『逃げるは恥だが役に立つ ムズキュン特別編』も第4話となり、そろそろミッドポイントに近づいてきました。
前回までの記事
逃げ恥の経済学①贈与と返礼(給料前払いとよけいな家事労働)
逃げ恥の経済学②炊き込みご飯とぶどう(藤井隆の役割)
今回はガラッと変わって『逃げ恥』の神話学です。『逃げるは恥だが役に立つ』は古典的な神話的世界観に経済観念を絡めた恋愛劇というところに新味があったように思います。
シェア婚
勘の鋭い大谷亮平……というか、新垣結衣と星野源の言動があまりにお粗末なために簡単に二人が「契約結婚」の関係だとばれてしまいます。
そして提示されたのが「シェア婚」。ガッキー演じる森山みくりをシェアしましょうと。普段は星野源の家で働いて、週一でいいから家事代行をしてほしい、というのが大谷亮平の要求です。
これは女性からしたら完全にアウトな発言ですよね。大谷亮平は女を「家事をするロボット」としか思っていない。星野源は家事をきちんとしてくれるなら別に男でもよかったはずで、女をロボットとは思っていないでしょうが、大谷亮平は女でないといやなはず。あわよくば……という下心を絶対もってるし。
しかし、そんな彼に言わせれば、契約結婚という常識離れした形も「非常に合理的で理想的な関係」ということになる。つまり、私の前回までの論旨に従えば「需給バランス」にすぐれている、ということ。
でも、第1話の「給料前払い」や網戸を洗うなどの「よけいな家事労働」と、第3話の「炊き込みご飯」と「ぶどう」などは、ガッキーと星野源が雇用主と労働者という「需給バランス」の取れた関係を崩すほうへ崩すほうへと思わず行ってしまうことの象徴でした。
それはつまり、二人がお互いのことを好きだから。
大谷亮平はおそらくいままで一人の女も本気で好きになったことがなく(『アルフィー』のマイケル・ケインみたく)だからこそ給料の発生する契約結婚という形が「後腐れがなくていい」と思えてしまう。
だから、純粋に相手のことを思い、相手の喜びを自分の喜びと思い合えるガッキーと星野源は理想的なカップルなのですが、ダース・ベイダーのように暗黒面に堕ちてしまった星野源は、ガッキーに大谷亮平のところへ行ってほしくないのに、それが言えず、勤務時間外ならあなたの自由だと言ってしまう。
そればかりか、せっかくいい人と巡り合ったけど結局イケメンに好きな人を取られてしまう。……そうやってこの35年生きてきたんじゃないか、と自らを慰める。暗黒面に堕ち、堕ちたことを良しとする完璧なアンチヒーロー・星野源。
そして彼は「向こうに行ってしまってもいいです。僕のところには前のように週一で通ってもらっても」とまで言ってしまう。
自由意思というずるさ
「どうするかはあなたの自由意思です」
という星野源の言葉にはイライラさせられますよね。
自由という甘い言葉で飾っているだけで、実際は「好きだ!」という本音から逃げているだけ。なぜ「向こうに行ってほしくない」の一言が言えないのか。そんなのずるいよ!
とガッキーは言いかけますが、さすがにそれを言ってしまったらこの人はもっといじけてしまうだけだ、と言うのをやめます。
大谷亮平はシェア婚という形で星野源をさらなる暗黒面へ引きずりおろす役目を担っていますが、そんな彼を救い上げるヒーローが我らがガッキー。さすがガッキーはヒーローなだけあって心得ていますね。
しかも視聴者の誰も予想しなかった「私たち、恋人になりませんか。それが一番合理的だと思うんです」という言葉で星野源を追いつめます。
そして決め台詞が、
「平匡さんがいやなら引き下がります。これはあなたの自由意思です!」
見事な意趣返し! 主役として敵役(ガッキーにとって最大の敵役は暗黒面に堕ちている星野源です)へのリベンジが成り立っているし、神話の側面から見ても、ヒーローがアンチヒーローに贈る「自分の力で這い上がってこい!」というエールでもある。
来週は「ハグの日」ですか。あれはどう物語に関わってくるんだったか。ほんと、まるっきり忘れてる。だからよけい楽しみな今日この頃です。
蛇足
一人の女をシェアする、というのは、端から見れば「人間をモノのようにシェアするなんて」と思う義憤にかられることでもありますが、そう言っている大谷亮平にとっては「正義」そのもの。
だからこのドラマも、私が常々言及している、ある高名な脚本家の言葉、
「善と悪の対立にしちゃいけない。善と善の対立にしないとドラマは深まらない」
をちゃんと実践してるんですね。ここでいう「善」とは、その人にはその人なりの言い分がある、ということです。
続きの記事
逃げ恥の経済学③と神話学②カラダを贈与するガッキーと返礼しない星野源
逃げ恥の経済学④と神話学③(終)搾取、呪い、共同ヒーロー
