聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

テレビ

貴闘力がワイドナショーで復活!?

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今日の『ワイドナショー』を見ていたら、最後に松本が「あれ? 今日は貴闘力さんは? レギュラーやのに」と冗句を言ってましたが、フジテレビは本気で1コーナーだけのゲストではなくメインコメンテーターとして出演交渉をしていると。

いいですねぇ。だって、あの昭和の大横綱・千代の富士を引退に追いやった男ですよ。


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あのとき、千代の富士は初日に確か貴乃花と当たって負けたんですよね。で、2日目に板井と当たって勝ち、まだ行けるかと思ったら3日目貴闘力に負けて、あの有名な「体力の限界! 気力もなくなり・・・」という引退会見と相成りました。

形としては貴闘力が引導を渡したんですが、実質的には初日の貴乃花に負けたときに「もう俺の時代は終わった」と思ってたはず、と当時は誰もが言っていました。

だから、そんな心境の千代の富士に2日目で負けた板井の立場がないなぁ、と当時思ったことを鮮明に憶えています。

板井とはこんな力士↓


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閑話休題。

貴闘力は賭博問題でクビになり、いまはただの焼肉屋のオーナーみたいですが。それでも大鵬の娘との間に子どもをもうけてその子が角界入りしているし、角界の事情通として3週連続してワイドナショーに出演。二言目には「江戸時代では・・・」と江戸時代の例を出して解説するのが得意スタイル。

政治でも芸能ネタでも「江戸時代では・・・」で行くのか。とにかく貴闘力自体が面白いうえに、とってもチャーミング。ウソの言えない人柄が滲み出てますよね。それに松本がやたらいじりたくてしょうがないみたいなので、これは楽しみ。早速来週出てもらいたいもんです。

それか、相撲協会がまた不祥事を起こすとか。(笑)






黒塗りはなぜいけないのか(『トロピック・サンダー』との決定的な違い)

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『ガキの使いやあらへんで』で浜田がエディ・マーフィの物まねと称して顔面を黒塗りしていた問題。世界中で非難の嵐なのに今日の『ワイドナショー』でも、

「差別の意図はなかった」
「お笑いがどんどんつまらなくなる」

などの頓珍漢なコメントばかりだったのが残念です。

差別を考えるときに大事なのは、「宿命」と「運命」ということだと思うんですよね。

この二つがどう違うかについては、私はいつも伝説の雀鬼・桜井章一さんの定義を参考にしているんですが、

「宿命」とは「本人の意思では変えられないこと」
「運命」とは「本人の意思で変えられること」


ということになります。

だから、自分の親がどういう人間とか、どこで生まれたとか、自分の名前とか、性別、遺伝的な疾患、そして肌の色などは「宿命」です。

これに対して、同じ名前でもハンドルネームやペンネームは「運命」の範疇ですし、どういう仕事に就いて、どこに住んで、誰と結婚するか、などもすべて「運命」です。

差別というのは、「宿命」を茶化すことだと思うんですよ。

エディ・マーフィの物まねと称して顔を黒く塗る。差別の意図はなかったというのはおそらく嘘ではないのでしょう。でも、あれを見た黒人たちは不快になる。それは浜田が黒い肌に生まれた人の「宿命」を背負ってはいないからです。撮影が終わればすぐに元の肌に戻せるのだから。



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もう10年近く前、『トロピックサンダー/史上最大の作戦』という映画がありました。ロバート・ダウニーjrが演じた狂気の役者は、黒人の役を演じるにあたり、黒塗りではなく手術によって本当に肌を黒くしてしまいました。

この映画が『ガキ使』のような非難を浴びなかったのは、黒塗りじゃなかったからだと思います。そりゃま、実際は黒く塗ってるだけですけども、あくまでもお話の中では肌そのものを黒くした、つまり、黒人の宿命を背負った役どころです。

手術で変えられたということは手術で元に戻せるということでもありますが、単に肌を黒く塗るのとでは覚悟のあり方にあまりの差があります。

見た目を黒人に似せるなら、黒人と同じ「宿命」を引き受けるぐらいの覚悟をせねばならない。

黒人たちが肌の色を理由に理不尽な扱いを受け続けているのは「宿命」の範疇の問題ですが、今回、浜田らが非難されたのはただの「運命」の問題です。

運命ならば変えることができるのだから、これを機に考え方を改めたほうがいいと思います。


『アンナチュラル』(遺体に麻酔をする解剖医ドラマが見たい!)

