2019年11月21日

前回の記事
この世界観に異議あり! 『ターミネーター:ニュー・フェイト』感想①


前回は脚本というか「企画」についての話でしたが、今回は「演出」についてです。


主人公の登場のさせ方
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何よりもまず主人公サラ・コナーの登場のさせ方がよくないと思いませんか?

サイボーグ兵士のグレースが登場して救世主の母ダニーを守ろうと橋の上で銃撃戦になります。そこで突如、別の車がターミネーターを弾き飛ばして登場します。その車から降りる足。

いったい誰だ? T-800か? と思ったらサラ・コナー。

足から登場するのは抜群にいいと思うんですが、そのあとカットを割っていきなりリンダ・ハミルトンの顔を見せるでしょう? あれがよくない。

以前通っていたシナリオ学校で「主人公は暖簾を分けてサッと出る」というふうに登場させなさいと教えられました。

暖簾の奥に誰かがいる、誰だろう、という期待をタメてタメてサッと出るのがいいと。

でも、『ニュー・フェイト』のサラ・コナーの登場は、足が映ったと思ったらすぐに顔を見せる。タメがないんですよ。

だから、足からゆっくりパンアップして顔を見せなきゃいけなかったと思います。

山田宏一さんの名著『新編 美女と犯罪』で「フィルムノワールにおけるファム・ファタールは足から登場する」というのがあって、『深夜の告白』のバーバラ・スタンウィックなどが紹介されるんですが、だからこそサラ・コナーの登場を足からというのはすごくいいと思うんです。ファム・ファタールじゃないし美女でもないけど。

だからこそ、なぜ足から顔へゆっくりパンアップしなかったのか。非常に残念です。


アクション演出
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もう20年近く前に『シュリ』という韓国映画がありました。

あの映画を「アクションがすごい」と褒めてた人がいましたが、私にはまったく理解できなかった。

銃撃戦のシーンで、マシンガンを連射するカットがあっても、その人物が誰を狙っているのかがわからない。全体的な、敵と味方の配置がどうなっているのか、というのもわからないし、距離感もまったくわからない。ただ「激しい撃ち合いが行われている」ことしかわからない。あれはダメでしょう。

この『ニュー・フェイト』は『シュリ』ほどひどいとは思いませんでしたが、画面上で何が起こっているのかよくわからないカットがたくさんありました。アメリカ映画ですらこんな事態になっているのかと愕然となりましたね。

最近はやりのマーベル映画にも感じることではあるんですが、編集でごまかしているとしか思えないアクション映画がとても多くなった。12年前の『ボーン・アルティメイタム』なんか目まぐるしくカットが割られて何が起こっているのか少しもわからない。15分で途中退出しました。スコセッシじゃないけど、あれは「映画」じゃないね。

「映画とはまず見せ、そのうえで語るものである」とは、かのアレクサンダー・マッケンドリックの至言ですが、アメリカ映画ほど「見せたうえで語る」という古典的作法に忠実だと思っていましたが、最近ちょいと認識が変わってきました。アメリカ映画好きには残念な事態です。


サラ・コナーとT-800
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ここからは前回の「企画」の話に戻りますけど、このシリーズはあくまでもサラ・コナーが主人公だし『2』の正統的続編と謳っているわけだからリンダ・ハミルトンの再登場は当然と思います。でもシュワルツェネッガー=T-800を再登場させたのはどうだったのかな、と思いますね。

新たなサラ・コナーたるダニーを登場させるのだから、元救世主の母サラ・コナーの登場は必須。でもT-800はもう必要ないですよね。アンドロイドなのになぜか歳食ってるし。

シュワルツェネッガーにこだわりすぎたのもこの映画の敗因のような気がします。


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