結局、彼もまた「普通」に囚われた人間なのですね。

で、まったく「普通」じゃない我らが主人公は、「じゃあ私と婚姻届を出すというのはどうでしょう」と提案する。何だかんだいっても級友たちは結婚もせず就職もしない主人公を上から目線で憐れんでいるし、よく働いてくれると店長からの評価も上々だけれど「なぜ36歳でコンビニバイト?」という訊かれるのにもうんざりしてきた。白羽と書類上のみ婚姻関係を結んでひとつ屋根の下で暮らすなら、そのような雑音も消えてくれるだろう、と利害が一致。


周囲の激変が笑える
主人公が妹に「男が家にいる」と言っただけで妹は「よかった。本当によかった」と喜び、級友たちもめちゃくちゃ盛り上がって「やっとこの女も普通になった」と盛り上がりすぎるほど盛り上がり、コンビニでも「あの白羽と同棲!?」と店長もバイト仲間もやたら盛り上がる。その様がやたら笑えました。仕事そっちのけでゴシップを伝え合うのに奔走するので、商品の補充もままならず、コンビニという生き物の「声」を聴くことのできる主人公は、自分が同棲しているという嘘によって悲鳴を上げるコンビニが哀れでならない。


コンビニは「神」、主人公は「預言者」
何だかんだでコンビニを辞めて「普通」の会社に就職することになった主人公は面接を受けに行く。早く着きすぎたので近くのコンビニでトイレを拝借しようと入ると、悲鳴が聞こえる。もちろんコンビニの。新商品がちゃんと陳列されてない。清掃ができてない。などの「声」を聴く。主人公はそれを「天啓」と表現する。

コンビニで働くことは「宗教」だというのは嘘じゃなかった。主人公はコンビニという「神」の声を聴いてそれを客のために実行する「預言者」だったのですね。なるほど!


現代はいまだに「魔女狩り」の時代
主人公はコンビニ教の敬虔な信者であり、それはとても奇特なので「普通」のムラから排除される存在。しかし、その「普通」というのもまた宗教なんですよね。男は狩りに出て女は家を守るというのもそう。「ジェンダー」と呼ばれる宗教です。

大学を出たら就職して、30代には結婚もして子どもを産んで……というのもまた「宗教」。コンビニのマニュアルと同じく決まりきったマニュアル通りに生きているだけ。ただ、そのマニュアル=宗教を崇拝しているのが圧倒的多数派だから「正統」であり、主人公は「異端」とされる。それだけの話。

だから、政治の世界でも「宗教戦争」はいまだにあるけれども、そんな大きなことでなくとも、日常の些細なところで「宗教戦争」は起こっているのだ、というのが著者の主張なのでしょう。

いや、「宗教戦争」ならまだいいほうで、実際には「異端審問」が行われている。現代はいまだに「魔女狩り」の時代なのだ。

というような大きくてシリアスなテーマを「喜劇」として提示したこの『コンビニ人間』はとてつもない大傑作だと思います。


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