2019年10月18日

実はつい最近仕事を辞めた。辞めたといっても二日しか行っていない。またぞろ派遣だったのだけど、派遣元の営業担当のものの言い方があまりにあんまりで、その会社に雇用されている状態に我慢ならず頭越しに社長に文句を言って辞めてやったのだ。

最初はせいせいしたぜ、とスッキリした感もあったが、すぐに「また失業した」「就業先の人に申し訳ない」という気持ちが湧いてきて自己嫌悪に陥り、死にたくもなった。でも食欲だけは旺盛で、旺盛というより食べすぎ。おそらくはストレスによる過食症であろう。

その過食症も昨日くらいから収まってきた。医者からは季節の変わり目でもあるから、朝だけはちゃんと起き、あとは昼寝はしたい放題すればいいと言われている。

こないだ失業したときは、絶対昼寝はダメという指示だった。これがきつかった。めちゃくちゃ眠くなるので家にいたのでは耐えられないから、わざわざ街へ出てドトールやマクドなどで安いコーヒーを飲みながら本を読んで睡魔を退治していた。

それが、今度は昼寝したい放題というから、ヤッタ! とばかりに昼寝をしている。仕事? そりゃ探さねばならない。昼寝なんかしている場合ではない。と頭ではわかっていてもまったくそんな気にならない。医者のほうがそういう事例を多く見てきているからか、「まったく職探しのことなんか頭にありません」といってもウンウンとうなずくだけ。「そのうちそういう気持ちになる」とだけ言っていた。

そんなこんなの今日、『桜島』『ボロ家の春秋』『狂い凧』などで一部に熱狂的ファンをもつ文人・梅崎春生のエッセイと小説を集めた『怠惰の美徳』を読んだ。(といっても前半のエッセイだけ。後半の小説は未読)


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怠惰の美徳、ええなぁ。怠惰であることは普通悪徳と思われているのにそれを美徳と豪語してしまうところがいかにも昔の作家という感じ。いまは作家も勤勉がもてはやされるらしく、村上春樹は朝5時に起きて昼食の時間まで一心不乱に書くらしいけれど、聞いただけでしんどくなる。

さて、裏表紙にはこんな紹介文が載っている。


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「一日十二時間は眠りたい」いいですねー! 実際それぐらい眠っていたらしく、夜十時間、昼寝二時間。娘は八時間寝ているらしいという記述があるのだけど、なぜ「らしい」かというと、自分がそれ以上寝ているから確かめようがないからだとか。笑った。

真面目な文学論なんかも載っているが、だいたいは「一日十二時間は眠っていたい。できればずっと布団にいたい」類の駄文(←こう言ったほうが梅崎氏は喜んでくれると思う)が主で、あまり勤勉すぎるのはよくないみたいなことがたくさん書かれていて、昼間から惰眠を貪ることに悪徳を感じ自己嫌悪に陥っていた私には非常なる薬になってくれた。

紹介文には「志望した新聞社は全滅」とあるけれど、毎日新聞社にだけは受かったらしい。しかし上位半分が東京勤務、下位半分が地方勤務で、梅崎氏は下位だった。福岡から東京帝大に入った彼は、何が何でも東京に残りたい一心で断ったとか。新聞記者というだけでも激務なのに、そこに都落ちしたという精神的に有毒な要素が加わると「自分の健康がそれに耐ええたかどうか」ということだったらしい。

わかる気がする。

私も職探しをしていて「お、ここは俺みたいな学歴・職歴がしょぼい奴でも雇ってくれるかも」と期待に目を輝かせるも束の間「残業20時間」とあるのを見て完全に萎えてしまう。学歴だけで差別され、職歴でも差別され、挙げ句に体力的にも門が狭くなる。

「肉体も精神も健康な人は小説なんか書かないし、また書けないだろう」

激しく同意。嗚呼、俺も脚本家への道が閉ざされなければもっと自由を謳歌できたかもしれないのに。そういえば、中学・高校で同級だった輩とはいまではまったく話が合わないのだが、映画学校で一緒だった人間とは非常にウマが合うのである。年齢差関係なく。既成概念に毒されていないところが合うのかしら。

「現在のような病める時代にあって、心身ともに健全であるということのほうが異状でありおかしいのだ。健全ということはデリカシーの不足、あるいは想像力の欠如ということだ」

と梅崎氏は喝破するのだが、いまの私には好都合な言葉ではあるものの、この言葉通りに生きていたら生きていけなくなるに違いない。

話がぜんぜん変わるが、私はこのようなブログにGoogleアドセンスの広告などを貼って少しでも収入をと思っているけれど、まぁ小遣いにもなりゃしない。

少しでもアクセスを増やそうとSEO対策なんてものを少しはやっている。でも「傾向と対策」というのが死ぬほどいやだった人間からすると、そういうものにはあまり近寄りたいと思わないのが正直なところ。

そんな私に朗報というか「SEO対策をしないことが最高のSEO対策」と豪語する人が現れた。キーワードをタイトルや見出しにちりばめたり、そのような小手先のテクニックで検索上位を勝ち取れるのはいまだけ。そのうちGoogleのアルゴリズムとやらが変わって「内容のすぐれたものが上位に来るようになる」と。それが本当ならありがたいが、その人の言うことがまたかっこいい。

「もし、誰もがいいと思う内容の文章を書いて、それでも検索上位を勝ち取れないとしたら、それは仕組みのほうが間違っているのではないか」

うん! この世界自体の仕組みもどこか間違っているのだろう。

「茸の独白」と題された小文の末尾に、いまの私の心境にとても似たものがあったので、ひとまずこれをこれからの決意として提出いたす。


私は徒党を組まなかった。
曲がりなりにも一人で歩いてきた。
いまからも風に全身をさらして歩き続けるよりほかにない。

私だけが歩ける道を、私はかえりみることなく今年は進んでいきたいと思う。
私の部屋に生えた茸のように、
培養土をもたずとも成長しうるような強靭な生活力をもって、
私は今年は生きていきたいと思う。



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怠惰の美徳 (中公文庫)
梅崎 春生
中央公論新社
2018-02-23




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