2020年03月15日

内田樹先生の『邪悪なものの鎮め方』を読んでいると、前々から思っていたことが載っていた。

曰く、

「いまの日本人はみんな被害者になりたがっている。被害者になれば文句を言う権利が得られると思っている。つまりはクレーマーである」

この一節を読んだときに思い出したのは小学校の頃の出来事だった。

私は4年生で卓球クラブに所属していた。

え、小学校なのに部活があったの? と訊かれることが多いが、神戸市というか兵庫県には当時「クラブ活動の時間」というのが時間割に組み込まれていたのである。他の地域のことは知らない。

だから中学や高校のように放課後に練習をするのではない。確か金曜日の5時間目か6時間目であった。

そのとき、Hさんという人が部長で、よく「みんなこのクラブをよくしていくために意見を言って」と練習後の学級会みたいな時間に言っていた。

私は引っ込み思案だったから一度も発言したことがなかったけれど、6年生の先輩が毎週のように発言していた。


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曰く、

「僕は下手糞です。うまい人はうまいけどクラブを良くしようとは思っていません。下手糞な人間が発言しているのだからうまい人はもっと何か言うべきだと思います」

うん、確かに正論である。しかし当時の私はこの先輩がこういうことを言うたびにとても胡散臭いものを感じていた。まだ子どもだったから言葉にできなかったけれど。

正論というのは正論であるがゆえにうさん臭いと感じられることが多い。とは、もっと成長してから知ったことだが、直観的にうさん臭いと感じていたのでしょう。

特に「僕は下手糞だから」「下手糞な僕が」云々かんぬんというのが反吐が出るほど嫌いだった。

確かにその人は下手糞だった。うまいのに下手とウソを言っていたわけではない。

しかしながら、自分が下手糞であることを「武器」にしているのがいやだったのだ。違うと思ったのだ。

うまい人は楽しく卓球をすることばかり考えていてクラブ活動を良くしようと考えていない。確かにその通りだったような気がする。発言を求めていたH部長にしてからが、ゲームが始まると卓球のことに熱中してクラブ活動がどうだとかそんな高邁な精神はどこかへ行っていた。小学生だもんね。

しかし、下手糞を武器にする先輩はそれを難じた。下手糞な人間ですらクラブのことを考えているのだからうまい人はもっと考えるべきだ。というのは論理的には正しい。だから反論が難しい。というか、できない。

でも、自分が下手糞であることをアピールし、そのアピールによって自分を絶対安全地帯に置いたうえでうまい人を攻撃するそのやり口は卑怯だと思った。

確かにその先輩の言うことには反論できない。しかし、反論できないように最初から計算しているのである。その計算高さがとてもいやだったのだ。繰り返し言うけれど、当時の私がこういうふうに考えたわけではない。何となく心にモヤモヤしたイヤ~なものがわだかまっていただけ。

クレーマーも同じだと思うんですよね。自分は客であり、客に対して平身低頭することしかできない店員を相手に居丈高にものを言う。絶対安全地帯から正論を繰り出すそのやり口はとても卑怯で卑劣だと思う。

ということを新型コロナのせいか日曜なのにあまりガキどもがいないマクドで考えた次第です。




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