8月に中止に追い込まれた「表現の不自由展」が再開されました。この件で名古屋市長の河村たかしが抗議の座り込みをしていると話題になっています。あらかじめ言っておきますが、私は表現の不自由展をこの目で見ておりません。見ていないから8月の時点では「何も言えないなぁ」と思ったんですが、何だか事態がおかしなことになってきたので筆を執りました。実際に見てない人間の戯れ言でよければ聞いてください。


河村たかしの言い分にも一理あり
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この人は慰安婦像もけしからんと言っていて、私はあれは展示すべきと思うし、過去の反省をすることが反日的行為だというなら、映画『靖国』への検閲に対して「もっと反日映画を!」と訴えた松江哲明監督と同じように「もっと反日芸術を!」と考えます。

が、問題はこれ↓でしょう。



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立川志らくが新番組で言及していたという「昭和天皇御真影焼却足蹴動画」の展示。

これはよくない。河村たかしも「慰安婦のことばかり報道されてるけど、天皇の肖像を焼いて足で踏むなんてのは暴力でしょう」と言っていて、まさしく! と思いました。表現の自由は最大限保障されるべきですが、特定の人間の肖像を燃やして踏んづけるなんてのは表現じゃないし、言葉で誹謗中傷するよりもっとひどい。だから「暴力」という主張はよくわかります。

数年前のシャルリー・エブド事件でも同じことを思いました。ムハンマドの「風刺画」といっていたけれど、完全に嘲弄する内容で、よその教祖を馬鹿にする自由など認めてはいかんでしょう。あれは決して「表現」ではない。

しかしながら……


なぜ標的が「表現の不自由展」「あいちトリエンナーレ」なのか
河村たかしはなぜ表現の不自由展再開に反対しているんでしょうか。あいちトリエンナーレの開催費として名古屋市が負担すると決まっているお金も出すのを拒否しているらしいですが、これにはまったく同意できません。

河村たかしや志らくが反対しているのは「昭和天皇御真影焼却足蹴動画」だけでしょう? 表現の不自由展は、これまで何らかの理由で表現が規制された作品ばかりの展示だから他にもいろいろ微妙なものもあるんでしょうが、河村たかしが「暴力」と訴えているのはどうも焼却足蹴動画のことだけみたいです。

焼却足蹴動画とその他の展示物を一緒くたにして「再開反対!」というのはまったく同意できません。焼却足蹴動画だけ「そんなものは表現じゃないから展示してはならん!」というなら筋が通ってますが。


リベラルVSネトウヨ
ツイッターの意見なんかを見ていると、リベラルな人はネトウヨを批判し、ネトウヨはリベラルを批判する。そりゃ私も慰安婦像がけしからんと言う意見には批判的です。でも昭和天皇御真影焼却足蹴動画についてはネトウヨたちと同じく「暴力」だと思う。

ひとつひとつの作品に対して「これはいい」「これはダメ」というのが本当であって、ひとつが容認できないからすべて中止にしろとか、すべてを守るためにそのうちのひとつの暴力を容認するのはどちらも筋が通っていません。

内田樹のようなリベラルな人は河村たかしのような右翼的な人の言い分に「一理あり」とは思っていても言えないんでしょうか。右翼的な思想の持ち主はリベラル派の言い分の一部に賛意を感じても「あいつらは敵だから」と隠すんでしょうか。

それでは、「作品」について議論しているんではなく、自分の思想を守ってるだけじゃないですか。「対話」になっていない。相手の非を責めて勝ち誇っているだけ。


撮影禁止は何のため?
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私はこの人の言っていることもよくわからない。

抽選に通った人のみ30人ずつしか入場できないとか、金属探知機で身体検査をするとかいうのは、暴力行為や殺到した人が将棋倒しになることを未然に防ぐためには仕方のないことだと思います。

それから、アーティスト自身が応対する特別のコールセンターを立ち上げたのもなかなか面白い試みではないかと。電凸と言われる電話も多いみたいですが、通常のオペレーターではなく作家自身が出るからトーンが低めだそうで、早速成果が出てる感じでいいですね。

でも、「SNSで拡散するのを防止するために展示室内で動画を撮影することを禁じる」というのにはまったく賛成できません。

SNSで拡散されるのを防ぐっていったい何のため? 拡散されたら困るということは「展示してはいけないもの」があるということではないんですかね? つまりは昭和天皇御真影焼却足蹴動画のこと。


右も左も……


ここまで書いてこの歌がすぐ浮かびました。「右も左も真っ暗闇じゃございませんか」。この「右」や「左」に政治的な意味があるのかどうかは知りませんけど。



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