聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

テレビ

『義母と娘のブルース』②残念な転回

前回までかなり面白かった『義母と娘のブルース』。昨日の第6話から夫の竹野内豊が死んで、本当に「義母と娘」の物語となったわけですが、これが非常に残念な転回でした。

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「義母と娘のブルース」にあらず
9年のときがたち、二人の間に何か新しい葛藤が芽生えるのかと思ったら何もなし。
「趣味なし、男なし、休みなしのキャリアウーマンの貯金」とデイトレーダーを片手間にやって稼いだ金だけで義理の娘を育て上げた綾瀬はるかの悩みは、娘の進学と自分の仕事のことだけ。母親の背中を見て育った娘は「デイトレーダーになりたい」というけれど、やはりそんな虚業に手を染めてほしくはないらしく、きっぱりと株はやめてアンパンのうまいパン屋の売り上げを伸ばすことに精を出すことになります。


一方、娘のほうは、父親の死後すぐに転校してしまった幼馴染がイケメン(とは思わなかったけど)として再び姿を現し、いきなり告白される。戸惑うあまり別にいやでもないのに「ごめんなさい!」と振ってしまった形となる。

というわけで、次回の予告を見ても、母親はパン屋で奮闘し、娘は受験と恋にゆれる、と。

でも、これって少しも「義母と娘」の話じゃないですよね。


ファースト・ガンダムとエヴァンゲリオン
やっぱり、竹野内豊が死ぬのであれば第1話で死なないといけなかったんじゃないでしょうか。つまり、娘との葛藤が解消する前に。

あくまでも「義母と娘」の話をやりたいわけでしょう? それなら父親は早く退場するべきだった。最初は竹野内豊が不治の病に侵されているとは思ってなかったのであまり気にしてませんでしたし、前回は病を克服するかに見えたので楽しんで見ましたが、結局死ぬのであれば中盤で死なずに、冒頭で死ぬべきでしょう。

娘一人だけ遺すのは忍びない、だから契約結婚をする。プロポーズして何とか説得して娘は認めてくれないけど無理やり結婚して死んでしまう。

このほうがよくなかったでしょうか?

緩衝材だった父親がいないぶん、二人の間の緊張と葛藤は高まる一方で面白いドラマになったと思うのですが。

『機動戦士ガンダム』でも『新世紀エヴァンゲリオン』でも、主人公がロボットに乗り込むまでを第1話で描いています。碇シンジはエヴァ初号機のパイロットとして招聘されたのだから乗り込ませるのはあまり難しくなかったと思いますが、アムロはガンダムとは何の関係もないし地球連邦軍の兵士ですらなかった。ただの機械いじりの好きな少年が自分の意思でガンダムに乗り込み、シャア以外のザクをすべて倒す。これをたった30分(正味22,3分)でやっているわけです。奇跡。

だからこの『義母と娘のブルース』も竹野内豊が死ぬまでを第1話でやるべきだったと思います。そこからが本格的な物語の始まりだと思うので。

そしてこの男。

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いったいどういう奴かと思っていたら第2章でパン屋として登場するためにこれまでチョイ役で出ていたんですね。しかしそれならいままでの彼の登場シーンはすべていらないのでは?

佐藤健はともかく、肝心の母と娘の葛藤が何もないのではドラマにならないじゃないですか。母はパン屋との葛藤を演じ、娘は幼馴染や受験という見えない壁と葛藤を演じる。それぞれが別々の葛藤を演じるのでは「義母と娘」の物語じゃない。


新しい葛藤を待望!
百歩譲って竹野内豊が中盤で死ぬのを良しとしても、それなら何か新しい葛藤がないと面白くない。ぜんぜんいい例じゃないですが、娘がぐれるとか、そういう「義母と娘」を引き裂く「何か」がないと『義母と娘のブルース』にはならないんじゃないでしょうか。

第4話から第5話まで、綾瀬はるかの「初恋」と竹野内豊の「最後の恋」が描かれてとても楽しく、同時に切なかっただけに、この転回は非常に残念です。


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『義母と娘のブルース』①論理と感情のはざまで



津川雅彦さんの想い出

昨夜、就寝の直前に津川雅彦さんが死去したとのニュースを見て絶句。あまり眠れませんでした。

津川さんといえばやはり『狂った果実』『ろくでなし』『日本の夜と霧』などがいまだに印象深いですが、そういうことは他の人に任せて個人的な想い出を書こうと思います。

もう20年以上前、私は京都の撮影所で働いていましたが、3か月だけ津川さんと現場でご一緒したことがあります。主役の補佐役みたいな役でしたが、私はテレビで拝見してきたイメージから「すごく傲慢で尊大な人なのかな」と思ってたんですよね。

