自粛警察が跋扈するなど、コロナのおかげでこの国の陰湿なところが顕わになっている今日この頃ですが、三密を断つ、ということで通常の映画も連ドラも撮影中断。

それにめげず、「いまだからこそ」作るべき作品を作る人たちがいることに拍手喝采、感謝感激。

といっても私が見たのは、NHK『今だから、新作ドラマ作ってみました』の第二夜「さよならMyWay!!!」と、上田慎一郎監督の新作『カメラを止めるな! リモート大作戦!』の2本だけ。(ジャ・ジャンクーの『来訪』も見たけどあれはリモート撮影ではない)

両方とも面白くなかったです。でも、ここでは作品の優劣は特に問題ではありません。面白い面白くないよりも「リモート撮影の限界」が論旨です。


「さよならMyWay!!!」
sayonaramyway

NHKの「さよならMyWay!!!」では、主人公・小日向文世の亡妻・竹下景子がパソコン画面に突如現れるところから話が転がります。

竹下景子はあの世からというとんでもなく「リモート」な出演で、当然のことながら二人のツーショットはありません。延々とパソコンの中の連れ合いとの喋くりが描かれます。

あくまでもいまは濃厚接触を避けるためにリモート(遠隔)撮影をしましょう、というだけなのに、作品世界の設定も「遠隔」というのはいかがなものか。

映画は今日撮ったカットと100日前に撮ったカットをつないでもそれらしく見せることができるメディアなのに。もったいない。


『リモ止め』の戦略
rimotome2

『リモ止め』では画像のように、それぞれ自宅に引きこもった俳優さんに自分自身を撮影してもらう。

台本上は同じ部屋にいる設定であっても、別個に撮って編集でつなぐとの監督の指示があり、自分で首筋をこちょこちょし、別個に撮ったこちょこちょする手とつなぐという手法。これを『カメ止め』の監督らしく、すべてばらしたうえで見せています。

だから「さよならMyWay!!!」とは違い、作品世界では同じ場所に二人の人物がいるわけです。

しかしながら、その二人を別個に撮るという監督の指示がばらされている。舞台裏をばらすことで逆に面白さを醸し出そうという戦略は、特に面白いものではありませんでしたが、戦略としては充分アリだと思います。

しかし……


映像リテラシーの問題
あれは阪神大震災の年だからもう25年前ですか。ハリウッド俳優が日本のCMに大挙して出ていた頃のことですが、ハリソン・フォードが筒井道隆と一人の女優(誰だったか忘れた)と共演! みたいな言われ方をしていたCMがあったんですけど、ハリソン・フォード一人と、筒井道隆と女優のツーショットがカットバックされていたんですね。

「これ共演じゃなくて別撮りじゃないか!」

と専門学校の同期生と笑ってしまいましたが、「普通の人は別々に撮ってるってわからないんだろうなぁ」と誰かが言っていました。

だから、リモート撮影であっても、「さよならMyWay!!!」のように舞台設定も別々にしないといけなかったり、『リモ止め』のように舞台設定は同じでもそれを別個で撮っているというネタばらしが必要になってくるんだな、と。

もし、別撮りの映像をうまくつないでまるで室内で仲良く団欒している(ような)シーンやスポーツに興じている(ような)シーンを見せても「どこがリモート撮影なんだ!」というクレームが出るんだろうなと思った次第。

一般の観客にそういう「映像リテラシー」を求めるのは野暮でしょう。みんなが映像リテラシーなんかもってしまったら作り手はかなり作りにくくなっちゃいますもんね。映画を作ったことのある人ならわかると思いますが、映画なんて最終的には「いかにごまかすか」ですから。

だから、「リモート撮影」という条件で一番個性を発揮できるのは、いいか悪いかは別にして、やはり『カメ止め』の上田慎一郎監督ということになるのでしょう、と思ったところで、カットカット!


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アレクサンダー・マッケンドリック
フィルムアート社
2009-09-28





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