日記・コラム・つぶやき

2019年06月30日

ついにやりました。長かった。本当に長かった。

何がって今月は毎日ウンコが出たんです。毎日快便だったんです。

何だそんなことか、というなかれ。本当に長い道のりだったのです。


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なぜ私は便秘がちになったか
これはちょいと言いにくいですが、幼い頃、ウンコを我慢することに快感を見出していたんです。我慢すること自体が快感なんじゃなくて、我慢して我慢して我慢した果てに、ウンコがひょいっと中へ引っ込む瞬間があるでしょ? 誰でもウンコを我慢したことあるはずだからわかるはず。あのひょいっと引っ込む瞬間がたまらなく気持ちよかったんです。それで毎日我慢しているうちに出なくなってしまいました。

さすがに中学になる頃には我慢することに快感を見出すなんてことはなくなっていましたが、幼い頃に沁みついてしまった便秘がちな体質は変わらないまま。あのときは計算したことなかったですけど、たぶん2日に1回より頻度は低かったように思います。出ないほうが普通だったんですね。だから「昨日から出なくて憂鬱」という友人の気持ちがさっぱりわからなかった。

しかも、出るときはもちろん出るんですが、たまにしか出ないから、いつも固いウンコばかりで、しかも大腸の中でものすごく太くなってしまっているのでいつも切れて血が出ていました。

こんな状態をずーっとずーっと放置してしまっていたのです。30歳を過ぎるまで。


転機は2005年
30歳を過ぎたころ、「何か最近、疲れやすくなったな」と思ったんですよね。もともと人より疲れが出やすい体質なんですが、それでも5年前10年前と比べても格段に疲れやすくなっている。

日頃の生活を見直してみると、「ウンコをちゃんと毎日出していない」ことに気づいたんですね。30年も。

で、出すべきものはちゃんと出して体質改善をせねば! と一念発起したわけです。


まず始めたのはカレンダーにチェック
高校の保健体育の先生がこんなことを言っていました。

「朝出たら◎。昼出たら〇。夜出たら△。出んかったら×や」

というわけで、カレンダーにそれを記していきました。

そうすると、◎の日はものすごく少なくて、×が一番多かった。幼い頃よりは改善していたようですが、それでも月の半分弱が×でした。


とにかくトイレに座る
朝食を食べたら、催していようといまいと、とにかくトイレに座る。これを実行しました。それまでは催したときしか座らなかったし、催しても我慢して快感に打ち震えていたり。。。

とにかく座る。これで劇的に改善したなんてことはありません。ただ少しずつ×の数が少なくなっていき、〇や◎の数が増えていきました。


あきらめずにカレンダーチェックを続ける
私の記憶が正しければ、2010年ごろには×が月5回くらいまで減っていました。その状態がずっと続くんですね。いくら少なくても月に3回は×があり、多いときは10回近くあったり、平均が5回くらい。

何年もそういう状態が続いたから、3年くらい前にもうカレンダーにチェックするのはやめようかと思ったんですよ。朝食のあとだけでなく毎食後にトイレに座る習慣はもう根付いていたし、昔に比べたらかなり出るようになった。もう付けなくてもいいのでは?

でもあきらめずに続けました。何より、カレンダーチェックを始めたときは「いつか×がゼロになる日が来ますように」と祈っていたのだから。

出すべきものを出さないと大腸がんになる可能性が高まるというし、少しでもそのリスクは減らしたほうがよかろうと続けました。子どもの頃から「統計を取る」のが好きな性格も幸いしたようです。ウンコのほかにも、両膝の半月板を損傷しているので、そのリハビリをしたらチェックを入れたり、筋トレをしたらチェック、スクワットをしたらチェック、などなど、私のカレンダーはチェックだらけです。

実家を出てからは毎朝ヨーグルトを食べるようにしました。そんなこんなで、ついに実現しました。

2005年から14年かかってついに月間の×がゼロ!!! ミッション・コンプリート!(危なかったのは先週の月曜日。夜初めて出たんですよね。あのときはもう必死でした)

継続は力なりとはよく言ったものです。これからもカレンダーチェックは続けますよ。何しろ×がゼロになっただけで、毎日◎になったわけじゃないですから。

次の目標は、とりあえず毎月×ゼロを続けていくこと。そのうえで毎日◎にすること。また14年かかるのか、それとも死ぬまで実現できないのか。

嗚呼、幼い頃にウンコを我慢さえしなければ……




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2019年06月12日

もう一週間ほど前ですけど、山本太郎のれいわ新選組に寄付しました。


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山本太郎がんばれ!
何しろいま日本で唯一まともな政治家ですからね。街頭で涙ぐみながら自殺者をなくしたいという演説にはこちらももらい泣きしそうになりました。

仄聞するところによると、ちょっと前の時点で1億6000万円以上集まってるとか。もっともっと集まるといいというか、一部の金持ちがドカンと何百万円も寄付してるというより、私みたいな貧困層の小市民が1000円だけとか5000円だけとか少額の寄付だけで全体の7割ほどを占めるそうです。