しかし、真逆の人でした。私のようなどこの馬の骨かわからない若造にも心配りを忘れない、人間的にも素晴らしい人でした。

いまでもよく思い出すのは、津川さんが最初のテストと2回目のテストで芝居を変えたときのこと。監督が無能だったので役者さんが勝手に芝居を変えていました。監督が変えたのならその声が耳に入るから対処できますが、役者さんに勝手に変えられると対処できません。

私は録音助手でマイクを振る仕事でした。そのとき津川さんは最初のテストで主役の家に入ってきて、立ったままセリフを言ってから座ったんですよね。でも2回目のテストでは座ってからセリフを喋った。私はいきなり変わったのでめちゃくちゃ慌ててしまい、終わってから技師に「遅れとるぞ」と注意されました。

そのとき津川さんが「いやいや、僕が何も言わずに変えちゃったんでね。マイクマンさん付いてこれるかな、と思いながら……。(私のほうに向き直り)ごめんなさいね。次からはああいうふうになりますので。どうぞよろしく」と深々と頭を下げました。

大俳優からそんなことをされた私は恐縮しまくりで「あ、はい」としか答えられませんでしたが、イメージと違ってものすごく腰の低い人だなぁ、と思ったのを昨日のことのように憶えています。

晩年は『そこまで言って委員会』でたまにお見かけしましたが、政治的立場は完全に真逆で「うーん、津川さんってそういう思想の持ち主なのか……」とやるせない気持ちに襲われるのがいやなのでなるべく見ないことにしていました。

しかし、いくら政治的立場が違っても「津川雅彦という男は相手によって態度や言動を変えず、驕ることのないとても謙虚な人である」という事実は永遠に変わりません。

いつまでも安らかに。

『義母と娘のブルース』①(論理と感情のはざまで)

綾瀬はるかがほとんどアンドロイドのような元エリートサラリーマンで現主婦を演じる『義母と娘のブルース』。昨日の第3話からエンジン全開になってきました。


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前回で会社を辞めた綾瀬はるかがPTAの一員として運動会で誰が何をやるかという議論に参加するところから物語は始まります。
元ロボット部長らしく、エビデンスなどの用語を使ってそれまで当たり前だった会長・奥貫薫のやり方に反旗を翻します。徹底して理詰めで追い込んでいくところなどは痛快であり、同時に鼻白む部分もあります。だって「理屈」だから。どういう生い立ちかいまのところまったく明らかにされていませんが(ガリ勉でいじめられていたという説明はあったけど)人間的な感情などまるでもちあわせていない綾瀬はるかは「論理」だけで物事を解決しようとします。まるで「すべての物事は数学的に解決できる」と考えているAI信奉者のようです。

奥貫薫は悪役らしく微笑みで返すだけですが(あの笑みはかなり怖い)誰よりもそんな綾瀬はるかに反対するのは夫の竹野内豊です。


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「何か違うと思うんですよね」と。そして、さらに竹野内豊はこう言います。

「僕はあなたのやり方に反対だけど、味方ですよ」

綾瀬はるかにはその意味が理解できない。AIと同じですね。論理学の土台は排中律(Aまたは非Aのどちらかだけでその中間を認めない)ですから、「反対だけど味方」がわからないのも無理はない。

綾瀬はるかは奥貫薫が支配するPTA廃止を訴え、運動会を一人で切り盛りすることを提案しますが、はたしてうまく行くのかどうか。
と思っていたら、やっぱりうまく行くんですね。独りで四苦八苦している彼女を見て、いろんな人が手助けしてくれる。「あたしたちも何かやろうよ」という人が出てくることは綾瀬コンピュータの計算外だったでしょう。それもそのはず、それは人間ならではの「感情」のなせる業だからです。


