聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

テレビ

『スパイダーマン:スパイダーバース』(垂直ヴィジュアルの妙味)

アニー賞を獲ったとかアカデミー賞を獲ったとか、それだけの理由で見に行ったのでどんなお話なのかまったく知らず、そのためにあまり乗れなかった『スパイダーマン:スパイダーバース』。

話には乗れなかったけど、存分に楽しみました。

まず、ピーター・パーカーの語りから始まって、すぐマイルスという少年に話の焦点が移り、いったいどっちの話なのかと思っているとピーター・パーカーが死んでしまう。なるほど、『エグゼクティブ・デシジョン』みたいなのを狙ったのかな、と思っていたらば、何とピーター・B・パーカーというスパイダーマンが出てきて、このあたり乗れませんでした。中盤で、並行世界のスパイダーマンが集結しているというのがわかって、あ、なるほど、そういう世界観なのね、とは思ったものの、前半で乗れなかったツケで物語には最後まで乗れませんでした。というか、あまり大した話じゃなかったような……?

それよりも「垂直方向を意識したアクション」がとても気に入りました。

こんなのとか、
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こんなのとか、
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こんなのも。
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何か似たようなアングルばかりですが、ほしい画像が見つからなくて。

サム・ライミの『スパイダーマン』シリーズがどうだったか定かには憶えていないんですが(『アメイジング・スパイダーマン』にいたっては1本も見てません)この『スパイダーマン:スパイダーバース』はアクションも垂直方向なら、人物の配置もできるだけ垂直の関係になるように設計されています。

ある高名な脚本家から教わった大切なことのひとつに「垂直方向のアクションを意識せよ」というのがあって、この映画はまさにそれを実践しているとうれしくなりました。

壁に張り付いた状態で会話するシーンがたくさんありましたけど、絶対に人物を水平方向に並べず、垂直の関係においていました。だからカットバックするには、思いきり仰角か思いきり俯瞰か、ということになる。ビジュアルがとてもよかった。

先月公開された『アクアマン』。あれは水中ばかりだから仕方ないのかもしれないけれど、水平方向の人物配置やアクションになっていましたよね。

こんなのとか、
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こんなの。
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話を『スパイダーマン:スパイダーバース』に戻すと、玉に傷なのが、大乱闘になると、いったい何が起こっているのかよくわからなくなること。私は70年代のアメリカ製アクション映画が大好きなんですが、あの頃の映画ってちゃんと何が起こっているかはっきり見せていたしいまの映画に比べたらゆっくりしたアクションだけれど、それで充分だった。いまのアクション映画は見せ方が派手すぎて好きになれません。

とはいえ、「垂直」を常に意識したこの『スパイダーマン:スパイダーバース』は超美味な映画でございましたことよ。


アート・オブ・スパイダーマン:スパイダーバース (SPACE SHOWER BOOKS)
ラミン・ザヘッド
スペースシャワーネットワーク
2019-03-01



クローズアップ現代+「個人情報格付け社会」に唖然呆然

クローズアップ現代+「個人情報格付け社会 ~恋も金回りもスコア次第!?~」を見て衝撃を受けました。


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中国のオンライン・マーケット最大手アリババが、学歴、勤務先、年収、預金残高、購入履歴、ローンの返済具合、健康状態などを勘案してAIによって点数を弾き出し、それがその人の信用度スコアとなるそうです。

その点数をもとに結婚相手を探す人もいれば、家賃無料で豪勢な暮らしを享受できる人もいるとか。


直感的にイヤ!
昔、タイトルを忘れてしまいましたが、確か小山ゆうのマンガで、一人一人のIQがその人の額に刻印されてしまい、IQが低い人は殺してもかまわないとかそんな設定の物語がありました。中国ではもはやそれが現実になっているのですね。IQに代わる「信用度」というスコアによって。

企業や大学の格付けだって見るの嫌なのに、人間を格付けするなんてありえない。でも中国人はその点数は客観的なデータに基づくものだから信用しているそうです。笑えない。


長年の友人を切る!?
しかも、借金を返さないなど友人に信用度が低い人がいると自分のスコアも下がってしまうらしく、昔からの友人を切る人も続出しているとか。インタビューアーが「いいんですか?」と訊いても「もちろんです。自分のスコアが下がるほうが嫌ですから」って、え、マジで?

日本でもこの信用格付けという考え方が金融業でも取り入れられているとか。
ある人は、AIから毎日8000歩の散歩をするよう命じられ、それをこなしていくとスコアが上がり、低い金利でお金を借りられるようになる。カードローン地獄にはまっていたその人はそれによって借金完済できたらしく、そういう使い方ならいいかもと思うのですが、いや待てよ、と。みんな何かAIの奴隷になってしまってない?


