聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

経済・政治・国際

成果主義とペットブーム

裁量労働制についてはデータがあまりに適切でないということで(適切でないどころか詐欺でしょう。あれで政権崩壊しないのが恐ろしい)内閣は引っ込めましたが、何で労働者を苦しめるような法律を作るのかまったく理解できないでいると、昨今のペットブームと結びつきました。


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裁量労働制って労働時間に関係なくあらかじめ労使の間で「これだけの仕事ができたらこれだけの給料を支払う」ということですよね。つまりは、もう結構前から経済界のみならず教育界などグローバル社会を席巻している「成果主義」が根っこにあるわけですな。

しかし、それなら「これだけの仕事」をこなせなかったら残業につぐ残業をせねばならないわけですよね。「残業の上限100時間」というアホみたいな案はそこから来ているのでしょう。

『アリとキリギリス』の童話では働き者として知られるアリさんですが、実際に働いているのは8割で残りの2割はぶらぶら遊んでいる、というのはつとに有名です。で、その2割を除いて残りの8割だけで働かせたらそのうちの2割が働かなくなってしまう、というのも有名な話ですね。

職場には仕事のできない人が必ずいます。それは裁量労働制になじむ業種・職種かどうかにかかわらず必ずいます。でも、仕事はできないけどあの人がいると場が明るくなる、とか、仕事はしないけどたまに錆びついて開かなくなった窓を怪力で開けてくれる、とか、その人を肴に悪口を言うことでストレスを発散できる、とか、そういう人たちでもいろんな役に立っているわけで、成果主義というのは「そういう人」を「無価値の人間」と見なすというまことに非情な考え方なわけです。

2割の仕事ができない人・しない人がいるから職場、ひいては社会というものは成り立っているわけで、それを否定したってアリと同じく新たな仕事しない人を生み出すだけでしょう。ニートって結局、成果主義を導入した当然の帰結だとも思うんですよね。

で、ニートは否定したい、生活保護を受けている人も否定したい、とにかく仕事を猛烈に頑張っている人間しか「人間」と認めないという世の中になってしまいました。

そこで世の人々が目をつけたのが、↓このような怠け者たちです。


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これはうちの実家の愛犬ですが、こいつだけは絶対に許せないと思うほど何の役にも立っていない。

しかしながら、犬や猫を飼ったことのある人なら誰でも思ったことあるでしょうけど「こいつみたいになれたらいいなぁ」と思うわけですよ。だって食って寝てればいいんですから。成果主義のおかげで疲弊した人ほどペットに感情移入し、そして癒されるのでしょう。

ペットブームの背景には、少子高齢化で独り身の老人が唯一の家族として飼う人が急増した、子どもがいないから代わりに動物をという人が増えた、というのもあるんでしょうけど「役に立たない人間」を人間扱いしない思想というのが根底にある気がしてなりません。


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こんなつぶらな瞳で見つめられたら……癒されない人なんかいないでしょう。
でも、あなたの職場の「できない君」にもこういう要素がひとつはあるはずなのです。



『人工知能は資本主義を終焉させるか』(齊藤元章の大きな誤り)

人工知能と経済学の関係を研究する経済学者の井上智洋さんと、スパコン・人工知能エンジン開発者の齊藤元章さんの対談本『人工知能は資本主義を終焉させるか 経済的特異点と社会的特異点』(PHP新書)を読みました。


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齊藤さんは何でもつい最近、東京地検特捜部に詐欺容疑で逮捕されたらしく(逮捕されたせいで『プロフェッショナル 仕事の流儀』が放送見送りになったのはこの人だったのかと初めて知りました)これはもしかすると齊藤さんの思想が原因の国策捜査なのかな、という気もします。

ことの真偽はまったくわかりませんが、この本は非常に面白いところとあまりにアホすぎるところの差が激しい珍本でした。

面白いと思ったところは、

・『21世紀の資本』のトマ・ピケティの「R>G」という不等式について
・安土桃山時代の日本の軍事力は世界最強だったこと
・累進課税と言いながら、超高額所得者は逆に税率が低くなる
・ベーシックインカムとヘリコプターマネー
・「人類補完計画」

人類補完計画は齊藤さんの計画ですが(『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングみたいなのを本当にやろうとしているようです。それも地球規模ではなく宇宙規模で)他はすべて井上さんが喋り手で齊藤さんが聞き手になっているときの話ばかり。

だから、井上さんの話は傾聴に値するのですが、齊藤さんの話には納得できませんでした。

人類補完計画だって、ブレイン・ブレイン・インターフェースといって、人間の脳と脳を直接つなぐことによって、すべての人類、宇宙に棲息するすべての知的生命体をひとつにつなぐことなんですが、そのことで私たちが得られる幸福度がどの程度のものかは知る由もありません。

脳と脳を直接つなぐことによって、うつ病の人がどれだけしんどい思いをしているか、ガンで苦しむ人がどれほどの痛みに耐えているか、歩けない人がどれほどの不自由を強いられているかを直接体感できるため他者への共感度が増す、というのはその通りでしょう。

しかし、脳と脳を直接つなぐのだから自分が考えていることが相手に筒抜けなわけですよね。いくら何でもそれは嫌です。ほとんどすべての人が嫌なんじゃないですかね。

だから、地球人すべての脳をひとつにつなぐよりも、隣の人の脳と自分の脳をつなぐことがまず難しいですよね。不可能では? 