というか、相当な人数がれいわ新選組に寄付しているわけで、今回の参議院選挙では何がしかの風が吹くような……? というか吹いてもらわないと困る。老後のために2000万? アホか! とか言ってる間にまた公文書が消えてる。。。


懐かしいアイスバケツチャレンジ
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これはあの懐かしいアイスバケツチャレンジの一コマ。まだ東京にいたときだから5年ほど前かな。

最初は寄付をするか、したくなければ氷水をかぶる、という遊びだったのが、いつからか、氷水をかぶったうえで寄付する遊びに変わりました。

なぜこんな昔話をしたかというと、ちょうどこの頃はアメブロをやってまして、読者登録してくれていた人が、

「寄付はひっそりとやるもの。寄付したい人は声高に寄付をしたとか言ってはいけない」

みたいなことを言っていて、それは違う! と強く思ったのを思い出したからです。


3年前の熊本地震
あのときもそうでした。何百万も寄付した芸能人が「売名行為だ」などとバッシングを受けました。

そもそも売名かどうかわからないというのもありますが、仮に売名だとして、売名の何がいけないんでしょうか? 

そのお金で助かる人がいるのならそれでいいんじゃないですか? 何もせずに能書きばかり垂れてる奴よりよっぽど偉い。

逆に、有名人は「これだけの寄付をしました」と堂々と言ったほうがいいと思う。インフルエンサーなんだから寄付しようかどうしようかと躊躇してる人の背中を後押しすることもあるでしょう。

だから私もめちゃくちゃ微力ながら、先日、「れいわ新選組に寄付しました」とツイートしました。

「寄付はひっそりと」というか「善行は黙ってやってこそ」みたいな美徳が蔓延したことが今日の政治的災厄を招いたと言っても過言じゃないと思います。

正しいこと、善いことと信じてるなら堂々と声高に主張しましょう!






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2019年06月08日

ツイッターで知った若松英輔という批評家による『言葉の贈り物』というエッセイを読みました。


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中島らもの、物事を斜め上から捉えるひねくれたエッセイで育った者としてはあまり面白い本ではなかったんですが、「読まない本」というエッセイにだけは瞠目しました。

著者の父親はものすごい読書家だったそうですが、晩年は目を悪くしてしまい本が読めなくなった。読めないのに月に数万円ほど本を買ってくる。特に裕福なわけでもなく逆に資産を取り崩さないといけないくらいだったから、あまり本を買わないように説得した。

しかし何だかんだで説得は不成功に終わり、お父さんは死ぬまで本を買い続けたそうです。

いまはもう亡くなってしまった父親の数多くの「読めなかった本」を前に、著者は「たとえ読んでいなくとも、その本の存在が父に与えた影響は計り知れない」という結論に達します。

昔、横尾忠則さんも言ってました。「積ん読も立派な読書体験だ」と。それに異論はありませんが、若松さんのお父さんが読めないのに本を買い続けたのは「プライド」が大きく関係している気がします。


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去年の暮れに私の父が倒れ、診断の結果、認知症とそうでない境界線上にいると言われました。そこで長兄が『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』という本を読み、私たち弟たちに薦めてくれました。このたびようやく読めたんですが、この本の著者が再三再四にわたって主張するのは、

「認知症患者も一人の人間であり、何をするかわからないからといって柱に縛りつけたり、どうせわからないからと難しい話を最初から避けたり、記憶力の低下をなじったり、そういうプライドを踏みにじる行為をしてはいけない」

ということでした。

著者はまたこうも言います。

「最近は高齢になったら免許返納させることが唯一絶対の正義みたいになっている。でも、車が好きで苦労して試験に合格して晴れて免許が交付されたときの喜びや、家族を乗せて旅行に行った思い出など、免許を返納させることでその人の人生そのものを否定するかもしれないことは勘定に入れておいたほうがいい」


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よくテレビで、

「ブレーキを踏もうとしてアクセルを踏んでしまうような人は絶対に免許を返納すべきだけれど、言い方が問題。頭ごなしに返納しろと迫っても逆上するだけ」

といった指南がなされていますが、ちゃんと実践できているのかどうか。

若松英輔さんのお父さんは、おそらく読書家だったから、本が読めなくなったことでプライドがズタズタになったのでしょう。何とかプライドを保つために読めないとわかっていてもたくさん買い続けた。若松さんが説得しようとして逆上したとかそういう記述はないので、おそらくプライドを傷つけない上手な言い方をしたのでしょう。おかげでお金はたくさん使ったけれど「あのときあんな言い方をしなければよかった」という後悔はせずにすんだし、亡くなったお父さんも不愉快な思いをせずにすんだ。

3日前に安楽死のことを書きましたけど、消極的安楽死に「尊厳死」というものがあります。実際には延命措置をやめるなどのことですが、そういう物理的なことよりもまず、死を前にした人間のプライドを大事にすることが肝要ということに気づかされました。







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