奴隷の奴隷
ハイデガーだったでしょうか。「奴隷の奴隷」という概念を提示した哲学者がいます。
主人は奴隷をいくらでもこき使える。だから主人は何でも奴隷にやらせる。しかし、そのことによって逆にその主人は奴隷なしには生きられなくなる。主人は「奴隷の奴隷」になり、奴隷は「主人の主人」になる、という面白い考え方です。

中国人も一部の日本人もいまやAIという、本来は人間の道具にすぎない物の奴隷になってしまっているのですね。AIに気に入られるように日々の生活を生きている。


国家に都合のいい人間になりたいですか?
実際、中国では、駐輪禁止区域に駐輪したら監視カメラがすべて見ているのでスコアが下がるとか。環境にやさしい行動を取るとスコアが上がる。

それならいいじゃないという声が聞こえてきそうですが、しかし、何が環境にやさしいかというのは科学の問題というよりはいまや「政治」の問題ですし、すべてAIが見ているから道徳的に悪いことをしたらスコアが下がるのはいいことというのも違う気がします。

AIは人工知能と言いますが、現時点でのAIは自分で考えることができません。開発者が作ったフレームの中でしか考えられない。とすれば、アリババという超巨大企業が何が正しいかを決めているわけです。そしてそのような巨大企業は100%中央政府と結託している。つまり、国家にとって都合のいい人間が生み出されているだけです。なぜそこに気づかないのか。AIの奴隷になることを通して、最終的に国家の奴隷になることを求められているのに。

日本でこの技術がどのように活かされるか、という締めで番組は終わりましたが、道徳を教科とし、点数をつけるようになってしまったこの国でも早晩同じような状況になるような気がしないでもありませんが、日本人だけは違うんじゃないかという淡い希望ももっています。

どうなりますやら。



ゆっくり喋る真木よう子の滑舌に秘密 『よつば銀行 原島浩美がモノ申す!』

すでに3話を終えた真木よう子復活作の『よつば銀行 原島浩美がモノ申す! ~この女に賭けろ~』。

ちょっとタイトルが長すぎますね。原作タイトルは『この女に賭けろ』らしいですが、『よつば銀行 原島浩美がモノ申す!』だけでいいと思うし、主人公の名前をタイトルに冠するならもっとインパクトのある名前に変えたほうがよかった。

とはいえ、内容はとても面白い。

私は、真木よう子の喋り方にその秘密があると思います。


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あまりに高いハードル
この物語で原島浩美が跳ぶように設定されたハードルはあまりに高い。頭取を追い落とそうとする副頭取と過去の因縁があって会社を追い出されそうになっているという設定。頭取だって別に味方じゃないし、敵の敵は味方というだけで第2話では援護射撃してくれましたが、結局それだけの関係でしかない。

副頭取の横槍は威力絶大だし、支店長も誰も味方しれくれない。孤立無援の主人公はほとんど「偶然」で勝利を手にしてきました。

第1話では、ある会社の社長子息が原島浩美と同様、美術に造詣が深いというのが功を奏しただけですし、第2話では頭取派の矢島健一が柳葉を撃ち落とそうと頭取に入れ知恵してくれなかったらあの時点で話は終わり。

昨日の第3話では菅原大吉が自腹を切ってくれなかったら、奥さんがさばけた人じゃなかったらジ・エンドでした。

やはりハードルが高すぎるのだと思います。

じゃあ、つまらないのかと問われたら「面白い!」と答えます。
それはまず西田征史さんの作劇のうまさですね。最後は絶対勝つとわかってるんだけど、そこに至るまでの構成が手堅いのでまったく退屈しない。プロの技だと思います。さすがは『半分の月がのぼる空』『ガチ☆ボーイ』『小野寺の弟・小野寺の姉』を手がけた方だと感服します。

でも、私が考えるこのドラマの勝因は下記です。


ゆっくり喋る真木よう子
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丸山隆平がお約束通りいつも原島浩美の手伝いをさせられますが、彼だって半分以上自発的に手伝っている。菅原大吉だってそうでしょう。

確か第1話でしたか、丸山隆平が「あの人には人を巻き込む力がある」みたいなことを言ってましたが、それは本当に感じます。

なぜそう感じるか。

その理由こそ、真木よう子のゆっくりした喋り方なのではないかと。

キャピキャピした女の子が周りを巻き込んでもあまり面白くないですよね。特に「ドラマBiz」というサラリーマン向けの枠でやるような主人公の設定ではない。

真木よう子はもともと滑舌のいい役者だから早口でもはっきり発音できるんですが、このドラマでは完全に意図的にゆっくり喋っています。

ずっと前の『ホンマでっか!? TV』で言ってましたが、

「滔々とよどみなく喋る人は信用されない。訥々と喋る人のほうがかえって信用される」

そう。真木よう子は実際には訥々とは喋っていないけれども、とてもゆっくりなので訥々した感じに聞こえる。それで周りからの信用を得ているのでしょう。この人なら巻き込まれてもいい、いや、自分から何か手伝おうと思わせるものがある。

周りが手を貸すから原島浩美は連戦連勝なわけですが、その理由が理屈じゃなく腹に落ちてくるものだから面白いのでしょう。

脚本内に設定されたハードルを脚本家が簡単に跳べるよう細工したらまったく面白くありませんが、脚本とは関係ないところで跳べる工夫をしてるんですね。だから高すぎるハードルを楽々と跳び越えても面白い。

あの異様なまでにゆっくりした喋り方は、西田征史さんが台本にあらかじめ書いたものなのか、それとも原作に書いてあるのか、現場で監督がそういう芝居をつけたのか、はたまた真木よう子の発案によるものか。

気になりますが、それは大きな問題ではないのでしょう。

第2話で原島浩美が言っていたように「誰の手柄でも同じではありませんか?」。ドラマ作りはチームワークですから!





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