スパコンと量子ニューラル・ネットワークというものを接続すれば、現在のスパコンが計算終了まで100億年かかる問題も瞬時に解決できてしまうという話があって、それ自体は面白い話ですが、人間は機械じゃないので「脳と脳を接続する」ことを嫌がる人のことを少しも考慮していないのはいかがなものでしょうか。

さらに、齊藤さんの夢は「地産地消・個産個消」らしく、地産地消はわかります。こういうのですよね。↓

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近代以前は自給自足の生活でしたが、それはたとえば100人の村があったらその100人ですべてを賄うやり方です。その100人はおそらく分業制だったはずで、絵のように刈り入れは女性がやって、男たちはその間に狩りに行くとか。

しかし、齊藤さんの提唱する「個産個消」というのは、まさに一個人ですべてを賄うやり方なんです。

「個産個消が可能になれば、誰にも頼る必要がなくなり、金銭も不要になるから犯罪も減るし、何より個性と創造性の爆発が期待できる」

うーん、、、本当に犯罪は減るのでしょうか。誰にも頼らなくて済むのでしょうか。

齊藤さんが忘れているのは、「隣の柿は赤く見える」ということです。

「自分に必要なものは自分ですべて賄えるのだから」と齊藤さんは言いますが、人間は必要じゃないものもほしがる生き物なんですよね。

「有名人のサイン」がいい例です。

あれは単なる「直筆の名前」にすぎません。何でそんなものがほしいの? と訊いてちゃんとした答えが返ってきた試しがありません。みんな「他人がほしがっているから、世間が価値があると言っているから」というただそれだけの理由で「自分もほしがっている」と勘違いしてしまうのです。

このようなことはコンピュータの世界に当てはめれば「バグ」に相当するんでしょうが、齊藤さんは「人間は常にバグを生み出し続ける生き物である」ということをすっかり失念しています。

お金のない世界はユートピアであるという主張には同意します。

しかし、そう主張していた人が詐欺を働いていたとして逮捕されました。

もし本当なら齊藤さん自身がバグだったわけだし、国策捜査としてハメられたのだとしたら、東京地検が、もっといえば日本という国家がバグです。

いずれにしても、「バグ」を生み出し続けるのが人の世であることは間違いなく、だから、やっぱり「人類補完計画」なんてアニメの中の夢物語にすぎないと思います。


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投票しなかった人間に政治を語る資格はないのか

ツイッターで、「いままでほとんど投票に行ったことがない」という小林よしのりに対して「投票しないのなら政治を語る資格などない」と言ってる人がいました。フォロワーさんのなかにも、「投票したからこれで政治を語る資格を得た」みたいなことを言ってた人がいました。

本当に「投票しないと政治を語る資格はない」んでしょうか?

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例えば、ある映画を見ていないのにあーだこーだと難癖をつけるのはダメでしょう。批判したいのなら見なきゃダメ。ある店の料理を云々したいのであれば、その店の料理を食べてから。これは当然の真理でしょう。

で、これらを敷衍して「投票しない(選挙に参加しない)人は政治を語る資格はない」ということになる、と人々は思っているわけですね。

これははたして真理なのでしょうか?

映画や料理は商品ですが、では、政治における商品とは何でしょうか。「商品」と言って悪ければ「政治活動によって生じた産物」としましょう。選挙は立法府の代表を選ぶのだから、選ばれた人たちによって作られる「法律」が政治的産物でしょう。

投票しなければ、悪法が作られ、施行されても文句を言う資格がないと。

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なるほど、確かにそう思えてしまいますが、私は違うと思います。

だって、法律を作るのは「当選した議員」だけですよ。ならば、落選した候補者に投票した人には政治を語る資格はないことになってしまいます。

いやいや、そういうことじゃなくて、投票というのは大事な政治活動なわけで国民の大切な権利、それを放棄したのであれば政治を語る資格はない。という人もいそうですが、これも私には疑問です。

じゃあ、大病を患い、頼れる人もいない独居老人は投票に行けなかったばかりに何も言えないんですか? 行けなかったと行かなかったは違う? それをどうやって区別するんでしょう。

革命を起こそうという人は、きちんと投票してから武装蜂起しなくちゃいけないんですか? そんなバカな。もしそれが正当な言説であれば、これまで世界中で起こった政治闘争はすべて不当になってしまいます。

言論の自由や結社・集会の自由というのは、誰にでも等しく認められているものであって、それは憲法に明記されているじゃないですか。「投票した者にだけ自由を与える」なんて少しも書かれていない。投票を呼び掛けた人の大半はアンチ安倍で護憲論者が大勢でしたが、こんな基本的な憲法の精神も理解できていないことに驚きます。特にこないだの衆議院選挙は憲法をめぐる選挙でもあったはずなのに。

投票しなかったら罰金とか言い出す人もいて、みんなどうしちゃったの、と。そんなの「投票ファッショ」以外の何物でもないのでは?

投票による政治参加をしなかった者は、政治について語る資格がない。どれだけひどい生活を強いられても、それは自己責任である。

暴飲暴食によって透析が必要になった人間は、自業自得だから健康保険を受けられないようにせよ。病状が悪化しようが死のうが自己責任である。


後者はもちろん、あの長谷川豊の言葉ですが、この二つがどう違うのか私にはまったくわからないのです。



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