解剖する際には遺体に麻酔注射を打つそうです。そうしないと痛みのあまり遺体が暴れ出すから。


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昨日始まった、『逃げ恥』『アイアムアヒーロー』の野木亜紀子さんの新作『アンナチュラル』を見始めて、「遺体に麻酔を打ってないなぁ」とガッカリしたのです。

以下は、解剖学者・養老孟司先生の話からの受け売りですが、
なぜ遺体が暴れ出すかというと、医者が死亡診断書を書いたからといって「その人はまだ死んでいない」からです。

心臓死、場合によっては脳死の時点で「この人は死んだ」と法律的には決められてしまいますが、実は死んではいないのです。死んでいるのなら暴れ出すはずがありません。

心臓が死んで血液を送られなくなっても、当の心臓だって組織として死んだだけであって心臓を構成している細胞がいっせいに死ぬわけではありません。体じゅうすべての細胞がそうです。少しずつ少しずつ死んでいくのです。だから解剖の際、生き残っている痛覚神経と筋細胞が連動して暴れ出すのです。

じゃあ、その人はいつ死んだと言えるのか。

それは人間には永久にわからないそうです。
死体を野ざらしにしておいて、野鳥がついばんだり、微生物が少しずつ分解していき、もう細胞なんか残ってないだろうという状態になったとしても「死んだ」とは言えないそうです。

心臓死などの概念は明治維新で欧米の法哲学が輸入されたときに日本に入ってきましたが、それ以前は「その人がいつ死んだかはわからない」のが常識だったとか。

だから、江戸時代の解剖学者・杉田玄白らが解剖するのを許されたのは処刑が言い渡された罪人だけだった。普通の死人だと死んでいるかどうかわからない。解剖した杉田玄白が殺したことになる可能性もある。それを避けるために死刑になった人だけ解剖を許された。どっちみち死ななければいけない人なのだから解剖してよろしいということだったそうです。

つまり、解剖を主題にするなら、「死」とは何ぞや、「命」とは何ぞや、というところに切り込んでほしいということです。このドラマでは、医師が死亡確認したときを「死」だと、まるで自明の理であるかのように扱っていますが、これまで3000体、1500体もの遺体を解剖してきた人間なら、「死とは何ぞや」という哲学的な問いと向き合わざるをえないと思うんです。

かつてそういう脚本を書こうとして頓挫した人間が言うのもおこがましいですが、あの野木亜紀子さんが解剖をテーマに、それもこれまでと違って原作のないオリジナルで、と聞いたときは、ついにそういうドラマが見れるのでは? と期待しました。しかし最初のシーンで麻酔が省略されていたのでガッカリ拍子抜けでした。

確かに、麻酔を打つ描写を入れただけで違う話になってしまうでしょう。本当の死因は何か、本当に悪いのは誰なのかという『アンナチュラル』の眼目は失われてしまうでしょう。

しかし、それでは殺人犯を追いかける刑事ドラマと何が違うのかわからない。調べる主体が刑事から解剖医に変わっただけという印象は否定できません。

石原さとみの秘密は一家心中事件の生き残りだったようで、刑事ドラマ的なものでした。
井浦新の秘密の課外活動は何でしょうか。「赤い金魚」とは何なのか。そこに私の期待するものがあるのかもしれません。

が、「遺体に麻酔」を省略している以上、あまり期待できそうにありません。


ベッキーへのタイキックで明らかになった「本ゲス」の正体

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『ガキの使いやあらへんで』で、ベッキーが「禊」と称してタイキックを見舞われたのが物議を醸しています。

かわいそう、いくら何でもやりすぎ、との声が上がっているそうで、それも当然でしょう。あれは集団リンチというよりほとんどレイプです。

しかしながら、いくら何でも「不倫した女なのだから何やってもいい」と考えていたわけではないと思います。

ベッキーが何も知らされていなかったとしたら犯罪ですが、それはないでしょう。

とすれば、問題は、あの場にいた芸人でも番組制作者でももちろんベッキーでもなく、ベッキー劇場を楽しんでいた人たちではないでしょうか。



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今回、ベッキー側に立って非難している人たちが、ゲス不倫騒動のときにどういう発言をしていたのかは正確にはわかりません。

