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2019年07月19日

京都アニメーションのスタジオが放火されて、33人もの方が亡くなってしまった事件。痛ましすぎるし、私も京アニ作品のファンなので何ともやりきれない。犯人はまだはっきりしませんが、もともと110番されるような人間らしく、悪意と被害妄想がないまぜになってやってしまったのでしょう。万死に値しますね。

日本だけでなく世界中にファンが多いから、お悔やみの声が届くだけでなく、募金活動もされているとか。友人が東京のアニメ製作会社で働いているんですが、劣悪な労働環境で知られるアニメ業界では珍しく「京アニは職場環境がとてもいい」と言っていました。

職場環境としても申し分ないし、作っている作品も良質なものばかり。何でそんな会社やそこで働いている人たちが狂人の標的にされないといけないのか! 

と激怒するのがごく普通の感覚だと思うんですが、それに水を差すツイートを見ました。



うん、確かにその通り。でも私はこういう非の打ちどころのない正論というか政治的に正しい意見というやつが大嫌いでして。相田みつをと同じ匂いを感じてしまいます。

自分が大好きな作品を作っている人たちが大勢殺された。それについて「何であんな素敵な作品を作る人たちが……」という気持ちが芽生えるのってごく普通だと思うんですよ。事件が起きたばかりのときにそこに水を差すのってどうなんだろう、と。


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こんなかわいい赤ちゃんを殺す親が後を絶ちませんが、ニュースを見るたびに「こんな何の罪もない赤ちゃんを殺すなんて」って思いますよね。

でも、「無辜の赤ん坊も平凡な大人もどちらの命も奪われてはいけない」なんて言う人いませんよね。赤ん坊を殺した人間への怒りであふれ返るだけです。無辜の赤ん坊より平凡な大人のほうが生産性とやらが高いからでしょう。何の役にも立ってない無辜の赤ん坊を、少しは社会に貢献している平凡な大人と同列に扱うのは政治的に正しくないからなのでしょう。京アニの事件とは真逆のケースですね。

逆に……


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これら多数の被害者を出した悪人たちが死刑に処せられても「彼らだって同じ人間なのだから同じ命」とは誰も言いませんよね。こちらは政治的に正しいのに、なぜ?

反論の余地があるからです。あんな悪人と無辜の人間を同じにするな! などと反駁される。ひどければ炎上でしょう。

そうです。私が非の打ちどころのない正論が嫌いなのは、絶対に反論される可能性がない安全地帯から発言しているからです。

意図的に計算しているとは思いません。無意識の計算でしょう。でも無意識だからこそよけいタチが悪いと思います。

いまは「素敵な作品を作る人たちを大勢殺すなんて絶対許せない!」と叫んでいいし、叫ぶべきです。





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2019年06月30日

ちょっと前から話題の絶えない吉本芸人の「闇営業問題」。

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このことについて、「選挙前なのに何で芸人が事務所を通さず営業していたことばかり取り上げるんだ」という声があり、それはそれで理解できるものの、これは日本社会全体の問題だと思うため、やはり取り上げるべきだろうというのが私の考えです。

闇営業というとそれだけで何か問題があるみたいですけど、別の言葉で言えば「直営業」らしく、要は所属している会社を通さなかった、というだけの話。だから闇営業と反社会的勢力との接触とは分けて考えないといけないはず。ただ、事務所を通さなかったとなると脱税のおそれもあるわけですが。(吉本は常に10%の源泉徴収を取るとロザン宇治原とピース又吉が言ってました)

さて、ここへきて、スリムクラブの二人が暴力団関係者の誕生会に出席していたことが明るみになり、無期限の契約解除と相成りました。ただ、この二人は直接営業して取ってきた仕事というより、他の芸人仲間の紹介で、ということらしい。紹介ならいいわけじゃないし、その筋の人ならすぐわかるはずだけど、ただ、はたしてその筋の人から仕事を頼まれて断れるのか、どうか。

ホリエモンは、飲みの席などでその筋の人から呼ばれそうになったらすぐ逃げるそうです。芸人なんかより自分のほうがもっと金になるからウハウハだろう、と。逃げ方をいろんな人に教えてあげたらどうでしょう。

