2016年にスマッシュヒットを飛ばした『逃げるは恥だが役に立つ』の「ムズキュン! 特別編」の放送が始まりました。

私は16年の初放送時は見逃してしまい、翌年のCS放送で見たんですが、なかなか斬新な切り口で面白かった。でも最後のほうは違和感も感じたんですよね。それをうまく言葉にできないまま3年近くたとうとしていますが、今回の「ムズキュン!」で違和感の正体をつかみたい、あるいは初見のときより楽しみたいと思って再見してみました。


『逃げ恥』の経済学
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(かわいいけど色気がないんだよな、この子は)

『「逃げ恥」にみる結婚の経済学』なんて本が出てるっていま初めて知りました。

劇中でも「主婦の家事労働は年収換算で304万円」と言ってましたが、私が言及したいこのドラマの「経済学」はそういうところにはありません。

労働を金銭に換算し、それを対価として払う。

まったく問題のないように思いますが、私はそれではダメだと思う。『逃げ恥』の第2話以降でどのような経済学が描かれるかあまり憶えていないんですが、少なくとも第1話では「原初の経済」が描かれていたのが興味深かった。

初見のときは気づきませんでしたが、あの二人は「沈黙交易」をやってますよね?


沈黙交易(贈与と返礼)
沈黙交易とは、言葉を交わさずに物々交換を行う人類黎明期の貿易です。

まず、ある部族が自分たちが作った作物で余りものが出ると、それを他の部族との境界線にそっと置いておく。他の部族がそれを気に入るともって帰り、お返しに自分たちの余りものを置いておく。

経済活動というと「まず需要があって、それを満たすための供給が始まる」と思いがちですが、事態はまったく逆です。まず供給するんです。贈与ですね。それに対して返礼が行われ、その返礼に対する返礼(新たな贈与)が行われ……

需要があるから供給が生まれるのではなく、供給するから需要が生まれる。

『逃げ恥』の物語を大きく駆動するのはガッキーの契約結婚の提案(供給)ですよね。それによって「結婚なんて一生縁のないこと」と思っていた星野源に初めて結婚の「需要」が生まれる。

あくまでも供給が先で需要は後。それが経済活動のあるべき姿です。(星野源だって「いつか俺だって結婚したい」と内心は思っていたはずですが、その無意識の欲求を顕現してくれたのはガッキーの思わず出た「じゃあ結婚しませんか⁉」だったはず)

主婦の家事労働が金銭に換算するといくらだ、という言説は、まず「夫に家事労働をしてほしい」という需要があって、それに対して妻が供給する。その供給に対して給料を支払え、と言っているわけですね。

でも、『逃げ恥』で描かれる家事労働と金銭の授受はそれとはちょっと違いますよね。ちょっとだけど大きな違い。


『逃げ恥』における「贈与と返礼」
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この二人は最初は星野源の「家事労働を外注したい」という需要に対してガッキーが労働力を供給したのでは?

と思う人もいるでしょう。私は違うと思う。

最初の出会いで、星野源は給料を前払いしますよね。「気に入らなかったらそれっきり会わないでいいから」と、この男らしいことを言いますが、この記事の論旨に照らし合わせると、星野源はまず前払いという形で「供給」をしているわけです。「贈与」です。

ガッキーはそれに対して一生懸命家事労働に精を出す。気に入ってもらえなかったらまた職探しせねばならない。何とかしてここの仕事を得る! という「需要」が発生しています。

この二人の間の経済活動は沈黙交易と同じように、まず星野源の供給があり、新垣結衣の需要という形で始まります。そしてその需要は「次からもよろしくお願いします」という事実上の採用メールによって満たされる。

そして、ここからが大事なんですが、ガッキーは「いつもひとつだけよけいな仕事をしている」と言いますね。

最たる例が「網戸を洗う」。そんなのは契約にない。契約にない労働力を今度はガッキーのほうが「供給」する。

土曜の朝に窓を開けたらいつもより明るかった。なぜだろうと思ったら網戸がきれいになっている。

と星野源は感激します。

彼は、おそらくガッキーの「よけいな仕事」に感動したから契約結婚という普通なら尻込みしてしまいそうな提案を受け入れたのでしょう。

そりゃ、劇中で星野源はいろんな試算結果を提示して「合理的に判断して」ガッキーの提案を受け入れたと言いますが、私は合理的なだけではあの契約結婚は成立しなかったと思う。

ガッキーの「無償の供給」に感動したから、という動機がなかったらこの作品はただの「計算ドラマ」になってしまいます。そんなものが面白いわけがない。


「必要がないものをわざわざ買う?」(大谷亮平)
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大谷亮平と石田ゆり子が初めてニアミスする場面で、彼は結婚を望む彼女に対し、「じゃあ君はさ、必要がないものをわざわざ買う?」という一言できっぱり別れますが、非常に貧しい考え方と言えるでしょう。

もう20年以上前、『ニュースステーション』で司会の久米宏が黒柳徹子など大物文化人を招いてトークを繰り広げる「最後の晩餐」というコーナーがありました。

脚本家の倉本聰が招かれたとき、

「もちろん、与えられることはうれしいし、ありがたいんだけど、他者のために与えるということがないと人間は生きていけないんじゃないか」

と言っていたのが印象的でした。

この『逃げ恥』が描く経済学は、決して必要なものを買って必要じゃないものは買わないとか、提供された労働力を金銭に換算するとかいう無味乾燥なものではなく、まず贈与があり、返礼をする、その返礼に対してまた返礼をして……という、人が人として生きていくための、ごくごく当たり前の「常識」だと思うんですよね。

それを契約結婚という非常識な形で提示したのが斬新だったんじゃないか。

いや、そもそも契約結婚って非常識なんだろうか。結婚という制度そのものを疑おうよ、というメッセージもあったのかもしれませんが、それは来週以降に置いておきましょう。


続きの記事
逃げ恥の経済学②炊き込みご飯とぶどう(藤井隆の役割)
逃げ恥の神話学①星野源を救い出すヒーロー・新垣結衣
逃げ恥の経済学③と神話学②カラダを贈与するガッキーと返礼しない星野源
逃げ恥の経済学④と神話学③(終)搾取、呪い、共同ヒーロー


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2017-03-29



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