ただ、普通に考えて、ゲス不倫騒動のときにベッキーを非難していた人たちが今回のタイキックを非難しているような気がしてならない。

つまり、彼らは「非難できるネタ」が見つかれば炎上騒ぎに加担して楽しむだけの「本当のゲス(以下「本ゲス」)なのです。

だって、あれだけ日本中がベッキーを非難していたのに、今度はベッキーを擁護するほうが圧倒的というのは、どう考えてもおかしい。自殺に追い込まれるんじゃないかとまで心配されたほどの非難があったわけだから、普通ならいまごろ、

「これでようやくベッキーも禊がすんだな」
「あれだけ痛い思いをしたんだから復帰してもいい」
「あれではまだまだ足りないと思う」

というような声があふれてないとおかしいでしょう?

番組製作者たちとベッキーは、非難の祭りに参加したい昨今の「本ゲス」たちの心理を逆手に取ったのだと思われます。

レイプにも見えかねない暴力をベッキーに振るえばベッキー擁護の声が高まるだろう、そうすればベッキーが本当にテレビに復帰できる。

逆にいえば、あんなひどいことを自分たちでやらないかぎりベッキーの真の復帰はない。

ベッキーを本当にレイプしたのは、つまり「本ゲス」は誰なのでしょうか?


関連記事
『人はなぜ不倫をするのか』(学校化するニッポン)


『ホンマでっかTV』モテ仕草に見るタテ社会ニッポンの実相

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昨日の『ホンマでっか!? TV』のモテ仕草コーナーに中島健人というジャニーズの人が出てきて、そのモテ仕草がすごいと大反響になっていましたが、モテ仕草そのものはどうでもよくって、最後の「母親の年齢は?」と訊かれて「いくら母親でも年齢は……」と答えなかったことがマツコなどタレントだけでなく、中野信子さんなど学者連にも絶賛されていたことにどうしようもなく違和感を覚えました。

2,3年前のあるテレビ番組で、日本人は「若く見える」というと異常に喜ぶが外国人は怒る、という特集をやっていました。


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実際、街角でどう見ても40代以上の女性に「ティーンエイジャーに見えますね」というと、相好を崩して照れまくるんですね。嘘とわかっていてもうれしいらしい。

逆に、外国人の27歳の女性に「ティーンエイジャーに見えますね」というと、それまで笑顔で挨拶していた彼女はとたんに激怒して「いったい何を言っているの、失礼ね!」と去って行きました。

外国人は歳相応に見られるのを良しとする、というのは聞いたことがあるけれど、あそこまで激怒するとは驚きでした。

日本人は若さに価値を置きすぎなんですよ。だから年齢を聞くのは失礼とか、聞かれても言わないのが美徳みたいなことになってしまう。

長く生きてるほうが偉いに決まってるじゃないかと思うんですけど、このような考え方も諸刃の剣のような気がします。



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日本は極端なタテ社会といわれます。
会社でもそうだし、学校の部活がそうですよね。何で一年早く生まれただけでそんなに偉そうなのかと、先輩の理不尽な物言いに一切聞く耳を貸さなかった私は「生意気だ」と嫌われまくってましたが、若さに価値を置く一方で、年長者に敬意を払えと。

でもこれはおそらく表裏一体なのでしょう。

若さに価値を置いているから、自分にはない若さをもっている後輩に嫉妬してガミガミ言うんじゃないの? 

部活で上下関係が激しいのも、文化系より体育会系のほうがより顕著なことに、なるほどとうなずいてしまいます。だって、スポーツでは本当に「若さに価値がある」から。

とはいえ、ほとんどのスポーツでは、「もう若くはないけど、いまの自分の強みは経験です」という選手は数多い。

歳を取ることは、何かを失い、同時に何かを得ること。と考えれば、若さだけに価値を置くことのナンセンスさが浮き彫りになるはず。

日本はいつになったら「歳相応」が当たり前の社会になるのでしょうか。

もしそれが実現したら、悪質な後輩いじめも同時になくなるのでは? と夢想するんですがね。

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