それはともかく、宮迫や田村亮など「金銭の授受はなかった」とウソを言った人たちや、金銭を受け取っていたといきなり報じられたスリムクラブなど、みんな断ろうと思えば断れた状況だったんでしょうか。

まぁ、カラテカの入江などは、目の前に現金で100万円ポンと置かれて、それで引き受けたというのだから、「おいしい仕事」という認識しかなかった可能性のほうが高いですが、問題はなぜこういう問題が起こったか、です。


1992年の暴力団対策法、通称「暴対法」
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さんまは、「もし入江から頼まれてたら絶対行ってたと思う」と話したそうです。「世話になってるから」と。「若い奴らはギャラが安くて困ってんねん。もっと俺が会社と交渉してやらなあかんかった」みたいなことも言ってるらしい。
それはビートたけしも同じで、「闇営業をしないと食えないというのがそもそもおかしい」と。

じゃあ、吉本興業という会社だけの問題かというとそうではなく、それもありますが、やはり1992年施行の暴力団対策法がここにきてかなり社会をシロアリのように崩してきているような気がします。

↓元検事の人が書いたこんな記事を読みました。↓

「スリムクラブら闇営業で処分の訳 骨までしゃぶり尽くす反社会的勢力の恐ろしさ」
 
テレビではしきりと「反社会的勢力」と言ってますが、要はやくざでしょ? やくざとの付き合いは絶て、と。やくざを社会から完全に排除しなきゃ、という主張は筋が通っているように見えて、かなり危険じゃないかと思います。


昔のやくざは……
かつて撮影所で働いていたころ、大先輩からこんな話を聞きました。

「喫茶店でやくざと喧嘩になった。俺らが勝った」
「勝ったって下手したら殺されてたでしょう」
「いやいや、昔のやくざは堅気の人間にドスを抜くような真似は絶対しなかった」

まだまだ昭和の中頃の話なので、牧歌的ですね。ただ、そういうもんだったらしいです。でも、いまのやくざは平気で堅気の人間を殺したり、生かさぬように殺さぬように利用したりする。

それはやはり暴対法と、2011年までにすべての都道府県で施行されたという暴力団排除条例のせいじゃないでしょうか。

ちょっと前に市役所でバイトをしていた時期があって、役所は何でもかんでも金の使い道は入札で決めないといけないのですが、入札希望の企業からの申込書類が一通りそろっているかを審査する仕事でした。

その中に「うちの会社は反社会的勢力との付き合いはいっさいありません」という宣誓書みたいなのがあって、これがなかったら入札させてもらえない。だからいろんな企業がやくざとの関係を絶った。社会から排除した。


やくざと芸人の相似形
普通のしのぎでは食っていけない。そのへんのことは『ヤクザと憲法』という映画にも詳しいですし、やくざを辞めた人たち、いわゆる「ヤメ暴」の人たちの苦労は、去年テレビドキュメンタリーとして放映されました。その番組の感想はこちら⇒「『ヤメ暴 ~漂流する暴力団離脱者たち~』を見て思ったこと」

排除するだけで受け容れないから、いわゆる半グレ集団と化し、やくざの手足となって稼いでいる。いま知ったんですが、半グレ集団は暴対法の規制を受けずにすむらしく、だからやくざは彼らを頼っている、と。

食うに困って、年寄りを騙す振り込め詐欺に精を出す。
食うに困って、闇営業で反社会的勢力からの依頼を受ける。


この二つは完全に相似形をなしています。そして、世間の要請を受けた警察がやくざを排除したのと同じく、現在、これまた世間体を鑑みた吉本興業が芸人たちの契約解除や無期限謹慎など「排除」の方向に突っ走ろうとしている。

同じことの繰り返しというか、排除された入江や宮迫などが、もう自分自身が反社会的勢力になるしか道がないとなったら、やくざの勢力が拡大してしまいます。(もしかすると、金以外にそれも狙いにあるんじゃないですかね? まだまだネタをもっていると笑っているらしいし)

上記の『ヤメ暴』の感想にも書いたように、排除するだけで再び社会に受け容れることをしなければ、どんどん地下に潜って悪行のかぎりを尽くすだけ。判断能力が低下した年寄りから金を巻き上げるより、商店街がみかじめ料払ったり会社が総会屋に金払ってたときのほうがよっぽどよかったのでは?