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奥貫薫は結果的に綾瀬はるかとママ友になりますが、彼女はかつて綾瀬はるかのようなキャリアウーマンを目指していたのに夫に無理やり仕事を辞めさせられた過去があり、学校を舞台にエリートサラリーマンをやっていたことがわかります。
会社でできなかったことを学校でやる。人間には簡単にわかりますが、そこにはどす暗い感情が横たわっており、ロボット綾瀬に理解できたかどうか。コンピュータはつまるところ「計算機」であり、計算機にできることは「四則演算」だけですから。

とはいえ、排中律を土台に四則演算しかできない綾瀬コンピュータが見事な解答をはじき出すのが第3話の素晴らしさです。

助けてくれる人がいたから何とかなった。
去年まではこんなんじゃなかったという人がたくさんいた。
だから奥貫一派を筆頭とするPTAは必要だ。

論理だけで弾き出した解答によって、悪役・奥貫薫の心(感情)を変えてしまう。お見事

竹野内豊と娘の二人三脚の写真を撮れなかったと嘆く綾瀬はるかのもとに奥貫から「代わりに撮ってあげた。私も去年まで自分のこの写真を撮れなかったから」と写真が届きます。

ここで竹野内豊の言う「奇跡はわりとよく起きる」というのがこの作品を貫くキーワードになりそうですが、奇跡は人間にしか起こせませんよね。論理を推し進めるだけでは奇跡(飛躍)は起こりません。が、徹底して論理を推し進めた末に奇跡が訪れるというのが第3話の要諦でしょう。


さて、おそらく竹野内豊は不治の病に侵されており、それが結婚の理由なのでしょうが、はたして綾瀬はるかのほうの動機は何なのか。そして↓この男はいったい何者なのか。


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がぜん目が離せなくなってきました。


続きの記事
②残念な転回


夏の新ドラマあれやこれや(すでに3/6)

今月始まったテレビドラマの感想を見始めた順番につらつらと簡単に。


『幸色のワンルーム』
これについては第1話を見てすぐに思ったところを書いているので興味のある方は読んでみてください。→「SNS時代における連続ドラマ作りの難しさ」
ちなみに、私は第2話を見て、見るのをやめようと思いました。だって、ぬるい。30分がものすごく長い。


『義母と娘のブルース』
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綾瀬はるかなら面白いだろうという期待に見事に応えてくれる作品。
いまはまだ竹野内豊と結婚する本当の理由がわからないし、1話ではバイク便、2話では花屋をやっていた佐藤健の本当の役割もわからないので(バイク便での誤配はおそらくわざとでしょう)何とも言えないのが正直なところですが期待がもてます。いじめっ子と友達になれたのもよかった。いじめをドラマの枷にするのは安易ですからね。

数年前、あるプロデューサーが興味深い話をしていました。

「いくら独創的なキャラクターを生み出しても、それを演じられる俳優がいなければ不可能となります。現存する俳優だけで勝負しないといけない。映像作品というのは実は『不自由なメディア』なのです」

このドラマの綾瀬はるかは素晴らしいですね。あのロボットのような役をリアリティをもって演じられる演技力と天性のボケぶり。不自由なメディアを自由にしてしまうスター俳優の真骨頂!


『高嶺の花』
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何か最近、石原さとみの自然さを装った不自然な芝居が鼻についてきました。物語もいったい何を目指しているのかちょっとよくわかりません。だから逆にしばらく見続けるつもり。峯田和伸が相変わらず素晴らしいですし。戸田菜穂もよい。


『ハゲタカ』
これはもう我慢できずに20分でやめました。
大森南朋が主演の2006年作品も最終的に主人公がいい奴になって終わるので拍子抜けでしたが、でも最初のほうはすごく面白かったですよ。落ち着いて見られて。
この綾野剛バージョンは何だか説明セリフばかりでイライラしました。私はテレビドラマにこういうものを求めていないのでさようなら。


『透明なゆりかご』
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始まる日の番宣を見て録画しました。内容的には特に可もなく不可もなくといったところですが、カメラワークには一言だけ言いたい。
出産した安藤玉恵がと主役の清原果耶(なかなかの逸材ではないでしょうか)と言葉を交わすシーン。なぜ手持ちカメラで撮ってるんでしょう? 視聴者にじっくりセリフを聞かせるべきシーンであんなにカメラがぐらぐら揺れたのでは落ち着いて見ていられません。フィックスで撮ってください。できれば全編。


『探偵が早すぎる』
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これ一番期待してたんですけどね。
だって『探偵が早すぎる』ですよ。『早すぎる探偵』なら何とも思わないが『探偵が早すぎる』だとえらく面白そう。タイトルはとても大事。

でも中身はもっと大事じゃ! あんなに後説ばかり使うのはダメでしょう。あのとき実はこうでしたとフラッシュバックばかり。回想シーンはえてして「説明」にしかならないので基本的に禁じ手だと思う。「現在」しか扱えないのが映像の特性では?