前回までの記事
逃げ恥の経済学①贈与と返礼(給料前払いとよけいな家事労働)
逃げ恥の経済学②炊き込みご飯とぶどう(藤井隆の役割)
今回はガラッと変わって『逃げ恥』の神話学です。『逃げるは恥だが役に立つ』は古典的な神話的世界観に経済観念を絡めた恋愛劇というところに新味があったように思います。
シェア婚
勘の鋭い大谷亮平……というか、新垣結衣と星野源の言動があまりにお粗末なために簡単に二人が「契約結婚」の関係だとばれてしまいます。
そして提示されたのが「シェア婚」。ガッキー演じる森山みくりをシェアしましょうと。普段は星野源の家で働いて、週一でいいから家事代行をしてほしい、というのが大谷亮平の要求です。
これは女性からしたら完全にアウトな発言ですよね。大谷亮平は女を「家事をするロボット」としか思っていない。星野源は家事をきちんとしてくれるなら別に男でもよかったはずで、女をロボットとは思っていないでしょうが、大谷亮平は女でないといやなはず。あわよくば……という下心を絶対もってるし。
しかし、そんな彼に言わせれば、契約結婚という常識離れした形も「非常に合理的で理想的な関係」ということになる。つまり、私の前回までの論旨に従えば「需給バランス」にすぐれている、ということ。
でも、第1話の「給料前払い」や網戸を洗うなどの「よけいな家事労働」と、第3話の「炊き込みご飯」と「ぶどう」などは、ガッキーと星野源が雇用主と労働者という「需給バランス」の取れた関係を崩すほうへ崩すほうへと思わず行ってしまうことの象徴でした。
それはつまり、二人がお互いのことを好きだから。
大谷亮平はおそらくいままで一人の女も本気で好きになったことがなく(『アルフィー』のマイケル・ケインみたく)だからこそ給料の発生する契約結婚という形が「後腐れがなくていい」と思えてしまう。
だから、純粋に相手のことを思い、相手の喜びを自分の喜びと思い合えるガッキーと星野源は理想的なカップルなのですが、ダース・ベイダーのように暗黒面に堕ちてしまった星野源は、ガッキーに大谷亮平のところへ行ってほしくないのに、それが言えず、勤務時間外ならあなたの自由だと言ってしまう。
そればかりか、せっかくいい人と巡り合ったけど結局イケメンに好きな人を取られてしまう。……そうやってこの35年生きてきたんじゃないか、と自らを慰める。暗黒面に堕ち、堕ちたことを良しとする完璧なアンチヒーロー・星野源。
そして彼は「向こうに行ってしまってもいいです。僕のところには前のように週一で通ってもらっても」とまで言ってしまう。
自由意思というずるさ
「どうするかはあなたの自由意思です」
という星野源の言葉にはイライラさせられますよね。
自由という甘い言葉で飾っているだけで、実際は「好きだ!」という本音から逃げているだけ。なぜ「向こうに行ってほしくない」の一言が言えないのか。そんなのずるいよ!
とガッキーは言いかけますが、さすがにそれを言ってしまったらこの人はもっといじけてしまうだけだ、と言うのをやめます。
大谷亮平はシェア婚という形で星野源をさらなる暗黒面へ引きずりおろす役目を担っていますが、そんな彼を救い上げるヒーローが我らがガッキー。さすがガッキーはヒーローなだけあって心得ていますね。
しかも視聴者の誰も予想しなかった「私たち、恋人になりませんか。それが一番合理的だと思うんです」という言葉で星野源を追いつめます。
そして決め台詞が、
「平匡さんがいやなら引き下がります。これはあなたの自由意思です!」
見事な意趣返し! 主役として敵役(ガッキーにとって最大の敵役は暗黒面に堕ちている星野源です)へのリベンジが成り立っているし、神話の側面から見ても、ヒーローがアンチヒーローに贈る「自分の力で這い上がってこい!」というエールでもある。
来週は「ハグの日」ですか。あれはどう物語に関わってくるんだったか。ほんと、まるっきり忘れてる。だからよけい楽しみな今日この頃です。
蛇足
一人の女をシェアする、というのは、端から見れば「人間をモノのようにシェアするなんて」と思う義憤にかられることでもありますが、そう言っている大谷亮平にとっては「正義」そのもの。
だからこのドラマも、私が常々言及している、ある高名な脚本家の言葉、
「善と悪の対立にしちゃいけない。善と善の対立にしないとドラマは深まらない」
をちゃんと実践してるんですね。ここでいう「善」とは、その人にはその人なりの言い分がある、ということです。
続きの記事
逃げ恥の経済学③と神話学②カラダを贈与するガッキーと返礼しない星野源
逃げ恥の経済学④と神話学③(終)搾取、呪い、共同ヒーロー
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