まだあのときはやくざが自分の体を張っていたけど、いまは表に出てこない。振り込め詐欺でも逮捕されるのは末端のバイト感覚でやってる若い人たちばかり。

少なくとも、別の事務所などが手を差し伸べてセカンドチャンスを与えてあげてほしいし、世間もそれを許容すべきと考えます。




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2019年05月29日

川崎市登戸で51歳の男に18人もの子どもたちが刺され、39歳の保護者を含む2人が殺されるという痛ましすぎる事件が起きました。


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またか、という思いとともにすぐ自害して果てた犯人への強い憤りを禁じえませんでした。私もご多分に漏れず「死ぬなら一人で死ね」と思いました。が、それに対して「そういう言葉は控えるべきだ」という人が現れ、賛同する人もいるようです。


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はああああああ!? まったく意味がわからない。


当事者でない者の感情論がなぜダメなのか
賛同する人たちの中には「感情論でこの事件を裁いてはいけない」と言ってる人もいるようですが、無辜の幼い人間たちが一方的に殺傷された事件について何で感情論でものを言っちゃダメなのか少しもわからない。

「被害者の親じゃないんだから」という意見も見ましたが、当事者じゃないとダメなの? それは絶対におかしい。

先日、北方領土問題に関して、「戦争しないとどうにもならないんじゃないですか?」と島民に発言した丸山穂高が日本中から非難を浴びて日本維新の会から除名されました。いま日本人で戦争の当事者になった人はほとんどいません。日本人が「戦争には何が何でも反対する」と表明してはいけないんですか? まさか! 


上から目線
藤田孝典さんの「一人で死ねは控えてほしい。次の凶行を生まないために」という言葉にすごく反発してしまうもっと大きな理由は「上から目線」じゃないでしょうか。

私はある慈善団体にめちゃくちゃ少額ですが寄付しています。日本円では少額でも、アフリカでは結構な量の子どもの食糧やワクチンが買えるそうです。寄付しているといっても私も貧困層の一人。ですがアフリカの子どもから見れば富裕層。だから寄付という行為は「上から目線」以外の何ものでもありません。

が、金で解決できる問題なら上から目線でいいとしても、人間の尊厳をめぐるときに上から目線はいかがなものかと思います。藤田さんの言うことは頭では理解できます。社会をよりよくしたいという思いから出た言葉なのもわかります。でも腹にストンと落ちてこない。それはやっぱり「上から目線」だからだと思う。

私はかつて自殺を図りましたが、周りからえらく叱られました。甘い言葉をささやく人間など一人もいなかった。あのときの私は職場など周囲の人間たちを恨み、自分を悲劇の主人公だと思っていました。親兄弟、友人たちはそんな私の甘さを叱責しました。手を差し伸べてなどくれなかった。あのときの私はそれを恨んだりもしましたが、いまはそれでよかったと思っています。

中でも印象的だったのは、ある友人の言葉です。

「手首を切るなんて助かる可能性のある方法をなぜ選んだのか。ビルから飛び降りれば確実に死ねるじゃないか。なぜおまえはそうしなかったのか」

これは今回の事件における「死にたかったら一人で死ね」と同じですね。でもその友人は私をあえて突き放したのです。「何かおまえのためにできることはないか。手を差し伸べてあげよう」なんて甘い言葉は言わなかった。


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人と人が真正面から向き合うとはそういうことでしょう。上から目線で死にたい人を救うことはできない。


蛇足
よくラッシュアワーに鉄道自殺が起こって電車が止まることがあります。あれについて「もっと人のことを考えろよ!」という言葉を頻繁に見かけますが、あれには同意できません。死のうとしている人間に、電車に飛び込んだら通勤客にどういう影響が出るかという想像はできません。なぜなら間接的な被害だから。でも、他人を殺傷するのは直接的な行為なのだから、その程度のことがダメなことぐらいいくら何でもわかるはず。

死にたい、自暴自棄、そういう気持ちに私は深く共感します。でも、死ぬなら一人で死ぬべきです。





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