というわけで、
『義母と娘のブルース』
『高嶺の花』
『透明なゆりかご』
の3作は完走したいものです。


『幸色のワンルーム』(SNS時代の連続ドラマ作りの難しさ)

製作元のABCテレビは普通に放送したのに、親分のテレビ朝日はビビッて放送を自粛してしまったという、いわくつきの『幸色のワンルーム』第1話を見てみました。

私は、放送の是非よりも、SNS全盛時代におけるドラマ作りの難しさを痛感しました。

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放送自粛の是非
冒頭はギョッとなりましたね。誘拐されたという14歳の少女が、誘拐犯が盗撮した自分の写真で埋め尽くされた部屋の壁を見て「こんなに私のことを好きになってくれる人なんだから」と言うので。

さすがにその時点では、「これはちょっとまずいというか、リアリティがなさすぎでは?」と思いましたが、物語が進行するうちに、少女は親からひどい虐待を受けており、学校でもいじめられ、自殺していたところを青年に助けられた。つまり、「誘拐」ではないんですね。力ずくで無理やり誘拐したのかと思っていたら「保護」しただけだった。

なるほど。それならわかる。

警察をはじめ「誘拐」と考えている世間と、「保護」されてついには逃げ切れたら「結婚」しようとなる当の二人との「ずれ」がこの作品の面白さなのだから、未成年を誘拐する話だから不適切だ、犯罪を助長するという言説は的外れというか過剰反応というか。

だったら、巷にあふれる殺人事件を題材にしたドラマや映画はどうなるんでしょうか。そもそも無理やり誘拐した末にストックホルム症候群に陥る映画に『完全なる飼育』がありますが、あれはいいんでしょうか。実話なんですが。


SNS全盛時代のドラマ作りの難しさ
私は前述のとおり放送の是非よりも、SNS全盛のこのご時世において、この手のドラマを作るときの難しさのほうが気になりました。

親に虐待を受けている。
学校でいじめを受けている。
(次回の予告編を見るかぎり)担任教師から猥褻行為を受けている。

ここまで周囲を悪人だらけにしないといけないのか、と。

いじめているクラスメイトは主人公が行方不明になってるのにそれを喜んでいるというのはリアリティに欠けると思いました。普通は怖がるんじゃないですか? 

逆に言うと、冒頭で「逃げ切れたら結婚しよう」と言わせないと読者や視聴者からのクレームがつく。だから極悪人に虐げられている主人公という設定が必要だったのかもしれません。だからポリティカリー・コレクトネスがドラマ作りを歪めてしまったということも言えるかもしれません。

『完全なる飼育』は普通に誘拐から始まって、無理やりレイプしたりという描写があったあと、徐々に恋愛関係に傾いていくわけですが、SNSでクレームが拡散する現代においては、そのような悠長なことはやってられないのかな、と思いました。

『万引き家族』と比較する文章を読みました。あの映画も世間的には「誘拐」、主人公たちにとっては「保護」を描いていましたが、なぜあれが上映自粛になったり観客からクレームがつかないかといえば、それは「劇場映画だから」ということに尽きるでしょう。
上映中にSNSで実況して悪評が拡散することもないし、それに何より2時間で終わりますから。終わるころには多くの観客が主人公たちに共感している。

でも『幸色のワンルーム』は「連続ドラマ」ですからね。誘拐(保護)から始まって徐々に少女と青年に共感するように仕向けることができない。それをやったらひどいバッシングを受けて打ち切りも覚悟せねばならない。だから冒頭で納得させるために周囲の人物をリアリティに欠けるほどの極悪人に設定しないといけない。

とても難しい問題です。できることなら、そういうことを恐れない作品が出てきてほしいとは思っていますが。


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